round and round (みっつめの連載)
人の気持ちというものは、こんなにも他人の存在によって変わるものなのか…と。イノランは自分の事ながら感心していた。
当時子供だったイノランが大人になる程の長い長い年月を経て。
蒼い森を抜けた海を臨む崖の上で、奇跡的に再会した、イノランと隆一。
( ーーー奇跡的…?)
そう思いかけて、イノランは心の中で首を振る。
( そんな偶然みたいなもんじゃない )
あの子供の日の、初めて隆一と出会った事を。
成長する間に、確かに意識の外に置いていた時期もあったけれど。
この、今のタイミングで思い出して。
隆一の笑顔が鮮やかに甦ってきて。
また会いたいと、望むようになって。
あの森へ通って。
そして再び、隆一と出会えたのは。
( すごいよね )
しかも。名前も知らない。子供の頃にたった一度だけ出会った相手なのに。
イノランにはすぐにわかった。
隆一が、あの日の彼だと。
ーーーそして隆一も、イノランの事をちゃんと覚えていた。
( 運命…じゃないか?)
子供の頃のあの日。
出会うべくして、出会ったと。
イノランには、そう思えてならなくて。次に会うと約束した月曜日までが待ち遠しくて。一日が終わる度に、指折り数えている自分にハッと気付くと。妙な照れとくすぐったさに、イノランは人知れず苦笑をもらした。
「葉山君、お疲れ様」
「イノランさんもお疲れ様です」
スタジオ通いの日々は、相変わらず継続中。毎日こうして、葉山やスタッフ達と顔を突き合わせての曲制作が続く。
今日はいつにも増して機嫌の良いイノラン。浮かれているわけではないけれど、どこか地に足が着いていないようで。てきぱきと帰り仕度を進めるイノランに、葉山はチラリと横目で見て言った。
「イノランさん」
「ん?」
「どうしたんですか?今日は」
「え?」
「まぁ、今日だけじゃないんですけど、ここ最近。元気いっぱいじゃないですか?」
「 ーーーそう?」
「それから、楽しそうで嬉しそうで…なんとなく、そんな感じがダダ漏れです」
「ーーーマジか」
葉山はイノランよりも少しだけ歳が下。しかしその長身と落ち着いた態度が、時折イノランよりも歳上のように感じさせる。穏やかな語り口で紡がれる言葉は妙に的を得ていて、その上気遣いで。きっと、ひとや周りの事をよく見ているんだ…と。仕事上のパートナーとして、友人として。イノランは葉山を一目置いていた。
「ーーー例えばね」
「?…はい」
「例えばーーーすげえ宝物を見つけたとして。嬉しくて、それからずっと心が浮き立つようで…って。そんな状態になったら、葉山君はどうする?」
「ええっ?」
「その宝物が、実はずっと何年も前から心の奥底に眠ってたもので、急に目覚めて、その事が頭から離れなくなっちゃって、嬉しくてどきどきして…って。ーーーそんな経験ある?」
「ーーーーーーそれは」
「うん」
「イノランさんがこないだ言ってた、初恋のひとに再会~…っていうのに関連ありますか?」
「!」
「ーーーーーーあるんですね」
「ーーーさすが…葉山君」
「ん?」
「そうだよ」
「‼ーーーそれは」
「うん?」
「すっごく、素敵な事ですね!そんな経験、したくたってそうそう出来るもんじゃないです。いくしかないでしょう」
「ーーー…しかない?」
「だって嬉しくてどきどきで、僕にバレるくらい浮き足立ってるんでしょう?是非躊躇せず飛び込んで下さい!それがきっと、音楽にも返ってきます」
「‼」
「Dive youth です!イノランさん!」
ーーー知らなかった。
葉山君は熱血漢な部分も隠し持っていたのか。ーーーと。車を運転しながら、イノランは感心したように頷いた。
葉山に事のほんの端の部分だけだけれど、話してみて良かったと思った。
それまで持て余し気味だった、嬉しさや心の騒めきが。葉山の力強い後押しでぎゅっと凝縮されて。浮つきやブレのない、確かな気持ちを持つ事が出来た気がした。
「ありがとう。ーーー葉山君」
