round and round (みっつめの連載)












「また今日はいつになくご機嫌ですか?」



隆一と会うことが出来た翌日。
スタジオに到着したイノランの顔を見るなり葉山が言った。



「昨日なんか良い事ありました?」

「ーーーね、葉山君」

「はい?」

「あのさ。…俺ってそんなに顔に出てんの?」

「そうですね、昔はそんな事なかったんですけど。…むしろポーカーフェイスが上手いなぁって思ってました」

「ーーーーーー今は?」

「わかりやすいですね」

「…そんなキッパリ…」

「でも、ここ数週間ですよ?なんか急に、手に取るようにイノランさんの状態がわかるようになったの」

「っ…ーーー」

「良いと思いますけど、僕は。なんか一喜一憂して、何かに振り回されてるイノランさん」

「振り回され…振り…?うーん…ーーーそうなのかなぁ…?」

「でも、良い振り回され方じゃないですか?」

「え?」

「生き生きしてますもん。音楽にも反映されそうで、良いんじゃないかって思います」



ーーーそうか。
俺は今、側から見るとそんなことになっているのか。…と、イノランは葉山の言葉を受けて思う。

落胆も歓喜も、全部顔に出て。
葉山に微笑ましいものを見るような目を向けられるくらい。



ーーーそれって筒抜けって事だろ?いいんだろうか。…そんな単純で。


でも葉山は良いと言う。
イノランが振り回されて一喜一憂する様が、生き生きしていて良いと言ってくれる。



( ーーーそれは、まぁ…嬉しいかな )



決して必要以上に飾り立てて褒める事はしない葉山だ。だからこそ、その言葉には信頼が置けると言うものだ。

だとしたら。
若干の恥ずかしさが拭えない今の自分も。この際躊躇いを捨てて突き進めば良いのかもしれない。
ーーーだってわかるから。

イノランの、自分の身に起きているわかり易さの原因が。



( ーーー隆ちゃんしか…原因なんてないじゃん )



彼を想う時、どきどきする。
次に会ったら何て挨拶を交わそう?
何の話をしよう?
自分の何を教えてあげて、彼のどんな事が知れるだろう?
ーーーそして。
また、僅かでも良いから。
触れることが出来るだろうか…?
ーーー隆一に。


まるで初恋。
今更こんな気持ちを抱く事ができるなんて、イノランは弾む心が抑えられなかった。
つい昨日会ったばかり。
ーーーでも、もう今すぐにでも会いたいと思う。



( ーーーいや。押しつけばっかりじゃダメだよな。)



大切にしたいと思う相手だからこそ、その間にある空気感を尊重したい。



( なんかちょっと…不思議なヤツだし )



力を込め過ぎたら、フ…と消えてしまいそうな。そんな雰囲気が隆一にはある気がして。
驚かさないように。
飛ばし過ぎないように…



( ーーーホント、初恋みたいだ )



イノランは苦笑して、昨日の別れ際の隆一の言葉を思い出していた。



〝空に向かって呼んで〟



ーーーどう言う意味だろう?…と思う。
空に向かって…なんて。隆一は空に住んでいるとでも言うのだろうか?



( でも仕事してるって言ってたし…。しかもなんか、多忙そう… )



ますます不思議なヤツだと、イノランはスタジオの窓から空を見上げた。



( ーーーでも、それで会えるなら )



今は細かい事は気にしない。
せっかく隆一が教えてくれた指針だ。
それを実行すればいい。




ーーーいいよ
ーーーイノちゃんにならいいよ
ーーー教えてあげる
ーーー俺を呼んで
ーーー空に向かって
ーーー俺を呼んで…



ーーー…そう、隆一に言われた気がして。



( よし。ーーー明日… )




明日は日曜日。
一日フリーだ。
明日は葉山に予定があったし、一週間スタジオ詰めだったから。

だから…ーーー明日。

空に向かって、呼んでみようと思う。
いつものあの森の先の崖で。

隆一を。










すっきりと晴れ渡った青空だった。


休日だと言うのに、イノランは早朝から目が覚めてしまった。
昨夜も早々に寝床について、今朝も…この様だ。
イノランはベッドサイドの時計に目をやると頭を掻いた。




「ガキじゃないんだからさ…」




今日またあの森へ行くと決めたから、楽しみで。早寝もしたし、待ちきれなくて早起きもした。まるで子供の遠足だ。
やれやれ…と思いつつも、一度目覚めてしまったら眠気は戻ってこなくて。イノランはベッドから抜け出すと、いつもよりだいぶ早めの朝食を摂るためにリビングへと向かった。

コーヒーを煎れながら、一昨日の隆一との会話を思い出す。



「ギター持ってくって言ったんだよな」



あの時の嬉しそうな隆一が忘れられない。本当に音楽が好きなのだろうと伝わってきた。

ーー…一緒に音楽できたらいいのに…。

隆一の歌声の片鱗は知っている。
まだまだちゃんと聴いた事はないけれど。隆一の歌が素晴らしいものなのだろうと言うことは、イノランにはわかっていた。
これはプロのミュージシャンとしての直感。それから、たった一度聴いた時の、揺さぶられた心。



