round and round (みっつめの連載)











遠出の疲れもあったけれど、帰って身体を重ねるうちに、いつの間にかそれが和らいでいるのがわかった。
それは二人にとってのその行為が、単なる身体の触れ合いという意味だけでは無くて。
身体も心もリラックスさせてくれる、気持ちよくなって優しくなれて。
相手を思いやって、さらに愛情が深くなる…そういう大切なものなのだろう。




真夜中。


すっかり寝静まっていると思いきや、月明かりの部屋のベッドがもそもそと動く。
次第にくすくすと声量を潜めた笑い声が聞こえてきて。
しまいには、ぽ…。と、オレンジ色の小さな明かりが灯って辺りを照らした。



「ーーー眠れないね」

「な、ちょっと…」

「ん?」

「なんてゆうか、楽しくて」

「寝ちゃうのもったいないね?」

「そう、そんな感じ」



暗闇の至近距離で顔を合わせて、くすくす。
イノランに言わせれば、小学校の修学旅行で、消灯時間が過ぎた後にクラスメートと密やかに枕投げをした雰囲気に似ていると。騒ぐと怒られるから静かに…という様子を想像して、隆一はまたくすくす微笑んだ。



「俺たちは別に誰にも怒られないのにね?」

「はははっ、な」

「ーーーでもね」

「ん?」

「…怒られはしないけど…多分、びっくりすると思う」

「びっくり?…誰が?」

「ーーー空の仲間」

「ーーー隆の?」

「うん。ーーー俺が、イノちゃんと…こんな」

「ああ、」

「ーーーぅん、」



そこまで言って、恥ずかしそうに言葉を濁す隆一を見て。
イノランはすぐに理解した。
空のことに一途な隆一が、恋していると。
そこまではきっと空の仲間達も既に承知だろうけれど、こんな風に共に夜を過ごすような仲にまで発展しているとは、まだ思っていないかもしれない。
別にそれを彼らに進んで教えるつもりはないけれど、隆一自身の中で、自身の変化に驚いているのだ。



「イノちゃんと出会って、本当に色んなことがあったね。ーーー今まで…あのまま空を飛んでいるだけだったら知らなかったり、出会えなかった事がいっぱい」

「隆、」

「ーーー歌も、音楽も。葉山っちと引き合わせてくれた事も…」

「ああ、」

「…それから好きって気持ちも。ーーーイノちゃんに恋してるって、気持ち…も」

「ーーーん、」

「おじいさんもね、きっと…そうだったのかなぁ…って、」

「ーーー彼女の話?」

「そう。だってあんなにストイックだったおじいさんが…。久しぶりに会えて、話が聞けて、びっくりした」

「ーーー空の仕事を手放す程…好きだったんだな」

「…うん」



彼女の死後、今はもうあの家でひとりで暮らしているという清明は。独りきりで寂しくはないの?という隆一の問い掛けにも、晴々と言っていた。
寂しくないと言えば嘘になるけれど、それでも後悔は無いと。最愛のひとと一緒にいられた。最期を見届ける事が出来た。あのまま彼女の存在を知らずに一生を終えることがなくて本当に良かった…と。
その事に気付かせてくれた彼女と過ごした家だから、大切な場所だから、大丈夫だよ。
ーーーそう、隆一に向かって微笑んでいた。

そんな風に笑う清明は、ただひとりのひとで。
ひととか、風使いとか。
そんなのは関係なくて。
花の咲き乱れる庭の、煙突のある家でゆったりと過ごす。
海風を感じて、日々パンを焼いて、時折目を細めて空を見上げる、ただひとりのひと。
隆一の記憶に残っていた、第一線で空を駆け抜ける〝おじいさん〟とは変わっていたけれど。
けれども隆一の頭を優しげに撫でる手は、あの日のまま変わらず。

その事が、隆一にはとても切なくて。
変わる事も、変わらない事も。
全てが自分には必要な事で。その一瞬一瞬を愛していけばいいのだと、そう気付かせてくれた再会だった。



「隆、」

「ーーーっ…」


いつの間にか零れ落ちていた涙。
隆一の目尻を伝った雫はそのままシーツに落ちた。
イノランはそんな隆一を愛おしげに見つめると、目元に唇を寄せて涙の痕を舐める。
そしてくすぐったくて、咄嗟に目を瞑る隆一を。
ぎゅっと上から覆い被さって抱きしめた。


「隆が自分で導き出した答えで良いんだよって、おじいさんが身を以て教えてくれたな?」

「…ん?」

「それがわかって良かったな?ーーーだってさ、」

「ーーーっ…イノ?」

「隆の今のカオ見ればわかる。吹っ切れて、晴々してて、超いいカオしてるもん」

「え…?」

「空飛んでる時の隆とおんなじ。歌ってる時の隆と同じ。ーーーきらきらしてる」



…キシッ、


「ん…っ…」

「そのままでいいよ」

「ーーーっ、イ…ノ」

「どんな隆も好きだし、側にいるから」

「イノちゃん…」


イノランの背に両手を絡ませると、至近距離で微笑み合って、すぐに唇が重なった。
初めて二人でした時とは考えられない位に、もう今では心地よく馴染む。
互いの匂いも、互いの味も。
このひとしかいらないと思える程に愛していた。


