round and round (みっつめの連載)
葉山との初顔合わせから数日。
隆一は空の仕事の合間を見つけては、スタジオに通う日々を始めた。
イノランと葉山は大体朝の九時頃からスタジオに集まって、その日の作曲作業をスタートさせる。
「迎えに行けるよ?」
ーーーと、イノランは隆一に車での送迎を提案したけれど。
隆一は、ううん。と、微笑みながら首を振った。
空は地続き…ならぬ空続きだから。
わざわざ朝から高速を飛ばしてイノランに来てもらうより。朝の空のパトロールの延長、そのままスイッ…と飛んで行った方が早いと思ったからだ。
「スタジオの場所…もう覚えたのか?」
イノランは目を丸くして隆一を見たけれど。隆一にとって、場所を覚える事は何でもない。空の上から見下ろす地上は、隆一には地図そのもので。
子供の頃からの慣れ…というのか。
たった一度訪れた場所でも、すぐに覚える事ができたのだ。
そんなわけで今朝方も朝の仕事を終えると。隆一は街を目指して空を突き進んだ。目を凝らすと、朝の忙しない街の様子が見てとれて。
この街の中にイノランがいるんだ…と。
微笑みを浮かべてスピードを上げた。
「隆一さん、今日も来られるんですよね?」
スタジオの窓のカーテンを開け放って、午前中の明るい日差しを取り込むと。葉山は振り返ってイノランに尋ねた。
ギター片手に、左手でペンを持って。譜面に何やら書き付けながら、イノランは頷くと。
「朝の仕事終えてから来るからさ、彼」
「ーーー朝早い仕事なんですね…。」
「ん。ひと休みして午後からでも良いんだよって言ったんだけど。…来たいんだってさ。歌いたいって」
「!…そうですか。…隆一さん、ホントに歌が好きなんだ」
「うん。負けてらんないよな?俺らもさ」
「そうですね!」
にっこりと同意した葉山は、再びやるべき事に戻って。そして。
ーーーそれにしても、隆一さんはなんの仕事なんだろう?と、独り言のように呟くのを、イノランはじっとそれを聞いていた。
ーーー隆一の事を。
葉山に明かしても良いか?という問い掛けに、隆一は良いよと言ってくれた。
信頼してくれている葉山になら。
ユニットのメンバー同士になるのだから、重要な事柄を秘密にはしたくないと。
イノランにはそれが嬉しかった。
しかしどのタイミングで言うか。どう切り出すか。実はイノランも隆一も決めかねていて。顔合わせ初日は勿論、その後数回スタジオに隆一が顔を出した時も、とうとう言えずじまいだった。
(ーーー本格的に歌録りがスタートする前には…)
どうにかして伝えたいと思う。
(それからユニット名もそろそろな)
こちらも決めたい。
三人を飾る、大切な名前だ。
「ーーー…」
イノランはチラリと、窓の方を向いたテーブルでパソコンを打ち込む葉山に目をやる。
(ーーー今日。言えるなら。ーーーそしてユニット名も決めたい)
何故かはわからないけれど。今まで何となく浮かんではピンとこなくて打ち消していたユニット名が。隆一の事を葉山に打ち明けた途端に、ストンと決まる気がした。
ーーー隆一が到着する前に、葉山に話しておくのも一つの手か…?
そんな事を人知れず思案し始めたイノランだったが。
この時葉山が、クッと息をのむ気配を感じた。
「ーーー葉山君?」
「っ…ーーーはい」
「?ーーーーーどした?」
「…いま…ーーーホントに一瞬だったんですけど…」
「?」
「ーーー窓の…外を。………隆一さん…が…」
「ーーー」
「飛んで…いた…ような⁇」
「っ…!」
瞬きもせず、窓の外を凝視する葉山。
見開かれた目は、信じられないものを見るように…
その様子を見て、イノランは瞬時に理解した。
朝のパトロールを終えたら空を飛んでスタジオまで来ると言っていた隆一。
勿論、人の多い街の真ん中だ。飛んでいるところを見られて、騒ぎにならないように気を付けるよ。と、言っていたけれど。
まあ、こんな事もあるだろう。
隆一と葉山のタイミングが、ちょうど一瞬の間に合ってしまったのだろう。
(ーーーって、これってさ?)
