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●夏の音。水の音。君の音。
〈夏の音。水の音。君の音。〉
隆を愛した夜の、その明け方のこと。
開け放ったままの窓ガラスのカーテンが揺れる気配で、俺は目が覚めた。
「ーーー何時…?」
寝ぼけ眼で見た棚の上のデジタル時計は、明け方の間も無く5:00。
起きるにはまだ早いな…と思ったけど。
真夏に向かうこの季節は、こんな時間でも、もうじゅうぶんに明るいんだ。
日中の蒸し暑さが嘘みたいに感じる涼しさ。
ついつい、昼間もこのくらい涼しければいいのになぁ…なんて思ってしまう。
「ーーーそれにしても、」
俺は苦笑いと共に頭を掻いた。
結構大胆に開けたままの窓。
こんな大っぴらな状態で、昨夜はこの寝室のベッドで隆を抱いたのか…と。
隆の声はこんな時でも通るから。
「ーーーしまったなぁ…」
ひとたび愛し合えば、隆の溢れ出す声は抑えが効かない。
そしてそれは隆だけじゃなく、隆を求める俺も…だ。
ぱたた…
早朝の風がカーテンを大きく舞い上げて。
その裾が隣で眠る隆の髪を少しだけ掠めた。
眠っていてもその微かな感触に隆は少しだけ身動いだから。
起こしちゃ可哀想だな…って思って。俺はクッと手を伸ばして、開けっ放しだった窓をそっと閉めた。
ーーースッ…と大人しくなるカーテン。途端に外の音がシャットアウトされて、静かな寝室の音だけが響く。
時計はデジタルだから音はしない。
キッチンの戸も閉まってるから、冷蔵庫の音も聞こえてこない。
…するのは。
微かに俺の耳が拾う音は、小さな小さな寝息だけだ。
すぅ…すぅ…
隆の寝息。
俺の方を向いて寝ているから、その呼吸は俺の胸の辺りにかかる。
あったかい、隆の温もりがある。
「ーーーふふっ」
こんな時間はなんて贅沢だろうと思う。
この今の無防備な隆を見てめているのは自分だけだと思うと、くぅ…と胸に湧き上がる気持ちは愛おしさしかない。(勿論それだけじゃなくて、もっと独り占めしたいとか守ってあげたいとか触りたいとか、そりゃ色々あるけどさ)
こうしてこの湧き上がる気持ちに浸ると、どんな不調も好転してしまうからすごいと思う。
(好きとか、そうゆう気持ちって…やっぱすごいよな)
ーーーそれは音楽もそう。
時には苦しくもあるけれど、それを上回る気持ちいい想い。
ーーー隆を大切に想うことは、音楽を愛するのと同じだ。
「ーーー…り…」
ーーーと。
今はやめとこ。
愛おしさが募るとつい触れたくなる。
でも目の前の恋人は、気持ちよさそうに眠っているんだから。
じゃあ、すっかり目が覚めてしまった俺は…。そうだな。
キシ…
隆を起こさないように。
そっと、ベッドを抜け出した。
「…ん、」
俺がいなくなったのを気配で感じたのか。
隆はきゅっと手を丸めると、くぐもった声を出して…
(起こしちまったかな…?)
