round and round (みっつめの連載)
生まれた意味。
持って生まれてきた定め。
植物も動物もひとも。
空の者も。
身体に流れる血は、その瞬間に騒めくのだろうか。
今がその時だと、凛とした熱を帯びるのだろうか。
時間が経てば経つほどにますます状況が悪化していくように見える空。
しばらくじっと空を凝視していたが、居ても立っても居られなかった。
イノランは濡れるのも構わずに外へ飛び出した。
隆一の家と真っ白な灯台のそばに停めていた車に乗り込む。ドアを閉めようにも大風で煽られてなかなか引きられず、力いっぱい少々乱暴にドアを閉めた。
隆一の家の戸口から車までたった数メートル。
それなのに運転席に座るイノランの髪からはポタポタと雫が落ちてステアリングを濡らした。
焦っているからキーを持つ手がもつれて取り落としそうになるが、どうにかエンジンをかけると、進むべき方向に向かう。
昼間なのに空は薄暗く、霧と叩きつける雨飛沫で視界は悪い。
本来ならこんな時は運転をするべきではないことはイノランにもよく解っていたが、行動せずにいられなかった。
大風に煽られる草木の間を縫いながらどうにか車道まで抜け出ると、白く霞む前方に信号機の青いライトがぼんやり見えた。
イノランはぐんっ!と、アクセルを踏んだ。
「隆っ…」
向かう場所はひとつ。
何故とはわからないが確信があった。
そこにいると思った。
もうひとつの灯台。
煉瓦造りのあの古い灯台に。
そこに隆一がいると思った。
そこに行って何ができるのかなんてわからない。
だってイノランは隆一のように飛ぶことは出来ない。
もしかしたらそこに行ってしまう事で隆一の邪魔になるかもしれない。
風使いとしてこの悪天候の空を駆ける隆一の足枷になってしまうかもしれない。
頑張れ!なんて、もう十分に頑張ってくれている相手にそんな言葉はかけることもできない。
ーーーじゃあ…
何をしに行く?
バシャッ!!
「…っ!」
大きな水溜まりを通り抜けた事でフロントガラスに泥水が盛大に被る。
瞬間、視界を奪われて。イノランは背筋がぎゅっと強張るのを感じた。
それでもここは車内という外からは隔離された場所だ。
雨風が直接肌に触れる事なく、イノランは道を進む事ができる。
ざああああああああ
ざああああああああ
しかし隆一は。
ざああああああああああ
「…隆っ…」
隆一は、この空にいる。
雨風避けなんか何も持たずに、濡れながら煽られながらこの空に。
「何をしに行く?」
「ーーーそんなの…決まってんだろ」
決意したのだ。
約束したのだ。
もっと隆一に踏み込むと。
どんな時も側にいて、愛し続けると。
隆一の師、清明も。
いつかのこんな状況下で。
愛するひとを持ちながら嵐を迎えたのだろう。
彼は身体の弱かった彼女を待たせながら、嵐の空を駆けたのだろう。
清明はどんな気持ちだっただろう。
そして彼女は、どんな想いでひとり待っただろう。
もしかしたら、最悪の結末だって有り得たかもしれない。
清明は嵐の空で、彼女は病床の中で。
もう会えないまま…そんな可能性もあったのだろう。
「ーーーーー隆、」
「待っててくれ」
「今そこに行く」
「会いに行く」
「お前の側に行く」
ギッと前方を射抜くように見据えるイノランの瞳の向こうには隆一がいる。
いつも朗らかで、優しくて。
芯のある強さと、しなやかさがあって。
ーーーけれども。
イノランは知っていた。
古い灯台の上で語る隆一の横顔が虚ろ気だったこと。
自分の前では少しずつ弱さを見せてくれるようになったこと。
「そうだよ」
「ーーー隆は、」
「ほんとはよく泣くやつで」
「寂しがりで」
「もう、ひとりは嫌だって」
「俺は知ってる」
キキッィ…!
緩く引いた筈のブレーキも滑る路面で音をたてる。
こんな天候時に海岸線を走る車もほとんど無く、イノランは赤信号にもほぼ捕まることなく走り続けることができた。
ざあああああああ
ざあああああああ
どばっあぁん!
ざばーっん!