ある意味、これ以上のタイミングはないだろう。偶然とはいえ、来るべくして来た、この流れで伝えられる最良のタイミング。
「ーーー」
イノランは心の中で、小さく強く頷くと。スタジオのドアの方を振り返って、彼の到着を待った。
「葉山君」
「ーーーはい」
「ーーー今葉山君が見たもの。それは本当の事だよ」
「…え?」
「見えたものは、信じてあげて。誰であれ、なんであれ。葉山君が、隆というひとを、気に入って一緒にいるのなら」
「ーーーイノランさん?…それはどうゆう…」
落ち着いた。それでいて揺るぎない愛情のこもった瞳で語るイノランに。
葉山がその意味を問い掛けようとした、その時。
コンコン。
「おはようございます!お待たせしました」
ノックの後、ドアの向こうから顔を出したのは。
溢れそうな微笑みをたたえた、隆一だった。
太陽は、いつの間にか地平線にくっついていた。
空を見上げれば、あの森の崖とおんなじ。オレンジ色の夕焼けだ。
夕暮れ時の高速道路。
イノランの車の助手席で、隆一はそんな空を見上げていた。
「ーーー」
「ーーー」
言葉は…無い。
イノランも隆一も。
今日一日の事を思い返して、じっくり噛み締めているから。
ーーースタジオのドアから隆一が顔を出した後。
隆一も、いつもの雰囲気とは違う事を、なんとなく感じていた。
とりわけ葉山の…。
いつも隆一を迎えてくれる朗らかな笑顔が、今日はちょっとぎこちなくて。首を傾げる隆一に向ける、イノランの表情が決意を込めたもので。
そこでようやく隆一は、ハッとしたのだ。
葉山に伝える瞬間が、今なのだと。
「ーーー隆ちゃん」
「ん?」
「お疲れ様。ーーー今日は、ちょっと疲れた?」
「え?…ううん、そんな事ないよ?」
「ん。」
「ーーー今日はね、良かったって思ってるよ。葉山さんと話せて」
「ーーーうん」
「びっくり。飛んでるところを見られてたなんてさ。ーーー街に着いて下に降りる時は、すっごく気を付けてるつもりだったんだけど…まさか」
「よりによって葉山君だもんな?」
「うん。ーーーでも」
「ーーー」
「かえってそれで良かった。他の人じゃなくて、葉山さんで。言わなきゃって思ってたし、言うキッカケになったよね?」
「ん、俺もそれ思った」
「イノちゃんも?」
「うん。逆に隆ちゃんがいない場で俺が言うのも手かな…って思ったりもしてたし。いきなり本人目の前にして打ち明けるより良いのかなぁ…?って。ーーーでもさ」
「うん?」
「偶然にしろ、すごく良い形で伝えられて良かったよな?」
「うん!キッカケがあったから」
「だな」
「ーーーん。…でもさ?イノちゃん」
「ん?」
「なんであんなに動じないの?イノちゃんもそうだったし…葉山さんも…。ーーーもっと、驚かれると思ってたのに」
「ーーーああ」
全てを聞かされた葉山は、身動ぎひとつせず。じっと隆一を見つめていた。
隆一が話す間は、イノランは口を挟まずに、そんなふたりの様子を見ていたけれど。
その間に流れる空気は、至って穏やかなものだった。
隆一の正体を知って。
嫌悪とか、恐れとか。そんなものは存在せずに。
葉山はただただじっと、一生懸命に語る隆一の話に耳を傾けた。
語り終えて、隆一は葉山の反応を待った。
それがどんなものであれ、受け取る覚悟は出来ていたけれど。それでも構えてしまうのは、仕方なかった。
「葉山君、教えてくれてありがとうって言ってたな?」
「うん、それがすごく…嬉しかった。話してる間は、ちょっと戸惑っているんだろうな…ってそんな気がしてたけど。話し終わって、いつもの朗らかな感じで〝ありがとう〟って…」
「うん。ーーーあのさ?隆」
「ん?」
「俺も、多分…葉山君も、同じなんだ。隆が何であれ、隆ってひとが好きなんだ。一緒に音楽がしたいって、そう思うんだ」
「っ…ーーーうん」
隆一の表情が、泣きそうに歪む。…けれど、泣くまいと無理矢理微笑んでいるのがわかって。イノランは手を伸ばして、隆一の手を捕まえた。
「ーーーパーキングエリア」
「…ん」
「ーーーーーちょっと停まるよ」
そう言って、イノランはハンドルを切ると、ちょうど目の前に来ていたサービスエリアの駐車場へと進んで行った。
平日の夜に近い駐車場。