ーーーでも再び、安らかな寝息。
そんな様子に思わず笑みが溢れて、俺はしばらくじっと隆を見つめていたけど。
思い切って、寝室を出た。
「ーーー爽やか。…いいなぁ、夏だ」
シャワーを浴びて、濡れた髪はおおざっぱに乾かして。
俺は早朝の外へ出た。
完全に乾かないままの髪は、風が通り過ぎるたびに涼しくて気持ちいい。
あっという間に乾いてしまう、天然のドライヤーだ。
向こうの通りに犬の散歩のひと。
ジョギングしてるひと。
自転車で通りすぎるひと。
日中が暑いこの季節は、やっぱり早朝や夕暮れ時に皆んな動くよな。
…で、俺は何処に向かっているかというと。
コンビニ。
隆とよく行く、お馴染みの近くの店だ。
夕べ風呂上がりに冷蔵庫を覗いたら、たいして物が入ってなくて。
ついでにキッチンも見たら、朝食になりそうな物があんまり無かったから。(…って言っても、俺が補充してなかっただけなんだけど…)
隆はまだ気持ちよさそうに寝てるから、その間に調達しようと。
~♪~♫
あの入店音を聴きながら、必要な物をカゴに入れていく。
二人分の飲み物、朝食。
オヤツもいるかな…って、隆にこし餡の和菓子。
会計を済ませて、涼しい店内を出る。
すると途端に、もわっとした…熱気。
「あ…っついなぁーーー。ちょっと日が昇ると、もうこんなか」
10分足らずの買い物の間に日はぐんと昇って。
さっきよりも鮮やかな青い空。
見上げると眩しくて、思わず目を細めてしまう。
やっぱり夏だなって、再び思う。
ーーーーーあぁ、夏だ。
シャワーを浴びたばかりの身体は、もう汗で濡れてる。
「ーーーーー…」
歩く地面が白くなってくる。照り返しが強くて眩しい。
夏の日差しを浴びた道は暑くて熱くて白くて、時折途方もなく感じることがある。
暑さでぼんやりして、喉も渇いて、日陰も無くて。
ーーー俺このまま干上がるんじゃないか?って思う時。
皆んなも、ない?
でもこんなところで倒れるわけにいかないから。
白い道を進む。
頭の中で好きな事を考えて自分を励まして。(歌を口ずさんだりさ)
進む、進む。
俺の水場と日陰を求めて。
ひたすらに。
そんな時いつも、水音がするんだ。
空耳か、気のせいか、わかんないけど。
ーーーぴちょん。
ぽちゃ、ぴちゃん…
水音。
潤う音。
これは雨音?ーーーでも雨なんて降ってない。
じゃあ、どこから?って不思議に思う。
側から見たら炎天下で突っ立って考え込んでる俺は、ちょっと変な奴かもしんないけど。
でも、その水音があまりに心地よくて。
こんな暑い季節にはぴったりすぎて。
俺は探す。
俺を心地よくさせてくれる音。
途方に暮れそうな俺をハッとさせて目を覚ませせてくれる水音。
きっと、大好きな音を。
ーーーイノちゃん
ーーーねぇ
ーーー大好きなのは 俺の方だよ?
買い物袋をぶら下げて帰り着くと。
水音がしていた。
ざぁぁぁ。
ーーーさっきの、雫が落ちる…みたいな音じゃないけど。
水音。
でも、この音が何かってのはすぐにわかったから。
俺は微笑んで、キッチンに荷物を置くと。
そのまま廊下の奥へと向かう。
廊下の突き当たりの、バスルームだ。
ざぁあああ。
「隆、起きたんだ」
隆がシャワー浴びてる。
耳をすますと、鼻歌も聞こえてくる。
それを聞いたら、ますます俺は微笑んで。
汗で湿ったシャツとジーンズを脱ぎすてて。
洗面台に置いてあるタオルを取ると、バスルームの戸を軽くノックした。
「ーーーっ…え、あ。イノちゃん?」
「そう。ただいま。ーーーなぁ、俺もそっち行っていい?」
「いっ…いま⁇」
「だってもう俺脱いじゃったし。全裸」
「ええっ⁉」
「買い物してきたら汗かいた。これじゃあ隆ちゃん抱きしめるのにも悪いしさ」
「ばっ…ばかイノー‼」
「ん、じゃあ入んね」
「聞いてよ‼」
「ハハハッ」
ハハハッじゃなーい!とかなんとか騒いでるけど、俺はもう一度申し訳程度のノックをして。
