日記(fragment)のとても短いお話









11/22の日記

23:35
雨の日の
---------------



窓ガラスを隔てた向こう側は、今夜は冷たい雨だ。




「ーーーっ…ぁ、」



その窓に手をついて、息を乱す、隆。
かろうじてシャツだけを羽織った姿だけど、揺れるたびに白い肩も露わになってくる。



「ん、んっ…はぁっ…」

「ーーー隆、う」



窓辺で隆を抱く。
普段だったら外から見えちゃうから絶対に嫌だって言いそうな場所で。
ーーーでも今夜は、雨だから。
寒い季節の激しい雨の夜。
窓ガラスに打ち付ける雨粒はカーテン代わりになる。


電気は点けずに。
外からのぼんやりした明るさだけで。
青白い部屋で、隆の身体は白く浮かび上がる。
背後から抱きしめて。
突き出した腰を割って、隆と繋がる。
滑らかな背中がシャツの隙間から覗いて。堪らなくて、手のひらを滑らせて向こう側の胸を弄った。



「っ…あ、ぁ」

「たまにはいいな」

「ぁんっ…ん、んーーー」



忙しく乱す隆の吐息がガラスを曇らせて。
必死に縋る隆の手が、そこに不規則な模様を描く。

こんな風に抱くのも、たまにはいい。



ーーーけれど。



「…もっ…や、ぁ」

「ん?」

「イノちゃっ…見えなーーー」



俺に突かれながら後ろを振り返る隆。
その表情に、どきりとする。
涙を零して、頬を染めて。
濡れた唇で、じっと。



隆の肩を引いて、繋がったまま、向かい合わせに抱き直す。
すると隆はすぐに俺に両手を回して、ぎゅっと抱きついて。
安心したように、呟いた。



「やっぱり、こっちがいい」

「っ…」

「イノちゃんの顔が見えるもん」



大好き。って、消えそうな声で喘ぐから。

ーーー完敗。




「俺もだよ」

「うんっ…」

「やっぱ落ち着くな?こっちの方が」

「うん、ん…っ…ん」

「隆」

「あっぁ、んっ…はぁ」




向かい合わせだから、キスを存分に交わす。
さっきガラスを曇らせていた隆の吐息は俺が飲み込んで。

好きって、うわ言みたいに呟く声も飲み込んで。





「ーーっ…好きだ」



俺も飲まれていく。
雨の夜の、隆の全てに。





end







11/23の日記

23:38
歌う
---------------



君と一緒にいたいのは、音楽のある世界。














「少しの間、ゆっくり、声を休ませてあげたい」



隆がそんな風に呟いたのは、全国ツアーを終えた、その翌日の事。

そんな隆の言葉に、俺は頷いた。



「ツアー完走、お疲れ様」

「イノちゃんもね?」

「ん?俺はさ…」

「イノちゃんだって、お疲れ様でしょ?」

「ん、まぁ。ーーーでも、やっぱり隆の方が…だよ」

「そっかな?」

「隆の楽器は身体そのもの。ーーー歌うようになって、俺もそれはよくわかるようになったから」

「ーーーん」

「だから、今はゆっくり休みな」




歌うのは気持ちいい。
その歌声に心が乗れば、もっと気持ちいい。
ーーーと、同時に。
怖さは、背中合わせにあると感じる事もある。

調子が乗らなかったら。
風邪をひいたら。
ーーーもちろんそうならない為の努力は最大限にしているけれど。
思いもよらない事態になる事もある。

でもそれは、生身の人間である以上。
防ぎきる事は難しいのかもしれない。



だからこそ。



「休める時は休む…ーーーーーな?」

「うん、ありがとう」




ゆっくり、オフの時間を楽しめばいいと思う。
そう言ったら、隆は微笑んで。そういえばって。



「イノちゃんはもう、さっそくあるじゃない。ライブ」

「ああ、うん」

「いっぱい歌うんでしょ?」

「まぁ、そりゃ…な?ーーーソロライブだし」

「イノちゃんの歌好きだよ」

「っ…」

「イノちゃんの歌大好き!」

「ーーーうっわ、隆に言われると…」

「ん?」

「ーーー嬉しくて照れる」

「そう?」

「そうだよ。俺をぐいぐいぐいぐい、歌に引っ張ってくれたんだから」

「そんな事ないよー」

「隆が自覚してなくてもそうなんです」

「えー?」



隆はぶんぶん首を振ってるけど。
歌は。
俺にとっての歌は。
やっぱりずっと隣で歌ってくれてきた、隆の存在があってこそだと思う。

歌うことが尊いと。
歌う時間が尊いと。
そう気付けたのは、自分が歌い始めたから。



「隆ちゃん、ありがとう」

「ーーーお礼なんて言わないでよ」

「ん?」

「イノちゃんは知らないかもしんないけど、俺だって…なんだから」

「え、?」

「ーーーイノちゃんの歌に支えられてるし、励まされてる」