「新曲の歌…隆ちゃんにも歌ってもらえたらな…」



ぽつりと呟いたのは、思い付きでは無く。ちょっと本気の気持ち。
今作っているニューアルバム。その新曲達は、葉山と共に丹精込めて作り上げている最中の自信作だ。
ギターとピアノとストリングスと。
ロックだけれど、大人なロック。
きっと隆一の雰囲気にも似合うはずなのだ。



「ーーー隆ちゃん…一緒にできないかな…」



勿論、無理に誘うことはしないけれど。
もしも隆一が、ほんの少しでもその気持ちを持ってくれたなら。

イノランと葉山の音楽に新しい風が吹いて。今生み出している曲達が、本当の意味での新しい音楽になる…と。イノランは予感していた。



「ま。でもまず、それにはね」


もっともっとお互いを知る必要がある。
まだまだ二人の間にある、遠慮とか照れとか。そういうものをひとつづつ昇華させて。



「だから今日は歌おう」



隆一と一緒に。
彼の歌声を間近で聴きたい。

イノランは注いだコーヒーを一気に飲み干すと、ギターケースに入れたアコースティックギターを抱えて、勢いよく家を出た。









「こんな早い時間に来るのって…初めてかも」



イノランがあの森に着いたのは、まだ朝を少し過ぎた頃だった。
いつものように麓のカフェでコーヒーとミルクティー。軽食は…今回は敢えて買わなかった。
それは…



「今日は一緒にカフェに行けたらいいな」


あの店の物を気に入ってくれた隆一。
でもよくよく話を聞くと、ワッフルもミルクティーも知らないようだった。
だから、今日はカフェで一緒に。オヤツでも食べられたら、隆一は喜ぶと思ったのだ。
イノランは自然と溢れる笑みをそのままに、あの崖への道を歩いた。



朝の清々しい森の道を抜けて。今の時間帯はオレンジ色では無く、アクアマリンのような空色に導かれて。
イノランは崖の上に立った。



「この時間の景色も…最高だな」



青い空の下に、真っ青な海。上を目指して昇り始めた朝の太陽が、穏やかな海に銀色の光の粒を散らしている。その隙間を真っ白な海鳥が群れをなして飛んで、それはそれは爽やかな景色だった。

ーーーそして。
イノランは持ってきたギターケースとカフェの袋を地面に置くと。
前に飛ばしていた視線を、真上の空に向けた。




〝空に向かって呼んで。ーーー俺のことを〟

〝ーーーーー空…?〟

〝そうしたら、届くから〟

〝ーーー〟

〝ーーー聞こえたら、イノちゃんの元へ行くから〟



あの時の隆一の意図はよくわからないけれど。隆一が教えてくれた方法だ。
イノランにとっては、実践するのみ。

大きく息を吸い込んで、それを一気に空に向かって放つ。
隆一の名を乗せて。




「隆ちゃーーーーーーーーん」




ーーーーー。


叫び終わって。あんな感じで良かったのかと、少しだけ迷うが…。

来るというのは、何処から…?
ーーーと、思った時だった。


たった今まで穏やかに流れていた空気が、急にザァ…っと風が出たかと思うと。地面の上をくるくると回った風の渦が上へと伸びて。ーーーその先に。
太陽の光を背に、確かに人物の姿が空に在った。





「っ…ーーーーーー?」



「おはよう。イノちゃん」




にっこりと微笑みを浮かべた人物、…隆一が。
太陽の光をまるで羽根のように纏って。イノランの前方の空に。宙に、確かに浮いて。ゆっくり降下しながら、イノランに挨拶をしたのだ。




「ーーーーー」

「ーーーえっと…イノちゃん」

「ーーーーー」

「…驚く…よね?」

「ーーーーーーー浮いてる…」

「あ…うん。ーーーえへへ」

「ーーーーー隆…ちゃん?」

「うん。隆一だよ」

「ーーーーーーーうん。えっと…まずは…。おはよう」

「っ…!うん、おはよう!」

「ーーーーー隆ちゃん」

「うん」

「ーーーーーー君は…」




精一杯の会話の間も、隆一は地面の上30センチくらいの宙にふわふわ浮いて。
イノランの、瞬きを忘れた視線を真っ直ぐに受けた瞬間に。スウ…っとイノランの目前に移動して、そしてその場に降り立った。

そこにいた彼は、見間違いでもなんでも無い。イノランが大好きな、隆一だった。









隆一はどことなく困ったような笑顔で。
いつものように地面に座ると、イノちゃんも座って?と言うように、自身の隣を指差した。
イノランは促されるままに地面に腰をおろすと。じっと、隆一を見つめた。




