round and round (みっつめの連載)







目も開けていられない程の、突然の大風。
辺りの木々を大きく揺らして、ザワザワと音をたてる。木の上にいた鳥達も驚いたのか、一斉に騒ぎたてて。甲高い鳴き声をあげながら、夕焼け空の海の方へと飛び立って行った。



「っ…ーーー」



思わず目を瞑ってしまったイノラン。
風がようやく落ち着いた気配を感じると、ゆっくりと瞼を開いた。

たった今の大風が嘘のようだ。
ここへ来た時のような心地いい風が、今は辺りの草木を揺らしている。
そよ風だったり、無風だったり、突然の大風だったり。
やけに目まぐるしく風が変化するな…と思いつつ。ここでイノランはハッと気付く。




「ーーー隆ちゃん?」




たった今まで隣にいた隆一の姿がいなくなっていた。

イノランは立ち上がると周りを見渡す。
まさか今の突風で弾き飛ばされたんじゃ…なんて、そんなあり得ない事を考えてしまう。
…が、やはりどこにもいない。
隆一がいた地面の上に、手を付けていないワッフルと、飲みかけのミルクティーのカップが残されているだけだった。




「ーーー」




呆然と。イノランは視線をずらして眼前の夕焼け空と海を見つめる。
心地いい風が、イノランの髪を揺らしていった。


















………………………………



「イノランさん?今日はどうしました?」


翌日。イノランがスタジオに着くなり、先に到着していた葉山が首を傾げて言った。




「え?」

「ーーー元気ないですか?」

「ーーーそんな事は無いけど…そう、見えんの?」

「昨日に比べれば。…ですけど」

「そっか…」

「ーーーーー」

「ーーーーーーーーーや。ごめん、大丈夫だよ」

「…そうですか?」

「うん。ありがとう」




怪訝そうな葉山の視線に知らないふりをして、イノランは今日も曲作りの準備を進める。しかしイノランは手を動かしながらも、その内心は酷く混乱していた。



( ーーー急ぎ過ぎたかな… )



昨日のあの崖の上で。
隆一に好きだと伝えてしまった事。
それは事実だし、伝えた事に今さら後悔は無い。遅かれ早かれ、いつかは伝えていただろう。
しかし、まだ二度目だ。正確には三度目だが。そんな数回目の再会で伝えるには内容が濃厚過ぎたかもしれない。

隆一が好きだと。仲間とか友達とか、そういう好きでは無くて。恋愛の対象として。



( ーーー困惑…するよな )



こんな気持ちを抱くなんて、隆一と再会しなければイノランだって気付きもしなかっただろう。
同性同士。しかもまだ名前しか知らない。
それなのに、溢れるようにイノランの口から出た言葉は。嘘偽りの無い、ましてや隆一を貶めるものでもない。
心からの、愛の告白だった。



( ーーーに、したって‼ )



早急過ぎたと、今になって思う。
本当なら、もっとちゃんと。
お互いの事をもっと語り合って、双方理解を深めて。順序立てて、きちんと伝えるべきだったのかもしれない。

ーーーかもしれないが…。

そんな取り繕う余裕なんて…というか。本当に、ごく自然だった。そこに計算とか駆け引きとか、そんなものは存在しなくて。

そよ風に揺れる隆一の黒髪が綺麗で。
ほんのり染まった頬や、上向きの唇が可愛いって思って。
ーーー隆一の歌声が、本当に好きだと思ったから。
この心地いい時間を、もっともっと共有したいと自然に願って。
隆一の側にいたくて。いて欲しくて。

気付いた時には、好きだと、隆一に伝えていた。

ーーー隆一はきっと驚いて、その先の反応に困ったに違いない。身の振り方に迷う最中に偶然吹いた大きな風に紛れて、イノランの前から姿を隠したのだろう。



( ーーー次の月曜日、会いに来てくれるだろうか )



それともこのまま会うことが叶わずに、また離れていくのだろうか。



( ーーーそんなのはだめだ。…いやだ )



