round and round (みっつめの連載)
季節は盛夏~残暑を越えて。
さらりと肌を撫でる爽やかな秋の入り口へ。
……
ミーン…ミーン…
ジジジジジ…
とはいえ、まだまだ夏が終わったばかり。
暦の上ではしっかり秋だけれど、夏の名残は健在だ。
「…あっちぃなぁ…今日も朝から」
Jは蝉の合唱賑やかな木陰の下で小休憩中。
早朝からの雲の様子見、足りない部分は新たに雲を作り出して補っていく。
始めた頃はまだ早朝の薄暗い空だったけれど、ひと段落した今はもう真っ青な空だ。
ミンミンミーン…
わしゃわしゃわしゃ…ジジジジジ…
それでも蝉の合唱の隙間を通り抜けてゆく風は、もう秋の気配だ。
カラリとして、時折涼しさを織り交ぜた、空が高く澄んで感じられる風。
Jはそんな心地いい風に身を晒しながら、この風を渡しているであろう同僚の事を思い浮かべた。
こんな良い風を渡すという事は、彼は今ご機嫌なのだろう。
隆一の感情がそのまま風に反映されるから、その時々の風は彼の心のバロメーターなのだ。
ーーー幾ら俺でもそんなにバレバレな風ばっかり起こさないよ!
そんな風に彼は怒るかもしれないが。
一人前の風使いになっても尚、どこか完璧でない、彼らしいところがJは好きだった。
くくっ…と、ひとり笑う。
「ーーー隆…か」
ぽつりと口から出た名前は今日みたいな青空が似合う風使いのもの。
近頃やたら艶々ふんわりと綺麗になったと思っていたら(面と向かっては言わないけれど)スギゾー曰く、恋をしているからだ…と。
その事は以前に聞かされていたし、隆一だって、それに自分たち、他の空の者たちだって一人の人である以上恋もするだろうと頷けるけれど。
「…隆がなぁ」
連んでいる四人の中で。まず誰よりも先に誰かに恋した隆一に、Jは驚いていたのだ。
一度だけ会った事がある。
隆一の好きなひと。
そして、隆一を愛するひと。
早朝の灯台のそばで、自分達を見上げていた。
驚く様子も、恐れる表情も。もちろんJたちを見下すような態度も見せず。
そこにあるのは対等な空気で。
そこに集った全員が、隆一を心配し、隆一を想い、そして形は違えども隆一を愛していて。
その時初めてJはイノランと顔を合わせたにも関わらず、不思議と心底安心してしまったのだ。
(ああ、コイツは。このイノランって奴は。ちゃんと隆を見てくれてるって。ーーー隆の全部をひっくるめて、愛してくれてんだって)
サァ…ッ…
「ーーーいい風だ」
この空のどこかで、今日も隆一の心が朗らかな証拠だと思えて。
さて、そろそろ休憩も終わりにして行くかな…と。
Jは立ち上がって、空の彼方を見つめた。
8月31日
その日の空は、なんだか不思議な風が吹いていた。
そよそよと穏やかな秋風かと思えば、真夏の高く登る勢いのある風が吹いたりなど…
地上に暮らす人々からすれば大して気にも留めないような変化かもしれないが、空の者たちにとっては…そうでなく。
「なんだか今日は隆ちゃん、ご乱心かぁ?」
吹き抜ける風に豪快に髪を揺らしながら、風の吹く方、真矢は海の向こうに視線を向けて言った。
するとそばにいたスギゾーもJもうんうんと頷いて。
とりわけJは、以前雨の早朝に隆一に雲を退ける手伝いをしてもらった経験があるから。(この時は隆一の華麗かつ的確な風渡しに驚いた)こんなにも…真矢の言うところの(ご乱心な風)に、今日はどうかしたのか?と、頭を捻った。
ザァッ!
