日記(fragment)のとても短いお話
04/16の日記
23:52
密やかに。
---------------
ライブ会場の、広い建物の中は。
まるで迷路みたい。
そこでただ一人のひとを探そうと思ったら。
それは鬼ごっこ、かくれんぼ。
なかなか見つけられない。
子供の頃の遊びみたいに。
「ねぇ、イノちゃん知らない?」
俺はさっきからこのセリフを繰り返してる。
仕事中のスタッフ、マネージャー。はたまたメンバーにも。
そして彼らからの返事はさっきから、こう。
「イノラン?いや、見てないね」
「楽屋じゃないんですか?」
「喫煙所とか」
「客席は?」
「ーーー逆にお前のことも探してんじゃねぇ?」
「え、?」
メンバーに言われて、思わず後ろを振り返る。
「ーーーーーいない…」
俺の背後に見えるのはバックステージの通路。
向こうのT字路の方には忙しそうなスタッフがかわるがわる通り過ぎてく。
ーーーでも。いないよ…。
がっくり、思わず肩を落としたのかも。
メンバーは苦笑いしながら、ここ広いもんなぁ…ってフォローしてくれる。
「イノに会ったら言っとくよ。隆一がさっき探してたんだぞってさ」
「ーーーん、ありがとう」
ほんとはね
自分で見つけたかったけどね。
用事なんて大したことないんだけど。
イノちゃんに会うって事は、俺にとってはとっても大事な事。
特にこれからライブを控えた時なんていうのは特にそうで。
ちょっとそわそわする時。
思わず不安が顔を出す時。
高まり過ぎた気合が、空回りしそうな時。
あなたの顔を見れば、声を聞けば。
落ち着くんだ。
「イノちゃーん」
「イーノーちゃーん」
「イノちゃん!」
通り過ぎるスタッフたちが不思議そうな顔してる。
…だよね。
メンバーがメンバーをこんな風に呼ぶなんて(しかもだいの大人が…)
控え室で待っていたら戻るんじゃないですか?っていうスタッフからのアドバイスにも苦笑で頷いて…また探す。
「イノちゃん…」
「どこー?」
だってね。
俺はイノちゃんとメンバー同士だけど。
でも、それだけじゃないから。
特別な好きって気持ちで結ばれた、そんな俺たちだから。
会いたくなっちゃったんだ。
無性に、今。
ステージの方でサウンドチェックが始まって。
大音量で響く音。
バックステージにも、その音は大きく鳴り響く。
「イノちゃんー!」
ーーー俺の呼び声も、掻き消えそう。
「ーーーもぅ、どこ…?」
どくんどくん。
鼓動が大きくなる。
ライブ。
何年続けていても、何本ライブをこなしても。
始まる前のどきどきは、何年経ってもおさまらない。
期待と不安と。やっぱり想像しきれない期待とで。
このどきどきを、ひとりでは抑えられない時がある。
「…イノ、」
だから会いたい。
あなたに会いたい。
会えば無駄な力が抜けるんだ。
あなたに聴かせてあげたい歌声が、俺の中に湧き出てくる。
だから会いたい。
会いたい会いたい。
今すぐ、会いたい。
ぐんっ!
「っ…ぁ⁈」
心臓!
止まるかと思った‼
だって急にだもん。
通路の陰からにゅっと出てきた手に掴まれて。
そのままぐいぐい手を引かれて。
バタン。
「…ぇ、?」
ーーー連れ込まれたのは…。ーーーーーうそ。
なにここ?
