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⚫︎梅雨









今年もまた、梅雨が来た。

空いっぱいに水で潤ませたような梅雨が。












「相合い傘」

「一緒の軒下」

「あ、雨宿り?」

「うん。…あとはね、雨の匂い」

「ジメッとした?」

「それもあるけど、雨濡れの隆の匂い」

「ええ?」

「雨に濡れた隆の黒髪。しっとりして、艶っぽくて好き」

「…ちょっとイノちゃん」

「ん?」

「…なんかだんだん…」

「ーーーマニアックな?」

「うん。テーマ逸れてきてない?」

「そっか?ちゃんと雨に則った答えだと思うけど」


『雨の日の好きな事』テーマの、言葉遊び。
さっきからそれをずっとしてる。






さて。
今日の俺と隆はどんなかと言うと。
この時期らしい、雨の日のデート真っ最中だ。

関東もいよいよ梅雨入りし、天気予報なんかでちょこちょこ紹介され始めた、各地の紫陽花の見頃の便り。

そんなテレビ画面に釘付けだった隆が、CMになった途端パッと俺に駆け寄って。





「紫陽花!見にいこうよ」



きらきらきらきら、そんな目で見んな!ってくらい、目で訴える隆。
ご丁寧に、互いのスケジュールが書き込まれたリビングのカレンダーを持ち出して、この日なら行けそうだよ⁇なんてもう既に嬉々としてる隆。




「ーーーいいよ」



…しか、返事のしようがないよな?
こんな楽しみにされたらさ。


それに、紫陽花を見たいと思うのは俺も同じ。あの淡い水彩画みたいな景色は大好きだ。




結局、隆がカレンダーで指し示した、二人ともオフのある六月の平日。

車は途中まで。散策予定の駅近くのパーキングに置いてきた。そこからは電車で巡る。
海沿いをぐるりと走って、その途中で下車。何万株って紫陽花が咲くという、とある公園へと脚を伸ばした。



梅雨という割に、今日の天気は薄曇り。時折薄い雲の隙間から太陽も見える。
車から降りて、その淡い晴れの空を見上げて、隆は少々頬っぺたを膨らませた。




「雨、降らないのかな」

「ーーーなに。雨がいいの?」

「だってせっかく紫陽花見に来たのに」

「晴れ空の紫陽花だって綺麗じゃん?」

「…そうだけど。でも、雨粒が降りかかってきらきら光ってる紫陽花ってすごく綺麗でしょ」

「ーーーまあ、な」

「晴れも好きだけど。せっかくなら雨濡れの紫陽花見たかったな…。」

「くくっ…普段は雨男全開な俺らなのにな?こうゆう肝心な時に限って…」

「そうだよ!なんで今日に限って雨降らないんだろ」




ますます頬っぺたがプックリしてきた隆が可笑しくてしょうがない。
こうゆうところは、ホント子供みたいだ。拗ねっ子、駄々っ子で可愛いったらない。…お前ホントに、あのRYUICHIか?って思う。
このままこんな隆を楽しむのもいいけど、拗らせて機嫌を損ねるのだけは阻止せねば。だってせっかくのデートなんだから。


ーーーって事で、紫陽花公園に着くまでの間。雨にまつわる連想ゲーム。言葉遊びをしながら歩こうよって提案した。
初めは訝しげだった隆も、俺が幾つか言葉を挙げていく内に乗り気になったようで。いつしか順番に雨のお題の答えを言い合いだした。





「相合い傘も、軒下の雨宿りもいいね。相手が誰かっていうのが重要そうだけど」

「そりゃ勿論、一緒にいたいのは好きなひとだよな?」

「ん、うん」

「俺は隆だよ。当然な?」

「っ…うぁ」

「ーーーうぁ?なに?」

「だってイノちゃん、イキナリ好きなんて言うから!」

「いつも言ってんじゃん。隆が好きだから好きって言うの、自然じゃない?」

「…っ」

「何度だって言えるよ。ーーーでも、好きって何度も言われるとさ、慣れちゃって有り難みなくなるかもしれないよな?」

「ーーー俺は嬉しいけど…」

「ん?」

「イノちゃんには。いっぱい好きって言われるの嬉しいよ?」

「ーーー」

「だって何度言われても慣れないもん。言われる度にどきっとするし。…イノちゃんだからだと思うけど…」

「ーーーっ…」

「?…ーーーイノちゃん?」

「…っ……くっそ、反則!」

「⁇」

「ーーー嬉しいよ、隆」



好きな相手にそんな事言われて、嬉しくならない奴なんていないと思う。
だってそれってさ。
好きって言葉の回数分、俺をしっかり見てくれてるって事だと思うから。

隣を歩く隆の手を手繰り寄せて繋いだら。隆ははにかんで、俺をチラリと見る。


ーーーああ…可愛い。


もうこのまま行こう。
手を繋いで。
この手を離さないで、どこまでも行こう。

そんな愛おしさでぐちゃぐちゃになりそうな(…もうなってるけど)気持ちを、取り敢えず脚を動かす原動力に変えて。
愛する隆の手を引いて。


〝紫陽花散策の小道〟
そう書かれた矢印を見つけて、俺たちは目前に広がる水彩画の景色に進んで行った。







ガイドブックに載るだけのことはあるもんだ。

ーーーすげえ。

そんな花に特別詳しい訳じゃない俺だけど、それでも思わず見惚れてしまう。
淡い色も勿論だけど、何より規模がすごい。見渡す限り紫陽花だ。




「綺麗…。こんな広い紫陽花畑だなんて思わなかったよ」

「な。こうゆうの見ると、やっぱり紫陽花好きだなって思う」

「イノちゃんは紫陽花の歌も歌ってるしね?」

「ああ、そうだな」




そうだよ。言われて今思い出した。
まさに今あの曲がぴったりじゃないか。
紫陽花と、好きなひとと…。
雨音…と。…と?

