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⚫︎君とふたり
とん、とんっ。
「♪」
白っぽいのと、灰色っぽいのと、煉瓦色の。
三色の石畳みが続く道。
そのうちの、どうやら彼がこれ!って決めたらしいのが白っぽい平石。
それだけを器用に選んでとんとんと踏んで歩く。
鼻歌を口ずさみながら、彼…隆はご機嫌だ。
「イノちゃんもやる?」
「ん?水の上を走る忍者の真似?」
「違ぁう」
「じゃあ蓮の葉の上を跳ねる雨蛙」
「それも可愛いけど…でも違う」
「ーーーなに?」
「うさぎの真似」
「ーーーーー」
「うさぎは跳ねるでしょう?」
「ーーーーーまぁ、」
(ーーーーー…うさぎ)
そう言われた途端に隆の頭に見える気がするうさぎの耳。
ついでに尻の辺りにぽんぽんの尻尾もだ。
「ーーーそうきたか…」
「えー?なぁに?やっぱりイノちゃんもやる?」
「…や。俺はいいや」
「そ?なんかね、今日みたいな気持ちいい天気だと走り回りたくなるよね」
「ーーーん、まぁな?」
「それに隣にイノちゃんがいるし!」
「俺?」
俺がいるし、なんて言われて。
俺がうさぎジャンプとなんか関係あんのか?と、多分目を丸くして隆のこと見たんだと思う。
隆はようやく足を止めて、立ち止まった俺の目の前でにっこり笑ってこう言った。
「こんな風に歩くのは誰でもいいってわけじゃないでしょ?」
「ーーーうさぎ?」
「そうだよ。だって例えば会社の上司の隣でこんな事はきっとできないだろうし」
「ーーー」
「初恋でやっと初デートって相手の隣でも難しいだろうし」
「ーーー」
「こんな事できる相手って貴重でしょ?俺にとってはイノちゃん。イノちゃんだけなんだよ」
ーーー相変わらず、ふとした事でも隆は思いがけない言葉をくれる。
他の奴が聞いても聞き流してしまいそうな言葉も、俺にとってはこれ以上ない隆からの愛の言葉だったりする。
さらっと耳に入った語句が、後からじわじわ俺を喜ばす。
「ありがと」
「ん?」
「だから隆のこと好き」
「!」
「大好き」
「っ…」
「愛してるよ」
だから俺も。
何度だって君に言うんだ。
車だと飲めないからって。
今日は公共交通機関を使って隆とデート。
さっきの石畳みの道の途中、通りかかったバスがちょうど行きたい方向に行くもので。
先を見るとすぐそこにバスの停留所。
「隆ちゃん行くよ!」
「え?ぁ、うん!」
バスと並走するみたいにふたりで走って、バスよりも二、三歩早く俺たちが先に到着。
この路線バスは初めてだけど、ちょうど時間帯もあるのか中は空いていて。
隆とふたり、一番後ろの端の席に座ることができた。
「タイミングよかったね」
「な。歩くとそこそこありそうだから」
「寒いしね」
「バスはあったかいし」
顔を合わせてにんまり。
こんなのも楽しいんだ、隆となら。
ーーーーーお待たせ致しました。⚪︎⚪︎⚪︎です。お降りのお客様は…
数分で次の停留所に着く。
ひとり、ふたり降りて。
新しい乗客が乗ってきた。
ーーー恋人同士って感じの、若い子たち。
そのふたりは俺たちの四列ほど前の席に並んで座ると、バスが動き始めてすぐに彼女が彼の肩にそっと頭を預けた。
走行音とアナウンスに紛れて聞こえないけれど、楽しそうに話してるんだろうなって雰囲気がわかる。
そして。
そんな様子を、隆は穏やかな表情眺めていた。
「ーーーーー」
「ーーーーー」
ーーーーー次は…◇◇。
「ーーーーーーー……」
「ーーーーー」
ーーーーーお降りのお客様は…
「ーーーーー隆?」
「え、」
次の停留所のアナウンスの最中に、俺は隆を呼ぶ。
すると隆はハッとしたみたいに背筋を伸ばして、ぼんやりしていた事が恥かしかったのか、俺を見て頬っぺたを染めて俯いた。
「あのさ、」
「ん?」
「ーーーあの、隆もね」
「?」
「いいんだよ、あーゆうの」
「ぇ、?」
「遠慮なく、俺にしても」
「ーーーぁ、」
いいんだよって、それが何を指すのか。
隆は瞬時に気がついたんだろう。
ますます頬っぺたを赤くして。
ぎゅっと膝に置いた手を握り締めて唇を噛んでしまった。
(…直球過ぎたか)
(どうしようかな)
きっと、いいなって思ったんだ。
目の前のふたりを見て。
少なくとも俺はそう思った。