用具室⁇
ーーーそして俺を連れ込んだのは…
「イノちゃん…?」
セットや大道具、機材なんかを運ぶ為の大きなエレベーターの…その奥の…ささやかな自販機の隣の…色んな舞台セットをしまってある倉庫…みたいな部屋。(なんで入れんの⁇)
「鍵開いてたからさ」
「だからって入っちゃダメでしょ⁇」
「少しだけ。すぐ出るから、大丈夫」
「えぇ…?」
「何も壊さないし触らなければ平気。ーーー隆、」
「ーーーぇ?」
「聞こえたよ?」
「ーーー?」
「そこの自販機で水飲んでたら。ーーー隆の声」
「…あ、」
「ーーーーー呼んでくれてただろ?俺を」
にこ、
少し薄暗いこの部屋。
それでもイノちゃんが微笑むのがわかって。
慌ただしいライブ前の外の時間が急に遠くなって。
不思議なの。
家でイノちゃんと二人きりでいる時みたいに、ここはとても静か…。
…どうしよう。
こんな場所でイノちゃんとふたり。
「あの、」
「ん?」
「ーーーみんな待ってるよ?」
「まだ平気だろ?集合まで、まだ時間ある」
「ーーーん。そうなんだけど」
どきどきするんだもの。
全然嫌じゃないんだけど、心臓こわれそうだよ。
「探してくれてたんじゃないのか?俺を」
「ーーー探してた」
「うん」
「イノちゃんに会いたくて」
「さっきまで楽屋で会ってたじゃん」
「ーーーそうだけど」
ちら。
見上げた先には、ちょっとだけ意地悪な顔してるイノちゃん…。
わかってるんでしょ?
さっきまで一緒だったけど、そうゆう事じゃないって。
「…そうだけど」
言葉に詰まる。
イノちゃんをまともに見られない。
照れてしまって、下しか向けない。
そうしたら。
「…っ、ぁ」
「ほら。こうすればいいでしょ?」
クッと顎を掴まれて。
視線が合うように、顔を上げられる。
ーーー反らせない。
目の前に、超至近距離に。
イノちゃん。
メイクを終えて、ヘアセットもバッチリな。(俺もだけど)
格好よくて、意地悪く微笑むイノちゃん。
「っ…手、離して、よ」
「やだ」
「⁇え、」
「だめ」
「イノちゃん…っ…」
「いつだって隆とふたりきりでいたいのは俺も同じ。お前だけじゃないよ」
「ーーーっ…」
「これからライブだし」
「ぅ、ん」
「パワー貯めたいし」
「ぅ、うん」
ぐん、と。
イノちゃんの顔が側に寄る。
こうなると、もうわかる。
この先の展開。
だってもう何度も、俺たちはこうしてきたから。
「ふたりでいれば最強だろ?」
ぎゅっと抱きしめられる。
襟足を撫でられて。クッと唇を割ってイノちゃんの指先が入ってくる。
イノちゃんが弦を爪弾く、その指先が。
舐めて。って、請われて。
恥ずかしさでいっぱいな気持ちで、舌先で触れる。
濡れた音が響いて、恥ずかしくて。
唇を離そうしたら、ダメって。
「えっちな顔、隆」
唾液が溢れる。
イノちゃんがそれを拭ってくれて、今度は俺の番って。
唇を重ねて、深く深く。
イノちゃんの舌先が。
俺を犯す。
「…ぁ、ん」
「ーーーこれ…以上、」
「んっ…ん、」
「ない、よ。ーーー隆…」
「…ぇ?」
激しい口付けの後は優しい抱擁。
これが堪らなく好きな俺は、彼の背中に両手を回す。
そうするともっと、ぎゅっと。
俺を抱きしめてくれる。
「これ以上ない」
「ーーーな、に?」
「俺にチカラをくれるもの」
end
・
05/09の日記
23:08
kiss
---------------
特別であって、自然なことであって、求めてしまうこと。
力まなくても、流れるように、当たり前に。
ーーーでも。
やっぱり特別なことなのかもしれない。
だってお互いがお互いにだけ、求めてしまうことだから。
「ーーーお前らさ、」
「?」
「なぁに?スギちゃん」
「今のさ…。もしかして無意識?」
「ぅ?」
「え?」
スギちゃんの少々呆れ気味の言葉に、俺とイノちゃんは一瞬、ぽかん。
でも、イノちゃんはすぐにわかったみたい。
「ーーーああ、キス?」
「え、?」
え、キス?