「ーーー俺?」

「コーラスとかWヴォーカルとか。最近多くなってきたでしょう?」

「ああ、」

「ーーーそれからね?」

「ーーー」

「歌うイノちゃんがきらきらしてて、」

「ーーー!」

「それが嬉しい」




にっこり。
そう言って笑ってくれた隆。

俺もつられて、笑ってしまった。









じゃあ、声休みの期間はどうしようか?
いっぱいデートする?って訊いたら。


「デートしたい!あ、でも」

「ん?」

「声休めるって事は、しばらくお休みって事なの?」

「…お休み?何が?」

「えっち」

「っ…えっ…」

「だって声あんまり出せないし。声我慢するのも大変だし」

「…そ、れは。ーーーーーちょっと…」

「いや?」

「いや。…っていうか、無理。隆を目の前にしてそれは…~~」

「ふふっ」

「なんとか策を講じよう!きっと、やりようはいくらでもあるさ!」

「ふふふふっ、だね」



俺もきっと無理。って、隆はぎゅっと手を繋いでくれた。









歌う。
歌う。
心のままに。
君の歌をきいて。
君も俺の歌をきいて。




君と一緒にいたいのは、音楽のある世界。






end






11/26の日記

23:26
喧嘩
---------------



これって喧嘩っていうのかな。

ーーー喧嘩だと思う?って、ちょうどそこに居合わせた葉山っちに訊いたら。




「それはもう、立派な喧嘩ですね」


…だって。





他人事だと思ってさ。

あんまりにも穏やかに飄々と言うもんだから、恨みがましくちょっと睨んだら。
葉山っちは一瞬目を丸くして、そのあと柔らかく微笑んで。


「大丈夫ですよ」

「なにがぁ⁇だって喧嘩だよ?」

「嫌いな相手とは喧嘩なんかしません」

「!」

「無関心な相手とは喧嘩なんて面倒な事わざわざしません。好きだから喧嘩するんです」

「ーーー」

「相手が隆一さんだからするんです」

「っ…」

「イノランさんは、そういうひとでしょう?」




ーーーーうん。
俺も。そうだ。


イノちゃんだから。




無言の肯定だと思ったんだろう。
俯いて黙った俺を見て、葉山っちはこうも言った。




「喧嘩って、最大級の愛情表現だと思いますよ。気遣い無く、このひとなら大丈夫って、無意識に甘えるんです」

「甘え…?」

「いいじゃないですか。大人になっても甘えられる相手。貴重です!」

「!」

「イノランさんといっぱい喧嘩して、仲直りして、いちゃいちゃしてラブラブして下さい!ーーー僕はそれをーーーーー」

「え、?」

「微笑ましく眺めさせてもらいますから」





ーーーなんだか葉山っちって、保父さん?
新たな葉山っちの一面見た気がする…。

けど、元気出た。
励まされた。

ありがとう葉山っち。






「好きだから、か」




好きだから、干渉せずにいられない。
ホントにそうだ。




ーーーでも、仲直り。…かぁ。

それが簡単にできれば、苦労はしない。

理由はどうあれ、言い合いして、背を向けてしまったんだから。






「ーーー仲直り」


どう言おう。


「ーーーーー仲直り…」


どう切り出そう。


「仲直り…仲直り…」


難しい…難しい…。


「仲直り仲直り仲直り!」


今は何より難しい!


「イノちゃんと仲直り!」






「仲直り仲直りって、通路のど真ん中で叫ばないの」


恥ずかしいだろ…って。
背後から、少々呆れ気味の声。
ーーーーーイノちゃん…




「あ、」

「隆の声響くんだからさ」

「ーーーっぅ…」

「喧嘩してんのばればれじゃん」



はぁ…って、ため息ついたイノちゃん。
でもその表情は、優しいって思う。
呆れ顔だけど、ちょっと笑ってる。



「ーーーやっぱりこれって喧嘩なの?」

「え、今さら?さっきお前に、イノちゃんなんか知らない!プイってされたんだけど」

「っ…だって」

「喧嘩じゃないならなにさ?」

「ーーーっ…う」

「喧嘩なんて面倒な事、俺は滅多な事じゃしないよ」

「!」

「隆だからだ」

「ーーー」

「隆だから、喧嘩でもなんでもできるんだ」

「ーーーーーっうん」

「ーーーそれに喧嘩の後はさ?」

「えっ?」

「仲直りって、素敵なものが待ってるだろ?」

「ーーー俺がさっき叫んでた」

「そう。」

「うん」

「ーーーーーしてくれるか?」

「…仲直り?」

「ああ、」

「ーーーん、したい」



昔からよく言う。
鉄は、熱して叩いて冷やしてを繰り返して鍛え上げる。
それと同じって。

俺たちだって、そうでありたいよね?





