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⚫︎初恋




















眼下に見えるのは、緩やかに波打つ昼間の海だ。






日中の春の陽射しを受けて。
白く細かな光は昼間の星空みたいで。



(ーーーーーどうしよう…)



あまりに緩やかで。
穏やかで。
それにきらきら光る星…ではなく、波間の光が眩しくて。



(モノレールって振動が無いね…)

(ーーーだからかなぁ…)



隆一はうとうとと、外を見ながら目を細めた。



(眠くなっちゃった)








コロコロと滑るように進むモノレールは、地上を走る電車に比べると静かなものだ。
高架を走るモノレールは、目線の高さに視界を遮る物はあまり無い。
車窓から見えるのは春の青空。
さらに今走るのは海岸線だからか。
空の青と海の青に挟まれるこの車内は静かな寝室のようで。

誘われるのだ。
穏やかな眠りに…。








「ーーー隆」

「…ん、」

「眠いんだろ」

「ーーーーーん…。違…も、」

「手。めちゃくちゃあったかいけど?」

「ーーーイノちゃんが手、繋いでくれてるからだもん…」

「くくっ、」





ボックス席に並んで座って。
イノランが、隣り合う隆一の手を手繰り寄せて指先を絡めたのは、この車両に乗ってすぐの事。
その頃はまだ隆一の目もパチリと開いていたから、甘やかすように繋がれた手に、照れを含ませたほんの少しの抵抗をしたものだけれど。



「誰も見てないよ」


イノランはそう言って、手を離す事はしなかった。

ーーーそれからもう、ずっとこのまま。
互いの爪先を撫でたり、手遊びするみたいに戯れあったり。
線路と時間が進むうちに、繋いだ手は馴染み合う。
馴染み合うから、気付くのだ。
繋いだ相手の状態とか…フトした事とか。
その手の体温で隆一は眠たげなのだと気付くと、寝かせてあげたい反面、置いてきぼりをくらうようで面白くなくて。

イノランは耳元で。





「あのね、恋人繋ぎってのは」

「ーーーん?」

「特別じゃん?」

「ーーーぇ、特…別…?」

「そう。ーーー隆としかしない」

「っ…!」




ぱち。



「あ、目ぇ覚めた?」

「覚め…っ…」

「はははっ、おはよ隆」

「~~~っ…はよ、じゃないよ!」




起こす気満々だったイノランは満足気。
けれども隆一は、うやむやになってしまった眠気とか、イノランの場所を選ばない愛の言葉なんかで…もう。
ぷくっと頬を膨らませて、キッと隣の恋人を睨むので精一杯だった。




「…もぉ、」

「怒んないでよ。ほら、取り敢えず着いたらさ、どっかで飯でも」

「ぅん、」

「モノレールの終点まで行ったら、そこからは地上の電車に乗り換えてさらに海の方に行くからさ」

「ーーーイノちゃん…詳しいね」

「ええ、今さら?」

「いっつも思ってるんだけど。一緒に出掛ける時ね?イノちゃん迷わないんだもの」

「…道とか?」

「道もそうだし、乗り物の乗り継ぎとか、そうゆうの」

「ーーーそりゃぁ、さ」

「エスコート…。上手だなぁって」



小首を傾げて、ツンと唇を尖らせて。
嬉しそうではあるけれど、どこか複雑そうな顔した隆一。
もしかしたら、他の誰にでもそんな対応をしているのかも?と、思うのかもしれない。



(ーーーそんなわけないじゃん)

(そんなわけないんだよ)



イノランは、ひとり苦笑い。


(馬鹿みたいに必死なんだよ)

(お前相手の時だけだ)

(他の誰にこんな事するんだよ)

(格好つけたくて、リードしてやりたくて)

(密かにスマホで下調べしまくってるって言えるわけない)

(なんつぅかな…。ほんと…)

(初恋みたいな。初めて好きになったひとに、いっぱいいっぱいな感じだ)


(お前だけなんだよ)



出会ってからの時間を考えたら、もう長年連れ添った恋人同士みたいだけれど。
隆一相手だと、そうはいかなくて。
いつも驚かされて、新鮮で。
二人の間に生まれる愛情は、常に艶々のハートマークが飛び交っているような。
そんな、恋。


そんな陰ながら大奮闘しているイノランの努力なぞ隆一は知る由もなく。
こうして無邪気に頬っぺたを膨らませるのだ。



(勘弁してくれ…ホント、)


ーーーと、思いきや…だ。





「ーーーでもね?イノちゃん」

「ん?」

「いつもありがとう。イノちゃんと一緒に出掛けるの楽しいよ?」

「!」

「多分ね、」

「ーーーん、?」

「エスコートしてくれるイノちゃんに何の疑問も抱かずに着いてって、そこで何が起きてもね」

「ーーー」

「そのままイノちゃんに攫われてもね。ーーーいいんだ」

「ーーーーーりゅ、」

「イノちゃんが好きだから」



へへっ!
にっこり笑顔付きで、そんな台詞を言われては。
イノランはもう、笑うしかなかった。









コトン…コト…ン。




静かに流れるように。
モノレールは終着駅に停車した。

平日の昼間の駅。
どちらかと言えば観光ルートを走るこの路線は、昼間は通勤通学目的の乗客は少ない。
休日ならば観光客で賑わうが…。今は人は疎ら。
ところどころの駅にはアウトレットや市場、水族館なんかが点在するから、そんな駅では乗り降りする人も多い。