いまだよく飲み込みずにきょろきょろする俺。
スギちゃんは肩を竦めて苦笑い。
イノちゃんは…いつものイノちゃんだ。
「さっきから見てるとさ、お前らすぐに…こう。味見でもするみたいにさ」
「ああ、キスだろ?」
「…イノ。お前堂々としてんなぁ」
「だって今は待機時間で自由だし」
「まぁ、」
「隣には愛しい隆がいたらさ」
「っイノちゃん」
「したくなるってもんでしょ?」
ーーー本当はひと時だって離れずに一緒にいたい。
特別であって、自然なことであって、求めてしまうこと。
力まなくても、流れるように、当たり前に。
互いの存在と温もりを確かめずにいられない。
「好きだからさ」
「好きだから」
「隆のこと」
「イノちゃんのこと」
顔を見合わせて、にっこり。
「ーーーーー…ふぅ、」
スギちゃん、呆れてるでしょ。
でも、これは俺たちにとって必要なこと。
愛してるよって、伝え合う行為。
《好きなひととキスをする》
end
・
03/07の日記
23:42
大好き!
---------------
取材と撮影ついでに、五人揃った時じゃないとできない仕事が他にもあるからって事務所のスタッフに言われて。
いつものスタジオで、スタッフが次々持ってくる細々した仕事を片っ端から五人でこなしていく。
最近じゃ、こんなラフな時間も仲良くなった俺らだから。
談笑しつつ、なかなか楽しい時間を過ごしてた。
ーーーっていうのをしていたら…だ。
それまでこれまた仲よさそうに(コイツらいつも一緒にいるくせに)きゃっきゃと笑い声交えて話してたイノと隆が。
ぴく。
…そうだな、なんて言えばいいかな。
ーーー猫がある物音を聞きつけて耳をピンとさせる…。そんなに様子に似てるかも。
「!」
「!」
二人して、それまでの会話をぴたりとやめて。
ーーーなに。どうかしたのか?っていう俺の問い掛けに。
「J君、しぃ。」
「J…感じない?」
「はぁ?なにが…」
感じない?と言われても別に何も変わらない。
何か音がすんのか?
「…この感じ、イノちゃんわかるよね?」
「ああ、間違いないな」
「おいおい、なんだよ?」
「葉山っちが来てる気がする!」
「葉山君来たんじゃないか?」
ーーーーーーはぁ?
コンコン。
「失礼しまーす。お疲れ様でーす!」
俺がポカンとしている間に、軽いノックの後に顔を出したのは。
「葉山っち!」
「やっぱり、葉山君!」
「はい、こんにちは!ちょっと近くまで来たので皆さんのお顔見に寄りました。Jさんもスギゾーさんも真矢さんも、こんにちは!」
「わぁい!おいでおいで!」
「葉山君もコーヒー飲まない?」
「ありがとうございます」
パッと華やぐイノと隆。
葉山君をぐいぐい引っ張って、さっきよりもさらにきゃっきゃと元気になる。
「ーーー。」
ーーー葉山君アンテナっていうのか…。
コイツらマジで仲良い…。
end
・
03/08の日記
23:37
チカラ
---------------
「隆、」
「…ん?」
「手、かして?」
なんでだろう?
なんでイノちゃんは、わかるんだろう。
手、かして?って言ったのに。
俺の返事も待たないで、イノちゃんは微笑みながら俺の右手をつかまえて。
王子がお姫様にするみたいに、優雅に俺の手の甲に顔を寄せて。
ちゅ。
触れてくれる唇。
小さなキス。
その瞬間、俺の意識は、もうイノちゃんにだけ向いていた。
「…イノちゃん」
「こっち見て」
「っ…」
「今はさ?」
「イノちゃん、知って…?」
「隆のことならね」
「ーーー」
「わかるよ」
なんでだろう?
どうしてわかるの?
