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●うそつき
「イノちゃん酷いっ‼うそつき!」
「酷くて結構。隆ちゃんもう帰りな」
「っ…なんで」
「なんででも」
「今日は一緒に帰るって言った!」
「また次な?」
「だからなんで⁉」
「だから。…なんででも」
「ーーーーーーーっっ…」
「とにかくさ。今日は一緒にいられない。ーーーマネージャーに送ってもらって、先に寝てて?」
「イノちゃ…っ…」
「ーーー」
「っ…ーーーーーーーーわかった…もういいっ!」
スタジオの椅子に深く座りこんで、脚組をする俺を見て。もう取り付く島もないと諦めたんだろう。
ずっと真剣な面持ちで俺に詰め寄っていた隆は。クルリと踵を返すと、勢いよくスタジオを飛び出して行った。
しん…とするスタジオ。
今日の仕事を終えて、ざわざわと賑やかだった数分前が嘘のようだ。
「お前なぁ…」
静まりかえったスタジオにポツリと響くJの声。
そのあとスギゾーと真ちゃんの、ちょっと呆れと非難の含んだ声が続く。
「あれじゃ隆じゃなくても納得しないよ?」
「隆ちゃんと帰る約束してたんだろ?いっつも仲良いのにさ」
「ーーー仲良いよ?」
良すぎるくらいだよ。
「だったら何でだよ?」
「別に一緒に帰っても帰らなくても変わんねーじゃん?同じところに帰るんだろ?だったら一緒でもいいじゃん」
「ま、ね。」
もうすっかり、同じ家に帰るようになった俺たちだ。
「ーーー隆ちゃん楽しみにしてたっぽいよ?さっき俺、夕飯一緒にどう?って誘ったけどフられたもん。今夜はイノちゃんと夕飯食べて帰るんだ!ってさ」
「隆、明日歌入れじゃん。まぁ、本番に引き摺るようなヤツじゃ無いけど…。いつもは誰より隆の事考えてるイノがどうしたんだよ?」
三人が代わる代わる言ってくるけど、俺はそこから動かない。
そんな俺に三人はため息をついて。
多分、俺にも何か事情があるんだと感じたんだろう。
帰り際に軽く俺の肩を叩いて。
三人は言葉少なにスタジオを出て行った。
「はぁ…。」
静かになったスタジオ。
俺のため息だけが空気を揺らす。
俺と隆は。
今夜仕事を終えたら夕飯を食べて帰ろうと。昨夜確かに約束した。
二人で外食する時は、お互いに好きな店を順番に赴くのが最近の楽しみだ。
前回は俺の気に入りの店を俺が予約した。
自分だけじゃ行かない店だから、一緒に色んなところに行けるのっていいね!隆はそう言って笑った。
じゃあ次は俺の番ね!
新曲の歌入れを明日に控えた今夜。
本当なら隆が選んでくれた店に寄る予定だった。
俺も朝スタジオについて、レコーディングを始める前までは楽しみにしてた。
ーーーけど。
見てしまったから。
隆の。ひたむきな瞳を。
楽器隊のレコーディングの大詰めを迎えた今日。
俺たち四人は、脇目も振らず楽器を鳴らしてた。集中して、時間が経つのも忘れるくらい。新しいアルバムに情熱を注ぎ続けた。
フト。
ギターをかき鳴らしながら、前方にいた隆が目に入った。
その瞬間、俺は。
危うく手を止めそうになるくらい、隆に目を奪われてしまったんだ。
目を閉じて、身体を揺らしながら音に身を委ねていた隆。
それがある時、ゆっくりと目を開けて。ふんわりと微笑んだんだ。
綿あめみたいにふわっと甘やかに。弓なりに形作った口元と目元はどこか誇らしげで。
それを見たら。
隆は無条件に俺たちの演奏に信頼を寄せて、その身を委ねてくれるんだって思えて。
それが嬉しくて。
こっちこそ、隆の歌声が誇らしくて。
明日の大切な歌入れ。ひとかけらだって、隆の歌声の負担になってはダメだって思って。
今日一日の間に。
色々あれこれ考え込んだ結果が、先程の隆とのやり取りだ。
ーーー不穏な空気が流れてしまった。
毅然とした態度を保っていたつもりだったけど。その陰で、内心は心臓がバクバクしてた。
ーーー失敗だったかな…。
隆といるのが嫌だとか、そんな事は断じて無い。
そんな事があるはず無い。
俺にとって隆は。
好きで好きで、愛おしい存在なんだから。
あんな態度をとったのだって、元を辿れば隆が好きであるがゆえだ。
「…自信…無いもんなぁ…」
深い深い何度目かのため息と共に吐き出した俺の本心。
ーーーそう。自信が無かったんだ。
なんの自信かって?
