5
●不機嫌
ーーーなんなんだ…。
いや。知ってたけどさ…。
今さらこんな事で落ち込むって、どうなの?って思われるかもしれないけど。
マイペース、照れ屋、甘え下手。
そんな気まぐれ猫みたいなのが隆のいいところだって、そんなの俺だってわかってる。
そんな隆が大好きで一緒にいるんだから。
ーーーでも。
ーーーーーーーそれでもさ。
「ーーーなんなんだよ…」
ガックリと肩を落とす俺を、傍らでコーヒー啜りながら面白そうにニヤニヤしてんのはJだ。
…コイツ。
幼馴染って、こうゆう時容赦ないよな。
いや、全ての幼馴染同士がって事ではなくて。
俺とJにおける幼馴染の関係が…だ。
無駄に飾る事も、突き落とす事もない。
お互いに淡々と、その場を語る。
…いい意味で遠慮が無いのかもしれないな。
でもJとプライベートで話していると、一気に学生時代に戻れたような感覚になる事があって、それが楽しい。
しかし。
しかし今はそうじゃない。
少なくとも俺は、楽しさは無い。
気落ちした俺をJは励ますでも無く。
面白そうに眺めてる。
「ーーー飲む?お前も」
「あ?」
「コーヒー。もう一本あるけど」
「ーーー…いらない」
「そ?ーーーんじゃこれは、ここに置いとくからさ」
コツ。
Jは、俺が項垂れる近くのテーブルに。
未開封の缶コーヒーを飄々と置いた。
ーーーいらねえって言ってんのに。
「イノお前…ひでぇ面。なんだよその…」
「情け無い?」
「わかってんじゃん。あと」
「…ん。」
「情け無い」
「…それしか無いわけ?」
「ハハッ、大体そうだろ。男が好きな奴にフラれた時の反応なんて…
「フラれてないから。」
「お。急に元気に」
「フラれたらこんなんじゃ済まないっての。…フラれたんじゃなくて…そうじゃなくて」
「ああ」
「ーーー」
「さっき呟いてたやつだ。〝なんなんだ〟って?」
「ーーー…そ」
「ふぅん?」
「ーーーーーJ、すっげえ楽しんでない?」
「まさか!」
大袈裟に手振りしながら首を振るJ。
…まぁ、もういいけどさ。
相談しようと思ったわけでもないし。
アドバイスを貰おうと思ったわけでもない。
再びガクリと肩を落とす俺を。
それでもJは、多くは語らず。しかしそこから離れてはいかなかった。
最近好きになったヴォーカリストがいた。
海外のバンドだけど、今まで知らなくて。たまたまラジオで聴いたのが最初で、すごく好きな感じのヴォーカリストだなって、すぐに思った。
もちろんすでに発表されてる曲をまず配信サービスで全部聴いて。やっぱりいいなぁ…って確信して。
発売されてるアルバムには特典の未配信曲もあるって知って。これは近々手に入れたいアルバムだって、心密かに思っていたんだ。
そんな矢先にちょうど通り掛かったCDショップ。しかも隆とのデート中だ。
楽器店やオーディオショップ。それからCDショップなんかはよく隆とも訪れる。
買わずとも眺めるだけで楽しいし。
隆と音楽の話が弾む、最高のデートコースだとも思う。
「隆ちゃん、ちょっと寄ってもいい?」
「うん?いいよ」
「ーー欲しいなって思ってたCDがあるんだよね」
「うんうん!いいよ、行こう!」
例のアルバムを思い出して。ここは大きな店だから置いてあるかもって。嬉々として、隆を連れて店内に入った。
CDは、すぐに見つかった。
「あった」
「あ、これ?ーーー海外のロックバンド?」
「そう!最近すげえ好きなんだ。カッコいいよー」
「ーーーイノちゃんもいっぱい知ってるよね、アーティスト」
「出来るなら全部聴きたいね。ーーーこのバンドのヴォーカリストがめちゃくちゃカッコよくてさ」
「ヴォーカリスト?ーーーふぅん?」
「初めて聴いた時に思ってさ。すげえ好きな歌い方だなって」
「へぇ」
「ラジオで知ってから、最近ずっと聴いてる。このバンドの曲全部聴いたけど、どれも良いんだ!ギターもベースもドラムももちろんカッコイイんだけど、ヴォーカルが!とにかく最高!」
ーーーなんて話を、俺はついつい熱く語ってしまった。このバンドとの出会いから、曲の感想から何から…。
しかしいつしかハッと気付くと。
隆は微笑みを浮かべて、何とも言えない顔で。
手近の棚に並んでる他のアーティストのアルバムを出したり戻したり。
さっきまで一緒に歩いていた時とは明らかに様子が違ってて。
一瞬、チラッと俺を見た隆が。
ひどく拗ねている様にも見えて。
ひとりで捲し立てるみたいに喋ったから嫌だったかな…って。
そう思って。
「ごめんな、隆ちゃん。わーっと喋って…。これすぐ買ってくるから待ってて」
「うん」
「よかったら隆にも貸すよ。聴いてみる?」
ーーーって、会計しながら訊ねたら。
「ーーーイノちゃん」
「ーーーん?」
「…あの…俺」
「?…なに?」
「ーーーーー……」
ーーーなんだ?