気付かれないように、俺は今少しだけ、気持ちが塞いでたって。
「…イノ、」
「俺を見て」
「っ…イノ…」
「もっとたくさんのキスも、お望みとあらば変顔も、なんでもするよ?」
だから笑ってよって。
イノちゃんは俺に、チカラをくれた。
end
・
03/14の日記
22:46
恥ずかしいけど言うね。
---------------
すごいなぁ…って思ったよ。
そりゃ、今回はソロのステージに一緒に立ったわけだけど。
だって同じバンドの俺ら、アイツのギターの素晴らしさも、ここ最近隆ちゃんと共にめちゃくちゃ歌うようになった、その歌声も。
ソロのアルバム出来た!あげる!って、嬉しそうに手渡してくれて。それをありがたく受け取って、帰ってじっくり聴いた時の感動とか。
数え上げればキリがないんだけど。
なんてゆうかさ。
ずっと見てきたからわかるんだ。
バンドが離れちゃって、遠くからしか見られない瞬間もあったけど。
お互いそれぞれに忙しくなって、ゆっくり互いの音に耳を澄ます瞬間もままならない時もあったけど。
でもさ。
ずっと見てきたから。
それこそ、十代のまだまだ子供だった頃からさ。
だからこそ、思うんだよ。
すごいなぁ。
すごいよ。
「すごいなぁ…」
「ん?何なに⁇真ちゃん」
「あ。声に出てた?」
「もうガッツリ」
「恥ずかしい〜」
「何を今さら。俺と真ちゃんの隙間に恥ずかしい事ある⁇」
「あのねイノラン。幾つになっても恥ずかしい事はあるし、親しい仲ほど気恥ずかしい事ってあるでしょ?」
「ああ…。ーーー褒め合うとか?」
「きゃあ!」
「ハハハッ」
「この長年の仲で褒め合うって、すっごく大事だけど気恥ずかしいの頂点だね」
「まぁ、ちょっとね?慣れないよね!」
「そうそう」
「言ってあげたい気持ちはめちゃくちゃあるけどね」
「でしょ?ーーーでもね、俺は今夜言うよ。恥ずかしさをかなぐり捨ててイノランの為にね」
「…ぇ、褒め?」
「イノランと、イノランのメンバーと最幸の夜だったから」
ありがとう!の気持ちを込めて。
一緒に音を奏でてくれて。
こんなに側で歌声を聴かせてくれて。
それはきっと、キミの音楽が大好きなみんなも同じだと思うよ。
だから俺が代表して言おうと思う。
「イノラン」
「ーーーは、はい」
緊張してんの。
さっきまでの戯けた感じは少しだけなりを潜めて。
大丈夫。
それは俺も同じだから。
緊張してる。
出会ったばかりの頃のイノランと真矢は。
こうして時を経てもイノランと真矢。
変わらない。
「イノランの歌、ホントに最高だよ」
照れをおして、伝えた言葉。
それを受け止めてくれたイノランは。
一瞬ぽかん…としたけれど。
次の瞬間見せてくれたのは。
これまた最高な笑顔。
ああ、ほら。
イノランの笑った顔って、最強なんだ。
「…あ、隆からメール」
「お、隆ちゃん⁉︎」
「お疲れ様ー!って」
「ははは!隆ちゃんもお疲れ様!」
「ーーー続きがあるよ。〝真ちゃんへ〟」
「なんでしょう?」
「〝イノちゃんがどんなにカッコよくても歌声が素敵でも、でもダメだからね〟」
「⁇」
「〝イノちゃんは俺の!あげないよ〟ーーーだって!」
「ーーーー…隆ちゃん。」
「ヤバい、嬉しい!ヤキモチ焼き隆だ」
「…隆ちゃんに愛されてんなぁ…イノラン」
end
・
03/15の日記
23:37
黄色で甘い
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「あっつい?それとも寒い?」
「…んー…」
「よくわかんない?」
「ーーー多分…」
「うん」
「頭は熱くてぼんやりだけど…」
「ーーー」
「身体はぞくぞく…」
「あー…」
