round and round (みっつめの連載)












今日の空の光景は、やはりいつもとは違っていた。
雲の使い (Jは雲職人と名乗っていたが) 達がこの日のために作り上げたのは、雲の円形ホールだ。
ぎゅっと固められた雲達は多少の風にもびくともせずに、たくさんの席や祭壇となって設えられている。
簡易的とはいえ、遠目で見るとそれは立派なもので。
その会場まで昇ってきた隆一は、はぁ…と感嘆の溜息をついた。



「ーーー…」


そっと、雲の下を見た。
今は雲の上。だいぶ高度も高い位置だから、雲の下の様子はここからは見る事はできない。
けれどもこの真下の灯台の側にはイノランがいてくれると思うと、隆一はそれだけでほっと落ち着く事ができた。

ーーーそう。
隆一は、できる事なら避けたいな…と、思っている事があったのだ。
大人になってもそんな事を思うのは良くない事だとも思うし、例え避ける事ができない場合になったとしても、その場を上手く乗り切れば良いだけ…とも思う。…けれど。

ーーーそうそう上手く立ち回れる自信がないから、二の足を踏んでしまうのだ。




「ーーーーーはぁ…」



隆一は溜め息をついた。
深い、溜め息。
そしてこの空の会場を見渡して、微かに唇を噛む。


「ーーーもう…どこかに来てるよね」


この場に集った大勢の空の者達。
皆今日の日を迎える為に正装に身を包み、久しぶりに顔を合わせる友人知人、先輩後輩などと積もる話で盛り上がっているようだ。
隆一とて、今日はいつもは会うことが難しい友人と会う事ができたら…と、参加を決めた時から密かに楽しみにもしていたのだ。

ーーーけれども。
そんな隆一の期待もへし折ってしまう程の、憂鬱の原因。
それがここにはあるのだ。




ひゅ…ぅ…っ…




「っ…」



それは唐突だった。
風が隆一の鼻先を掠めて通り抜ける。

隆一は思わずその風が去った方を目で追った。
ーーー生ぬるい、風。
こんな晴天の空に似つかわしく無い、湿った風。

一瞬頬を撫でたその風があまりに不快に感じて。


しばらく、じっと。
隆一は空の向こうを見つめ続けた。













「隆一さん!」

「ぇ、あ?」

「隆一さーん!」




一目散に駆け寄る…じゃなく、空を駆けて来る人物。
その周囲にも響き渡る声に驚きながらも、隆一はその声に心当たりも覚えもあって。
サッと吹き抜ける風を浴びながら、隆一は振り向いてその声の主を待った。




「隆一さん、お久しぶりです!」

「TERUくん!」




まるで大型犬のように、勢いよく隆一に抱きついてきたのは…
そう。
今では隆一と反対側の国の空を管理する、風使いのTERUだ。




「TERUくん元気⁇久しぶりだね!」

「すっっげぇ、隆一さんに会いたかった!話したい事、めちゃくちゃいっぱいあるんです!」

「ふふっ、俺もだよ!真ちゃんにねぇ、そっちのお話ずっと聞いてて、」

「あ、真矢さん⁇」

「うん!昇級試験、TERUくんが受かったって聞いて嬉しくて!TERUくんおめでとう!」

「隆一さんにそんな風に言ってもらえて、俺も嬉しいです!」




隆一と手をつないだまま、くるくるとTERUと二人で回ると。
弾むような浮き立つような風が辺りに吹いて。
そこに居合わせた者たちも、心踊る気持ちになるのだった。














…………………………





ーーー今日限りで、私はこの名をお返しします。



ーーー空の守り人の名を。







空の者達を統治する上役達に清明がそう申し出た時。
隆一は、その場に居合わせたわけではなかった。
師であり、血縁者では無かったとはいえ家族同然に大切だった、おじいさん。

いつもどおりに空から降りて来た清明を、おかえりなさい!と出迎えた時。
隆一は、その時はなにも違和感など感じなかった。









「隆一はそのままでいいよ」

「え、?」




夕餉の後に、二人仲良く片付けをしていた時だ。
鼻歌を口ずさみながら、拭き上げた茶碗を棚に戻す隆一に。
清明はふと、そんな事を言った。
突然の清明の言葉に、隆一は一瞬ぽかん…と手を止めて。
にこりと微笑んだ清明を見て、再び片付けの手を動かし始めた。