躊躇うつもりは無かったけれど。
自分の身に降り注いだ煌めくような出来事に揺れていたのも事実。
でも、もう。平気だ。
もう無駄に浮つかない。
しっかり隆一と向き合って、再会できた喜びを分かち合いたい。
今日はあれから一週間。
月曜日。
陽がゆっくり傾き始める午後。イノランはあの森へ向かって、車を走らせた。
前に来た時と同じように、イノランは麓の街のあのカフェへ立ち寄った。
ワッフルは初めてと言って、美味しそうに頬張った隆一。あの笑顔を思い出したら、また持って行ってあげたいと思ってしまうのは仕方ない事だろう。
イノランはそんな事を考えながら、ワッフルとコーヒー。それから今日はミルクティーも買って。それらを助手席に丁寧に置くと、再び森のハイキングコースの駐車場まで車を走らせた。
「ちょっと遅くなった…」
途中工事があって迂回していたら、予定より少し遅い到着になってしまった。
駐車場から見上げる空は、既に鮮やかなオレンジ色に変わり始めている。
( 急ごう )
ーーー隆一が待っててくれている。
イノランはいつもよりも早い足運びで森を進む。
足早…と言うより、ほぼ小走りだ。
森の中で、こんな急ぎ足で進めるのは、ここが整えられたコースだから。コースを10分程進んだら、脇道にそれて、5分程オレンジ色の光の方へと下草のある道を進む。
( もうちょっと )
待たせてしまっていると思うと、気が急いてくる。
早く会いたくて、胸が弾む。
樹々の隙間から見えていたオレンジ色が、突如イノランの目の前にパッと広がった。
「っ …ーーーー隆ちゃん」
すぐに目に付いた、黒髪のひとの後ろ姿に声掛けをして。そのーーー隆一が、振り返る前に、駆け寄った。
「遅くなった、ごめんな」
「ーーーイノちゃん」
「っ…?」
一瞬だったけれど。隆一が泣きそうに見えたのは何故だろう。
イノランが、え?…と思った次の瞬間には、晴れやかな隆一の微笑みがこっちを見ていた。
「俺もたった今来たとこ。大丈夫だよ?」
「ーーーそう?…」
「うん!」
「ーーーそっか。それなら良かった」
にこにこと、また会えて嬉しいとでも言うように笑みで表情を崩す隆一を見ると。今の一瞬の泣きそうな表情は見間違いだったのかと思ってしまう。
「ーーーイノちゃん?」
じっと隆一を見つめるイノランに。隆一は真っ直ぐ見られて恥ずかしいのか、首を小さく傾げて頬を染めた。
「俺…なんか変?」
「ぁ、え?なんで?」
「だってイノちゃん…じっと見てる」
「ーーーああ」
「ーーーなんか俺、変な格好とかしてるのかな…って」
「‼ーーー変じゃないよ」
「…ん?」
「…また会えて嬉しくて」
「ーーー」
「つい。ぼーっとした」
ごめんねって、手を合わせて。
一瞬の表情の事は、取り敢えず心の端に置いて。
ーーー今は…
「今日もまた、一緒にオヤツにしよう」
「はい」
「わぁ、ありがとう!」
温かいミルクティーがたっぷりと入ったカップを渡されて。隆一はぱあっと目を輝かせて、そっとそれを受け取った。
白い湯気がふわっと隆一の鼻先に広がって、その湯気も味わうように香りを嗅いだ。
「美味しそうな匂い…」
「そ?良かった。ミルクティーだよ」
「ミルクティー?」
「ぇ…?ーーーうん」
「ーーーミルクティー」
「…知ってる…よな?」
「ーーーーーーーん…」
「ーーー」
「俺…。あんまりよく知らないんだ。ーーーごめんね?」
「え…?」
「でも!この香り。美味しそうだってゆうのはわかるよ?イノちゃんありがとう!こないだも、ワ…ワッフル、すごく美味しかった」
いただきます。と行儀よく言ってカップに口をつける隆一。
ひと口飲んで、美味しい!と、顔を綻ばせている。
( ーーーーーなんでだ? )
ワッフルも、ミルクティーも。
好みによっては口にするしないはあるだろうが、それ程珍しくはない物だ。その名前くらいは知っていそうだけれど…。
隆一は初めてその存在を知って、口にしたのだろうか?