「ごめんなさい」

「俺も、ごめんな」



握手。
見つめ合う。
微笑んで、笑い合う。

ごめんね。
でもね、大好きなんだ。






「一緒に帰ろ」

「今日はいつもよりもっと一緒にいよう」



絆を深めるために。
何度でも、好きだって言うよ。






end






12/11の日記

22:58
準備
---------------






北欧では、クリスマスの季節になると。
森の中から選び抜いた一本のもみの木を、切り出して来るのだそう。

オーナメントは代々受け継いできたアンティーク。

クリスマス仕様に飾っていく部屋。

家のドアにはお手製のリース。

庭の木々には、ポップコーンを糸で繋いで作った食べられる飾り。
これは餌が少なくなるこの冬の時期の、鳥たちへのささやかなプレゼントなんだとか。







「ーーーだって。いいねぇ、なんか寒いのにほっこりするね」



隆は持っていた雑誌から顔を外して、ほぅ…っと羨ましそうにため息をついた。
その手に持っているのはクリスマス特集ってタイトルの雑誌。
買って来たんだか、スタジオから持って来たんだか…
ん?
スタッフが貸してくれたの!だって。




「なに、隆はもうクリスマスの気分?」



iPhoneで聴いていた音楽をここらで止めて。
ヘッドフォンも外して。
座っていたソファーからずるりと降りて。
ソファー下のラグの上でペタリと座り込んで読書中の隆を、ぎゅっと後ろから抱きしめた。



「っ…んー、イノちゃん…なぁに?」

「抱きしめてる。隆があんまり可愛いから」

「なにそれ」



ただ本読んでるだけじゃん!って、隆は頬っぺたを膨らませた。



「そーゆうとこ。いい加減自覚して欲しいけど…可愛いのが見られるからいいよ」



変なの。変なイノちゃん。
そんな風に呟く隆の声は不満気だけど頬っぺたが今度は赤い。
照れてるのが丸分かり。
ーーーでもこれ以上言うとマジで不機嫌になるから、俺は本題へと話題を転換させた。




「ツリー、飾る?」

「え、?」

「…って、さすがに森でもみの木を切り出して…ってのは難しいけど。北欧の森の街だからこそ似合うって感じがするし」

「うんうん」

「そうじゃなくて、クリスマスの準備を一緒にさ。ちゃんと二人でツリーを買いに行って、オーナメントも選んでさ」

「ーーーわぁ…っ…」



きらきらきら。
隆の目が輝いてる。
返事を聞かずともって感じだ。

ーーーこうゆうとこもなんだ、可愛いの。



「決まりな?」

「うん!イノちゃんありがとう!」

「なんだかんだ毎年この時期って忙しくて飾りとかちゃんとできてなかったしな」

「うん」

「今年は気合い入れて」

「イノちゃんとクリスマスの準備!」



子供の頃、遠足とかさ。
大人になってからも、旅行の計画とか、ライブのリハとか。
本番はもちろん楽しいんだけど。
準備って、格別の楽しさがある。
ワクワクそわそわどきどき。
待ち遠しい気持ち。
終わってしまった時の、少しの寂しさを知っているから。
尚更なんだ。

隆と俺はきっと、今そんな、どきどきした気持ち。



どきどき。
ん、どきどき?

手のひらに感じるどきどきした鼓動は、抱きしめている隆のもの。
どきどきどきどき、すごい。



「隆、めちゃくちゃどきどきしてない?」

「っ…ぅ」

「そんな楽しみなんだ?」

「そっ…」

「ん?」

「ーーーーーそれもあるけど…それだけじゃな…い、よ」

「ーーー」

「ーーーーーーーーイノちゃんに」

「ーーー」

「ぎゅって、」

「!」



ーーーーーーーー可愛…




「隆」


「イ…っ…んっ、」



くるりと隆をこっち向かせて、キス。
さっきから赤かった頬っぺたはますます赤い。



「っ…りゅ、」

「ん…っ…ふぅ」

「りゅう」

「ーーーん、んっ、」




ちゅっ…。



「可愛い」

「もぅ!」

「りゅー大好き」



ぎゅっともう一度、今度は正面から隆を抱いたら。

イノちゃんもどきどきしてるじゃんって、恥ずかしそうな隆の声。



そうだよ。
好きなひとと、クリスマスの準備。
その日の為に、君と準備。
来たるその日に、一緒にいられるように。
それを考えたら、楽しみで仕方ないよな?



