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●悪夢








夢を見る。
冷たい水に裸足を浸した。

踵が隠れるくらいの浅い透明な水。
凪いでいる滑らかな水面に幾重にも輪を描いて。
その波紋は俺から遠くへ。
遠く遠くへ流れて行って。
いつしかその輪は、消えて無くなった。

お前に届く前に。
お前はどこかへ去ってしまった。




















ある日のスタジオで、スギちゃんが言った。



「隆、最近どう?」

「え?ーーーどうって…どう?」

「元気?」

「うん!元気だよ?ーーー何で?」

「そっか。…だったらいいんだけど」

「うん?」

「ーーー元気ならいいんだ」



ーーー変なスギちゃん。どうしたんだろ?いいんだって言ったくせに、スギちゃんは曖昧な顔で微笑んでる。
でも、まぁ。この時はここでこの話はお終いって思ったのに。
帰りがけに、スギちゃんはもう一度俺を呼び止めた。



「最近イノと会ってる?」

「イノちゃん?ーーーうん、最近お互い忙しくてゆっくり会えないけど…顔は見てるよ?」


何で?って、俺ももう一度聞いた。
ーーーそうしたら。




「今朝ここ来る前に、用事があってイノに電話したんだけど」

「うん」

「ーーー元気無かった気がして」

「え?」

「いや…気のせいかもしんないけどね?なんかちょっと…って思って」




多分気のせいだと思うけど。
スギちゃんはそう言って、俺に微笑みかけて。お疲れ様って、帰って行った。




多分、スギちゃんの言った事が気になったんだと思う。
今日は会う予定は無かったんだけど、このまま会いに行くことにした。
途中で美味しい物を買って、イノちゃんと食べようと思って。
驚くかな?
いきなり行ったりしたら。
ーーーでも合鍵を渡し合ってる俺たちだ。驚きはしないか。


そんな事を思いつつ、イノちゃんの家に到着。インターフォンを鳴らしたけど出なくて、合鍵を使って中に入った。



「お邪魔しまーす」



いつものイノちゃんの家の中。
シン…としてて。ーーー留守なのかな?
買い込んだ荷物を持ったまま、リビングへ。棚に荷物を置いて、ソファーの方へ目線を移したら。



「イノちゃん」



イノちゃんはいた。
ソファーに横になって、静かな寝息を立てていた。



「ーーー」


そっと近付いて、ソファーの下の床にぺたんと座る。座って、イノちゃんの顔を覗きこんだ。

茶色の髪が目元を隠してる。隙間から見える睫毛は長くて、いつもより柔らかな印象だ。唇も…薄っすら開いた唇を。その感触を俺は知ってる。度々されるキスを、その時の甘い声を。俺はいつだって待ってる。



( どうしよう… )

( ーーードキドキしてきちゃった )



( でも、イノちゃんよく寝てる )



スギちゃんの話をちょっと心配してたから、とりあえずホッとする。

このまま寝かせてあげよう。
そして目が覚めたら、それとなく様子を窺ってみよう。

床に座ったままソファーに背を預けて、ちょうどそこにあるイノちゃんの手に触れる。柔らかくぎゅっと握ったら、すぐ側で声がした。




「ーーー隆?」



ーーーびっくりした。思わず肩を揺らしてしまった。
え?って横を見ると、横たわったままのイノちゃんが、じっと俺の方を見てた。
起こしちゃったと思って、慌ててごめんねって謝ると。イノちゃんはいいよって微笑んでくれた。



「隆、来てくれてたんだ?」

「ん?うん、ちょっと会いたくなって」

「会いたくて?」

「ーーーん、そうだよ。会いたいか会いたくないかって言われたら、俺はいつだってイノちゃんに会いたいの」

「ーーーーーありがと、隆」

「ん?」

「すげ…嬉しい」

「うん、ふふっ」



そうしたらイノちゃんは、はーあぁ…って大きなため息をついて、ゴロンと上向になって。
それで。
ーーーポツリポツリと、話してくれた。




「最近、夢見悪くって」

「え?」

「変な夢ばっかでさ。寝ても疲れんの」

「ーーー」

「途中の具体的な内容は覚えてないんだけど。まぁ、散々疲れる内容ってのは同じなんだけど」

「ーーーうん」

「最後が最悪なんだ。毎回毎回決まって」

「っ…ーーーどんななの?」

「ん…ーーーーーーー」

「ーーーーーイノちゃん」

「ん。ーーー隆がさ」

「ーーー」

「俺の前から去っていく夢」

「え…」

「去ってって、大声で隆のこと呼んで。でも俺の声は隆に届かなくて。大抵そこで目が覚める」

「ーーー」

「ーーー最悪でしょ?」

「ーーー」

「ーーーだから今は、隆が途中で起こしてくれて、良かった」

「っ…」

「ありがとな」



ぎゅっと胸が痛んだ。
イノちゃんの、無理してる微笑みを見たら。
ーーーだから。





「何言ってんのっ‼」

「っーーー」

「良かったじゃないよ!ありがとじゃないでしょ⁉何無理して笑ってんの‼」

「隆ーーーー」

「何で俺に言わないの⁉無理してひとりで夜を過ごして…俺に言えばいいじゃん!来てって!一緒に寝てよって!」

「ーーー」

「ーーーーーー俺今日は帰んないから。明日もその次も。イノちゃんがひとりでも安眠できるまでここにいるからね!」

「隆…」



だって悲しいよ。イノちゃんが我慢して、ひとりで怖い夢を耐えてるなんて。
それに気付けなかった俺が腹立たしい。
言わないでいたイノちゃんも頭にくる。


一緒にいるって、そうじゃないよね?
こんな時に支えてあげられるのが恋人だよね?



しばらくイノちゃんは黙ってたけど。
そっと手が伸びたと思ったら、俺の髪を撫でて、そのままイノちゃんの胸に抱き寄せられた。



「ーーーーー悪りい」

「…ホントだよ」

「多分、一番即効性のある解決法は、隆に会って触れることだって、わかってた」

「ん?」

「ーーーでも、今忙しいの知ってるから。ーーーごめん、変な遠慮だった」

「…ばか」

「うん、ホント。これって情け無い欲求不満だよな」

「そうだよ。ーーー触ればいいのに」

「ーーー隆は、触って欲しかった?」

「え?」

「俺に。抱いて欲しかった?」

「っ…」

「ん?」

「っ…ーーー言ったじゃん。俺はいつだってイノちゃんに会いたいの」

「ーーーうん」

「忙しい時ほど、会いたくなるよ」




抱き寄せられていた身体が、もっとイノちゃんに引き寄せられる。
隆おいで。って、頬に指先が触れて、その先にすることは、もう…



「ン…っ」

「はじめからこうすれば良かった」

「はぁっ …ア」

「そしたら満たされて、見なかったよな?ーーーあんな夢」

「ぁん…ン、イノちゃん」

「ん?」

「ーーーね、ここにいるよ?」

「!」

「イノちゃんの側に、ちゃんといるから」

「ーーーうん。…うん、ありがと」

「も…あんな夢…見ないでよ?」

「ーーー見ないさ」

「っ…ん」

「夢じゃない、本物の隆がいてくれるんだから」




いつだってダイレクトに、声が届くんだから。








end




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