5
●初秋恋
「…あ。降ってきた」
つい、声が出た。
カフェのカウンター越しの、窓の外は。
どうやら今日も雨のようだ。
ここ数日、急に寒くなった。
八月の終わりは確かに残暑厳しくて、毎日汗だくになってたってのに。
九月になった途端だ。
朝夕はひんやりして、日中も快晴が少なくて雨模様が続いている。
ーーーようするに、ろくに衣替えも出来ていないうちに冷え込んできたってわけで。慌てて長袖なんかを引っ張り出した人も多いんじゃないのかなぁ…。
コトンと置いた紙のコーヒーカップは、今日はホット仕様で。先日ここに来た時は、カップに描かれた人魚のイラストは結露で濡れていた。
ーーー季節が移る。
秋がもう来てるんだ。
そう意識したら、窓からの午前中の空も急に秋めいて見える。
「…そういや今朝も」
ふと、今朝の出来事を思い出す。
今日はオフな俺に対して、昼過ぎまで仕事に行く隆。
もうすぐマネージャーが迎えに来るって時に、バタバタバタバタ大騒ぎだった。
「寒い!今朝も寒いよ!どうしよ、上着!なんかすぐ羽織って行けるのあったかなぁ⁇」
例に漏れず。
隆もこの急激な気温低下への準備が整っていなかったようで。今にも降り出しそうな、寒々とした空を見上げながらクローゼットを引っ掻き回していた。
「ーーー隆ちゃん、平気?そろそろマネージャー来そうだけど」
「うぅ、わかってるよ~…。でも前のシーズンに仕舞ったっきりのばっかりなんだもん」
「あー」
「衣替えもまだだし。どうしようかなぁ…。もうこれでいいかなぁ」
そう言ってパサリと隆が羽織ったのは、薄手のカーディガンだ。…秋冬用というよりサマーニットって感じの、白いロングカーディガン。
ーーー…ちょっと、そのチョイス…。
「ーーー変?」
俺がよっぽどジトリと見ていたのかもしれない。
隆はちょっと俯いて、変かな…って、ヒラリと身を翻した。
…そうじゃねえよ。
「似合う」
「あ、ホント?」
「うん。すごく」
「ーーーよかった」
「…けど」
「?…ーーーけど?」
あーあ。いい加減、わかって欲しい。
「ーーー似合うからさ。…見せたくない…っていうか」
「ん?」
「ーーーっ…だから」
「ぅん?」
ちょこん。
首を傾げながら、長めの袖を弄ってる。
「ーーーーーーーー」
「…イノちゃん?」
「ーーーーーーーーー……はぁ…。」
「なんだよー、イノちゃん?」
「ーーーーーーーーーーーーーーいや、いい」
「えー?」
「いいよ。似合ってるから大丈夫だよ」
「ん?」
「行っといで、もう迎えも来る」
「…へんなイノちゃん」
「なんとでも。ーーーその代わりな?」
「え?」
「帰りは迎えに行くよ」
「っ…来てくれるの?」
「そのまま出掛けられるだろ?夕飯は食って帰ろうよ」
「うん!わぁい」
ーーーと、そんな事があった朝だ。
今日これから夜に向けての予定を決めたら。隆はご機嫌に、足取り軽く玄関を出て行った。
「……」
がしがし。
無言で頭を掻く。
今朝の事を思い出したら、あの行き場のない…もやもや。
…や、もやもやじゃないな。そうじゃなくて、トキメキ?