それはさ、わかるだろ?
仕事終わりに、好きなひとと楽しい食事。ほんのすこしだけ乾杯した美味い酒。軽く酔いの回った恋人と帰った家で。ーーーそのあとで。
する事って言ったらさ…。
明日を案じて、理性を総動員してやり過ごす事もできるかもしれない。
ーーーでも、確固たる自信は無い。
さほど酒に強いわけではない隆。それが、ほろ酔い加減になった時の威力を、俺は何度も経験してきた。
手加減無しの魅力の解放。それが無意識ときたから始末に負えない。
その隆の前では、俺のなけなしの理性なんて歯が立たない。気が付けば、隆を求めて一晩中身体を重ねてしまう。
その結果、翌朝の隆の声は。
普段よりも掠れたものになってしまう。
俺の欲望で、隆の歌声を違えてしまう事なんて。
歌う事を控えた今。
あってはならないんだ。
そっと鍵を開けて玄関に滑り込む。
玄関には綺麗に揃った隆の靴。
ちゃんと帰ってきたんだ…。と、勝手ながら安心する。
静かにリビングを覗く。
ーーーいない。
そのまま寝室に足を運んでみると、薄暗い寝室のベッドがこんもりと膨らんでいる。
「ーーー」
近づくと、布団に包まれて、丸くなって眠る隆がいた。
「ーーー隆…」
引き込まれるように、手を伸ばして。
そっとその髪に触れる。
指先から溢れる髪。何度かそれを繰り返していると。小さなくぐもった声と共に、隆がコロンと寝返って上を向いた。
「…んっ」
「!」
ちょっとびっくりした後、じっと隆を見る。
流れる黒髪の隙間から、長い睫毛の瞼が覗く。薄く開いた赤い唇から小さな息遣いが聴こえる。
ーーーそれを見ただけで、うっかり揺れ動きそうになる気持ち。
それじゃあ水の泡だ。…と、必死に平静さを引き戻す。
「ーーー今夜はごめんな?」
ーーー眠る隆に語りかける。
もちろん、返事は無い。
「お前といたら。…無防備なお前を見たら。ーーーきっと今夜も、お前を抱きたくなってしまう。愛したいし、愛して欲しくなる」
ーーー今だって、結構ぎりぎりなんだからな?
「でもさ。ーーーそのせいで歌声が掠れてしまったら、元も子もないもんな?」
ーーーこんな方法しかとれなくてごめんな。
「傷付けたかったわけじゃないんだ。ベストなコンディションで、満足いくまで歌ったら。歌い終わったらさ」
ーーー隆の歌声が大好きなんだ。
心から惚れてるんだ。
「ーーーご飯、行こうな?」
ーーー乾杯して、たくさん笑って。ほろ酔いのお前を支えて、家に着いたらさ。今度は心ゆくまで愛し合おう?
「好きだよ」
眠るお前と指先を絡ませて。柔らかな唇に触れた小さなキス。
気付いてないだろうから、また明日。
歌う前のお前に、キスをしよう。
誇りうるキミへ。
end?
↓
翌日。
「ごめんな?隆ちゃん」
「う…ううん」
「歌入れ。終わったら行こう?」
「っ…う、うん!」」
「ん」
「ーーーーーイノちゃん…そんな事考えてたんだ?」
「だって…仕方ないじゃん。隆ちゃんも、隆ちゃんの歌声もおんなじくらい大事だし」
「…イノちゃん」
「こんなやり方になっちゃったけど…」
「ふふっ…」
「ん?」
「不器用だな、イノちゃん」
「ーーーそうだよ」
「いいのに。我慢しなくて」
「え?」
「抱き合うだけが全部じゃないじゃんーーーキスならいっぱいできるでしょ?」
「ーーーーーーーー~~だから…」
「ん?」
「キスだけで我慢できないから、こんな回りくどい事したんだってば」
「っ…」
「隆ちゃん可愛いから」
「俺だって我慢できないよ!」
だって好きだから。
end
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