round and round (みっつめの連載)












「りゅーいちーーー」





朝の青空の下。
いつもの森を抜けた崖の上。

イノランは空に向かって、隆一の名を呼んだ。
今日はこれから仕事に行く予定だが、その前に隆一に会いたかったから。

隆一に、聞かなければならない事がある。



イノランの声が青空に吸い込まれて消えた途端。サァ…っと辺りに風が吹く。
爽やかな朝の空気がくるくると渦を成して、その天辺に浮かぶひとの姿が現れた。




「隆!」

「おはよう、イノちゃん」



スウ…と、隆一はイノランの元まで降り立つと。どこか恥ずかしそうに、イノランを見つめた。

無理もなかった。
あの夜の出来事から、こうして顔を合わせるのは初めてだ。
 
好きと言われて。
好きだと伝えて。
それから、初めての…。



隆一は、かぁ…と熱くなり、振り切るように顔を上げて、イノランに問いかけた。




「ーーーイノちゃん、これから仕事?」

「うん。行く前にね?隆ちゃんに会いたくて来た」

「俺に?」

「そう。隆ちゃんに聞きたい事があって」

「?…なに?」



首を傾げる隆一を見て、イノランはその手を引き寄せて座るように促す。
揃っていつもみたいに海を臨む崖に腰掛けると、イノランは隆一に切り出した。



「これからスタジオに行くんだけど…隆ちゃんこの後の予定ってどんな?」

「え…?」

「葉山君に紹介するよって、こないだ言ったでしょ?ーーー隆ちゃんの事話したら、葉山君は大歓迎みたいだったから」

「っ…ホント?」

「うん。いつ来れるのか?って楽しみにしてたよ」

「ーーー嬉しい、俺も早く葉山さんに会ってみたい」

「うん、でね?もし今日この後一緒に来れるなら、隆ちゃんスタジオ来ない?実はもうすぐヴォーカルレコーディングする曲が揃ってて、近日中にも歌録りしたいんだ」

「ーーー歌」

「隆ちゃんに歌ってもらえたらって、思ってる。だから今日、もしできるなら葉山君と顔合わせできたらな…って」

「ーーーっ…」




隆一の胸に急速に広がっていく、熱い気持ち。新しい風。
新たな一歩を踏み出す時の、ドキドキして、ちょっと後ろを振り返りたくなるような、あの気持ち。
ーーーでも、もうホントは心は決まっていて。このドキドキする感じは、自分の気持ちの最終確認の結果だと隆一は思った。

ーーー歌いたい。
イノちゃんと一緒に。
葉山さんと一緒に。




「わかった。今日、スタジオに行く」

「っ…ホント?来れる?」

「うん。あとちょっとだけ、空の仕事したら手が空くから。今日の空は穏やかだから」

「ん、わかった。じゃあそれが終わるまで待ってるよ」

「うん、イノちゃんありがとう」



頷いた隆一の表情は、晴れやかだった。













蒼い森の麓の駐車場に停めていたイノランの車に二人は乗り込んだ。

どうぞ。と、助手席のドアを開けて微笑むイノランに、隆一はまたもやドキドキしながらシートに座った。




「ーーー俺、車に乗るのも…」

「初めて?ーーーすげえ、気持ちいいよ。窓の外見ててごらん」

「っ…うん」




手慣れた動きでサングラスをし、エンジンをかけながら少しだけ窓を開ける。ーーーそんな、隆一が初めて見るイノランの姿。




( …格好いい )



思わず、ぽー…っと見惚れてしまう。

無意識で見つめてしまっていたのか、サングラス越しのイノランと目が合った。それでもわかる、イノランの優しい瞳。
隆一は慌てて窓の外に視線をずらしたけれど、イノランにはバレていた。



「隆ちゃん…」



隆一の肩にそっと触れる、イノランの手。ビクッとした反応が伝わってきて、イノランは苦笑を零す。



「隆」



ーーーさっきと声音が違って。
低くて優しくて、少しだけ熱を帯びる。

触れた肩をぐっと引き寄せて。
そのまま隆一の後頭部に手を回す。
ゆるゆると髪を撫でると、隆一の頬は色づいて睫毛が震えた。
せっかくかけたサングラスをイノランは外して。カチャ…とサイドボードの上に置く微かな音を合図に、もう待てないように、唇が重なった。










エンジンの音に混じって、愛し合う音が聞こえる。








「っ… 、ン 」

「ーーーりゅ…」

「ふ…っ  ぁっ」




震える隆一の手が、力無くイノランの腕に爪を立てる。
苦しくて酸素を求める度に、イノランに唇を甘噛みされて、気持ちよくて身体が蕩けそうになる。




「っ…イノ ちゃ…」

「気持ちいい?」

「んっ ぅん」

「ーーー隆ちゃん」

「ン、っ…」

「可愛い」




キスだけでこんなになってしまう。
今いる場所も、これからの予定も全部とんでしまうくらいに。
求めてしまう。
どうしようもなく。



( ヤバ… )