車の数はそれほど多くない。
イノランは建物から少し離れたスペースに駐車すると、助手席の隆一の方を向いて言った。
「何か飲む?」
「ーーーっ…」
ううん。…と。
首を振って応える隆一。
さっきからずっと繋いでいる手を、ますますぎゅっと力を込めて。
〝離れたくないよ〟
そう言われてるみたいで。
イノランは騒めく心の内を宥めるのに必死だった。
(ーーーはぁ…)
気持ちを落ち着けようと見上げた空。
すでにもう真っ暗だ。
暗い夜空に、星が散らばっている。
それを見たら、不思議と落ち着いてきた。
「ーーー」
隣の隆一は、何も言わない。
ただ、泣くのを我慢しているのだろうか?唇をぎゅっと噛み締めている。
「ーーーりゅ…」
「ーーー俺の事」
「え?」
「俺の正体を知ったら、みんな遠くに行っちゃった」
「ーーー」
「イノちゃんと、二度目に出会う前。何度かね?ひとと接してみようって、自分の事を話してみたり…した事もあるんだよ?」
「ーーーうん」
「…でも、上手くいかなくって」
「ーーー」
「風使いを怒らせたらダメだ。どんな嵐を起こされるかわからない。だから関わり合いになるな。…俺そんな事しないのにさ」
「ーーー…そんな風に言われてきたのか?」
「ーーー俺も多分…だんだん警戒するようになっちゃって。それで上手く対話とか…出来てなかったと思う」
「だってそれは…仕方ないよな?また遠ざけられたらとかさ、無意識にも思ったんだろ?」
「ーーー今となってはわかんないけど。…でもね?だから嬉しかった。イノちゃんと葉山さんに、一緒にって言ってもらえて」
「ーーー」
「ありがとう。だから、せめて俺。大切に歌うから」
ーーー俺を必要としてくれた、イノちゃんと葉山さんの歌だもん。
そう言って。
隆一はここでやっと。星明かりで煌めく瞳を、イノランに向けたのだった。
フトした瞬間に見せる、隆一の切なげな表情のわけが。やっとわかった気がした。
海辺の灯台に着いたのは、もう夜もいい時間だった。
堤防に波が砕ける音。
シュワシュワと泡が弾けて、また砕ける。
「ここは相変わらず清々しくていいな」
「うん、自然の物に囲まれてるしね。静かで、落ち着く」
「ーーー」
ひととの暮らしを選ばずに。
こうしてたったひとりで住まいを構える隆一に。
…多分、隆一の話を聞いたせいもあると思うけれど。
イノランは何だか切なくなってしまった。
ーーーこれから先も、ずっと。
隆一はこの家で、たったひとりで暮らすのだろうか。
勿論この場所は、隆一の大好きな場所なのだろうが。
歩み寄ろうとした一歩を。
押し留められて。
離れていく背中を見送って。
ひとりきりで、泣いた家で。
(ーーーそんなのって…)
(さみしいよ。…隆)
ザザ…ン…
ザッ…ザザ…
波音が聞こえる。
この音が無ければ、どれだけ静寂な場所だろう。
(ーーーもしかしたら…隆)
(さみしさを紛らわせる為に、この堤防の側に?)
波音でさみしさを誤魔化して。
風を渡して、暮らしてきた。
「イノちゃん」
考え込んでいたイノランに、隆一は明るい声で呼んだ。
イノランはハッとして、慌てて取り繕った。
「ん?」
「ーーーあのさ?えっと…」
「うん」
「ーーー…お茶」
「!」
「寄ってく?」
隆一のはにかんだ表情が、イノランを見つめていた。
「お邪魔します」
「どうぞ」
「ーーー隆ちゃん家、二度目だ」
「うん!…えっと、コーヒーの方がいい?お茶もあるけど」
「ありがと。じゃあ、コーヒーもらえるかな」
「いいよ」
前回は隆一の誘いを断ってしまった。次はお邪魔するねって約束したし、断る理由も無いから、今夜は家に寄った。
ーーーしかし、寄ると決めた途端に顔を出す、隆一への想い。
そもそも前回誘いを断ったのだって、込み上がる気持ちを隠す為だったのだから。
スタジオにいる間は葉山もいるし、音楽に集中して気も紛れるが。
車でふたりきり。
家でふたりきり。
せっかく落ち着けたイノランの心の内が、再び騒めきだす。
一方。隆一は始終楽しそうににこにこしている。
隆一にはきっと計算なんか無い。
一緒に夜のお茶の時間を過ごせる事が嬉しくて仕方ないのだろう。
(ーーー忍耐。)
(ーーー我慢!)