「ーーーそのまま…って。このままじゃまだダメだよ。だって俺まだ修行中の身なんだから」


おじいさんの弟子だしね。

そう付け加えた隆一の言葉を聞いて、清明は今度は少しだけ眉を下げた。




「隆一はずいぶん大人になったね。昔はよく泣いたりもする子だったけれど。ーーー今ではもう飛行能力は私を凌ぐだろう」

「っ…ほん…と⁈」

「ああ」

「ほんとに?空の飛び方、上手くなりたいって思ってた…から」

「上手くなったよ。特に悪天候の空を飛ぶのは容易では無いんだ。それがもう大きな心配をせずに見ていられる。成長したな」

「ーーーっ…でも、」

「ん?」

「でも、まだだよ。嬉しいけど…。おじいさんにそんな風に言われてすごく嬉しいけど…」

「ーーー」

「俺の中では、まだまだこれから。風使いの中での俺の目的はおじいさんなんだから」

「……隆一、」

「飛び方だけじゃないよ?周りの人への気遣いや、守らなければならないものへの思いやりとか。覚悟…とか」

「ーーー」

「ーーーーー俺もいつか、何かを守らなきゃならない時。おじいさんみたいになれるかな…」

「ーーー」

「誰かの為に空を駆けて、誰かの為に風を起こせるかな」





その時、風使いの、するべき事を。
ーーーいや、それ以上を。

師である清明のような…





「なれるさ」

「!」

「隆一なら」




なんと言っても、私の自慢の子だからな。




そう言って、また微笑んだ清明。
褒められた嬉しさとくすぐったさで、隆一はやはりこの時は気が付けなかったのだ。

急にそんな話をはじめた清明の、その内に秘めていたものを。






その、夕餉の後の会話から…たった数日後の事だっただろうか。
いつものように空の見回りに出ていた隆一が、夕暮れ時に灯台の家まで戻ると。






「ーーーぇ、」



灯台の外に、数人の人影が見えた。
隆一は思わずそばの木の陰に身を寄せて隠れた。
ーーー別に隠れる必要無いのだけれど、なんとなく…一瞬見ただけで、そこが朗らかな状況では無いと感じたから。

まだ完全に日が暮れたわけでは無いので、人々のシルエットははっきりわかる。
服装も、じっと見れば、その表情も。



「ーーーーーおじい…さん?……と、」



その数人の前にいるのは、清明だ。
灯台の家を背にしているから、清明を訪ねて来たのはわかった。
ーーーが。


なによりも雄弁にその場の状況を伝えてくれるのは、彼らの声だった。




「名を返すとはどうゆう事だ」

「空の守り人の名を継いだ者が」

「やめたいといってすぐに手を引けるような簡単なことではえないのだぞ」

「たった四人しかいない空の守り人が急に欠けるという事がどうゆう事か」

「それが解らないわけではあるまい?」

「〝風〟のがいなくなる」

「欠員の穴埋めは簡単では無い!」

「守り人は、それだけ責務も大きいのだ」




少し離れた所から見ていた隆一は、その彼らの声だけで察した。
ーーーああ…。おじいさんが、詰め寄られている。
ーーー彼らはきっと、空の者で。
ーーーその身に纏う衣と話し方で、上役の人たちだってわかる。




「ーーーおじい…さん、」



反論したり、そんな事はせずに。
ただただじっと、彼らの声を受け止める。
あんなに詰め寄られているにも関わらず、清明の表情は穏やかで。
でも、逆にそれが。
何を言われても揺るがない、大きな決意と覚悟を秘めているように思えて。




「ーーーっ…」



隆一は隠れている木の幹に、ぎゅっとくっ付いて。
大好きな師の姿を、ただただ眺めていた。












…………………



空の会場はまさに三者三様。
同じ風使いでも、正装は皆違う。
しかしその殆んどの者が、代々一族から受け継ぐ正装を纏う。一族の紋様が編み込まれた帯を締めたり、紋章が刻まれた装飾品を飾る者もいる。
風使いである事を誇りに思いながら、その一族である事も大切にする。
空の者の正装には、そんな意味合いも込められていた。



隆に似合う。

そう、イノランが絶賛した隆一の纏う風使いの正装。
それは隆一の為だけに清明が仕立てた特別なものだった。
使う布地も一から清明が選び抜き、装飾もシンプルながらも隆一に一番映えるものをと、特注したものだった。
それ故に他の者達とはどこか雰囲気の違う、しかし絶対的に隆一によく似合う品になっていた。





ひら…




隆一の透けた織りの帯が風で揺れる。
動作の度に、チリリと赤い石が鳴る。
大勢の空の者達が集う会場の中で、隆一の姿はひと味違って輝いていた。








「ーーーおい」



そんな、同僚や友人達と語らう隆一を。
高圧的な声音で呼び止める者達がいた。





「ぇ、?」






「ーーーーーーお前、」

「ーーーーーぁ、」


「清明の…だな」






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