round and round (みっつめの連載)












コンコンと、軽いノックの音が聞こえて。
葉山はテーブルに置いて操作していたノートパソコンから顔を上げた。




「はい、どうぞ」




葉山の返事の後に、数拍の間を置いて。
カチャ…と。控え目な動きで開かれるドアに、葉山は僅かに首を傾げた。
ドアの向こうはイノランだと思っていたから。イノランにしては大人しい訪れだなぁ…と、そう考えたのだ。

すると。ーーー





「ーーーお邪魔します。こんにちは」


「ーーー!」



開かれたドアの向こうにいたのはイノランではなく。見知らぬ青年。
背格好や歳はイノランと同じくらいだろうか。柔らかな笑顔と声が印象的で、ちょっと癖のある黒髪がよく似合う…と葉山は思った。



( ーーーあ。…もしかして、このひと )




その青年の佇まいや、纏う雰囲気で。
葉山は何故だか確信してしまった。
このひとが近頃イノランの心を掴んで離さない意中のひとなんだ…と。

だから思わずじっと見つめてしまった。
目が離せない雰囲気がこの彼からは感じる。確かに地に足を着けて立っているのに、気を緩めたら空に舞い上がりそうな、軽やかなこの感じは何だろう?…と、葉山はますます目が離せなかった。




「お待たせ!葉山君」




青年の後ろから、イノランがひょこっと顔を出して葉山に挨拶をした。
その手には自販機で買ったのだろう飲み物が三つ抱えられていて。イノランのちょっとだけ遅れた登場に、その青年もどこかホッとした表情を覗かせた。




「隆ちゃんも、いいよ。入って?」

「っ…うん」




イノランに促されて、入り口で中を窺っていた彼…隆一も。イノランに背中を押されながらスタジオの中に入った。
葉山はようやくハッとして。
隆一の目の前の椅子を引いて勧めた。




「どうぞ!」

「ありがとうございます」

「いえ…ーーーえっと、あ!はじめまして!葉山です。葉山拓亮」

「はい、イノちゃ…イノランから聞いています。お会いしたかったです。俺は、隆一です」

「隆一さん!ーーー僕もイノランさんからずっと話を聞いていました。会えるのが楽しみで…会えて嬉しいです!」




出会って数分。それなのにずっと前から知っていたみたいに、葉山と隆一はお互いの中にストンと入り込んでゆけるような印象を持った。
まるで出会うべくして出会ったような…




「なんだよ。すぐ打ち解けそうじゃん?」

「そうですね。…なんか隆一さんと初めてって気があまり…」

「俺の話とか、葉山さんの話…ずっとお互い聞いてたからかな?」

「あ、俺から?」

「そうですよ、きっとそうです!隆一さん、聞いてくださいよ。イノランさん、ここ最近心乱されまくって…」

「葉山君!それ言わなくていいから」

「え?」

「(コソ…)…内緒なんですけどね?イノランさん、隆一さんの事ばっかり話してたんですよ?」

「っ…イノちゃんが?…あっ…」

「全然いいですよ、僕に気とか遣わなくて。いつも通りにして下さいね?」

「…うん。じゃあ、イノちゃんは…俺の事?」

「はい!気落ちしたり舞い上がったり。嬉しい気持ち隠しきれてなかったり」

「ーーーっ…」

「葉山く~ん…」

「イノランさんをここまで一喜一憂させる事が出来る方ってどんなひとなんだろう?って。その方と一緒に音楽ができるって知って、本当に嬉しかったんです」

「ーーー俺も」

「え?」

「イノちゃんから、イノちゃんと葉山さんの音楽の事を聞いて。一緒にやりたいって思って、それが叶って嬉しい。よろしくお願いします!」

「はい!こちらこそよろしくお願いします」




隆一の目の前で、恥ずかしいから出来れば内緒にしておきたかった事をバラされて。イノランは苦笑いを浮かべつつ、既に仲良さげに微笑み合う葉山と隆一を眺めて。やはり隆一を誘って、今日ここに連れて来て良かったとイノランは心から思った。