本当は。
隆一に触れたい。
キスを交わす仲にもなった。
好きだから。その先に進みたいと願うのは、自然な事だ。
隆一が煎れてくれたコーヒーを飲みつつ。なんとかその気持ちをやり過ごす。
それでも隆一は、無邪気にイノランに話しかけてくる。
隆一の部屋の小さなテーブル。
顔を合わせる距離も、自ずと近くなる。
「イノちゃん?」
「ん?」
「明日も朝のパトロールが終わったらスタジオに行くね」
「ーーーああ」
「明日は午後から雨雲が来る予報だから雨が降るよ?」
「…そうなんだ?」
「同僚の雲を作るJっていうのがいるんだけど。今朝会った時に雨雲作りで忙しいって言ってたんだ」
「…へぇ。隆ちゃんの仕事仲間の話も興味ある」
「ホント?じゃあ今度ゆっくり話してあげる!」
「うん」
自分でわかる。
相槌を打つ自分の声が。精一杯に気持ちを抑えようとしていると。
どうかこれ以上顔を寄せないで。
側に寄って微笑まないでと。
イノランは片手に持つコーヒーに意識を向けた。
それなのに。
「今日は本当に嬉しかった」
「ーーー」
「ホントの意味でメンバーになれた気がした」
「ーーー」
「イノちゃんも葉山さんも大好き」
「ーーー」
「ーーーあ、でも。イノちゃんはちょっと違うよ?」
「ーーー」
「ちょっと違う好きだから」
ちょこんと首を傾げて、覗き込むように見上げる眼差し。
ーーーイノランは。
持っていたカップを少々乱暴にテーブルに置くと。
立ち上がって、隆一の腕を掴むと。
部屋の隅に置いてある木製の長椅子に、驚きの色を顔に浮かべる隆一を。
思い切り、押し倒した。
「ーーーっイノちゃん」
「隆」
「あっ…ね、どうしたの⁇」
「ーーーどうしたって…」
「っ…ーーー」
「わかんない?」
力で捻じ伏せるものじゃないと解っている。ましてや隆一は、きっと初めてだ。
丁寧に進めていくべきなのだろう。
…が。
自分でも驚くくらいの隆一への想いが。
もう抑えられなかった。
「っ…んぅ…」
「ーーーっ」
「ふっ…ぁ」
両手首を掴んで、隆一と唇を重ねた。
すぐに舌先を絡めると、隆一も次第に喘ぎ声を洩らす。
今ここで。
最後までしようとは、さすがのイノランも思っていない。それくらいの制御はできるつもりだ。
でも。
こうして隆一を押し倒しただけで、溢れる想いは増していって。
(ーーーこんなに)
(好きで好きで、仕方がない)
ーーーでもまだ。
綺麗なお前を暴ききることができない。
「はっ…ぁ」
「りゅう」
「ん…っんん…」
「りゅっう…」
キスだけで、こんなになってしまう。
重なる視線は蕩けそうで。
隆一の目元には薄っすら涙が溢れる。
掴んだ隆一の手が、やがてゆるっと力が抜ける頃。
イノランは名残惜し気に唇を離した。
指先で涙を拭いてやると。
隆一は目を閉じて、両手を伸ばして。
身体を離そうとするイノランに、抱きついた。
「ーーーホントは」
「ーーー」
「ーーー多分…わかってる。わかるようになったんだと思う」
「…隆?」
「いつか…触って欲しいし…。俺も、イノちゃんに触りたい」
「ーーー隆っ…」
「好きだから。…そうゆう事…だよね?」
見下ろした隆一の瞳が。
今までとは違う、濡れた色を映していた。
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