結果的に、今こんな状況に陥っているけれど。せっかく出会えた縁だから。このままこれで終わりなんて…そんなのは悲しいとイノランは思う。
この想いが叶わずとも、これからも隆一と一緒の時間が過ごせるならいい。もちろん本心を言うならば、想い合える事だけれど。
そうでなくとも側にいたいと思う程に、イノランの中での隆一の存在がどんどん大きくなっていた。



( ーーー…はぁ… )



葉山にまで心配させてしまったみたいだ。
ひとの事をよく気に掛けてくれる葉山だから、何でもない振りをしていてもわかってしまったのだろう。



( カッコ悪い…上に、ごめんな。葉山君… )



隠し切れない程に落胆している自分が不甲斐ない。でも仕事の場でこれ以上引き摺るわけにはいかない。
イノランは気持ちを切り替えて、隆一の事は一先ず頭の端にしまっておいて。
アーティストとしての仕事に、意識を向けた。










イノランはこの一週間。時間を見つけては、あの森へ足を運んだ。

会える確証は無かったけれど、約束の月曜日まで、何もせずに待つだけ…なんて事が出来なかった。


告白した月曜日の、その週末。
この日もイノランはスタジオでの仕事を終えると、車を走らせてあの森へ来た。
夕暮れ時の森に踏み入って、あの崖の上を目指す。

今日はまだ週末の金曜日。会える確率は少ない。隆一の仕事の都合で月曜日しか会えない…というのなら、今日はまず無理なのだろう。




( でも。…いい )




早く会って、話したい。一週間待つ間の、そわそわと逸る気持ちが。この崖の上に来るだけで、何となく落ち着く気がした。
カサカサと下草の続く道を歩きながら、イノランは思う。

何の仕事をしているんだろう?
どの辺に住んでいるんだろう?

隆一の事をあまりに知らない自分と、それなのに好きだと言った自分に苦笑して。
次に会えたら、その事は聞いてみようとイノランは心密かに決めた。


バサバサッ…と、イノランに頭上で小鳥が羽ばたいた。
見上げると、木々の隙間から、オレンジ色の空。ーーーその空が、いつもよりも鮮やかなオレンジ色に見えて。イノランは残りの道のりを急ぎ歩いた。





「っ…ーーーすっげ…」




ザッと、森を抜けて開けた視界が目に入ると。その鮮やか過ぎるオレンジ色の日暮れ空ときらきら輝く海に、眩しさのあまりにイノランは目を細めた。




「ーーー今日は凄いな…」




ようやく目が慣れて、じっとその景色を眺める。いつも綺麗だと思っていたオレンジ色の景色が、今日は段違いだ。きっと微妙な気象条件の成せる技なのだろうが、この日の光景は見事…と思わずにいられないものだった。




「………」




ーーーこんな見事な景色。隆一と一緒に見たかったな…とぼんやり思う。
だってこんな日は滅多に無い。
綺麗なものは、ひとりで見たって綺麗だけれど。
誰かと見たら、それを共有して想い出になる。ーーーそれが好きなひととなら、尚更だ。




「ーーーーー」




ーーーーーーー隆一はまた、会いに来てくれるだろうか…。

ひとりでここに立つと、考える。

会えたら、この間の事を弁解したいんじゃない。今更言い訳なんてしない。
ーーーただ、もっとちゃんと語り合いたい。隆一の事を知りたい。その上で、あの告白はいい加減な気持ちで言ったものではないと。これからも一緒に過ごす事を了解してくれたなら、それだけで今は嬉しいと伝えたいのだ。





「ーーー……一緒に見たいな」


こんなに素晴らしい夕陽。


「ーーーーーー隆ちゃん」




やっぱりここは風が心地いい。
木々の匂いを含んだ澄んだ森の風と、海の上を通った大らかな大気が混じり合って。




「ーーーー気持ちいいなぁ…」




ーーー会いたいな…





「ーーーーーーー隆ちゃん」






「ーーーイノちゃん…」




ーーー背後で、声がして。
その優しげな声音を知っていて。

イノランは、ゆっくり後ろを振り返った。



「こんにちは、イノちゃん」

「ーーーーーーーー…隆ちゃん」



そよ風に黒髪と白いシャツを揺らして。柔らかな微笑みを浮かべてそこにいるのは隆一だった。
会いたいと思っていた、好きなひと。
まさか本当に今日会えるなんて思っていなくて、イノランは呆気にとられて立ち尽くした。




