round and round (みっつめの連載)
夏の終わりにユニット初のアルバムリリースが決まり。それと同時に進められているのが、そのアルバムを携えての、こちらも初のライブの予定だった。
イノランと葉山は後にその予定をマネージャーから聞かされた時。
ーーー待ってました!とばかりに喜んだものだが。
初めて尽くしの隆一にとっては、余りに目まぐるしく動いていく事柄に。
時折不安げに、曖昧な微笑みを見せた。
そんな隆一の心情をイノランは察するけれど。葉山と一緒に元気付ける声を掛けたり、時間を見つけては気分転換にと街へ連れ出したり。(何しろ隆一自身が究極のアウトドア派なんだから)
いつもと違った気分を…。それによって緊張した気持ちが解れればいいな。と、イノランは願うばかりだった。
そんな折。
スタジオ帰りの車中。
隆一を乗せて灯台まで送る道程で。
ちらちら、と。時折何か言いたげに視線を向ける隆一にイノランは気が付いた。
「どした?」
「!」
「こっち気にして。ーーーなんかあった?」
「ぅ、ううん」
無意識だったのかもしれない。
イノランに指摘されて、焦ったように慌てて首を振る隆一。
別に悪い事をしているんじゃないんだから、と。イノランは運転の片手を伸ばして、隆一の手に手のひらを重ねた。
「どっかで停まるか?休憩する?」
「ううん、平気だよ。…ごめん」
「なんで謝んの。なんもしてないだろ?」
「…う、ん」
サービスエリアの標識が遠くに見えて、そちらへ進路変更…と思ったイノランだったが。
再び慌てたように首を振る隆一を見て、そのまま直進でぐん…とアクセルを踏んだ。
高速道路を照らすライトが流れ星のように尾を引いて後ろへ流れて行く。
こんな風に車も疎らな高速をぐんぐん進む様は空を飛ぶのに似ていると隆一は思った。
横を通り過ぎていく景色は、高低差はあるけれど同じように速い。
「ーーー」
「ーーー」
しばらく無言が続く。
イノランはちらりと横目で隆一を見ると、それでも隆一が何か言い出すのをゆったりと待った。
「ーーー行きたいところが…あるの」
「いいよ、どこ?」
間髪入れずに了承して訊ねるイノランにちょっとびっくりするけれど。
そこにイノランの優しさを感じて、隆一はやっと素直に口を開いた。
「ーーー真ちゃんが言ってたんだ」
「真ちゃん?ーーー真ちゃんって、確か隆の仲間の空の…」
「うん。雷鳴の真ちゃん。彼は俺よりも移動の範囲が広いから、情報いっぱい持ってるの」
「そっか。雷の季節に合わせて移動するんだもんな。ーーーで、彼がどうした?」
「ん。…あのね?俺のおじいさんの話、イノちゃんにも時々してたでしょ?俺」
「ああ、隆の話によく出てくる風使いのおじいさんだろ?」
「そう。ーーー俺を一人前にしてくれた後、それきり会ってない。…もう、ずっと会ってない。会いたいなぁ…って思う事もあるけど、どこにいるのかもわからないから、どうしようもないんだけど…」
「ーーーうん、」
「…でも、真ちゃんの知り合いがね、見た、って」
「え?」
「真ちゃんも通りすがりの世間話の中で聞いたから、あんまり詳しくは聞かなかったみたいなんだけど。ーーーきっとそうだって、言ってた人がいるんだって」
ぎゅっ…!と。重ねた隆一の手が握り締められるのをイノランは感じた。
ーーー隆一の頬が、ほんのり紅潮しているのにも気がついて。
イノランは、そうだよな…と、心密かに納得する。
血は繋がっていないと、以前隆一が言っていた。
けれども幼い頃から一緒にいて、空の全てを教わった。
隆一にとっては、ただ一人の大切な家族だったのだろう。
そんな大切なひとと離ればなれになって。
ずっと会えなくて。