簡単な自己紹介を終わらせて。
イノランが自販機で買ってきた飲み物を飲みつつ。
葉山も隆一も、ぎこちないながらもお互いに質問なんかしたりして。
何となく、この場の空気が温まってきた頃だ。
チラチラと隆一が周りを見回しながら、何やら興味津々な様子だ。
そんな隆一にイノランは微笑んで、テーブルに重ねて置いていた数枚の紙を隆一に手渡した。




「?…イノちゃん?ーーーこれは」

「今、葉山君と作ってる新しい曲達。それの歌詞。…ってもまだ完成形じゃないんだけど」

「新しい曲…すごい」

「ーーー新しいアルバムを作ってる。だから全部で十曲ある。ーーー隆ちゃん」

「え…?」



「この曲達の歌を、歌ってくれないか?」









歌詞の書かれたレポート用紙を握り締めながら。隆一は瞬きを忘れてイノランを見つめた。




「歌を、歌ってくれるか?」

「ーーー」

「はじめは俺のソロワークとして、俺がヴォーカルをとって形にする予定だった。…でも、隆ちゃんと出会って、隆ちゃんの歌声を聞いて。隆ちゃんも、一緒に音楽やりたいって言ってくれて。それなら俺のソロって形じゃなくて、三人で。隆ちゃんと葉山君と俺と、ユニットって新しい形でこの曲達を作り上げたいって思ったんだ」



イノランの話をずっとうんうん、と頷きながら聞いている葉山。
もちろんイノランは、自分の想いを最初に葉山に伝えていた。パートナーである葉山にまず、と思っていたから。

語りかけるイノランの姿を見て、葉山も微笑みを浮かべながら隆一に言った。



「ーーー僕も歌って欲しいと思っています」

「っ…」

「隆一さんの歌、まだ聞いた事ないですけど…でもイノランさんが惚れ込んだひとですから、きっと間違いないです。ーーーそれに」

「え?」

「ーーー出会ってまだ少しですけど、一緒に仕事したいなぁって思いました。隆一さんの事、気に入ってしまったので」



照れくさそうに頭を掻く葉山と、さっきから優しい眼差しで見つめ続けるイノラン。そんな二つの視線に捕らえられて、隆一は鼓動がどきんどきんと大きく高鳴るのを自覚した。

まだ見ぬ、新しい曲達。
イノランと葉山が丹精込めて形にしたたくさんの曲達。
そこに命を吹き込む歌詞が、今。隆一の手元にある。


思わず手が震えてしまう。
でもその震えは怖さじゃなくて。
ーーー嬉しさ。




「歌わせてください。是非ーーー歌いたい」



頬を紅潮させて顔を上げた隆一。
隆一の返事に、イノランも葉山もぱあっと色めきだつ。
じっとしてなんていられないのか、イノランは隆一の肩を抱き寄せて歓喜した。




「っ…イノちゃん」

「やった!すっげえ嬉しい‼」

「今日ここに来てくれた事も嬉しかったですけど…ーーー今日は最高ですね」

「葉山さん…」

「ホント、今日は最高だ!隆ちゃんよろしく!葉山君と俺と、素敵なユニットにしような」

「っ…ーーーーーうん!」













……………………


「隆ちゃん、お疲れ様」

「イノちゃんもお疲れ様」




二人は今、帰りの車の中だ。





隆一が歌う事を正式に決めた今日。
色々な事が少しづつ動き出した。

まず、ユニットの結成。名称については、今日だけじゃまだ決まらなくて。次回までに各々考えてこようという事になった。

それからこの日は。隆一は初めてスタジオという場所で歌を歌った。

まだ葉山は隆一の歌声を聞いたことが無かったし、隆一もスタジオで歌う事は初めてだから雰囲気を味わって貰いたくて。それぞれ初体験…と、イノランが提案した。

二人してじっと見つめてたら歌い難いだろうと、イノランはギターを抱えると、隆一の傍らに座って演奏をした。
曲は決まっていない。
あの崖の上でセッションしたような、即興的なものだったが。
どこで歌おうが、隆一の歌声はやっぱり素晴らしいもので。
はじめのワンフレーズで、葉山は息をのんだ。隆一がここへ来た時と同じように目が離せなくて、じっとその歌声に耳を傾けた。