これ以上は止まらなくなる。
…そう、イノランは感じて、唇を離す。
名残り惜しげに絡む唾液の糸を舌先で舐めて。間近の隆一の目元に滲んだ涙を、指先で拭いてやって。
紅く、熱をもった頬を手のひらで包んであげると。

にっこりと。
それはそれは嬉しそうに、隆一は顔を綻ばせたのだ。



「…ーーー隆ちゃん、それ」

「?ーーーそれ?」

「そのカオ。にっこり…ってやつ」

「え…うん?」

「ーーー他の奴にもすんの?」

「ーーー」

「そのカオ」

「ーーーーーカオ…変?」

「違うから!そうじゃなくて、めちゃくちゃ…可愛…」

「⁇…カワ?」

「ーーー可愛い…から、隆ちゃん。俺に制限する権利無いけど、あんま他の奴には…して欲しくないな…って」

「っ…ぇ」

「独占欲…とか。ヤキモチ全開だけど…。」




ここまで言った時。少々困惑気味の隆一の表情を見てイノランはハッとした。
よくよく考えれば、すごい事を言っていると。
笑った顔を他のひとには見せないで欲しい…なんて。
それが〝好き〟という感情の上にあるものだとしても、自分勝手にも程があるのではないかと、イノランは急に恥ずかしくなった。




「ごめん」

「え?」

「我儘過ぎた。今の、忘れて」

「ーーー」

「自然なままの隆ちゃんが一番だもんな?俺がどうこう言うもんじゃないよな」



そう言いながら、もう一度ごめんね…って謝ると。イノランはサングラスをかけ直して、シートベルトを締める。

じゃあ行こうか。そう言いながらハンドルに手をかけて。でも、どことなく苦笑を滲ませるイノランに、隆一は。



「イノちゃん」



イノランの腕に手を置いて、運転席に身を乗り出して。
そっと重ね合わせたのは唇。
隆一から、初めてするキス。
触れてすぐに離れたものの。余程恥ずかしかったのか、隆一の頬は真っ赤になって、じっとイノランを見つめている。




「ーーー隆ちゃ…」

「こんな事するのはイノちゃんにだけだから」

「ーーー」

「イノちゃんにしか、しないよ?」

「隆ちゃん」



とっておきはイノちゃんにだけ。
そう言ってはにかむ隆一に、イノランは抑えられない愛情が込み上げる。

朗らかさも、明るさも、あったかさも。
まるで、今日の青空そのものみたいな隆一。



( そんなところも、惚れたんだ )



隆一といれば、どんな事も何とかなるって思える気がする。
それが、隆一が空の者であるからなのか。それとも持って生まれたものなのか、わからないけれど。

隆一がどんな者であっても、隆一というひとが好きなんだと。
イノランは改めて思うのだった。



「ありがと、隆ちゃん。俺も、隆ちゃんだから好きだよ」











スタジオまで移動の最中。
イノランは聞いておかなければならない事を隆一に問い掛けた。




「ーーー葉山君には、知られても平気?」

「ーーー」

「隆ちゃんが、風の使いだって事」

「ーーー」

「きっと、色んな制約とか、あるんだと思うから。隆ちゃんに判断を委ねる。その判断に俺は賛成するし、協力は惜しまないよ」

「ーーーうん。ありがとう」

「うん」

「ーーーうん。ーーーーー制約はね、ホントは、いっぱいある。でも、それを一個一個全部守ってたら、きっと何も出来ない。俺は空の仕事を誇りに思うけど。…ーーーホントはね?」

「…うん?」

「ーーーずっと、ずっと…飛び出したかったんだって、気付けたの。ーーー歌を歌いたかった。空に縛られずに…自由に」

「ーーー」

「イノちゃんに誘ってもらって、踏み出す勇気が出たんだよ。ーーーだから」

「ーーー」

「イノちゃんが信頼している葉山さんには、話したいって思う。だって、俺の事も会ってもいないのに、会いたいって言ってくれたんだもん。一緒に音楽をやるなら伝えたい。隠さないで、全部」

「ーーーん。わかった。ーーー隆ちゃん」

「ん?」

「ありがとう。すっげえ、嬉しい」

「うん!」











空の者の掟がある。

ーーー常に空と共に在ること。

ーーー空に影響を及ぼす恐れがある程の、感情の乱れを起こしてはならない。

ーーー故に常に平常心をもって使命を全うする事。

ーーーひとに正体を知られてはならない。

ーーー必要以上の他者との接触をもってはならない。


…など。
最たるものを挙げたが、実際はさらに細部に渡ってその掟が存在する。
しかしこれらの掟は、ある日を目処に破棄する事が許されていた。
たった一度。
そのジャッジの日は、空の者全てに与えられる権利だった。