会いたいと思うのは当たり前で。
そんな時に見たという情報を得たのなら。
「ーーー会いたいか?」
「っ…」
「ーーー会いたいよな。…」
「ーーーっ…俺、」
「ーーーん?」
「探しに行きたい。ーーーおじいさんを見たっていう場所に、行ってみたいの」
「ん、」
隆一の声に、イノランはすぐに頷いた。
反対する理由なんかない。
隆一と出会って、イノランは知っていたから。
彼の心を、どれだけ〝おじいさん〟との想い出が支えているか。
悔しいけれど、イノランにはどうしても理解してあげられない、隆一の風使いとしての悩みや葛藤を。
唯一、理解してあげられるのは〝おじいさん〟しかいないのだと。
イノランはこれまで隆一の側にいる中で、気付いていたのだ。
「いいよ、一緒に行くよ?」
「イノちゃんっ…」
「実はさ、俺も会ってみたかった。隆のおじいさん」
「ーーーホントに?」
「うん。隆をこんなに素敵なひとに育て上げたおじいさんってタダもんじゃねぇなって」
「‼」
「もちろん、隆がもともとから魅力的なひとだったって思ってるけどな?」
「…イノちゃん」
「それにさ」
「え、?」
「隆の夢がまもなく叶うんだから。アーティストデビューと、そのあとライブも続くし」
「あ、」
「せっかくだから、その事も教えてあげたいもんな?」
「っ…う、うん!」
パァっと顔を輝かせた隆一。
そんな様子を見たら、是非とも隆一の望みを叶えてあげたいと思うのだった。
「じゃあ決まり!善は急げだ。明日早速行くか?」
「っ…いい、の?」
「明日は葉山君が別件で留守で元々オフだったからさ。隆の空の仕事が終わった後でも…ーーー」
「大丈夫!行けるよ!」
「ん、じゃあ行こうか。明日」
車内は、一気に活気立った。
着の身着のままだけれど、明日また一緒に行動するならこのまま泊まる?
そんな隆一の提案に、イノランはひとつ返事で頷いた。
「隆の家って、なんか良いんだよな。落ち着くっていうか」
「そう言ってくれたら嬉しい」
灯台の側に駐車場なんてものは無いから。
すぐそばの岩場に、ザッと車を停めた。
ザザ…
ザ、ン…。
車を降りた途端に聞こえてくる波音。
エンジン音が消えた今、自然の音だけに満たされる。
イノランがプレゼントしたクリスタル。
隆一はそれと共に付けられた家の鍵を、服の中に隠していたネックレスごと引っ張り出した。
カチャ。
微かな音のあとに、扉を開く音。
玄関口の明かりを灯すと、主人を待っていた家はあたたかく二人を出迎えた。
「イノちゃん、よかったら先にお風呂に入ってね。その間に俺は夕飯を作るから」
「だめ」
「へ?」
「俺も手伝うよ」
「…え、でも。イノちゃんお客様だし…」
「違うだろ?」
「!」
「俺はお前のなに?」
「っ…」
「友達?同僚?仲間?それともただの知り合い?」
「…っイノちゃん」
「ーーー違う、よな?」
「ーーーこ、」
「ん?」
「…恋、人」
「よくできました」
くしゃりとイノランは隆一の髪を撫でた。
照れてるようだから、敢えて大袈裟に撫でた。
くしゃくしゃ。
イノちゃん!髪がぐちゃぐちゃだよー。
そんな文句が聴こえてきたから、イノランは口元をニヤリと歪めて微笑むと。
そのまま隆一の後頭部を抱え込んで、視界を塞ぐように唇を重ねた。
ーーー最初から深く。
舌先よりも、唇を追いかける感じのキス。
吐息と共に、元気や勇気を分け与えるような、そんなキス。
「ーーーんっ…ふ、ぁ」
「な、隆?」
「んっ…ーーーん、?」
ちゅ…っ。
震える隆一の腰を抱き竦めて支えると、イノランは耳元で囁いた。
「遠慮なんかすんな」
「っ…」
「俺にだけはさ」
「…ん、」
「どんな隆も、全部」
好きだからな?
