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●仲直り











ぽろぽろと。
はらはらと。

溢れていく、涙。





自分の意思とは関係ないんじゃないかってくらい、コントロール不能だ。



「ーーーーー」



ーーーーーーーーーー。




鼻の奥のツン…とした感じと。
口に広がる、涙の味。
それから。
たくさん泣いて、熱くなった目元と、気怠い身体。

それらが、考える事を邪魔していく。









もうかれこれ一時間は、こうしてソファーの上で涙を流している。
こんなにも沢山の涙が、身体の中にあったんだ…と。不思議でならない。


でも。


ずっとこうしているのも、何かな…って思って。
部屋の窓から、外を眺めた。



春の、薄い水色の空。
耳を澄ますと、微かに鳥の声も聴こえる。
木々の葉がそよいで、陽の光が、あったかそう。
そうだ。朝の天気予報でも言ってた。
今日は穏やかな、暖かい春の一日ですって。


それなのに。
こんないい天気の日に。

俺は、涙が止まらない。




ごしごしと袖口で涙を拭う。
もう何度もこれを繰り返したせいで、瞼が少し痛い。

ずっと座っていたソファーから立ち上がって。
洗面所に足を進める。
蛇口を捻って、冷たい水を両手で掬う。
ぱしゃぱしゃと、涙で濡れた顔を洗うと、これだけでも違う。スッキリする。