ガラリと戸を開けると、隆が風呂場の隅でぎゅっと身体を丸くしてこっちを睨んでるところだった。
「っ…もぅ、イノちゃんってばいきなりなんだもん」
「だって隆の歌声が聞こえてきたからさ」
「関係ないでしょー⁈」
「大有り。俺はお前の歌が好きなんだから。ワンフレーズだって多く聴きたいんだよ」
「!」
「もう入ってきちゃったし。いいだろ?一緒に風呂」
「ーーーぅ、うん…」
床で丸まってる隆に手を差し伸べると、隆は一瞬恥ずかしそうに俯きつつも。
おずおずと俺の手をとってくれた。
ぴちゃん…。
「ーーーあ、」
「え?」
隆が起き上がろうと顔をあげた途端だ。
隆の髪から水滴が落ちて。
ぴちゃん、と。小さな水音を響かせた。
ーーーその音に、俺は動きを止めて聴き入った。
ぽちゃん。
ぴちゃ…
「ーーーイノちゃん?」
どうかしたの?って、俺の顔を怪訝そうに覗き込む隆。
そりゃそうだよなって、納得。
でも、この音だったんだって。
炎天下で俺に潤いをくれた音。
気持ちよくて、心地よくて。
干上がりそうな俺を生き返らせてくれる水音。
ーーー隆の、この音だったんだ。
「ぅわっ…ぁ」
繋いだままの隆の手を引いて。
濡れた隆の身体を抱きしめた。
そうすると、やっぱり。ーーーほら。
ぴちょん。
雫が散る。
音がする。
しかし隆はジタバタと忙しい。
いきなり俺に抱きしめられて(しかも裸だ)
「いっつも裸で抱き合ってるだろ?」
「お風呂はまた違うの!なんか恥ずかしいんだもん!」
「うわ…」
「え、?」
「そーゆうのが可愛すぎ。ほんと、隆のこと好きだ」
「なんでどさくさにまたそんな言葉…っ⁇」
「言いたい時に、伝えたい時に言わなきゃ。あとで後悔したくないし」
「っ…」
「さっきは炎天下で隆に助けられたし」
「ーーー⁇…俺?」
「そう。お前の、」
「ーーーふぅん?よくわかんないけど…」
(助けてくれたんだよ。お前の心地いい音がさ)
(いつもいつも無意識に耳に入る、お前の生む音が)
「…ぁ、あの…イノちゃん?」
「ーーーん、?」
ちゅっ…。
「なに、して…ーーーん、」
「なにって、言って欲しいのか?」
かしっ。
昨夜、隆の首筋付けた俺の痕。
そこに軽く歯を立てて甘噛みすると、隆の両手がぎゅっと俺の肩を掴んで指を食い込ませた。
そんな反応に俺は気を良くして、目の前で色付いている隆の胸の突起にも甘噛みした。
カリッ…
「んっ…ゃ、」
ぴちゃ。…ちゅ、
「っ…あぁ、ん…んんっ…」
「ーーーなぁ、隆…?」
「ん、んっ…なぁ、に」
「あのさ、」
気が付いたんだ。
水の音。
濡れる音。
それって、癒される音だ。
雨の音。
波の音。
流れる水の音。
氷が水の満ちたグラスに落ちる音。
シャワーの音。
渇いた喉が、水を飲む音。
君の髪から滴る水の音。
唇を深く深く重ねた、キスの水音。
君と交わる、快感を孕んだ水音。
夏の光を反射させて。
こんな季節にいちばん美しく煌めく。
きらきらした水滴を纏った君が愛おしくてならない。
「ーーー気持ちイイ?」
「っ…ばか、ぁ」
「ん、じゃあ。ーーーもっとな?」
「え、?ーーーっ…ぁんっ…ぅ」
ばかばかって言う口をキスで塞ぐと。
隆の両手は俺の襟足の辺りで絡みつく。
すると気持ち良さで痺れるくらいの音は、バスルーム中に響いた。
…くちゅ
「ーーーふ、ぅ」
「は、っ…」
ちゅっ…ちゅく。
「んっ…ぅん、ん」
「ーーーーりゅぅ、」
隙間ほど唇を離して隆を呼ぶと。
隆は濡れた瞳と唇で、なに?って顔をした。
「隆、だいすき」
要するに、今いちばん言いたい事を不意打ちで言うと。
隆は目を丸くして、その後ふにゃりと嬉しそうに微笑んで。
「だいすきって言いたいのは、俺の方だよ?」
end
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