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⚫︎さくらさくら
ひとつ…ふたつ。
青空に這う、黒い枝先に。
ふわっと、ピンク色に霞ませる。
春の花。
「イノちゃん、あそこ見て。ちょっとだけもう咲いてるよ?」
「どれどれ…ーーーうっ…逆光…眩し…」
「あはは!大丈夫?ほら……ね?」
「ーーーん。……ああ、ホントだ。いち…に…ふたつかな?」
「ね!ホントにまだ咲き始め」
「桜の開花宣言とかどうなってんだっけ?…この辺って出たのかな?もしかしてこれが初?」
「なんか日本各地に基準の桜の樹があるんだよね?その樹に何個以上花が開いたら~って感じだったと思うけど」
「そっか。じゃあもしその基準の樹よりコイツの方が早かったら」
「事実上はこの樹が先って事だよね?」
「おお!すげえじゃん!オマエ‼」
イノちゃんは嬉しそうに。
まるでこの樹の友達みたいに話しかけてる。偶然立ち寄った、この桜の樹に。
せっかくだからお花見しようかって。
お花見って程まだ咲いて無いんだけど、ちょうど季節が移り変わる瞬間に立ち会えた気がして。
こんなのも良いよねって、ペンキの剥げたベンチに腰掛けた。
ここは公園。隣は神社。とっても小さな公園だ。
おそらくすごく古い、遊具も全部撤去された跡がある。昔はきっとブランコや滑り台なんかもあって、賑やかだったんだろうなぁ…。
周りが高層の建物で囲まれた、この公園。今では空き地みたいになって、古いベンチが二台置いてあるばかり。
でもね。
公園と神社の周りにぐるっと植えられた背の高い樹々。これ全部、桜の樹だ。
「これもうちょっとしたら、全部咲いて綺麗だろうね」
「そうだな。こんな所あるなんて知らなかったよ。…良かったな、今日」
「うん。イノちゃんの所に行って良かった」
「ははは!皆んなすげえ驚いてたけど」
「…そんな驚く事?」
「だってさ、隆ちゃんの登場が!」
「ええ?」
「〝いつもお世話になっておりますー。忘れ物を届けに参りまして…〟って!夫婦か!って、スタッフとかメンバー達に散々言われたよ」
「だっ…てぇ」
そう。
イノちゃんは今日はスタジオだったんだけど、家に忘れ物をした。
それが昨夜の内から準備してた物だって知ってたから、〝忘れん坊‼〟って呆れたけど届けてあげる事にしたんだ。
俺は休みだったし、外にも出たかったしね?
「…別に普通に挨拶しただけなのに」
「でも俺も思った。入ってきた時の隆ちゃん、超可愛かった」
「それがよくわかんない‼」
「当人だからだろ?あのね、ドアの隙間から春色の空気がふわっ…って」
「春色⁉」
「ーーー俺ら楽器ガンガン鳴らしてたからさ。そのギャップが…」
「俺との?」
「うん。俺はもう…堪んなかった。可愛くって」
「っ…ーーーばかぁ」
ーーーで。ホントなら夕方までだった筈のスタジオ作業を、昼過ぎで早々に終わらせてしまったイノちゃん。
いいの?って聞いたら、今日これから予定のあるメンバーもいるしちょうど良かったよって。
イノちゃんは俺の手を繋いで、春めく外へ連れ出したんだ。
「デートしようよ!」
「っ…うん」
嬉しがって、急にご機嫌になって。
今思い返しても、なんて単純な自分。
呆れちゃうね。
ーーーそんな経緯があって、ここにいる。
ベンチに並んで腰掛けて景色を眺める。
今。
こんな時って考え事にいいんだ。
だから俺は、じっと考える。
無言でも気疲れしない。
無言でも気を遣わなくていい。
寧ろ、その無言の空間を楽しめる。
それができる相手こそ、お互いにとって相性の良いひとなんだと思う。
(俺にとって、それは)
(あなただよ?イノちゃん)
ようするに、今現在。
とても心地良い時間を過ごしてるってわけなんだ。
(…でも、それにしてもさ)
ーーーさっきから、ずっと無言だ。
俺とイノちゃん。
ずっと、二輪だけの。
桜の花を眺めてる。
ぼんやりだ。
目の前を通り過ぎる車や人や。
そんなのを、どれくらい見ただろう?