雨音と割れる波音が車内まで響く。
走り慣れたいつもの海岸線から見える海が恐ろしいほどに荒れ狂っている。
その前方の岬に、嵐の中でも光を撒き散らす古い灯台が姿を見せた。
「ーーーーーっ…隆!…隆一…今行くからな!!!」
ぴちゃん。
ぴちゃ…
「ーーーっ…はぁっ…は…ぁっ…」
隆一は。
打ち続けられる雨飛沫にいよいよ体力が奪われて、このままでは飛ぶ事もままならなくなると、上空から視界に入った大きな岩場の陰で降り立った。
とん。
久方ぶりに足を地に着けると膝がカクン…と崩れ落ちる。
力が抜けて、堪らずに座り込んでしまった。
「はぁっ…はぁ…」
ぽたぽたと雫が落ちる。
目に水が滲みて、隆一は手の甲でそれを拭った。
ざぶんっ…ざばんっ…!
ばしゃん!
どっばぁ…ん!
「ーーーーー…ここ…長居はできない」
そう。隆一が身を寄せるのは波が激しく打ち付ける岩場の横溝で。
穏やかな時などは釣り人が立ち寄る絶好の場所だが、今は違う。
少し脚を伸ばせば荒波に攫われてしまう。
隆一の予測だと確か今の時刻ごろは干潮だったはずで、それですらこの打ち付ける波。
これから満潮を迎えればこの横溝も海中に潜るだろう。
そうなればここにいたら危ない。
早々にここを立ち去らなければならない。
唇を噛んで、何も見えない空を見上げる。
想うのは、空の仲間たち。
「ーーーーーースギちゃん…J君」
「…真ちゃん……TERU君…」
「ーーーーーみんな…無事?」
ぎゅっと、隆一はその場で膝を抱えて顔を埋めた。
濡れて冷たい自身の膝頭。
せっかくの正装もぐしょぐしょだ。
ーーーもう、今皆の無事を確かめるのは無理だった。
自身が崩れ落ちないようにするので精一杯だった。
その事実が不甲斐なくて、悔しかった。
「ーーーーーっ…俺…こんな…なのに」
「…こんなので…守る…なんて」
「ーーーっ…守れる…の?」
ぽたんぽたん…
今度は雨粒ではなく。
隆一の瞳から雫が落ちる。
幼い頃に体験した悲しみ、悔しさ。
友達だった白い鳥を守れなかった、そのとき何も出来なかった不甲斐無さ。
それを忘れるなと、無駄にするなと師に教わった。
それを胸にここまで、今まで空を駆けてきた。
それが、今はどうだ?
隆一自身が、己に問いかける。
「ーーー…何ができるの?」
「こんな俺なのに…何が…っ…」
「ーーーーーあの頃から何も…変わってない俺なのに!」
チリン。
「…ぇ、」
堪え切れずに涙を溢す隆一。
乱暴に目元を拭う、その時だ。
胸元で、微かになった凛とした音。
波音と風雨の轟音で掻き消されそうな中でも拾い上げた小さな音。
隆一はそっと、その音のした方。
自身の胸元に視線を向けた。
「ぁ、」
濡れた衣服の隙間から覗いていたのは灯台の鍵。そこに一緒に通した、イノランが買ってくれたクリスタルだった。
「ーーーイ…」
「…ノ…ちゃ…」
陽なんかまともに射さない今の空なのに。
イノランからのプレゼントのクリスタルは僅かな光を受けてきらきらと光る。
それを見たら。
急にだった。
イノランや、葉山。
音楽を通じて知ることができた人々の街、暮らし。
その事がとても懐かしい事のように、急速に隆一の身体に溢れて、温まって。
クリスタルをぎゅっと握り締めた指先が、ジン…と熱くなって。
「ーーーーーあぁ…そうだ」
「…そ…だよ」
「守らなきゃ…」
「ーーーだって…大好きなんだ」
空の仲間ももちろん。
音楽の仲間も。
愛するひとも。
「ーーーーー守るんだ」
疲労で震える脚にグッと力を込めて立ち上がる。
その表情は先程までと違って、力強い。
「っ…」
前方の岬の上空に、渦を巻く巨大な乱気流が見てとれた。
あんな空気の塊が森や崖にぶつかったらどうなるか。
もしくは発達しながら街の方まで進んで行ったらどうなるか。
隆一は進むべき方向と、やるべき事を心に刻んで再び空へ飛び立った。
嵐は少しもおさまらない。
風に逆らって飛ぶ隆一の目に。
岬の突端に、あの古い灯台が見えた。
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