そしてイノランも同じく。
ギターを弾きながら、心震わせた。
ずっと聴いていたくなる。
隆一の歌声。



( なんだろうな。…すごく芯があって力強い歌声なのに…ーーー切ない )

( 歌いたいって…すごく伝わってくる)




それはきっと。
今までたったひとりで過ごしてきた隆一の、一番伝えたい事なんだろう。

ーーー歌いたい…歌いたい。
ひとりじゃなくて、誰かと一緒に。




イノランは、そっと傍らで歌う隆一を見た。



( もう、ひとりじゃないよ?隆)



大切に愛おしく想う隆一が、心地よさそうに歌う姿を見て。
何故だかイノランは、涙が出そうなくらい嬉しい気持ちでいっぱいだった。


そんな充実したユニット初日を終えて。
帰りの車中の、今。
助手席の隆一を、イノランはチラリと見て言った。




「ーーー楽しかった?」

「え?ーーーうん!とっても」

「そっか、それじゃ良かった。葉山君も隆ちゃんに会えてすごく喜んでたしな」

「葉山さん、すごくいいひとだし、面白いね?」

「しかもピアノの腕は…」

「早く聴いてみたい!」

「次は葉山君にもピアノ弾いてもらおう」

「うん!」




夜も、今は19時頃だろう。
イノランはあの蒼い森へと向かういつもの高速道路を途中まで飛ばすと、まだ道程中程あたりの出口で高速を降りた。
あのまま高速を進めば森に一番近い出口に行けるが、イノランが降りた出口は海沿いへと続く道だった。
こんな時間に海沿いの道を走る車も少なく、二人を乗せた車はぐんぐん進んで行った。



「海」

「そう。こっちの道も好きでさ、時々この辺も走ってた。昼間は景色も良いんだよ」

「ーーーうん」




窓の外をじっと眺める、隆一の横顔を視界の端にとらえて。イノランは前方を指差した。



「ーーー隆ちゃん、ほら」

「え?」

「見える?」











隆一がイノランの示す方向に目をやると。
まだいくらか先にはなるけれど、夜空の下に白く浮かび上がる物。
闇を眩く照らすそれ。
それは隆一がよく知る物だった。




「灯台だ。ーーー俺の家?」

「ん。」

「イノちゃん、送ってくれたの?」

「…まぁな?隆ちゃんの家の灯台があの森の側にあるってのは、こないだわかったから。だったら森と同じ方向の海沿いを走れば着くかなぁ…って、ちょっと冒険だったんだけど」

「っ…」

「今日はさ、一気に色んな事があって隆も疲れただろ?またあそこから飛んで帰る…ってのも大変そうだなって。ーーーつか、空飛ぶのって疲れるの?」




運転しながら、興味深そうに尋ねてくるイノラン。その言葉の端々には、隆一を気遣う優しさが込められていて。隆一は熱くなる顔をイノランに見つからないように、心持ち窓の方に視線を向けて答えた。



「普通に飛ぶのは疲れないよ。大変なのは変化を見極めなきゃいけない時。例えば…大きな嵐が来る前とかね?」

「…嵐?ーーーそんな時、隆は何かしないとならないのか?」

「自然現象を完全に無かった事には出来ないから。…と言うか、してはいけない。例えそれが嵐でも。俺が手を加えすぎて自然現象のバランスを崩すのは禁忌なんだ」

「ーーー」

「嵐が来た時に俺が出来ることは、保守に徹する事。風で壁を作って、被害が大きくなるのを抑える事。…そのくらい」

「ーーー」

「ーーー俺はまだ、そんな嵐の日に直面した事はないんだけど…。前任の風使いが教えてくれた事があるんだ」

「ーーー…どんな事なの?」

「…風使いの誰しもが必ず、そんな嵐の日と直面する。それが何故なのか、それがいつなのかはわからないけれど。その時にどんな判断をして、どんな対応が出来るか…それともしないのか。ーーーまるで自然が、風使いの力量を試しているみたいだ。…って」




夜の空をフロントガラス越しに見つめる隆一。落ち着いているけれど、いつか訪れるその日を見据えた、覚悟みたいなものを滲ませて。



「ーーー…そっか」



イノランは、それ以外返事のしようが見つからなかった。それが隆一にとって、とても大きくて重要な事はわかったけれど。いざ具体的な事を想像しようにも、その範疇を越えていて。
ーーー思わず噛み締める唇。

隆一がそんな場面に直面した時に何が出来るだろう?