「ーーーーー隆ちゃん」
「うん?」
「美味い?」
「うん!」
ーーーでも、まぁ。いっか。
美味しい!と笑う隆一を目の当たりにしたら、知らない事なんてどうでもいいやって思ってしまう。
逆にこれは、隆一の色んな初めての瞬間に立ち会える、とても喜ばしい事じゃないか?と、イノランは気が付いた。
カフェの袋からワッフルを取り出して、それも隆一に手渡した。
「今日はチョコのワッフル」
「チョコ !それは知ってるよ?大好き」
ありがとう!と言って今度はワッフルを受け取る隆一。
それを見て、そりゃチョコは知ってるよな。…と、ほっとして頷いたイノラン。
( ーーー不思議な奴 )
見た目や佇まいは、穏やかで、優しげで。でもどこか、ミステリアスな部分がある。
( 惹かれんなって方が…無理だ )
イノランは自分もコーヒーを飲みながら、傍らにいる隆一の存在を感じて。
それが。
葉山といる時の、仲間意識とは違う。
音楽で繋がっている友人達といる時の、友情とも違う。
大人になって隆一と顔を合わせるのは、まだ二度目だけれど。
隆一といる時にだけ感じるこの感情は何だろう?
心の中で首を傾げるイノラン。
ーーーけれど。
それがわからないのは、この時までだった。
「イノちゃんは、どこから来てるの?」
抱えた膝の上に、両手で大事そうに持ったミルクティーのカップをちょこんと乗せて。
隆一は微笑んで、イノランを見ていた。そんな可愛げのある姿に。
ーーーどきん。
イノランの鼓動が、静かに跳ねる。
( え )
ーーーなんだ?今の。…と思いつつ、イノランは隆一の問い掛けに答えた。
「下の駐車場までは車で来てる。だいたいいつも仕事の後かな?都内から高速走って来るよ」
「へぇ、ーーーイノちゃん、なんのお仕事?」
「ん…まぁ、ミュージシャン。曲作って、ギター弾いて歌ってる」
「っ…すごい!」
「そ、かな」
「すごいよ!ーーーいいなぁ…俺もね、音楽大好きなんだ」
「ホント⁇」
「うん!音楽はみんな好きなんだけど、俺は歌うのが好き!」
「そういえば、前回も歌ってたもんな。しかも、すげえ綺麗な声で」
「ーーーなんか恥ずかしい…。イノちゃん、この前の別れ際に言ってくれたでしょ?」
「ん?ああ。隆ちゃんの歌声大好きって叫んだアレな?」
「嬉しかった。あんな風に叫ばれるの、初めてだったから」
「だってホントに上手かったし、綺麗な声だし。もっと聴いていたかった」
「え…ーーー?」
「ーーーあれは本心だからな?」
隆一が、目を離さないで見つめてくれる。僅かに色づいた頬が、嬉しいと言ってくれているみたいだ。
夕方の風が、サァ…っと吹いた。この崖の上は、いつも心地いい風が吹く。その風が、隆一の黒髪をふんわり揺らして、色づく頬を掠めて行った。
ーーーどきん
( まただ、この鼓動 )
さっきから、おかしい。
この胸の鼓動。
ーーーでも、この感じは知ってる。
初めてじゃない。
ーーー初めてじゃないけど…こんなのは多分、初めてだ。
「ーーーイノちゃん?」
「…ん?」
「どうしたの?…ぼんやりしてる」
「ーーーーーーーーー」
「?」
「ーーーーーいや…。なんでもないよ」
「?…そう?」
「うん。ーーーごめん」
心配そうに窺う隆一に。イノランは手を伸ばすと、その柔そうな黒髪に初めて触れた。びくっとした小さな反応が伝わってきたけれど、イノランはそのまま、優しく隆一の髪を梳いてやった。
「ーーーイノちゃん…」