「…あの…。イノちゃん?」

「ーーーーーあ」




目を見開いてただ隆一を見つめるイノランに。隆一は気恥ずかしそうにイノランを窺う。首を傾げて見上げる隆一の視線にハッとして、イノランはようやく口を開いた。




「隆ちゃん…ーーーなんで?今日まだ金曜なのに」

「ーーー忘れちゃった?」

「え?」

「オレンジ色の空があんまり綺麗な日は、月曜日じゃなくても来ることある…って」

「あ!」

「ーーー思い出した?」

「ーーー確かに。…言ってたな」




あの時は、多分嬉しさで気もそぞろだった。だから、聞いてたはずなのに、頭に残っていなかった。




「ーーーーーーごめん」

「ん?ううん」

「頭から抜け落ちてた」

「ふふっ 」

「ーーー今日の空、めちゃくちゃ綺麗だもんな」

「うん。ーーーこんな日はいつも来る」

「ーーーそっか」

「うん」

「ーーーーーうん…俺も」

「ん?」

「ーーー俺も。ーーーあの月曜日から、度々ここに来てた」

「ーーー」

「ーーーもう一度隆ちゃんに会いたくて」

「ーーー」

「ちゃんと話しがしたいなって」

「ーーー」

「ーーー今日もここへ来たら…」

「ーーー」

「初めて見るくらい、空が綺麗で。ーーーで。ーーーー隆ちゃんに会えた」

「ーーー」

「ーーーーーー嬉しい」

「っ …ーーー」

「会えて、嬉しい」

「ーーーーーーーイノちゃん……」

「うん」

「ーーーーー俺も」

「ん?」

「ーーーーーー俺も。ーーーー会えて…嬉しい」










崖の上の二人を取り巻く風が、よりいっそう心地いいものになった気がした。


二人並んで、崖の上の地面に腰を下ろして。オレンジ色の光を浴びながら海を眺める。
話したい事はきっとたくさんあるのに、今はこの景色に圧倒されて、上手く言葉が出てこない。

どれくらいだろうか。強烈だったオレンジ色が、海に接する空の端がほんの少し紫色に変わってきた頃だ。
隆一が、ぽつんと呟いた。




「ーーーこの前、急に…ごめんね?」

「ん?」

「…急に、イノちゃんの前から…いなくなって」

「ーーー気にすんな。…つか、俺の方こそ」

「え?」

「ーーーーーびっくりさせちゃったよな…って。ずっと、気にしてた」

「ーーー」

「俺こそ急に、ごめんな?」

「ううんっ …」

「ん?」

「ーーーびっくりは…したけど」

「ーーー」

「ーーーーーーー嬉しかった」

「っ…」

「あんな風に、誰かに好きって言われるの…初めてだった」




隆一の指先が所在無さげに自身の膝をぎゅっと抱えている。
戸惑いと、恥ずかしさと、嬉しさと。
そんな感情の入り混じった表情で、隆一はイノランを見た。




「ごめんね。ーーーどうしたらいいのか…わかんなくて。あんな…逃げたりして」

「隆ちゃん…」

「でも本当に、嬉しかったから」

「ーーーーーーーーん。そんな風に思ってくれたなんて、俺も嬉しいよ」

「ホント?」

「もちろん。だって俺だって、いきなりあんな告白して、きっと戸惑わせただろうな…って。言うタイミング早すぎたよなって、ちょっと反省してたんだから」

「ーーーそうなの?」

「そうだよ。よく考えてみれば、隆ちゃんの事名前しか知らないって、後から気付いたし。仕事とか、どこに住んでるとか、休みの日何してんの?とか、そうゆうの全然知らない内に好きって言ったから」