「よくわかんないや…」
風邪をひいたみたいだ。
熱くて寒いなんて、風邪のど真ん中じゃないか。
それなのに隆ときたら薄着でうろうろして冷凍庫を覗いてアイスなんか取ろうとしてて。
「ちょっと待ってな。アイスよりもまずちゃんとあったかい格好しろ!」
そう言って隆にもこもこのルームウェアを被せたのはたった今。
ベッドで寝てろって言っても、まだ眠くないなんて頬っぺた膨らませるから。じゃあ寝なくていいから大人しくしてなって、ソファーにブランケットと共に隆を設置した。
「ーーーイノちゃん…」
「隆?」
「ぅん?」
「ダメだよ。不用意にオレを呼んじゃ」
「?」
「けっこうね、我慢してんだから」
「ーーー我慢?」
「そ」
「…あ。ーーーせっかくのオフにオレは風邪ひいたりしたから怒ってる?」
「…違うって。そうじゃねぇよ」
「ーーーぇ?」
ほら、アイスよりこれならいいよって。プリンを隆のおでこにコツンと当てた。
途端にパッと嬉しそうにしたけど、もう一度「我慢?」と呟いた。
ーーーああ…もう。ほら、そうゆう仕草だ。
「風邪っぴきの隆を強引に襲えないだろ」
「…ふぇ?」
「その、我慢」
「っ…」
コトン。
隆はプリンカップをテーブルに置くと。
「…俺も我慢する」
「え?」
「プリン」
「…なんで」
「イノちゃんばっかり我慢させるの嫌だ」
「そんな…いいんだよ」
「ううん、」
「隆」
「イノちゃんが我慢するなら俺も我慢する。ーーーでも、イノちゃんがしたい事してくれたら、俺もプリンを頂くよ?」
「!」
「ーーー俺がプリンを食べられるかどうかはイノちゃん次第だよ?」
「ーーー隆、」
いたずらっぽい顔。
熱で火照った顔で、俺を誘ってる。
いつもより熱い身体、求める気持ち。
ーーーそんなの見せられたらさ。
「ーーーじゃあ我慢も遠慮もやめるよ」
「ん、」
「いい?」
「いいよ。そうして欲しい」
「ーーー隆、」
ソファーの上のあったかい恋人を抱きしめる。
そのまま、抱いたまま。
ゆっくりと押し倒す。
「ーーーぁっ…」
「いい匂い。隆ちゃん、甘い匂い」
「…ん、甘…ぃ?」
「ほら、もう声も」
「ーーーん、ぁっ…」
テーブルの上で待っている。
甘くて柔らかなプリンみたいだ。
end
・
03/19の日記
23:41
真夜中の。
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ひとたび目が覚めたら、もう一度眠りに就くのは難しく。
しかもこんな夜に限って、春の冬日みたいに寒くって。
静かで。
外気がひんやりして。
…眠れなくて。
俺は苦笑を浮かべて、そっと起き上がる。
…そっとってのは、俺の隣で寝てるから。
愛しい愛しい、俺の隆が。
だから起こさないようにしないとな。
「…酒でも飲むかな」
そうすれば身体もあったまるし、きっとまた眠気もくるだろう。
もう深夜だけど。(真夜中だ。夜中の3時)
たまにはいいかもしれない。真夜中の晩酌。
少しのアルコールを楽しむのもいいかもしれない。
カタン。
コポポポ。
冷酒より、あったかいのにした。
熱燗じゃなくて、あっためた赤ワイン。
小さく切ったレモンスライスをおとして、パッと色が鮮やかになったところで。
「いただきます」
ひとくち。
ーーーじんわり、ひろがる。
ああ、あったまる。
「美味…」
夜の酒って、やっぱり気分が良い。
まったり、じっくり。
たった一杯のグラスを、ゆっくり味わう。
その時間が良いんだよな。
「隆もいたら、きっと喜んだだろうな」
ーーー起こしてこようか。
「いやいや、さすがにぐっすり寝てんのにそれは可哀想だ」
ーーーでも翌日はオフだぜ?だからこうして一緒に過ごしてんだろ?
