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⚫︎桜菓子



















薄紅色は君の色だ。

春の匂いはあたたかくて、柔らかくて。


君を抱きしめている時と似てる。















《桜菓子》



























「おっはよー」



春めいて、あったかい陽射しだけど、ちょっと肌寒い。
いつものスタジオも、こんな日はやけに広々と明るく見えるから不思議(実際は機材やら何やらでごちゃごちゃしてるいつもの作業場だけど)。
そんな日。
今日も隆と葉山君とスタジオ仕事。
先に到着していたふたりに挨拶すると、葉山君は微笑んでゆったり挨拶を返してくれて。
それから隆は…





「ーーー…おはよう」



ん?
…なんだ。何だかちょっと…刺々しい…?
ささっと隆が隠れたのは葉山君の後ろ。
背の高い葉山君の、ちょうど肩の辺りからちょこんと隆の顔が覗いてる。
…その顔も眉間に皺…




「…隆一さん?」



どうしました?って、葉山君は目をぱちぱちさせて。
隆は隆で、離れるもんかって感じで、ぎゅっと葉山君のシャツを握る。




「おはよ。ナニ隆ちゃん。機嫌悪いの?」

「ーーー別に悪くないよ」

「…思いっきり睨まれてる気がすんだけど」



頬っぺたもぷっくりさせて。
葉山君の陰から顔を覗かせる様子は小動物みたいで。
ーーー可愛いんだけどさ。ずっと見てても飽きる事なんてないんだけど。
睨まれるような事、俺なんかしたのかな…。




「りゅーう」

「…」



ずっとこうしていても埒があかないし、仕事も始めらんない。
こうなったら強行策だ。
ぐっと間合いを詰めて、葉山君の背中側に手を伸ばして。



「隆」

「ぁ、…ゃ、」


ぎゅっと腕を掴んで引っ張ると。
小さな抵抗の声と共に、隆は体勢を崩して、つんのめって。
俺の腕の中に落っこちた。



「ーーーっ…ぃや、」

「嫌とか言うなよ」

「だって葉山っちの前だもん!」

「いえ、僕は気にしませんから大丈夫ですよ」

「気にしてよぉ!」

「ははは、イノ隆耐性が出来上がってしまって」

「さすが葉山君」

「感心してないで!イノちゃん手、離して」




キッと睨んで見上げる隆の視線は、もう涙目だ。
(…そんな目で見ても逆効果って何度言ってもわかんないんだなぁ…)
ーーーつか、本当。俺何したんだろう。
何かしてしまったんなら謝りたいけど、理由がわかんないから謝りようがない。




「ね、隆」

「…なに」

「俺が隆に嫌な事してたなら謝りたいから。だから教えてよ」

「…」

「今日は何をそんなに怒ってんの?」



ーーー葉山君もじっと見守ってる。
気になるのは彼も同じなんだろう。
いつも、にこにこふわふわふにゃりと笑う隆がこんなに怒ってる理由が。

俺と葉山君に見つめられて。
隆はしばらくふたりの隙間で視線を泳がせていたけれど。
ーーー諦めたのか、ちっちゃくため息をついて。
クッと、唇を噛んで。




「……俺昨日…撮影があったんだもの…ソロの」



いつもの威勢はどうした⁇って感じのうるうる潤んだ頼りない声。
でも、こんなに怒ってんだから、さぞかし大変な事なんだろうと思っていたのに…撮影?



「…撮影、」

「撮影…ですか?」

「そう…」

「ーーーそれが何で隆が怒る原因になるんだ?」

「…だって…」

「うん」

「……だって…」

「うん。いいよ、隆。言いな」

「ーーーーー」




ぎゅっと噤んでしまった言葉の先を促して、掴んでいた隆の腕を解いてやって。
その場でしゃがんで、俯く視線が合うように、隆を見上げた。




「隆」



隆は小さな子じゃないけど、泣いている子に語りかけるみたいに。
(俺にしちゃ、かなり)…優しい声で。
隆の名前を大切に呼んだ。

ーーーすると、ようやく。…





隆は着ていた白のコットンシャツの襟元のボタンを、ひとつ…ふたつ、寛げる。
そういや今日はえらくキッチリ上までしめてんなって思ってたけど。
鎖骨が見える辺りまで襟を緩めた隆は、そっと。
白い服地を開いて、白い肌を露わにした。





「ーーーここ、」

「え、?」

「…昨日の…その夜…の」

「ーーーーーあ、」





先に気付いたのは葉山君だったのかもしれない。
小さな気付きの声の後、スッと視線をずらして。
一瞬俺と重なった彼の目は…

〝イノランさんのせいですねぇ…〟

苦笑を含ませて、そう言ってた。




そう。
隆の首筋と鎖骨のあたり。
そこに散っていたのは、薄紅色の小さな痕。
俺と隆が愛し合った夜の名残。
ーーーきっと昨日の撮影の時に、衣装に着替える時にこれを見つけた隆は。
スタイリストが用意した服からこれが見えやしないかハラハラしたんだろう。