「っ…」

「ーーーそういうの全然知らなくても好きだって思ったのは事実なんだけど…。やっぱりちゃんと知りたいし…隆ちゃんの事」

「ーーーーーイノちゃんの事も知りたい」

「!」

「俺もイノちゃんのこと…きっと、好き。…恋愛って、多分初めてだから…わかんないけど」

「ーーーーー」

「またイノちゃんに会いたいし、イノちゃんを知りたい。ーーーそうゆうのって、好きってことだよね?」




綺麗な瞳が、イノランを見つめている。その瞳が、子供の頃に初めて隆一と出会った日の、そのままの隆一の瞳で。この目の前の、空と海のきらきらした煌めきを閉じ込めたような。潤んだ、綺麗な目。

手を触れるのすら、躊躇してしまう。
この間はよく触れられたな…と、自分に感心するほどに。




( もしかして…本当に天使? )



さすがにまだそれは聞けないけれど。

聞いてみたい事がたくさんあるけれど。ーーーなにより。




( 大事にしよう )



隆一を。
どんな風に今まで過ごしてきたのか、まだわからないけれど。
初めてのワッフルで喜ぶような。
初めての愛の言葉に、戸惑って。それでも嬉しいと笑ってくれる。そんな隆一を。



「ゆっくり知っていけばいいよな?お互いの事」

「うん!」

「俺の事なら遠慮なく聞いて。ーーー隆ちゃんの事も、少しずつ聞いてもいい?」

「いいよ」

「ありがと。ーーーじゃあ、隆ちゃんは何の仕事してんの?」

「え?ーーーえっとね。ーーーなんて言ったらいいんだろ…。ーーーお届け?」

「ん?配達の仕事?」

「ーーーなのかなぁ…。あ、でも天気の仕事…?」

「え?気象予報士…とか?」

「ーーーうん。ん…まぁ、そんな感じ」

「へえ、Wワーク?じゃあ結構忙しいんだ?」

「そうだね、基本…休みはあんまり無い…かな」

「え?休み無いの?」

「うん、いつも何かしら動いてる」

「ーーーーーそうなんだ」



ちょっと意外だった。
穏やかで、どこか落ち着いた印象の隆一が、そんな多忙な日々を送っていたなんて。休み無く働かなくてはならない理由があるのだろうか…?
疲れが溜まって体調を崩したりしないのだろうか。
ーーーそんな時に、側にいてくれる誰かは…いないのだろうか?

ーーーそんな疑問は尽きないけれど。当の隆一は、まるでそよ風のようにふんわりと笑う。
確かにフットワークは軽そうだ。だから、平気なのかもしれない。



「イノちゃんは?」

「ーーーえ?」

「お仕事。音楽やってるって言ってた。ーーーひとりでやってるの?」




ぱちぱちと大きな瞳を興味深そうに瞬かせて。心持ち身を乗り出して、隆一はイノランに問う。




「ちょっと前までは、でかいバンドでギター弾いてた。でも、今はそれぞれ自分の音楽を追求してる。今俺は葉山君っていうピアニストと一緒に、ソロ活動をしてるんだ」

「ふぅん、いいなぁ…イノちゃんの音楽聴いてみたい」

「ホント?」

「うん!聴きたい。だって俺、音楽大好きだもん」

「!ーーーわかった。じゃあ、次に会う時、ギター持ってくる。ここで弾いてあげる」

「え…ーーーホント⁉」

「もちろん!ーーーでさ、隆ちゃん、歌ってくれる?」

「っ…俺?」

「うん。隆ちゃんの歌声すげえ好きだから。ーーー好きって言っただろ?」

「ーーー」

「だから隆ちゃん、また会おう?」

「イノちゃん」

「次、いつ会える?ーーー隆ちゃんに会いたい時、どうしたら会える?」

「ーーーーーーーーーー」




どうしようもなく、惹かれてしまう。
次の約束まで、待てない程に。

隆一は、真っ直ぐなイノランの眼差しを受けて。その真剣さを、肌で感じて。しばらく逡巡した様子を見せたけれど。ついに顔を上げて、隆一も真っ直ぐに見つめ返して。
イノランに告げたのだった。




「空に向かって呼んで。ーーー俺のことを」

「ーーーーー空…?」

「そうしたら、届くから」

「ーーー」

「ーーー聞こえたら、イノちゃんの元へ行くから」




空はすでに薔薇色で。
すっきりと晴れやかな隆一の微笑みを、この上なく艶やかに染めていた。





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