あの隆の姿を見て、確かに思った事は。
ーーー誰にも見せたくねえな。…って事で。
だってさ。あんな可愛い姿。
ひらりんひらりん…してて。
白くて、黒くて、桃色で。
隆の選ぶ服ってのは、時々、ん?って思うこともあるんだけど。でもそれも、隆の雰囲気に妙に似合ってしまうから不思議だ。
隆の持つ、ふわふわにこにこした姿に。
隆が身に付けるだけで、悶えてしまうくらいキュンとするから不思議だ。
がしがしがし。
「ーーー…見せたくねえな」
あまりの独占欲に、思わず苦笑い。
…ホント。
俺は隆の事になると、心は激狭だ。
カフェを出て、車を停めているショッピングモールを眺めつつ時間を潰す。
隆の仕事が終わるまで、あと二時間くらいだ。
二時間…。
ここにはショップがたくさん入っているから、この際ゆっくり回ろう。
平日の昼だからか、人はそれ程多くない。
混み過ぎてると疲れるから、ちょうどいい。
「ーーーそれにしても」
こうして見ると、並ぶ商品も、ディスプレイも。
いつのまにか秋仕様だ。
オレンジや、茶色。深いグリーンなんかの、落ち着いたあったかい色彩。
「季節は移るなぁ」
ここでもまた呟きながら。
ーーーここで、ピタリ。
足を止めた。
惹き込まれるように、その目の前のショップに近づく。
主にメンズ向けの服や小物が並ぶ。
俺は店頭に飾られている品に目をやった。
「ーーーこれ、隆にいいかも」
今度は手を伸ばす。
それに触れると、ふんわりした感触がよかった。
今朝の一連の騒動?を思い返すと、これはやっぱり隆にちょうどいいって、確信して。
何色かあってちょっと迷ったけど、ここでもやっぱり今朝の事を思い出して。
隆に似合ってた、白い…オフホワイトを選んだ。
思いがけずに用意した、隆へのプレゼント。
しかもこれは、俺にとってもちょうどいい。
きっと、お互いにちょうどいい。
受け取ったショップバッグを提げて、腕時計を見たら。
隆を迎えに行くのに、ちょうどいい時間になっていた。
隆を迎えに行って、隆の希望でいつもの海に行って。
寒いし雨だから今日は散歩だけって。
一本の傘の下で、手を繋いで砂浜を歩いた。
少々早めの夕飯は、海岸沿いのレストランで。
雨だから店内は空いていて、隆とゆっくり食事した。
「ふ、ぁぁ…」
陽が落ちるのも早くなった。
夜の気配のレストランの駐車場。車に乗り込んだ途端だ。
隆は眠たげに欠伸した。
「眠い?」
「ん?…んーん」
「朝からだったもんな」
「大丈夫、ヘイキ!だって勿体無いもん」
「ん?ーーーせっかくのデートなのに…か?」
「そう!」
そう。いつも隆が言う事だ。
せっかくのデートで、寝ちゃうのは勿体無いって。
だからヘイキって、強がってみせるけど。
帰り道の隆は、大抵うつらうつらしてる。
寝てていいのにって思うけど。
隆のその気持ちが嬉しい。
でも今日は、そうだって。思い出して。
後部座席に置いておいた、例のショップバッグを取って隆に渡した。
「ーーー俺に?」
「そう。待ち時間にちょっとね?隆にいいなって思って」
「嬉しい!ありがとうイノちゃん、開けていい?」
「どうぞ」
がさがさと中身を取り出す。
その表情は嬉しそう。
「それにね、多分俺にもちょうどいい物だよ」
えー?イノちゃんにもいい物?なんだろー?って、隆はラッピングされた袋を開けた。
「わ…ふわふわ!」
「どう?」
「これ…ストール?ーーーすっごくあったかいね」
「大判のストールだからさ。そうゆうのあれば、朝に羽織る物ないない!って、大慌てで探さなくていいだろ?」
「うん!イノちゃんどうもありがとう!」
隆はぎゅっとそれを抱きしめて、早速クルリと肩に羽織った。
オフホワイトのふわふわに、隆が包まれる。
ーーーああ、やっぱりこの色にしてよかった。
隆によく似合う。
ーーー可愛い。
俺は多分上機嫌で微笑んでいたんだろう。
隆はきゅっと小首を傾げると、ねえねえイノちゃんって。
「ナニ?」
「このストール、俺にはちょうどいいっていうのわかるんだけど。イノちゃんにもちょうどいいって…なんで?」
「ん?…ああ」
きょとんとした目で俺を見る隆。
夜の暗い駐車場の、薄暗い車内だけど。
白いカーディガンとオフホワイトのストールに包まれた隆は、ふわっと明るく見える。
ーーーその無邪気な表情も、よくわかる。
「ーーーほら、まさに今」
「え?」
助手席の隆の肩を掴んで、抱き寄せる。
そして一緒怯んだ隆の隙をついて、肩にかかったストールを頭からふわりと被せた。
「ほら」
「イノちゃ…」
「隆を隠せる」
「っ…?」
「独り占めだ」
「ぇ?……んっ……」
唇を重ねた。
ちゅ、
「…っふ、は…ぁ」
…ちゅく、
「ーーーっ…ん、ン」
ーーーほら。
ストールに隠された空間は、寒さなんか無い。
キスに夢中になって、蕩けきった隆の表情も。
俺だけしか見えない。
「…ぁ…っ、イノ」
「ーーーっ…はっぁ…ーーーーーいいでしょ?それ」
「ぅ、ん」
「大判のだから、なんなら身体も隠せるだろ?」
「っ…ば、か!」
「いいじゃん、これからの季節の必需品」
「…ぅ、うん」
「くっついて、あったかくなれる季節が来るもんな?」
「ーーーっ…うん」
もう今すでにあったかいけど。
寒い季節は、もっともっと恋しくなるから。
温もりも、君の存在も。
密やかに、君を愛する季節がやって来るよ。
「ーーーね、イノちゃん」
「…ん?」
「ーーーーーーもっと」
end
.