「ーーー」
「ーーー」
ーーーねえ。そろそろさ?
何かお話しようよ。
…って思って。
チラリと隣の彼に視線を向けた。
「っ…」
「ーーーやっとこっち向いた」
「え?」
「隆ちゃん、ずっと桜の花見てるからさ。あんまり熱心だから邪魔しちゃ悪いかなって」
「っ…ーーーいいのに!」
なんだよ!いつの間に…いつからイノちゃん俺を見てたんだろ?…なんか恥ずかしいよ!
「ーーーイノちゃん意地悪!」
「ん?なんでだよ」
「そうやって俺を眺めて面白がってる!」
「そんなんじゃない」
「嘘だぁ?」
「ホントだよ。隆の事面白おかしく笑うわけない」
「ーーーう…そだぁ」
「ーーー可愛いなって。微笑ましく見ることはあるけどな?」
「ーーーっ…」
「隆の隣にいると何も話さなくても、落ち着くし和むしさ。あ、ドキドキはするけど。隆のこと、じっと見つめるの好きなんだ」
ーーーそんな…。
そんな事。
真っ直ぐに見つめたまま言わないで欲しい。
「っ…ーーーー」
照れてイノちゃんを直視できない。
顔が熱くなって、それを見られるのは恥ずかしいから。だから俯いた。
「ーーーはぁ…。」
俯いたら…彼はため息をついた。
「ーーー行こっか」
「…え?」
「ここで隆ともう少しゆっくりしてもいいけど。…ここじゃさすがにさ」
「?…ーーーさすがに…なに?」
「や。…だからさ。ーーー」
「?」
「え…。ーーーこの流れで…わかんない?俺が今…したい事」
「この流れで…⁇…え…わかんないよ。イノちゃん、なぁに?」
あんまりにも俺が察しが悪いのがいけなかったのかも。
イノちゃんは、頭をガシガシ掻くと。
ああ…もうっ‼って言って、ぐんっと俺の手を掴んで歩き出した。
「っ…待って。待っ…て!イノちゃんどこ行くの⁇」
「ーーー」
イノちゃんに連れられて着いたのは、隣の神社の桜の樹が立ち並ぶ…鳥居の横。
ここの樹は公園のものよりしっかりと太い。見上げるとたくさんのピンク色の蕾がふわっと覆っている。
ピンク色の雪が被ってるみたい。
まだ咲く前なのに、すごくすごく…
「ーーー綺麗…」
「…隆も」
「んっ…え?」
一本の樹とイノちゃんの隙間に、閉じ込められる。
真剣なイノちゃんの目。
少しだけ、寄せられた眉。
押さえつけられた手首は、離せない。
…ううん。
離れたくないんだ。…俺も、
だって。こうされて、やっと。
イノちゃんがしたがってる事がわかったから。
「ーーーごめん。…俺…鈍くて」
「ん?」
「イノちゃんがさっきしたいって言ってたの、やっとわかったもん」
「ーーー」
「ーーーーー嫌いになる?」
「ーーーはぁ。」
あ。
また、ため息。
「ーーーなわけないだろ」
「っ…」
「そんな馬鹿な質問するお前が好きだ」
「イノちゃっ…」
「全部。…好きだ」
「…っん……っ…」
「りゅ…う…」
キスされる数秒前が好き。
飛び出しそうな心臓をやっと堪えている間に、重なる唇。
触れるだけじゃ物足りなくて。
舌先を絡ませて、ぐちゃぐちゃになって気持ちいい。
酸欠で、俺の視界に入る三つの色彩が霞んでる。
イノちゃんの髪色。
青空の色。
それから…桜のピンク。
それを綺麗だな…って思いながら、俺はまた考える。
キスをする間も、実は考え事にいいんだ。
ーーーただし、途中でそれどころじゃ無くなる事もあるんだけど…。
でも、それでもね。
好きなひとの事だけを、雑念も何も無く考えたい時。それにこんなに適した時って、なかなかないでしょ?
end
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