一際大きな風。
踏ん張らないと自身たちの乗る小さな雲ごと飛ばされてしまいそうな。
そんな風が三人の周りを通り抜けたかと思うと。
乱れた大気の音が止んだところで聞こえたのは…
「…ごめん。突風おこしちゃって…大丈夫?」
どこか控えめな話し方の、その声の主が。三人の背後に、ひっそりと浮かんでいた。
「隆!」
誰かが風使いの名を呼んだ。
「こんにちは」
ふわりと風の羽を纏って、丁寧に挨拶をする隆一。
どんなに親密な仲になっても、親しき者にも…。そういうところは変わる事がない。
隆一の登場に、三人は色めき立った。
「お、噂をすれば」
「隆ちゃん!こんにちは」
「…噂?」
「そう、今日の風は賑やかだなぁってさ」
「!」
「真矢くん曰く、ご乱心な風だってさ。隆の奴なんかあったのか?って、皆んなで」
「っ…!」
「ね、隆ヘイキ?何かあった?いつでもどこでもなんでも俺に相談してよ?」
三人にぎゅっと詰め寄られて。
間近でじっと見つめられて。
隆一はちょっと…たじろぐけれど。
それは自分を心配してくれているからだ、と。
そしてそれだけ、自分の風を見て知っていてくれるからだ、と。
隆一は嬉しかった。
「あの、実はね」
「ん?」
隆一がはにかみながら、ちょっと照れくさそうに。後ろ手に持っていたのか、それをそっと取り出すと。
今度は誇らしそうに、三人の前に差し出した。
プラスチックのケースに入った。
それは、CD。
同じものを三枚、新品で、ぴかぴかの。
「ーーー俺の、俺たちのユニットの、初めてのCD。今日…発売日で」
8月31日。
Tourbillon
初めての一日。
差し出されたものを見ただけで。
三人は声にならない歓声をあげて。
わっ!と、隆一を囲んで今度は口々に言った。
「スッゲェ!マジで実現した!」
「やったじゃん‼」
「隆ちゃんの歌~‼この中にはいってるんだよな⁇すごいすごい!おめでとう‼」
「なぁなぁ隆、貰っていいの?このCDくれるの⁇」
「もちろん!一番にみんなに渡したいって思ってた。一番に聴いて欲しかったから」
「嬉しい‼ね、隆ちゃん、これ開けてみていい?」
「いいよ!ーーーあのね、ブックレットっていうのがね、それのアーティスト写真の撮影とか…初めての連続で」
「隆、緊張した?」
「そうだよー…。だって写真を撮る事自体、考えてみれば初めてだったから」
「まぁ、空の人間はそうだよな」
「…撮影も、インタビューも。レコーディングも…初めてだらけの事ばっかりで、すごく思い入れのあるCDになったよ」
傷ひとつついていない、真新しいプラケースを開けると。
そこには空の風使いの隆一ではなく。
ひとりのシンガーとしてのRYUICHIの姿があった。
そして…
「ーーーイノラン」
「ん?」
「あの早朝の灯台で初めて顔合わせしたんだよな、俺ら」
「ぁ、」
「隆が風邪っぴきの時さ」
「うん、」
三人は、RYUICHIの隣に寄り添って写るイノラン…INORANをじっと見た。
こうして見ると、あの灯台で会った時の印象と少し違って見えるけれど。
それはアーティストとしての、日常とは少し姿を変えた彼なのだろうと思った。
「ーーー本当に、イノちゃんのおかげなんだ。俺がこうして、誰かと一緒に音楽ができるのって」
「ーーーうん」
「…俺の歌声が、好きって…言ってくれて。俺がギター弾くから歌ってよって、初めてギターを近くで見せてくれたのもイノちゃん。一緒にやろうよって、誘ってくれた…。葉山っち…ピアニストの葉山君と出会わせてくれたのもイノちゃん」
「ーーー」
「皆んなもだよ?」
「え、?」
イノランの話から、急に矛先が三人に向いて。
にこにこする隆一を、三人はぽかん…とした顔で見てしまう。
「今日の俺があるのは、皆んなのお陰でもあるんだから」
同期であり、同じ空の仲間で。
隆一の歌の、一番最初のファンだから。