「ーーーあ、海の匂い」



ホームに降りて早々、隆一が言った。
確かに潮の香り。
湿度の低い春の海風は爽やかだ。

海がすぐ側にある。






「もっと海の方へ行くよ」

「乗り換えだよね?」

「バスでも行けるけど、どっちがいい?」

「ーーーうーん…。バスも捨てがたいけどね。ほら、路線バス乗り継ぎのさ」

「ああ、旅番組あるよな」

「ああゆうのも楽しそうでしょ?」

「…見てると結構過酷そうな時もあるみたいだけど…」

「今度やろうよ。イノちゃんとならどこでも行けるよ?」

「ーーーまたそうやって俺を煽る!」

「ぅ?…煽…⁇」

「俺に何されても文句言えないぞ」


「ーーー言わないもん」




ぷく。
再び膨らませた頬っぺた。
結局今回は電車に乗って。
(今度はそこそこ振動のある電車で、隆一が眠くなることも無く)

昼過ぎから、もう少し陽が傾いた頃。
目的地の海に着いた。



ーーー昼、過ぎちゃったけど。
何食う?

改札を出てイノランは隆一に言った。
海沿いだから海鮮とかか?と頭に浮かべつつ…。
けれども。


「なんでもいいよ?もうお腹空いちゃってるし、その辺ので…。ーーーあ、ファストフードあるよ!あれ買って海岸で食べない⁇」


隆一が指差したのは某ハンバーガーチェーン店。
どこでも買える物だけど、あのロゴを見た途端イノランも急激に空腹感が増してしまって。
海岸で出来立てほかほかハンバーガーを隆と!と想像したら、それが最高に思えてきた。













ざざ…ん。

ーーーーーざ…ざざっ…





「いただきまーす!」

「はははっ、もう昼飯じゃなくてオヤツだな」

「ね!お腹空いた、早く食べよう!」



早速、はぐっ。
ふかふかのバンズを頬張る隆一。
むぐむぐと美味そうに咀嚼する様子は幸せいっぱいだ。
そんな様子を見つめながらイノランも隆一に続いて齧り付く。



「美味…」


海岸でハンバーガーなんていつ以来だろう?
イノランは記憶を引っ掻き回すが見つからない。
ーーーもしかしたら、初めてなのかもしれない。



(ーーー初めて…か)


初めての体験。
この歳まで生きてきても尚、初めての事はまだまだあるものだ…と。
イノランは感慨深くハンバーガーを味わう。

そしてチラリと、となりの恋人を見た。



(隆といると、そうゆうのが多い)

(初めてのこと)

(隆と初めてすることって、今までもたくさんあったな…)



それこそ、今身を浸している。
隆一との恋。
特別な恋だけに、躊躇うこともあったけれど。(今もあるけれど)
想いを重ねて、身体も重ねるうちに。
それは苦しいほどの愛しさからくる気持ちだと気が付いた。
苦しくても、泣かせてしまうこともあっても。
決して離せないひと。


愛してるひと。






「ーーー…ノちゃん…」

「え、ぁ」

「?どうしたの⁇ぼんやり?」

「ん…ああ、ごめん」

「そう?ーーーね、美味しいね!外で食べるごはん」

「ああ、だな」



しゅわしゅわと微かな音を立てて、隆一がコクコクとサイダーを飲む。
イノランはその横顔を見つめた。

あと数口分の紙に包まれたハンバーガーを膝の上に乗せて。
白い喉が、滑らかに動く。
目が離せない。
こんな風に見惚れるなんてことも、隆一が初めてで。





(初めて…)




「ーーーん?…イノちゃん…?」

「ーーー」

「ーーーどしたの?サイダー飲みたい?」



こんな時すら、無邪気な隆一。
それが愛おしい。




「違うよ」

「ぇ、?」

「それも嬉しいけどな?ーーーでも、そうじゃなくて…」

「ーーー」

「隆」




隆一の膝の上のハンバーガーを、腰掛けている堤防のコンクリートにカサリと置いて。
握りしめたサイダーのカップもコトンと置いて。
ーーー結露で濡れた隆一の手は…重ねて繋いで。


利き手は、隆一の髪に触れる。

髪から、耳元から。それから、頬へ。
今度はぷくっと膨らませることはなかったけれど、その代わり。
薔薇色に色づいた。




「ーーーあのさ、」

「…ん?」

「気が付いた。今」

「?ーーーなに?」

「多分無意識に知ってたし、わかってたことなんだと思うけど…。渦中にいすぎて気付かなかった」

「ーーー…ぅん、」

「言葉にしなきゃ気付けない事ってあるよな」

「ーーーうん」




じっと見つめると、隆一の瞳が潤む。
恥ずかしいのにそらせない感じで。
言葉を待ってる。
イノランが言おうとする事を。




「初めてなんだ」

「ーーー?…初めて?」

「そう」

「何、?」




隆一の瞳にイノランが映る。
イノランの瞳にも、隆一が。


先に耐え切れなくなったのは、隆一。
震える瞼を閉じた瞬間に、イノランは唇を重ねた。



「…ん、」


ちゅっ、


「っ…ふぁ、」




触れるだけのキス。
初めて二人でしたキスを思い出すような。




「ーーーイノ…っ、」

「隆」

「ーーーん、?」

「お前が初めてだ」

「ぇ、?」








「こんなに誰かを愛したのは」









end





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