「…そうだけどさ。オフだからって散々したのは、つい数時間前だ」
気を失うように眠ってしまった隆。
いっぱい喘いで、泣いて、縋り付いてくれたから。
今はゆっくり寝かせてあげたい、
ーーーでも一緒に過ごしたいだろ?一瞬でも多くの時間をさ。
「ーーーそりゃあ…」
そうだよ。
そうに決まってる。
そう、自身の心の声に応えた時だ。
「ーーー…イノ、?」
「隆?」
眠そうに、目を擦りながらぼんやりこっちに来る隆。
ーーー起きちゃったか。
シャツがずり下がって肩が見える。
寒そうで、俺は隆の腕を引き寄せて着ていたガウンを羽織らせてやった。
「…イノちゃんの」
「いいんだよ。俺は平気。隆のが寒そうだ」
「…ん、ありがとう」
「ーーーうるさかった?ごめんな」
「ぅうん。イノちゃん、いないなぁって」
「寂しくなっちゃった?」
「ーーーぅん」
ちょっと冗談で言った言葉だったのに。
素直な隆の返事に、どきん…となる。
「いないのはいやだ。ーーー置いてかないでよ」
「ごめん。眠れなくてさ、ちょっと飲んでた」
「…でも、やだ」
「うん。もう置いてかないよ。ーーーっていうかさ」
「?」
「可愛すぎなんだけど。…隆ちゃん」
「ぅん?」
「ふわふわして、ホワホワぼんやりで。置いてかないで…なんて、可愛すぎ」
寝起きってことは、飾ってもいない隆だろう。
素って事だろうから、隆の本心だろう。
「…おいで」
「ーーーイノ?」
「置いてかないし、離さないから」
「…ん、」
「ここにいるから」
「ぅん、」
顔を寄せる。
すぐに、その唇に触れた。
寝起きのせいか、ちょっとサラッとした唇。
外気に触れて、ひんやりした唇。
ワインのおかげで熱くなった俺にとって、それはとても気持ちがよくて。
すぐに、貪るように唇を重ねた。
「んっ…ふ、ぅ…」
「ーーーっ…はぁ」
「…んんっ…ふぅ…ん、」
ちゅっ…
「可愛すぎ…」
「…ん、イノ…ちゃ、」
「ん?」
「ーーーあったかいね」
ふふふっ
大好きな隆の微笑み。
それが見られたから。
「ーーーベッド行こうか」
「…っ…ぅん」
もう一度眠れそうだ。
ワインと君の温もりを抱きしめたから。
end
・
03/21の日記
23:49
可愛いきみ
---------------
サク。
サク…サク。
真隣でそんな音が小さく聴こえる。
テーブルに置いたガラスの皿に盛られたのはブドウ。
外国の皮ごと食べられるサクサクしたやつ。
紫の。
黄緑と紫とあるけどって聞いたら、隆は紫のが好きって笑うからそれを買ったんだけど。
一個もらったら、たしかに美味い。
ーーーでも。
サクサクサクサク。
心地よく響く隆のサクサク音を聴く方が、俺は好きかもしれない。
「ねぇ、」
「んー?」
「ーーーさっきからブドウにばっか夢中じゃない?」
「イノちゃんだって」
「ん?」
「ギターにばっかり構ってる」
そう言って指さした先。
俺の相棒の白のギターが、そっとソファーに寝転んでる。
さっきまでずっと弾いてた。小さなアンプに繋いで、音も小さめで。
何ってわけじゃないけど、心のままに。
でもそれどうやら隆にはそれが、不貞腐れる原因になってるようだ。(…でも一応ギタリストなんだからギター触ってても仕方なくないか?)
「ブドウは食べちゃえば無くなっちゃうけど、ギターはそうもいかないでしょ?」
「え、?」
「ーーーずっとイノちゃんを独占できるって事でしょ?」
「ーーー隆…」
それって。
「…ヤキモ…
「違うから!」
「いや、でも…それって立派なヤキ…
「違うの‼」
サクサクサクサク
サクサクサクサク
ごっくん!
自棄になったみたいにブドウを貪る隆。
ーーーブドウって貪り食うもんか?って思ったら…
「くっ、」
可笑しくって!