歌と空と。その狭間で揺れる隆一を、三人の存在が、どれだけ隆一を支えたかわからない。
だからこそ、今日の一番に報せたかった。
「ありがとう。歌、大事に歌うからね」
そう言って微笑む隆一に。
改めて三人は祝福の言葉を贈った。
「りゅーう!」
夕暮れの灯台の下で、隆一を呼ぶ者がいた。
仕事を終えてからここまで車を飛ばしてきたイノランだ。
CDの発売日とあって、今日は朝から隆一も忙しい一日を送ったが。
空の仕事も疎かにはできないから、イノランと葉山より一足早くスタジオを出て灯台へ戻り空へ出た。ユニットにとって節目になる大切な日に先にお暇する事は心苦しくもあったけれど。
他でもないイノランと葉山が全面にそれをサポートしてくれていた。
もちろんユニットに関わるスタッフ達に隆一の空に関わる事をそのまま打ち明ける事は出来ないから。もうひとつ持っている大切な仕事だ…と、伝えてある。
〝身体だけは壊さないでくださいね〟
時には雨に濡れて。
時には朝から晩まで、空に音楽にと忙しなく携わる隆一に。
特に葉山は隆一の身体を労わるよう心配する事もあるけれど。
悩んで、揺れて。
そして決めたどちらも手離さない道。
自分で決めた事だから、隆一は平気だった。
夏の終わり。初秋の夕暮れは気がつくとあっという間だ。
イノランが灯台の下に到着する頃には、水平線の縁がネオンカラーのオレンジに細く線を描いていた。
「隆?帰ってる?」
イノランがもう一度灯台のそばの隆一の家に向かって呼ぶと…
「イノちゃん!」
ちょうどその時。
海の向こうの空から隆一が降りて来た。
背中に夕陽を背負って逆光になっていたけれど。
その表情が満面の笑みだということはイノランにはよくわかった。
「おかえり」
「ただいま!」
イノランは両手を広げる。
言葉はないけれど、それが最愛の隆一への〝おいで〟の意味。
隆一は途端に頬を染めて、その恋人の腕の中へとびこんだ。
ふわん…と香る潮の香り。
それが隆一らしくて、イノランはぎゅっと抱きしめた。
ーーーそして。
「渡せたか?」
「っ…うん」
「そっか」
「皆んな喜んでくれた。それが嬉しかった」
「最高じゃん?」
「うん!」
空の仲間に報告ができた事。
それはイノランにとっても、隆一といる以上とても大切な事だった。
隆一を大切に想う者達同士として。
「ここまできたな。やっと」
「ん、」
「隆の歌声が世の中に出るんだ」
「うん。三人の音楽がね?」
「ーーー忙しくなるな。これから、もうライブのスケジュールも組まれてるし」
「大丈夫」
「!」
「気付いたんだ。空と音楽と。互いに支え合ってる。互いに気分転換になる。これって良い…」
「相互作用!」
「そうだね!」
だから大丈夫。と、腕に抱かれたままの隆一の瞳が凛と輝いて。
それはここにきて初めてイノランが見る新しい隆一の強さだと思った。
ーーーそしてそんな隆一も、欲しいと思ってしまうイノランは。
(我ながら欲張りにも程があるよな)
苦笑して。
しかしその指先はすでに隆一に触れる。
「…ぃ、の?」
「いいだろ?今日はまだしてない」
「っ…」
「隆とキス。ほんとなら毎日だってしたいよ」
「ぅん、」
「ーーー隆、」
「ーーーーー…俺、も…ーーーーーっ…ン、」
甘い空気に変わるのはあっという間。
何度だってイノラン触れたいのは隆一も同じだから。
この空気に堕ちたら最後、貪るように唇を重ねてしまう。
風が舞う。
この時期には珍しい春めいた緩やかな風が。
それは隆一の、心からの気持ちよさが生んだ風。
きっと空の上の仲間達は、また事情を察しながらも微笑んでいるだろう。
彼らにも初めてライブを観てもらいたいと、隆一は霞む頭の端で思う。
ライブ。
初めてのライブは1ヶ月後に決まっていた。
それはイノランの誕生日でもあった。
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