round and round (みっつめの連載)













「あの歌声が隆ので、しかも風使いだったなんてさ」




隆一との出会いの頃の思い出に暫し浸っていたスギゾーは、懐かしみを込めて言った。
急にそんな事を言い出したスギゾーに隆一はキョトンと目を丸くしたけれど。それが三人との出会いの、あの灯台での出来事だと分かると。
隆一は微笑んで、スギゾーに言った。




「初めてだったから、俺も」

「ん?」

「他の空のひと達に出会えたの」

「ん、そう言ってたよね。あの時も」

「だって振り向いたら三人も!しかも皆んなそれぞれに役目の違うひと達で。さらに皆んな歳が近いって」

「はははっ、ある意味奇跡だよね」

「ね、本当にびっくり。こんな事あるんだって」

「うん」

「ーーー嬉しかった、すごく」

「うん。俺もそうだったよ。多分、真矢もJもだ」





そうだ。
皆、言葉にはしないけれど。
四人が出会えた事は、ただただ純粋に嬉しかったのだ。

空という広大なフィールドを、ひとりで見守り、管理する責任。自然と共にあるこの仕事は、時に動物や植物。人々の営みを守る役割でもあるから。
独り立ちしたその日から、大きな責任という重圧は確かにあって。それに押し潰されないように、それでも空を駆けて。空の仕事を、日々こなしていた。

だからこそ。
同じ立場の皆んな。
同じくらいの皆んな。
何の気負いもせずに、話せる皆んな。
そんな存在が出来たことが、嬉しかった。




「ーーーあのね、スギちゃん」

「ん?」


ひとしきり会話をして、懐かしさを改めて感じ終えた頃。
隆一はスギゾーに、はにかみながら言った。
スギちゃんには、前に何となく言ったことがある思うけど…と。そう前置きする隆一の声には落ち着いた力強さもあって。スギゾーは何かを感じ取って、隣にいる隆一をじっと見つめた。




「俺、好きなひとがいる」

「ーーー」

「すごく…すごく、好きなひと。ーーーそのひとと一緒にいるとどきどきして、苦しくて。胸がいっぱいになって…」

「ーーー」

「ーーー指先まで、声の端まで力が満ちてくるみたいに思う。ーーー大好きなんだ」

「ーーー隆」

「…ん」

「ーーーイノラン。…でしょ?」

「っ…ーーーうん!」




力いっぱい頷いた隆一は、迷いが無くて。
その、堂々と好きだと言える姿の。
なんと美しい事だろう。…と。
スギゾーは、うっかり潤みそうになる目元をぐっと堪えた。



「隆、恋してんな?」

「っ…う、」

「ん?違う?そうでしょ?」

「…そう面と向かって言われると…」

「照れるって?いいじゃん!恋愛の、それって醍醐味」

「ぅ、う…ん」




たった今の凛とした表情一変。
恥ずかしそうに俯く隆一を微笑ましく眺めながら。
隆一にとって、きっととても大切な気持ちをこうして改めて教えてくれた事に。スギゾーはやっぱり、目元が潤んでしまう。
自分や、真矢、Jのいないところで。二人は何かを決断して、手を取り合ったのだろう、と。
気掛かりだった、隆一の〝迷い〟を。一歩一歩でも、イノランは寄り添ってくれているのだろう、と。
それがわかって、スギゾーは素直に嬉しかった。



(アイツ。…イノラン)



早朝の灯台の元で初めて交わした彼との会話を思い出す。
ーーーあの。優しげで穏やかな低音の声で。
隆一に愛を囁いてくれているのだろう。



(ーーーやるじゃん。アイツ)



三人にとっても、大事な隆一だから。
その隆一が幸せならば、見守るだけだ。



(ーーーっ…やば)



うっかりスギゾーは涙を滲ませて、慌てて隆一から視線をはずす。ぐいぐいと手の甲で目元を拭うと、照れ隠しとばかりに、今度は意地悪そうな笑みを浮かべて隆一に耳打ちした。



「ーーーで、どこまで?」

「え、?…どこまで?…って」

「だからさ。ーーーキスは?もうした?」

「っっ…‼ーーースギちゃ、」



少々下世話かと思いつつも、幸せそうな隆一を目の前にこのくらいは許せと、スギゾーは苦笑しつつも問いかけた。
途端に真っ赤になる隆一に、思いがけずにもキスは済ませたのかと気が付いて。
ーーーちょっとばかり複雑な…親?心。