「ツリー探しに行こうか」

「これから⁇」

「もちろん」

「うん!」

「ーーーでもその前に、」

「ん?」



もう一度、もっとどきどきする事。
不思議そうに首を傾げる隆に、唇を重ね合わせた。








end






12/19の日記

23:38

---------------






今日の撮影は寒空の下。
抜けるような冬の青空で、景色だけ見れば気持ちいい事この上ないんだけど。
放射冷却って言うんだろうか。
キリリと冷えた空気は、露出した手先や顔を容赦なく襲う。





「いやぁ~冷えるね」

「真ちゃんの衣装、模様がいっぱいで賑やかであったかそうに見えるけど」

「素材薄手なのよ~」

「ハハハッ、そっか」


真ちゃんは腕を摩りながら、スタッフの元にウィンドブレーカーを取りに行った。

そう。撮影用の衣装は、ロケーションやシチュエーションとの相性を優先する事が多いから、実際の季節感を取っ払う場合がほとんどで。
その結果、こうして寒さに震えて待機したりする機会が発生するんだ。
もちろん、用意周到なスタッフ等のあったかい気遣いのお陰で、耐え難い思いをする事なんてそうそう無いけれど。



撮影スタッフのカメラ調整。
暫しの空き時間。
俺はスタッフに貰った淹れたてのコーヒーで、ホッと暖を取っていた。
そこへ。




「イノちゃーん」


とてとてとて。

隆が来た。


(ちなみに、隆が寄って来るときの、とてとてとて。俺にはそんな擬音が聞こえる気がするんだけどって、Jに言ったら。

ーーーそりゃ、お前にだけだよ。

…って、ちょっと呆れられた。

聞こえる気がするんだけどなぁ)



ーーーまぁ、それはいいとして。




「どしたの、隆」

「うん、あのね?」

「うん」



ん?


真正面で立ち止まった隆の顔をじっと見る。
今日は黒のスタンドカラーのチュニックみたいな感じの衣装の隆。
ウエストの部分がきゅっと締まって、スラリとした脚とヒールのあるブーツで、これまた似合う。可愛い隆だ。

ーーーで、その隆の頬っぺたが。



「隆、頬っぺた赤いね。寒いんだろ」

「えー?そりゃ寒いけど…ヘイキだよ?」

「出番来るまで上着羽織ってたら?風邪引くぞ」

「ヘイキだもん」


ぷくっと、不服なのか今度は頬を膨らませる。
ーーーさっきまで色気たっぷりなカオして撮影してた奴とは思えない…。
今の隆はまるで聞き分けのない駄々っ子みたいで、可笑しくて笑ってしまった。



「イノちゃんに笑われた…。ひどい」

「ごめんって。悪気じゃないよ、可愛いなぁって」

「もぅ!すぐ可愛い可愛いって言う。俺、可愛くなんかないもんね」

「はいはい。隆はそう思っていればいいよ」

「もーっ!そうゆうのがムカつくの!」


憤慨してる。
…しまった、拗れるだろうか。
撮影中はプロ根性で不機嫌なんか微塵も見せない隆だけど。
この雰囲気をそのまま家に持ち帰られたら…困る。
そりゃあ困る。
今夜は隆とのんびり過ごしたいって思っているんだから。



「隆」

「んー…なに⁇」

「こっち。」

「え、?」

「ほら、こっちだよ」



休憩中の今だから、俺は両手を伸ばして隆の頬を手のひらで包んだ。

びくんっ、肩を震わせる隆。
たった今までの不機嫌な空気が霧散するのがわかる。
その代わりに現れたのは、期待に満ちた熱を帯びた空気だ。


むにむにむに。


「ん~っ…」


ここぞと、隆の頬っぺたを弄り倒す。
シュッとシャープに見える隆の頬っぺただけど、こうして触ると滑らかでずっと触れていたくなる。



「イノちゃ…ぁん」

「コラ」

「む、ふぇ?」

「そんな…えっちな声出すんじゃないよ」

「え、ぇ?」

「こんな、皆んないる前でさ」


ぽわっと、今度は薔薇色の頬。
寒さからじゃない。
きっと、照れくささから。


「帰ったら、俺だけに」

「っ…」

「な?」



凍てつく寒さも、いつのまにか吹き飛んだな?