波音に混じって聞こえたイノランの声はひどく心地よくて。
隆一は、その惜しみなく与えられる愛情に泣きそうになってしまって。それならばせめて自分も何度だって伝えようと。
イノランの胸に擦り寄って、彼にだけ聞こえる声で、囁いた。
俺も、イノちゃんの全部が好きだよ。と。
翌朝。
目覚めは上々。
早朝から空を飛び回ってパトロールを終えてきた隆一は。
その頃にはすっかり身支度を終えて待っていたイノランの元へ、文字通り飛んで帰って来た。
ーーーしかし、そのイノランはなんだか眠そうにも見えて、隆一は首を捻った。
「イノちゃん、まだ眠い?」
「や、平気だよ」
「そう?なら、いいけど。ーーー無理しないでね?」
ーーー無理。我慢しまくりの一夜だったよ…とは、イノランはどうにか言わずに笑って見せた。
昨夜は帰り着いて早々に、あんなキスをしてしまって。
結局夕飯作りも一緒、ついでに風呂まで一緒。極め付けはベッドがひとつしかない隆一の部屋。ベッドに潜り込んでからも、ペッタリと側に擦り寄る隆一に我慢の連続のイノランだったのだ。
二人はもう立派な恋人同士なんだから、我慢なんて必要ないとも思ったが。
明日への期待で胸いっぱいの隆一を目の当たりにすると、手を出すのはなんとも憚られてしまって。
悶々と寝不足に陥る程に我慢してしまったイノランは。
自身が隆一に伝えた〝遠慮するな〟という言葉をそっくりそのまま自分に言いたいよ…と。苦笑いを零すばかりだった。
(…帰ったら覚えてろよ)
そんな決意をイノランが内心固めているとは知る由もなく。
隆一は元気いっぱいにイノランの手を引いて、再び午前中の空へと飛び立った。
今日は爽やかな夏空だ。
真夏の今の時期は、地上でじっとしているとジリジリと焼けるような暑さが身に滲みるけれど。こうして風を切って空を駆けていると、暑さなんてまるで感じない。
「隆!どこまで飛ぶんだ?」
飛行機のようにぐんぐんスピードを出して飛ばす隆一に、イノランは通り過ぎる風に負けないように声を上げた。
すると隆一は遥か前方の、まだ遠くてよく見えないが、細く突き出た岬を指差した。
「あそこにも灯台があるの。もうこの辺りは真ちゃんの知り合いが管理している範囲になるんだけど、その人はあの灯台の近くの小さな港町で見たって言うんだ」
「あそこにも灯台があんのか。知らないだけで、結構あちこちにあるんだな」
「海岸線が続く地形だからね。ぴょこんと飛び出た岬には、よくあると思う」
「隆はあそこの灯台には来た事あるのか?」
「ううん、初めて。地図上にあるのは知っていたけど…」
「そっか」
「ーーーまさかそこの近くにおじいさんがいるかもしれないなんて…」
「ーーー」
繋いだ手が、ぎゅっとなるのを感じて。
イノランは、隆一の心が今揺れている事に気がついた。
ーーー会えるかな。
ーーー本当にそこにいるのかな。
ーーー会えるかな。
ーーー会いたいよ。
ーーーでも、会えないかもしれない。
そんな、期待と不安で揺れる心。
気休めや無責任な事は言えない。
けれど、今隆一の側にいるのは自分なんだから、と。
こう言ったのだ。
「会えるさ、きっと」
「イノちゃん、」
「隆がそんなに強く想っているんだから」
人気の無い林の中で地上に降りた。
時間はまだ昼前だろうか。
隆一の住む灯台の周りのこんもりした森に比べると、ここはシュッと真っ直ぐな木々が立ち並ぶ並木道のような風景だ。
「明るいね」
「葉が黄緑っぽいから、光を透すんだな」
木々の隙間から空を見上げると、真っ直ぐな木の先端の方で、さわさわと心地よく葉が揺れていた。
「ーーーここに、おじいさんが」
「ーーー」
ぽつりと呟いた声は、誰に聞かせるものではなく。
隆一が自分自身に聞かせる為のようで、イノランはそんな隆一をただ見守った。
降り立った場所は、あくまで推測の域。
真矢の知人の話だって、隆一が直接聞いた話ではないから。
人伝てに聞いた、推測。
必ずここに探し人がいる保証は無い。
それでも来たいと強く願った隆一の行動は、きっと何かしらの得るものがあると。
そう信じていた。
「ーーーどうしようか。そんなに大きな町ではなさそうだから、まず歩こうか」
「そうだね。それでひとに聞きながら探してみよう」
「おじいさんって、今は幾つぐらいなんだ?」
「ん、とね。俺が子供の頃にはすでに白髪混じりのおじいさんだった…んだけど。ーーーでも、実は正確な年齢、俺も知らないんだ」
「そ、か」