今は春。
春風や爽やかさを意識したこの季節の衣装は。
隆の白い肌が存分に映えるものをと、用意された筈だから。





「ーーーーー隆ごめん」

「……」

「いつもはそこは最大限に気をつけるところなんだけど、」

「…見えちゃわないかって、どきどきしたんだから」

「うん、本当ごめん」




プライベートと仕事はきちんと線引きする。
特に俺と隆の関係は、そのどちらでも顔を合わせる機会が多いし、一緒に活動する事も多いから。
だからこうゆう部分はちゃんとしようねって、付き合い始める時に決めた事だ。

今回の事はその約束のラインを踏んでしまった俺のせい。
隆にちゃんと謝らないといけない場面だ。












結局。
隆にごめんねって謝って。
もういいよって、最後は恥ずかしそうに微笑んで許してくれた隆。
その、少々しんみりしてしまった雰囲気をとり持ってくれたのは葉山君で。




「悪気なんてこれっぽっちも無いんですね。イノランさんは隆一さんが大好きで、忘れちゃならない約束も吹っ飛ぶ程にしてしまったって事でしょう?」

「ーーーその通りだよ」

「ほら、ね?ね?隆一さん」

「………わかってるよ。イノちゃんが俺の事すごく大事にしてくれてるって、」

「ーーー隆」

「…それに俺だって、いっつも…もっともっとって、強請っちゃう」

「ーーー」

「イノちゃんだけのせいじゃないね…」



はにかみながら顔を上げた隆の手と、所在無く彷徨っていた俺の手を。
間に立つ葉山君がぎゅっと握って、繋いでくれて。



「ーーー握手していただいて」

「…ぅん、」

「ん」

「これにて仲直りって事で」

「ーーーふふっ」

「ああ」

「いかがでしょうかね?」



ピアニストのスラリと長く、それでいてあったかい。
葉山君の手には逆らえないなぁって、俺と隆は同時に思った筈。




「ーーーありがとう、葉山っち」

「だめだね、葉山君がいないと」

「葉山っちがいないと嫌だもの」

「俺も」




春の軽やかさ。
夏の爽快さ。
秋の切なさ。
冬の愛おしさ。


俺と隆の歌と音が、葉山君の音色によって増幅して…
深く…広く…高くなる。


俺らにとっての最重要人物は、間違いなく葉山君だ。














その後は無事に今日のスタジオ仕事も終わって。
じゃあ僕は今日は車なのでって、スタジオの駐車場に去って行く葉山君を見送って。
去って行く長身の彼の背中に改めて感謝の念を送りつつ…




「俺らも帰ろっか」

「うん!」



手を繋いで、夕暮れ時外へ出た。
今日のお詫びって、途中の小さな和菓子屋で隆の好きなものを買ってあげた。


どれがいい?って言うと。ガラスケースに並ぶ桜色の和菓子の数々に隆は目を輝かせて。



「桜餅…と、練り切りの…桜のと。ーーー道明寺」


それらを包んでもらっている間に見つけた、レジ横に置いてあってピンク色の金平糖も一緒に。
店を出た時、隆は顔を綻ばせて嬉しそうで。
俺はそれが嬉しかった。














「桜」

「ーーーああ、まだ蕾が多いけどな」

「薄紅色で可愛いね」



道ゆく先に立ち並ぶ桜の樹を見上げながら、隆は笑う。


薄紅色で
可愛い


ーーーちらりと盗み見るのは、隆の横顔。
隆の首筋に散る薄紅色を、俺は知っているから。
可愛いと思うのは、俺にとっては、隆。



夕暮れ時の道。
人影はまばら。(というか、誰もいない)

だからこんなのも、たまにはいいかなって。





「隆」

「…っ…ぁ、」




一番近くに立つ、薄紅色の蕾が茂る桜の樹。
その艶々した幹の陰で、隆の腕を引いて、抱きしめる。
トン…と、幹に隆の肩を押し付けると、彼はすぐに察して、頬を染めて睨んだ。



「ーーー今日…反省したんじゃなかったの?」

「反省したよ。今日のことは、同じ失敗はしない」

「っ…じゃあ、」

「でも今はさ、また違うだろ?」

「ーーーっ…」

「桜の樹の下で、薄紅色が似合う隆が可愛くって、」

「イ、」

「キスしたいなって、」

「ーーーーーばか…ぁ、」

「隆は?俺と、」

「っ、」



「したくない?」





好きなひとと、桜の下で。





「ーーーーーした…い、よ」

「ん、」

「イノちゃんの事、好きだもの」



ぎゅっと、隆の手が縋り付く。
微かな声で、もう一度囁いてくれる。



「イノちゃんが好きだもの」



世界で一番、愛しているの。…って。






「俺も、」



隆の顎を掬い上げて、唇を重ねる寸前。
愛を。


「愛してる」





俺の言葉で、隆が微笑んでくれた瞬間。
触れ合わせた唇は、すぐに物足りなくなって、深くなる。




「ふ…っ…ぅ、」

「ーーーーー…な。…りゅ、」

「…っ…ん…?」



濡れた隆の唇を舌先で触れながら。
この後うち来ないか?って、拒まれたら落ち込みそうな言葉を言うと。



「ーーー…明日も俺、撮影あるよ?」

「大丈夫。痕は付けるけど、見えないようにする」

「ふふっ」

「同じ失敗はしないよ」

「葉山っちにまた迷惑かけないようにしないとね?」

「それもそうだしさ」

「ん?」




春みたいな。
薄紅色で可愛い君を。



「もっともっと、優しく愛してあげたいって思ったから」







end



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