ーーーって、あれ。そういえば…



「隆ちゃん、何か俺に用があったの?」


だって俺を呼びながら、駆け寄ってきてくれたんだもんな。




「…忘れちゃったよ。…もう」






end






01/09の日記

23:22

---------------


会場いっぱいの拍手の音は、雨の音みたいだ。








途中休憩の間、バックステージで。
俺はさっき浴びた雨の音を思い出す。

何かを感じ取ってくれて手を打ち鳴らす。
ぱちぱちぱち…という、拍手の音は。
百人…千人…もっともっと増えると。


ざぁぁぁ…


遠い季節の、紫陽花咲き乱れる…あの…

雨の音に似てる。






「隆、大丈夫か?」


「ーーーイノちゃん」



ぼんやりしてたのかも。
控え室の椅子に座って、目の前に加湿器を置いて。
短い時間で、今出来うる最善のケアをしていた時だ。

ぬっ、と。
紙コップに入ったミネラルウォーターを、イノちゃんが差し出してくれた。



「コップのが飲み易いだろ?」

「ん、ありがとう」



ありがたく受け取って、早速ひと口、もうひと口。喉を潤おす。
熱く渇く喉が、みるみるうちに濡れていく。
ーーー気持ちいい。




ホッと息を吐いた俺を見て、イノちゃんもホッとしたみたい。
側にあったパイプ椅子を引き寄せると、俺の隣に腰掛けた。

ぱらり…。

イノちゃんの長く編まれたエクステが、ニコッと微笑んだ彼の肩に垂れた。
俺はつい、手を伸ばして。
綺麗に編まれた髪のひと束を指先で弄った。




「ーーーもうちょっとで…見納め?」

「ん?」

「この。イノちゃんの髪」

「ああ、まぁ…な?」

「格好いいのにな。ーーーちょっと残念」


このツアーで見慣れちゃったからね。
もう一度。残念…って呟いたら、イノちゃんは悪戯っぽい顔でこう言った。



「次のツアーは、またさ?あっと驚くヘアスタイルで登場するから」

「ふふふっ、ええー?どんなの?」

「隆とそっくりの髪型とかさ。二人並んでるとどっちかわかんないような」

「あはは!」

「ギターを持っているかどうかで見極める!」

「あははは!」



しばし笑いが湧く、控え室の片隅。
ーーーチラッと時計を見ると、休憩時間はもうすぐ終わる。
二部の始まり。

あの雨の音に、きっとまた包まれる。



笑いがスッと止まった俺を、イノちゃんがすこし心配そうに見ているのがわかった。

大丈夫。
心配ばっかりかけちゃってるけど、もうここまできたら、心配いらないよ?

そんな気持ちを込めて、今できるいっぱいの笑顔をイノちゃんに向けて。
こう言った。




「いっぱい歌って、叫んで、吠えて、声を遠く遠く伸ばすとね。まるで身体が灼けるようなの」

「ーーー」

「熱くて渇いて、苦しいほど」

「ーーー」

「ーーーでもね、あの音」

「?…音?」

「ーーー会場いっぱいの、拍手の音。それがね?雨の音に聞こえるんだ」

「雨…ーーーーー」

「ーーーすごく潤う。熱くなった身体にしみ込んでいくみたい。ーーーすっごく気持ちいいの」



雨粒ひとつひとつは気持ちの粒だ。
来てくれた皆んなの、観てくれている皆んなの。

だから気持ちいいんだね。




「ーーー雨…かぁ」

「うん」

「そうだな。ーーーきっとそうだ」

「イノちゃんとも一緒に雨の中歩いたもんね」

「デートでな?」

「うん!」



するっと、イノちゃんの手が伸びて、俺の手を繋いでくれる。
指先で遊ぶ。
気恥ずかしいな。
照れ隠しの文句を言っていたら、ぎゅっと手が絡んだ。



「ーーーまずはツアー完走。振替もしっかり終えて…ーーー」

「うん、」

「ーーーそしたらさ。休養の間」

「ぅん?」

「雨が降ったら、歩こうか」

「ーーー梅雨時じゃないから寒いかもよ?」

「いいんだよ。隆の手はあっためてあげる。ゆっくり…雨の日デートしようよ」

「っ…」

「な?」

「ーーーっうん!」





そうだね。
イノちゃんと本物の雨の中を歩いたら、このステージの上でしか浴びられない雨がきっと恋しくなるんだ。



「一緒に歩こうね?」

「ああ、一緒に歩こうな」




俺を潤してくれる、目に見えない雨に手を差し伸べて。





end



14/26ページ
スキ