「くくくっ…あっははは!」
「っ…なに、何笑ってんのー⁈」
「はっはっは、可愛…っ…ハハハ!」
「はぁ⁉」
「可愛っ…可愛いいいいい!」
堪んなくて。
抱きしめた。
押し倒した。(ソファーはギターが独占してるからラグの上に)
文句言われる前に重ねた唇は、甘くて爽やかなブドウの味で。
それもいいけど、それじゃ嫌なんだよ。
それより大好きな隆の匂いと味を、早く味わいたくて。
最後まで言わせてもらえなかったけど、きっとヤキモチ焼いてくれた隆を。
「ばかだな、お前」
「ーーーっ…ん、」
「ギター相手じゃ、こんな事できないって、わかんない?」
「ンっ…ぁ、」
「お前だけ」
「ーーーーーっ…ぁ、あ…イノちゃ、」
「…っ…お前だけだよ、隆、」
ブドウの香りも味も消し去って。
お前の全部を暴きたいと思うのは。
end
・
03/23の日記
23:39
夕暮れ桜
---------------
桜が咲いてきたから、お花見行きたいね。
いいよ、行こうよ。二人の時間合わせてさ。
そんな風に話していたのは数日前。
東京の開花発表があってから、一週間が経った頃。
道行く桜の木に、白や薄ピンクのぽわぽわした色が見えるようになってきたから、そうなると…どうしてもね。
行きたくなっちゃう、お花見。
だから、せっかく見つけたお花見の時間。
お互い仕事を終えてからの、夕方の時間。
そこからイノちゃんが車で迎えに来てくれて、夜桜ならぬ、夕暮れ桜を見に行こうって決めてた。
ーーー決めてたのに…。
「ーーー…ごめんなさい…」
「いいよ、気にすんな。仕方ないって」
「…でも、」
「今日を逃したら見られない訳じゃないだろ?桜はまだ逃げないよ」
「…ん、」
そう。
俺ときたら、こんなタイミングで体調を崩してしまった。
朝は普通だったのに、昼頃からだんだん…熱っぽいかも…って思うようになって。
ここで食い止めなきゃって、携帯してる漢方薬を飲んで様子を見てたけど、夕方になる頃にはすっかり気怠くなってしまっていた。
時間通り、夕方に俺の仕事場に迎えに来てくれたイノちゃん。彼は俺を見るなり顔を顰めて。ふぅ…と息をついて。
「おいで」
って、俺の手をぎゅっと繋いで、俺の荷物もさっさと担いで。
何も言えずになすがままの俺の手を引いて、地下の駐車場に降りて行った。
「今日はもう帰ろう」
そう、俺を助手席に設置しながら言った。
サァアアアア…
雨。
雨まで降ってきちゃった。
この雨は、確実に咲いたばかりの桜の花に影響が出るだろう。
散るまでの時間が、ぐっと狭まりそう。
サァアアアア…
ばしゃ、パシャン
車内響く、雨の音と、濡れた道をタイヤが走る音。
熱と気怠さで、俺はぼんやり外を眺める。
ーーーまだ暗くない。
日が伸びたよね。
明るい時間が、まだ残ってる。
「…」
「…」
静かな車内。
二人でいて、こんなに静かなのって珍しい。
時々イノちゃんが動く度に鳴る、運転の所作の音だけ。
何も話さない。
「ごめんね、イノちゃん」
「ーーーん?」
「せっかく、時間作ったのに」
「ーーー」
「つまんない結果になっちゃった」
「ーーー」
「ごめんね」
サアアアァァ…
パシャパシャっ…
「俺、今楽しいよ?」
「…ぇ、?」
「まぁ、隆は熱で辛くて可哀想だけどさ」
「ーーー」
「俺はこう見えて、超幸せ気分。ーーーだってね」
「ーーー」
「お前を独り占め」
「!」
「守ってやんなきゃいけないお前を俺だけが…だぜ?」
「っ…」
「それってさ」
「ーーー」
「俺には幸せな事」
桜はまだ平気だよ。
こんな雨くらいじゃね。
隆が良くなったら、真夜中でも行こうよ。
夜桜見に。
誰もいない場所に、二人でさ。
赤信号で、イノちゃんは車を停めて。
いつもの、にっ!とした、ちょっと意地悪で、でも優しい笑顔で。
俺の視界を遮るように、優しいキスをしてくれて。
隆の唇熱い。って、耳元で囁いて。
帰ったらシよう。
そしたら早く良くなるよって、今度はにっこり笑った。
「ーーー楽しみになっちゃったじゃない」
「ん?」
「夜桜も、それから」
「ん、」
「今日これから…帰ったら、」
熱に浮かされた俺の視界に。
この雨でも散る気配の無い、シャキッとした元気な桜が。
夕暮れの青に、綺麗に映えて見えた。
end
・