隆とあんなのできたら幸せだろうなって。
でもそれは恥ずかしさと、人前で…という躊躇いとの背中合わせで。
(ーーーじゃあ、せめてさ)
隆を困らせるのは嫌だから。
でも、我慢させるのも嫌だから。
「ーーーほら、」
「っ…!」
座席に隠れて見えない場所で。
俺は隆の手を手繰り寄せて、指先を絡ませる。
寒い外からあったかい車内に入って、ジン…と熱くなった隆の指先をやんわりと包む。
顔を上げると、突っつけば今にも泣きそうな隆。
「嫌だ?」
「ーーーっ…ぅう、ん」
「やじゃ、ない?」
「ん!」
「よかった。じゃあ、このままな?」
バスを降りるまで、このまま…
ーーーーーお待たせ致しました。終点、◻︎◻︎◻︎海岸です。
「着いた」
気付くと乗客は俺たちだけだった。
あまりに心地よくて微睡んでいたみたいで、あの恋人達ももういなくなっていた。
ざざ…ざ…ん
ざざーーー…
「っ…寒、」
「海沿いだなぁ、あったまった身体が一瞬で冷える」
「こんな寒い日に海岸来る人もいないよねぇ」
「俺らくらいだ」
「でもいいよね!」
「ん?」
「ふたりっきりだよ」
「っ…ーーー」
「だぁれもいないー!」
ーーーああ、もう。
またそんな事を平気で言う。
今まで何度も思ってるけど、こうゆうところが本当に好きだ。
「ーーー少し歩く?」
「少しな。寒いから少し歩いたらあそこに見えるカフェに行こうよ」
「いいね」
寒い寒い言いながらも海岸に来るのは、もう慣れっこだ。
いつもの隆が好きな海岸。
だから俺も好きになった海岸。
ここから生まれたふたりの想い出もたくさんある。
だからここは外せない。
真夏でも、雨降りでも。
今にも雪でも降りそうな寒い日でも。
俺たちはきっとこれからもここへ来る。
ざぷん…
…ちゃぷ。
さくさくと波打ち際を歩く隆。
俺はその後ろを半歩下がって歩く。
海風に髪を遊ばせて、拾った小枝をタクトのように振りながら歩く隆。
あどけなくって、可愛くて。
そんな姿を見たいから。
「ーーーもううさぎ跳びはしないのか?」
「え、?」
「うさぎ」
「ーーーしないよー。ここではね、ゆっくり砂を踏みしめたいの」
「気まぐれりゅー」
「いいのー」
ほんと、気まぐれな猫みたいな奴。
うさぎじゃなくて、猫。
でもだからこそ、目が離せないんだ。
隆から。
離れられないんだよ。
「ーーーっ…ぅ、寒…」
海からの冷たい風が吹き抜ける。
隆は持っていた小枝をぽとんと落として、きゅっと身体を縮めてマフラーに顔を埋めた。
白い吐息が霞めて、寒そう。
「隆」
「ん?」
くっと、手を引いた。
抵抗も無く、隆は俺の腕の中にぽすっとおちる。
風に洗われてひんやりした隆の黒髪が俺の頬に触れて、甘い隆の匂いがすぐそばに。
隆を抱きしめているって、実感する。
「あったかい?」
「ん、イノちゃんあったかい」
「そりゃよかった」
「ふふっ」
微かに笑う隆の肩が揺れて、さらさらと黒髪がくすぐって。
擦り寄る隆の重みを受け止めると堪らない気持ちになる。
「隆」
「ぅん?」
「りゅー」
「なぁにー?」
「隆りゅう、りゅー」
「なぁーにー⁇」
「ーーー俺はね、ずっと隆のそばにいるよ」
「…なに、」
「ん?」
「いきなり…」
「今日ずっと思ってたこと。ーーーっつか、いつも思ってることだから。だから時にはちゃんと言ってあげなきゃなって」
「ーーー」
「今日は何度お前のこと好きって思ったかわかんない」
「ーーーイノ、」
「だから言わせてよ。隆ちゃん好きだよ」
「イ、」
「隆が大好き」
「ーーーっ…し、知ってるもん」
「ほんと?」
「だって、」
ーーーああ、ほら。
隆の頬っぺたが、また。
薔薇色。
「俺も…イノちゃんが、」
「ーーーーー隆…」
「ーーーーー…好………
何度目かなんて、もうわからない。
この通い慣れた海で隆とキスをする。
隆の目に映る海と空を塞ぐように唇を重ねる。
今日俺に見せてくれた色んな隆も、この瞬間だけは真っ新な隆一だから。
俺だけの隆でいてくれるから。
「ーーーーー…イノ…ちゃん」
「ーーーん?」
「 。」
耳元で囁いてくれたのは。
キスで飲み込む寸前の言いかけた言葉だった。
end
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