幾分、冴えてきた頭で。
数時間前の事を思い返した。









「ーーーーー」



無言で去って行く、背中。
俺の方を見ることも無く。部屋を出るまで、振り返らない彼。


そう。
ホントに些細な理由だった。
イノちゃんと、喧嘩をしたのは。



お互い、言葉に言葉を重ねてしまって。いつしか流れ出した、重い空気。

きっかけはどうあれ、謝らなきゃって思った。
まず謝って。それから、修復のための言葉を重ねればいいって。

ーーーーーーなのに。

思っていた以上に、過敏になっていた俺。上手く言葉が言えなくて、沈黙の時間が、続いてしまった。

その沈黙の時間。
イノちゃんは、俺が何も言わない事に失望したのかもしれない。
それとも、面倒くさいって…思ったのかもしれない。

イノちゃんは何も言わずに。
振り返る事もせずに、この部屋から出て行った。



その後。
部屋に残った俺は。
ソファーに身を預けて、たった今の事を反芻した。

だんだんと、頭の中が整頓されてくると。さっきまでのぐちゃぐちゃだった思考が無くなる代わりに、今度は涙が止まらなくなってしまった。






「イノちゃん…」


ポタポタと、水が滴る顔で。
洗面所の鏡を見つめる。

泣きそうな俺。
ーーーというか。泣き暮れた、俺。

見るのが嫌で。
側に置いたタオルを掴むと、玄関に向かって駆け出した。







外に出ると。
春の匂い。
あったかい陽射し。
水色、黄緑、黄色、桃色…
パステルカラーの景色が、風と一緒に通り過ぎる。


いつのまにか足を運んでいたのは。
俺が好きな、近所の公園。
鳩の群れを眺めて、遊歩道を進む。


ーーーいつもイノちゃんと、歩く道。


手を繋いで、他愛ない事で笑って。
あそこの一番背の高いイチョウの木の陰で。イノちゃんと、キスをして。


そんな、だいすきな公園なのに。
ーーーーーー今は…。










「ごめんなさい」



イチョウの木に背を預けて、呟いた。

今ならこんなに、すんなり言えるのに。
どうしてさっきは、ごめんなさいの一言が出てこなかったんだろう。





「ごめんなさい、イノちゃん」

「ごめんね」

「イノちゃん、」

「ホントに、ごめんなさい」

「イノちゃん…」








「隆ちゃん」





気持ちのままに、ごめんなさいを何度も呟いていたら。
背後から聴こえたのは…





「イノちゃん」



「隆ちゃん…」


「ーーー…何で…?…ここが…」


「わかるよ。隆の行きそうな所くらい」


「ーーーーーっ」


「ーーーーーーーーーーーごめん」


「イノちゃん…」


「ごめんな?隆ちゃん」


「っ…ううんっ 」


「ーーー」


「俺も、ごめんなさい」





イノちゃんは小さく頷くと、俺の前まで来てくれて。
左手で、俺の頬に触れた。




「っ…」


「ーーー泣いてた?」


「ーーーーーーーーーーーって、ない」


「嘘。目、赤い」


「花…粉症っ 」


「クッ…」


「あっ、なに笑ってんの⁇」


「ん?ーーー別に~?」


「もうヤダ!イノちゃん意地悪だ」


「じゃ、ナニ?また喧嘩すんの?」


「しないよ!」


「もー…隆ちゃん、我儘だなぁ」


「イノちゃんが意地悪なの!」


「はいはい」



また言い合いが続くけど。
でも、さっきの言い合いとは違う。
心があったかくなる、言い合い。



イノちゃんはくすくす笑って。
ちょっと落ち着きな。って言って。
ぎゅっと抱きしめてくれた。



イノちゃんは意地悪で、ずるい。
こんな事されたら、怒ってた事も泣いてた事も、もういいやって思っちゃう。
しばらく上辺だけの抵抗をしてたけど、そんなものも、いつしか消えて。
馴染んだイノちゃんの胸の中。
心地良くて、擦り寄った。



そうしたら、ここで漸く。
止まらなかった涙の理由がわかったんだ。




「イノちゃんの背中が、悲しかった」


「え?」


「さっき、部屋で。ずっと背中向けて、出てったでしょ?」


「ーーーん」


「ちょっと…ってゆうか。すごく、堪えた…かも」


「ん…ごめん」




イノちゃんはますます抱きしめる腕に力を込めて、あのね…って話してくれた。



「自分の感情がコントロールできなくなりそうな時。俺、その場から離れるんだ」


「ーーー」


「隆ちゃんに当たり散らすとか、ぜってぇ嫌だから。ーーーいったん、居なくなる。それでリセットして、現れる」


「そ…だったの?」


「なに…。もしかして、愛想尽かしたとか思った?」


「う…うん」


「あのなーーー…んな訳、ないっしょ⁉」


「だって…」


「隆と喧嘩はするけど、嫌いになんかならない。ーーーだって大事な人との仲って、そーゆうもんでしょ?」


「っ !」


「この先何度喧嘩しても、隆を愛してるのに変わりはないからな」


「ーーーーーうんっ 」


「隆は?」


「え…?」


「喧嘩しただけで、俺が嫌い?」


「っっーーーそんな訳ないっ」


「ーーー」


「いつだって、どんなになったってイノちゃんを愛してるし大好き!ーーーじゃなかったら、あんなに泣かない」


「……やっぱ泣いたんだ?」


「‼」


「隆かわいい」


「ーーーっくない!」


「はいはい。ーーーーーーーじゃ、隆?」


「…?」


「仲直り」


「ぇ…?」


「仲直りしたくて、この木の下にいたんじゃないの?」





とん…。
と、イノちゃんの手がついて。
木の幹とイノちゃんの間に閉じ込められて。
すぐ側に、優しい笑顔。






「ほら。キスするよ」





抗えない。
だって、俺だってしたいから。

俺の唇をイノちゃんの指先が柔らかくなぞる。
耐え切れなくて目を閉じたら、堕ちるのはあっという間。

触れたイノちゃんの唇は、すぐに深くなって。
あったかい気持ちが流れ込んでくる。



愛しいよ…っていう。
まるで、この季節の柔らかな空気みたいな。
優しい、イノちゃんの気持ち。




イノちゃんとキスをしながら、たった一雫の溢れた涙。


ーーーそれは、ひとりで流してた涙とは違う。


イノちゃんを想う。
愛おしい気持ちの結晶だった。






end


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