「あんまり関係ないから。正確な年齢って、空を飛んでる分にはね」
「…え、じゃあ隆の歳も?」
「俺のは正確なんだって。なんでかっていうと、俺が生まれる瞬間におじいさんが立ち会ったらしいから。おじいさん、なんか色んな事ができるひとで。医術からサバイバル術からなんでもできたひとなんだよ」
「…すげえな。隆のじいちゃん」
「ふふふっ、ね?だから大丈夫。俺はイノちゃんと同い年だよ?」
「ーーーそっか。」
それでか…と、イノランは納得した。
以前隆一が顔を顰めて飲んでいた漢方薬。あれはおじいさん直伝のものだと聞いていたから。
ーーーそれに、時折その片鱗を覗かせる、隆一の秀でた逞しさや対応力は。
きっとこのおじいさん仕込みのものでもあるのだろうと、イノランは頷いた。
林を抜けると民家が疎らに立ち並ぶ風景が広がった。
海沿いにはこじんまりとした漁港があって、そのシンボルとも言えそうな白い灯台。それはどことなく隆一の家の前にあるものとよく似ていて、双子のようにも思えた。
ーーーしかし、それにしても…だ。
「ひと、いないねぇ…」
「昼時だからか?皆んな飯食ってんじゃねぇの?」
「そっか。そういえばもうすぐお昼だもんね」
どうりで…。
隆一は辺りを見回して、人っ子ひとり見当たらない海の町の真ん中で立ち止まった。
「イノちゃんはお腹空かない?」
「ん?いや、空いたって言えば空いたけど。まだ平気だよ」
「そう?お腹空いたら言ってね?」
「なんで?」
「ーーーお弁当持ってきた」
「え、?」
イノランが目を丸くすると、少々照れ臭そうに隆一はショルダーバッグをポンと叩いた。ここに入っているの、と。早朝仕事前に、大急ぎで作ったんだ。
そう言ってはにかんだ。
「…マジで?隆の手作り⁇」
「ーーーうん…。急いで作ったから、ちょっと変かもしれないけど」
「やば…」
「え、?」
「あ、いや。悪い意味じゃなくて…。そうじゃなくて」
「?」
「ーーー嬉しすぎて、ヤバい…っていうかさ」
「っ…!」
「ありがと、隆。すっげえ、嬉しいし楽しみ!」
「ーーーそんな大きな期待しないでよ~」
ぎゅっと、隆一は照れ隠しでイノランの胸に顔を埋めた。
自分のした事でイノランが喜んでくれる事が嬉しくて。
自分の我儘で今日ここへ来たから、せめて何かお礼がしたいと思って作ったものだから。
喜んでくれて、それが素直に嬉しかった。
そんな二人、それほど遠くない場所にある一軒の家が視界に入った。
外観は他の家とあまり違いは無いけれど、何故気になったかと言えばそれは煙突からの細い煙だった。
まず煙突自体が珍しいし、穏やかに立ち昇る白く細い煙はゆらゆらと屋根の上でとけて。
その様がなんだか、こっちへおいでと呼ばれているように思えたのだ。
「誰かいるのかもしれないね。あの家まで行ってみて、聞いてみようか」
「そうだな」
「ーーーもしもお留守だったら、あの辺りの木陰でお弁当食べよう?」
「いいね!」
顔を見合わせてにっこり。
二人は手を繋いで、その煙突の家目指してゆっくり歩き出した。
青い屋根。
遠くからはよくわからなかったけれど、それは青空に融けるような青色だ。
煙突は同じ青色のペンキで塗られていて、さほど大きくはないものだった。
「ポプラの木。こっちはミモザかなぁ。あ、庭は、ハーブがいっぱいだ」
「なんかいいな、ハーブガーデンみたいで」
低い柵越しに見える家周りは植えられた草木でいっぱいだ。柵も潮風に晒されているせいか、脆くなってる部分もある。でもそれが逆に、この小さな煙突のある家によく似合っていた。
「ーーーあ、いい匂い」
「ん?ーーーああ、ホントだ」
「パンの焼ける匂いかなぁ」
「そうだな」
ーーーその匂いにも誘われるようで。
白壁に嵌った、焦げ茶の枠のドアの横に取り付けられたドアベルを。
チリン。
隆一は、不思議と躊躇いなく鳴らしたのだ。
どきどきと、隆一の鼓動がイノランには聞こえるようだった。
ここに〝おじいさん〟がいるなんて思っていない。
この地へ来て初めて訪ねる家が探し人の家なんて、さすがにそんな偶然は無いと。
ーーーでも。
隆一がどきどきしている。
それだけはわかる。
それが何故なのかこの瞬間までは二人ともわからなかったけれど。
きっと、決まっていたのだ。
ーーー今日、ここで…ーーー
「ーーーはい、どちら様ですかな?」
ゆっくり開かれたドアの向こうから顔を覗かせた人物に。
穏やかにゆっくり話す、その声に。
隆一は、堰をきったように涙を溢したのだ。
.