黙ってしまった。
急に様子が変わったさっきの微笑みすら影を潜めて。
きゅっと俯いて、黙って。
「…隆ちゃん?」
「ーーーーーーーーーー俺、いま」
「ーーーうん」
「ーーー機嫌悪いから、帰る」
「ーーーは?」
「ごめんね」
「え、ちょっ…隆!」
「イノちゃん悪くない、けど…こんな機嫌悪いの嫌だと思うからーーーーー」
「りゅ…ーーーー」
今日は、ばいばい。って、走り去る隆。
ーーーーー機嫌悪い奴が機嫌悪いからって言って去るシチュエーション初めてなんだけど…ーーーーー
…って。唐突過ぎて追いかける事も出来なかった俺。
お客様…?って、買ったばかりのCDを手渡され、ハッとしてようやく出口まで急ぐ俺。
…しかし隆の姿は見えなくて。
今の一連はなんだ?…と呆然とするだけだった。
「ーーー…なんなんだよ…」
思い出しても不可解で、頭ん中はぐちゃぐちゃだ。
「冷静になっても…訳わかんねえよ」
がしがし頭を掻いて、はぁ…。ため息。
理由がどうであれ、隆にあんな風に言われるのが辛い。何をどう謝ればいいのか判らないし…。つか、謝れば済む問題なんだろうか⁇
俺が散々にため息ついていたんだろう。
ずっと俺を静観していたJは、俺に反してクック…と笑って。
「ーーーお前わかんねえの?隆の不機嫌ってさ、わかりやす過ぎだと思うけど」
「え?」
「渦中に居過ぎてわかんねえってヤツかな。…よく考えてみろよ。例えば逆の立場でさ」
「ーーー逆?」
「そう。お前はさ、気に入ったヴォーカリストを見つけたんだろ?」
「ん?…ああ」
「んで、褒めちぎったわけだ。もちろん他意はなんも無いとしてもさ?」
「ーーー…」
「ーーー誰の前で?」
「誰?ーーーーーあ…」
「他意は無くとも、逆にお前だったら?」
「ーーーーーー…そーゆう事?」
「それしか無いだろーが」
「っ…ーーー」
それって。…さ。
「おはようございます」
「ん、おお。隆、はよー」
「J君おはよー」
「ーーー隆…」
「ーーーイノちゃんも、おはよう」
「あ、ああ…」
そうだった。今日はメンバー勢揃いの日だった。時間になって到着した隆は、昨日の別れ際みたいな何とも言えない微笑みだ。
Jは、ポンっと俺の肩を叩くと部屋を出て行った。頑張れよ〜って感じの笑みを浮かべて。
シン…とする部屋。
隆もちょっと居心地悪そうに視線を彷徨わせてる。
ーーーなにか話しかけないとな。
「ーーーまだ、不機嫌?」
「!」
「機嫌悪い?」
いきなり核心を突く問い掛け。隆はちょっとびっくりしたみたいだ。
その反応を見たら、Jの言った事が的を得ていたと確信する。
確信したら、嬉しくなった。
隆の機嫌を悪くさせる、原因が。
不謹慎だと思うけど…嬉しい。
「ーーーえっと、隆」
「…ん」
「ーーーまだ、機嫌悪いか?」
「っ…ーーー」
「いいよ、言って」
「ーーーっ…ん、うん」
隆が頷いたのを見た途端。
俺は隆の手を引いて、腕の中に閉じ込めた。
ちゃんと言ってやらないと。
突っ張る両手を何とか抱きしめて、耳元で。
「隆ちゃん可愛い」
「っ…何…言っ」
「だって隆ちゃんが機嫌悪い理由がわかったからさ」
「ーーーっ…」
「ーーーごめん。気付くの遅れた。そんなつもりで言った訳じゃ無かったけど、隆ちゃんの気持ちちゃんと考えて無かった」
「ーーー」
「隆ちゃんの性格とか特性とかさ。わかってたはずなのに」
「ーーー」
「ごめんな?」
マイペース、照れ屋、甘え下手。
そんな気まぐれ猫みたいなのが隆。
だからあの時飲み込んでしまったんだよな?
〝イノちゃんの一番の歌は、俺では歌えないの?〟
「違うよ。俺の一番は、わかるだろ?」
「ーーー」
「隆だから。俺の一番は」
「ーーーっ…」
「それはもう揺るがないから、これからも」
ね?っておでこをコツン。合わせたら。
隆はやっといつもの笑顔で、ぐりぐりと擦り寄った。
「ーーー俺も、ごめんね」
「ん?」
「不機嫌なんて、最近はもうイノちゃんにしかならないから」
「ーーーえ」
「動揺も不安も、イノちゃんにばっかり」
ーーー好きだからだよ?
ーーー誰よりも、好きだから。
やっぱり甘え下手で言えない言葉。
でもちゃんと伝わっているよ。
だから俺も、返事の代わりに唇を重ねた。
だってさ。
〝不機嫌〟なんて、抑えきれない感情は。
俺だけにくれるものなんだから。
end
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