「ーーー隆ちゃん」

「ん?」

「…君は」

「ーーーイノちゃんになら、良いと思った」

「え…?」

「イノちゃんになら、全部を教えても良いって思った…ーーーーーううん」

「ーーー?」

「ーーー全部を、知って欲しいって…思ったの」

「ーーー」

「ホントはね?俺の存在を知られるのは、あんまり良くないーーー俺も人として交流はしてもいい。…でも、正体を知られるのは…」

「ーーー正体?」

「俺はね。風の使い」

「っ…」

「その季節や時間に合った風を届けるのが、俺の仕事」

「ーーーあ。…だからか」

「え?」

「仕事。〝お届け〟と〝天気の仕事〟って、言ってたろ?」

「あ…ーーーうん」

「ーーーなんか、隆ちゃんって不思議な雰囲気持ってるなぁ…って思ってたの、こうゆう理由だったんだな」

「ーーーーーあの…イノちゃん」

「ん?」

「ーーーびっくりしないの?…気味悪がらないの?」

「気味悪い…?ーーーなんで?」

「だって…」

「そりゃ…ちょっとはびっくりしたけどさ?教えてくれて嬉しい。もっと隆ちゃんの事知りたかったから。気味悪いなんて、思うわけねえよ」

「ーーーーーっ…」




隆一の表情が微笑みから変わって、途端に泣きそうに眉が下がって。
え…?と、イノランが面食らってる間に、隆一の頬に涙が伝っていった。

ーーー綺麗だ。

…と思うと同時に、ある可能性を見つけてしまって。
イノランは驚かさないように隆一を窺うと、問うた。




「言いたくなかったら言わなくていいよ。ーーーでも。…隆ちゃん、もしかして…今までに…」

「ーーーーーーーイノちゃんみたいなひとは初めてだよ」

「ーーー」

「だから、嬉しい」



そう言って、慌てて涙を拭う隆一の手をイノランの手が掴むと。指先で、目元に溢れる涙を拭いてやって。そのまま腕を伸ばして、隆一を抱きしめた。



「っ…?イ…」

「こうゆうのも初めて?」

「う…ん」

「ーーーそっか」




きっと隆一は。
今までに、その正体を知られて悲しい思いをした事があるのだろう。
その証拠が、溢れた涙だ。
ーーーイノランは、詳しく聞き出そうとは思わなかった。隆一が言いたい時に言えばいい。聞かずとも構わない。


〝イノちゃんになら…〟


きっと隆一も、勇気を奮い立たせて示してくれた。
だから。



ーーー俺はここにいるよ。
ーーー正体知ったからって、俺は変わんないよ。
ーーー教えてくれてありがとう。
ーーーこれからも、ずっと好きだからな。



そんな揺るがない想いを伝えたくて。
その術が、言葉よりも。
抱きしめて、身体中で伝えたくて。
イノランは言葉少な。
それでも隆一に伝わったのか。
いつしか隆一の手がおずおずと伸びて。イノランの服の端をぎゅっと掴んで、力の入っていた身体が、フッと緩んだのだ。











……………………

辺りを涼しい風が吹き抜ける。
二人はいまだ抱き合ったまま。
離れようとは思わなかった。




「ーーー気持ちいい風。隆ちゃんがおこしてるのか?」

「うんーーー風はね、俺が作り出すのが基本なんだけど、俺の気持ちとも繋がってるんだ」

「気持ち?」

「感情の起伏で、色んな風が勝手に生まれちゃう。ーーーあの…前の突風の…」

「ーーー‼…俺が好きだよって言った時の?」

「ーーーうん…。ごめんね?あんな突然の大風…。今までもびっくりしたりすると強めの風が生まれてたりしたんだけど…ーーーあんなのは…初めてで」

「ーーーめちゃくちゃびっくりしてくれたんだ?」

「だって…好きって。好きだよって言われた瞬間が、あんなに胸が苦しくなるなんて…知らなくて」

「っ…」

「あの晩ずっと、風の制御が上手くできなくて…どうしようって」



イノランの告白が、隆一にもたらした変化。
それが隆一にとって、不快なものでは無くて。
今まで隆一が知らなかった悦びの感情に触れたものだと知れて。それが嬉しくて。

そっと覗いた隆一の頬が、真っ赤に染まっている。




( ーーー可愛い )



そんな可愛い反応を見せられたら、もっと先が欲しくなる。
もっと触れて、暴きたくなる。



( ーーーーーけど。今は…ーーーまだ )



ここで欲望にまかせて無理に突き進んだら、きっと隆一を怖がらせてしまう。それだけは絶対にしたくなかった。
ーーーだから。



「今の風は心地いいな。涼しくて、穏やかで」

「うん、だって…ーーー」

「ん?」

「俺が今、気持ちいいって思ってるからだよ。ーーーイノちゃんに…抱きしめられて」

「ーーー」




ーーー隆一が好きだ。と、改めて思う。

こんな気持ちをくれて、ありがとう。と。



「お前の事、もっと知りたいよ」

「うん、イノちゃんになら、いいよ?」

「ありがと。ーーーもっと…」

「うん?」

「もっとお前の事…好きになるからな?」



イノランの腕の中で。隆一がコクンと、頷くのがわかった。






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