「ふぁ…っ」

「ーーーん、」

「イノ…っ…ん」

「りゅ…ちゃん」



こんな自分は予想もしていなかった。
誰かに心奪われて、新しい自分になるなんて。
変わり移ろってゆく自分を、受け入れるなんて。

変わってゆく自分に時折戸惑うけれど。
でも、それが楽しい。
イノランと一緒だから。
怖くない。



ーーーそれでいいよ、隆一。



恋人の口づけに溺れながら、そんな〝おじいさん〟の声が聞こえた気がした。










せっかく久々の師弟の再会だったというのに。
アーティストデビューを果たせた事を話すのをすっかり忘れてしまっていた。



「話したい事いっぱいで、全部話しきれなかったね」


そう苦笑する隆一にイノランは、いいさ。と、笑った。


「住んでいる場所もわかったんだ。もうすぐ俺らのアルバムも出来上がってくる。それと一緒に手紙を送るのもいいんじゃないか?」

「あ、!」



イノランの提案に隆一はパッと顔を上げた。
夏の終わり、八月三十一日に発売が決まったユニット初めてのアルバム。
それと共に送ったら…


「びっくりしてくれるかな」

「そりゃぁ!」

「ん、」

「だって隆の歌だ。それがアルバムって形になって」

「音楽の仲間もできたんだよって、喜んでくれたら嬉しい」


空の仲間ももちろん大切。だけれど彼らとはまた違う、音楽という繋がりで得た仲間だから。
後悔しない生き方をしなさいと言う、清明ならばきっと喜ぶのだろう。


「アルバムが出たら、その後にライブも控えてる。ーーー隆のじいちゃんにも観に来てもらえたらいいな?」

「っ…ライブ」

「隆の歌聴いてもらいたいもんな」

「ーーー」

「ーーーーー隆?」



唐突に押し黙ってしまった隆一。
イノランはそんな隆一を気にしながら言葉を待った。


「ーーーね、イノちゃん」

「ん?」

「その…。ほんとうに今更、で…なんだけど」

「?…うん」

「ーーーライブって、」

「ーーん?」

「たくさんのひとの前で…歌うんだよ…ね?」

「ーーー」

「ーーー大きなステージで、歌うんだよね?」

「ーーー」

「歌うことは…大好き。イノちゃんと、葉山っち…と、こんな一緒に音楽が出来る機会をもらえて…」

「ーーー」

「すごく…すごく、嬉しくて。ーーーーーーでも、」

「ーーー」

「ーーーーーっ…緊張…とか、失敗したり…とか。俺、上手く歌えなかったら…って、」

「ーーー」

「だってせっかく三人での初めてのライブなのに…っ…」



ぎゅっとシーツの端を握り締める隆一の手は、小さく震えている。
それを見て、イノランは隆一の気持ちが手に取るようにわかって。
その震える手に、そっと手を重ねて包み込んだ。




「いいんだよ」

「…っ?」

「前に言っただろ?ユニットとしては、俺も葉山君も初めてのライブ。隆だけじゃない。…まぁ、隆はライブ自体が初めてで緊張してるってのもあると思うけど…」

「…うん」

「アルバム出して、ライブ告知して、たくさんのスタッフに動いてもらって、お客さんにチケット代払って来てもらう以上、もちろんいい加減なものは見せられない。それは隆もきっとわかってると思う」

「ーーーん、」

「ーーーでも、そこにばっかり囚われてガチガチになったら…。どう?心から楽しめないよな?」

「…あ、」

「思い出してよ、もしも本番のステージで頭真っ白になってもさ。隆があの森の崖の上で歌ってた気持ち。歌いたいって渇望してた気持ちと、空の事で揺れてた気持ち。俺と葉山君と出会って生まれた音楽をさ」

「ーーーーーっ…」

「やっと隆は、夢見た場所に立てるんだから」



イノランの言葉で、隆一は縮こまっていた気持ちがパッと晴れるようだった。


歌いたい。


その思いを、隆一はいつからかずっと大切に抱えていた。
あの崖の上で、灯台の建つ岬の先で。
涙に暮れるひとりきりの部屋で。
空の仲間の前で。
空の中で、風に身を任せながら。

隆一はずっとずっと、夢見ていた。


誰かと一緒に、音楽を楽しむ自分を。





〝隆〟

〝隆一さん〟


イノランと葉山。
彼等こそが、その〝誰か〟なのだ。



「ーーーイノちゃん、」

「な?」

「っ…うん」


ようやく顔を上げた隆一を見てイノランはホッとしつつ、悪戯っぽい顔でこう言った。


「最初から全部完璧!なんて無理なんだし。…っていうか、俺も今まで何本もライブやってきたけど完璧に満足したライブなんてねぇよ。だから毎回が刺激的だし楽しい。隆もそんな感じで自由に歌えばいいんだよ」

「自由に…」

「気持ちよくな?」

「!」

「そこ、重要。隆が気持ちよく歌えると、俺も葉山君も気持ちよくなれる」

「ぅ、うん!」

「いいよ。もしかしたらライブ会場にどんな風が吹いてもさ。隆が心地良ければ、いい風が吹くもんな?」



風と歌と。
その両方を併せ持つ隆一にしか歌えない歌。
イノランは、もうすっかり魅了されていたから。
唯一無二の、隆一の歌に。




隆一は、傍のイノランにぎゅっと抱きついた。
その胸に額を擦り付けると、小さいけれど、はっきりした声で、言った。



「ありがとう、イノちゃん」

「ーーー隆、」

「気持ちよく歌う」

「ーーーん」

「ーーーーーー……一生懸命歌う」

「ん」



それが、いよいよ覚悟を決めた隆一の言葉。
あと自分にできるのは、最高の演奏と、側にいる事だと思えて。
イノランは。
隆一の顎をそっと掬って顔を上げると。
その誓いの、キスをした。






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