ーーーあ。雨音は…今無いか。





「ーーーやっぱ雨降って欲しいな」

「うん?イノちゃんもそう思った?」

「こんだけ見事な景色見せられちゃさ」

「うんうん。ーーー降らないかなぁ…。雨男が揃ってますよー?」






その瞬間だ。
ふわっ…と、空が動いて見えた。
紫陽花の色を映した、隆の瞳に見つめられた空が。
呼応するように薄曇りの空を動かして、ひんやりした空気がここまで届いて、紫陽花の葉を揺らす。






ーーーーーぽ。



「あ」



ぽ…

…ぽつ


ぱた…ぱたん…ぽたん…







さあああああ…





「ーーー雨だ」

「…雨、だな」

「…雨」

「ーーー雨」



ざああああああああ



「っ…ーーーって!イキナリ本降りかよ‼」

「傘!持ってないよ」

「取り敢えず走れ!どっかその辺に休憩所かなんか…」

「あ!イノちゃんあそこ!小さな売店あるよ?」

「よし、行くぞ!」

「うん!」




みるみる濡れていく散策路をバシャバシャ走る。
さっきまでの空が嘘みたいだ。
足が濡れるけど仕方ない。
とにかく屋根のある所へ。




「っ…ーーーああ~濡れたね」

「なんつー…まさか急にさ」

「やっぱり雨男パワーかな」

「かもな?」



ずぶ濡れで顔を見合わせてくすくす笑う。
こんな突発アクシデントも、隆とならいい思い出だ。

ーーーしかし。




「せめて傘は…」

「売店だから売ってるんじゃない?」

「そうだな。聞いてみよう」




小さな売店のガラス戸をカラカラと開けて、人っ子一人いない店内を覗く。
少々暗めの蛍光灯。そこに飲み物や菓子類。アイスのケースが並んでる。なかなかレトロな店内だ。
でも、小さなレジ周りには紫陽花の生けられた大きな花瓶が置いてある。
おそらく生けられたばかりの紫陽花。そこだけやけにシャキッとした新鮮感があって、ここが紫陽花の有名所なんだって、改めて思う。





「傘あるかな」

「誰もいないな。ーーーすみませーん」




声をかけた。
するとレジ奥の暖簾を分けて、ひとりのおばあさんが顔を出した。




「はぁい。いらっしゃい…ーーーあらあら」

「すみません、傘って売ってますか?」

「急に降ってきたから…。濡れてしまったのね」

「はい」

「…ごめんなさいね。いつもは傘置いてるんだけど、この季節になって売れてしまって…まだ入荷してないのよね」

「ーーーあー…」

「でもこのままじゃ散策も出来ないわね。ーーーん…ちょっと待っててね?」

「?」




店主のおばあさんは、急におもいついたように奥に引っ込んで。しばらくするとまた暖簾を分けて戻って来た…その手には…




「これ、前にお客さんが忘れて行ったビニール傘。一本しか無いんだけど、よかったら」

「!…いいんですか?」

「ええ!大きいのだから、お友達と一緒でも入れると思うわよ。ね、持って行きなさい」

「すみません、助かります」

「ありがとうございます!」





紫陽花を楽しんで!

そんな言葉に見送られて、俺たちは再び雨濡れの外へ出た。










ざあああああああ。


ぱしゃ。ぱしゃん。






確かに大きめな傘だ。
俺と隆、二人で入っても余裕でさせる。

見上げると透明なビニールにたくさんの雨粒。



ーーーやっぱりこんな感じが紫陽花には似合うよな。

…なんてしみじみ思っていたら。





「ーーー〝お友達〟だってさ?」



隆が、ぽつりと言った。
さっきの店主の言葉か、と。
俺は隣の隆を見た。




「……一般的な友達では…もうないかな。俺ら」

「ーーーうん」

「戦友とか、盟友とかではあると思うけど」

「ーーーうん」

「好きなひと。愛しいひと。隆は俺の恋人だよ」

「っ…うん、俺…も」

「ん?」

「イノちゃんは、好きなひと。俺の恋人」

「ーーうん」





ぴたり…と。
いつの間にか止まる足。

傘の中で、向かい合って。
透明な雨粒に包まれる空間で、見つめ合う。




「ーーー雨宿りも相合い傘も、できたな?」

「あ…。…そうだね」

「雨も降ったし。今日のデートは大成功じゃね?」

「ふふふ、そうだね?」





つ…。

隆の濡れた前髪を伝って、頬のあたりに水滴が溢れた。
俺はそれに気付いて、傘を持つ反対の手で、隆の頬に触れた。




「ーーー濡れてる」

「…ん」

「綺麗」

「?…紫陽花」

「紫陽花もそうだけどさ」

「ーーー」

「お前が…」

「っ…」




「ーーー好きだよ」




何度言われても慣れないという、愛の言葉を。
この密やかな傘の下で、隆に贈る。
隆はまた、はにかんで。
照れながらも俺に、囁いてくれる。



「ーーー俺も。…好き」

「ん。ーーーありがと」

「うん」

「ーーーうん」



「ーーー…っ…ん」


堪らず重ねた唇は、雨の味。
濡れて冷たい身体の先端とは逆に、熱くて甘い唇だ。




「っ…ふ」



「ーーーヤバい」

「っ…ぇ?」

「もっと欲しくなった」

「!」

「紫陽花の後はさ」

「ーーーっ…ばかぁ」

「何とでも」




今日これからの予定は、言わなくてもわかる。
潤む隆の瞳と、濡れた身体で。




大好きなひとが、いつもよりもっと綺麗に見える。
そんな梅雨の、ある日の事。







end







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