「ーーーーーん?」
気持ちいいのか、いつしか隆一は目を細めて、猫のようにイノランの肩口に頭をすり寄せた。
そして、上向きに弓なりになった口元を緩く開けて。
また猫のように、ふふっ…と、くすぐったそうに微笑んだ。
( ーーーーーーーーっ…やばい… )
その微かな隆一の反応を間近で受けて。イノランは騒めく心の内を宥めようと必死だった。
さっきまでは小刻みに時折襲ってきていた胸の高鳴りが。今やもう鳴り止まない。イノランの内心は大騒ぎだ。
この感じは知っている。
この感じは紛れも無い、相手を好きだと想う時の鼓動だ。
それは仲間としてでもない、友人でもない。
恋愛の感情を伴ったもの。
( ーーー隆ちゃんに? )
出会ってまだ二度。子供の頃のあの日を含めてもたったの三度。
それも同性同士。それによく考えれば、隆一の事は名前以外は何も知らない。
それなのに、隆一の存在がイノランを捕らえて離さない。もっともっと隆一の事が知りたい。歌声ももっと聴きたい。正直、週一度しか会えないなんて、そんなの物足りないとすら思うようになっていた。
( ーーーなんだよ俺…すげえ好きなんじゃん。ーーー隆ちゃんのこと )
同性とか、何も知らないとか。もうイノランには関係無くて。そんな事に意識をつかうなら、隆一を側で感じる事に意識を向けたかった。
こんなにも求めてしまう感情。今までの恋愛経験であっただろうか?
「ーーーなぁ…隆ちゃん」
「ん…?」
「ーーーーーーーーーえっと…」
「なぁに?」
「ーーーーーーーーーこれからも…週一しか…会えないのか?」
「っ…ーーー」
「もう一つ本心を言ったら。…ホントはもっと会いたい。ーーー毎日でも…」
「ーーー」
「隆ちゃんに会いたい」
「ーーー」
「隆ちゃんの仕事…まだ隆ちゃんの事、全然知らないけど。隆ちゃんの都合の良い時間に合わせる事だって出来る。ーーー幸い俺、割と時間は自由に出来るから」
「ーーー」
「ーーー月曜の夕方からの少しの時間だけなんてさ。ーーー全然足りねえよ」
「ーーーーーー」
「ーーーー隆ちゃん…」
「ーーーーーーん…?」
隆一が、さっきとは違って。身体を僅かに固くしているのがわかる。
ーーー戸惑わせてしまったかな…と思いつつも。言わずにはいられなかった。
また次の月曜日までなんて、待てなかった。
隆一を好きだと。
自覚してしまったから。
イノランの肩に身体を預けていた隆一が身動いで、じっとイノランを見上げた。
案の定、ゆるく眉を寄せて、困惑の表情を浮かべている。
「ーーーなんで?」
「ーーー」
「ど…して。そんなに俺と、会いたいって言ってくれるの?」
「ーーー」
「ーーーーーーーイノちゃん」
不思議と、さっきまでの心地いい風が止んでいる。樹々の囁きも聞こえない。隆一の髪も、ふわりとも動かない。
ただ。
イノランの鼓動だけが、うるさいほどに鳴り響く。それに打ち負けないように、イノランは覚悟を決めて言った。
「好きだから」
「ーーーぇ…?」
「隆ちゃんのことが、好きだよ」
「ーーーーー」
「好きだから。だからもっと、会いたいって思う」
「っ …」
「一目惚れとか、運命の出会いとか。そうゆうの全部纏めて、俺は今隆ちゃんの前にいる。ーーーお前が好きだ」
「イノちゃ…っ…」
ザァッ…ッ…!!
止んでいた風が、突然大きく吹き抜けた。
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