その時ちゃんと、支えてやれるだろうか…ーーーーー?




「ーーー…」




「ーーーイノちゃん?」




黙ってしまったイノランに、隆一は気遣わしげに窺った。
重い話を言ってしまっただろうか…と、心配になったから。


すると。





「側にいる…って」

「え?」

「隆が困難に直面した時さ。…側にいてもいいか?」

「ーーーっ…」

「大変な時以外ももちろん一緒にいたいけどな?ーーーでも、大変な時ほど一緒にいたい…っていうかな…。それくらいしか出来なくて申し訳ないんだけど…ーーー側にいるよ?」

「ーーーイノちゃん…」




イノランの片手が伸びて、膝に上に置いた隆一の手に重なった。
一瞬、隆一はびくりと肩を揺らしたけれど。そのあったかい手の感触に安心して、もう片手をイノランの手の上に重ねた。
思わず微笑みも溢れてくる。



ーーー大好きなひとが側にいてくれる。
それがどれ程、心強い事か。





「イノちゃん」

「ん?」

「ーーーありがとう」

















灯台の目の前に着いたのは、それから程なくして。
相変わらず、木々のサラサラした葉の音と虫の声。砕ける波音が心地よかった。

車を降りると、隆一は言った。



「ちょっと寄って、お茶でも飲んでく?」



その言葉に、イノランは内心動揺した。

隆一にきっと他意は無い。
純粋にお茶に誘ってくれているだけだ…とイノランは自身に言い聞かせる。



「ーーーイノちゃん?」



なかなか返事が無いから、隆一は首を傾げてイノランを覗き込む。
夜空に光る、細かな星明かりを瞳に映して。
そんな隆一を目の当たりにしたら。

ーーー触れたくなってしまう。



(…けど。ーーーまだだめだ)



ここ数週間で〝初めて〟を多々体験し始めた隆一。
ミルクティーも、音楽もそうだし。それから好きだという感情、触れ合う事…

隆一にとっては、心震える日々の連続だろう。だからこそ、一気に進めてしまって戸惑わせるのは避けたい。…そうイノランは思っていた。

けれどもイノランの本心は、いつだって隆一を求めている。
このまま隆一の誘いを受けて、全てを奪いたいとも思うのだ。

ーーーでも。



(ゆっくりでいいよな?)


隆一の〝初めて〟の瞬間に寄り添って共有できる幸せを、じっくり時間をかけて味わえばいい。
きっといずれ、隆一を抱きたいと想いが溢れる日が来るだろうけれど。





「もう遅いし、今夜は帰るよ。せっかく誘ってくれたのに…。次は寄ってもいいか?」

「っ…う、うん!もちろん」

「ありがと。隆ちゃんもまた朝早いんだろ?」

「ん…まあね?」

「ゆっくり休んで。今日の事、思い返して」

「いい夢見られそうだよね?楽しかったから」

「良かった!」




顔を見合わせて、くすくす笑い合う。
笑った側で、目が合った。



「……」



こうして目が合うだけで、隆一の中に生まれるようになった感情がある。



「ーーーイノちゃん」



触れてほしい。…そんな感情。

波が堤防にぶつかって、力いっぱい砕けた音で。隆一は心押されて、瞼を閉じた。
そんな隆一を見て、イノランの心は騒めいた。



( こんなに好きになるなんて、誰が想像した?)



待っている隆一の髪を撫でて、そのまま後頭部に指先を埋めた。
隆一の手が、緩やかにイノランのシャツの端を掴んで、そして震えた。
誘われるままに、唇を重ねる。
もう何度目かのキス。
今回ははじめから、深く唇を絡ませた。



「っ…んーーーン…」



隆一の苦しげな吐息を聞いて、キスを解いた。
それから、いつまでも抱きしめた。






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