ーーー隆一は、ずっと以前から心に秘めた想いを抱えていた。しかしそれは掟に反すると思っていたし、自分の秘めた想いと、空の者としての使命とを天秤にかけた場合。その頃の隆一は、リスクを冒してまで踏み出そうとは思わなかった。

そんな隆一の想いを知っていたのは、同僚であり、親友達だった。
光使いのスギゾー
雷鳴の真矢
雲職人のJ

彼らだった。


隆一の秘めた想い。
それはーーーーー歌。

幼い頃から空の者達は、ほとんどがひとりで暮らす。隆一の場合は、先代の風使いの祖父と暮らした。ーーーと言っても、本当の家族ではない。それでも祖父は、隆一に空の仕事を丁寧に伝えると。隆一が一人前に空を飛び回るようになる頃、風使いを引退して、ひとの暮らしの中へと離れて行った。

ひとりになった隆一は、その寂しさと、空の者としての責任の重圧で。一日の終わりを泣いて暮らした。
泣いても誰もいない。
それでも空は待ってはくれない。
朝になれば空のパトロール。
風を渡して、空と会話して。
夕陽を見て、また夜をひとりで過ごす。

そんな、有意義でもあり。
どこか寂しさの拭えない隆一の暮らしで見つけた、たったひとつの楽しみ。
それが、歌を歌う事だった。


いつだったか、仲間達が言った。



「ーーー隆の歌。すげえステージとかさ。そんな所で歌ったら…」

「隆ちゃんの歌なら、誰にも負けねえよな。どんな歌手だってさ」

「いつか歌ってみろよ。俺らみんなで観に行ってやるよ」




四人で談笑していた時の会話。
隆一は、それがいつまでも忘れられなかった。

それからの毎日。歌う事は忘れなかった。誰もいない海に向かって。
あの蒼い森の崖の上で、隆一は歌った。
毎日、毎日…


歌う度に、歌が好きになった。
歌える曲も、どんどん増えていった。
歌う時の高揚感。幸福感。
歌い終わった時の爽快感。多幸感。

ーーーでも。


振り向いても、誰もいない。

いつか観たことがある、なにかの音楽風景。たくさんの観客。そして、楽器を奏でる仲間達。
ーーーその中で歌う、ヴォーカリスト。



純粋に、いいな…って、思った。
あんな風に、歌いたいと。
音楽に身を浸して、仲間達と。



一歩を踏み出せば、自分もあんな風になれる?
リスクなんか、恐がらないで。
今の自分を、全部変化させて。
掟も全部、手放して。
ーーーそのジャッジの日を、新しい日にすればいい?


そんな葛藤の中で。
隆一の心が散り散りに乱れる事もしばしばだった。











「隆ちゃん」

「あ、え?」

「着いたよ。疲れた?」

「う、ううん!ごめん、ボーっとしてた」

「ん。ーーー緊張してる?」

「大丈夫だよ?葉山さんに、早く会いたいよ」

「そっか。じゃあ、行こっか」

「うん」




いつの間にか着いていたスタジオの駐車場。思考の奥深くに入り込んでいた隆一は、車の外に連れ出してくれるイノランに、ちょっと照れくさそうに微笑んだ。
イノランの顔を見たら、さっきのキスを思い出してしまったから。



コンクリートで覆われた駐車場。そこからスタジオへの通路。そんな光景が、隆一にはいちいち新鮮だった。
コツコツと硬い床を歩く音が響く。イノランはスタジオ内へのガラス扉を押し開けると。少々躊躇いの表情の隆一を安心させるように微笑んで、その手を繋いで廊下を進んだ。




「イノちゃん」

「ん?」

「ーーーこんな時に言うのは間違いかもしれないんだけど…ーーーあのね?」

「ん…」

「まだイノちゃんに言ってないこともある。その事を言ったら、イノちゃんにも、もしかしたら俺の都合の負担をかけてしまうかもしれない」

「ーーーうん」

「でも。その事は、避けて通れないの。イノちゃんと、葉山さんと。一緒に音楽をちゃんとやるには、決断しないとならない事」

「ーーー」

「俺は一緒に、音楽をやりたい。ーーーだから」

「ーーー」

「イノちゃん。一緒に…俺のっ…」

「抱えてやる。どんなリスクも、負担も、隆と一緒に被ってやる。ーーーだから…」

「っ…」

「思い切り歌ってよ。ーーー隆」




思い切り。
薄暗いスタジオの廊下の端で。
イノランは隆一を抱きしめた。
強く、強く。

空の上に飛んで行きそうな隆一を、繋ぎ止めるように。






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