「~~もぅ…スギちゃん」


しかし隆一は隆一で、さらにその先まで終えているなんて言えるわけもなく。威嚇にもならないが、スギゾーをジトリと睨んでその場をおさめたのだ。











その日のスタジオは、大人数で賑わっていた。

歌とコーラスの録りが終わった事で、次の作業へ。
曲に最終的な色付けをする、その為に集まった人たち。
それから早々にイノランと葉山の馴染みのカメラマン。
今までは二人での活動だったものが、今回からはもう一人メンバーが増えるとあって。是非レコーディング風景の撮影をと、訪れたのだ。
イノランと葉山に紹介されて、隆一はカメラマンと会話を交わした。以前からユニットの存在をきかされていた彼は、隆一と初めて対面して気持ちが高揚したようだった。



「早速、質問責め。写真一枚いいですか?って言われてたもんな。隆ちゃん」

「…写真って初めてだよ。…緊張した」

「でも隆一さんを見て、彼、うわぁ…って言ってましたよ」

「ーーーどんな、うわぁ…なんだろ」

「感嘆の。に、決まってます!すごく綺麗なひとですねって」

「えぇ…?」



たくさんのひと達の訪問に、隆一はどぎまぎしたものだったけれど。その一人ひとりに丁寧に挨拶をし、彼らの帰り際には、笑って送り出す事もできた。
隆一にとっては初めての事の連続で緊張もするけれど、イノランと葉山の存在が、隆一を支える力になった。





スタジオの壁に掲げられた今後のスケジュール。
CDのジャケットやブックレットの撮影が控えている。

これからプロモーションを進める中で、名前の表記を三人英字に統一しようということになった。



「俺…RYUICHI?」

「そう。葉山君はHAYAMAで、俺はINORAN」

「うぁ、」

「統一感あっていいですね!いよいよユニットって感じで」

「ぅ、うん…」

「隆、慣れない?まぁ最初だけだよ、なんか変な感じするの」

「…そっかな」

「それにこうやって表記変えるだけで、気分がチェンジすると思うよ。プライベートと、ユニットで。同じ人物だけど、ちょっと違う…みたいな」

「ーーーそっかぁ」




隆一と、RYUICHI。

風使いと、シンガー。



そのどちらかにしなければと、先日までは確かに思っていたし焦りも感じていた。
何度悩み抜いても、何度決断したつもりでも答えが出なくて。
空や海を眺めては、愁う日々も過ごしてきた。

けれども今、隆一の心は軽やかだった。
イノランが言ってくれた、まだ見ぬ他の道も探そうよ。という言葉に。

先日スギゾーと会った時も、この事を話した。
イノランから、三人も隆一の事を気に掛けていたと聞かされていたし。隆一の中に生まれた新しい気持ち。この先どんな風に進んでいくか。
それは三人にも感謝と共に伝えておきたかったのだ。



〝隆なら、きっと見つけられるよ。まだ見ぬ最幸な選択肢をさ〟


そう言って、スギゾーはニカッと笑って。そして去り際にこうも言った。


〝どんな道であれ、俺たち三人は隆を応援するよ。ーーーまだ見ぬ道って、もしかしたらそれは、今まで空の者が誰も進んだ事の無い茨の道かもしれないけど。それが空をフィールドとする事なら、俺らは喜んで協力する。ひとりで抱え込むな。隆は今まで、充分にひとりで頑張ってきたんだからさ〟




「ありがとう、スギちゃん」


隆一は、人知れず呟くように言った。
今ここにはいない、空の友人を思い浮かべて。











夏は嵐の季節だ。


真っ青な空と湧き立つような白い雲に気をとられていると。何処からか生まれた雷雲は、叩きつけるような雨を降らせる。
しかしそれは夏ならではなのかもしれない。
夏空の午前中と、夕立ち。
外遊びに夢中になっている子供達は、突然の夕方の雨に慌てて雨宿りの屋根を探したものだ。





「今年の夏は暑いなぁ」



今日も灯台の蝋燭の交換に来ていた隆一は、窓から身を乗り出して、鼻先をスンスンさせて呟いた。

大気の匂い。

カラリと乾燥した空気は、匂いも軽やかだ。
舞い上がった植物や海水の匂いは、空気を含んで遠くまで届く。
逆に湿度が高い日は、土やアスファルトの匂いがしっとりと香る。

隆一はそんな大気の匂いを嗅ぎ別けて、その年々のシーズンの傾向を感じ取っていた。



「ーーー」


窓から差し出した手は太陽の光をめいっぱいに浴びる。
反射して真っ白に見える肌は、そのうちジリジリと熱くなって、隆一は苦笑して腕を引っ込めた。

しかし隆一は、こんな夏が好きだった。
照り付ける太陽の空を駆け巡る時、余計な事など何も考えないくらい爽快な気分になれたから。


ーーーいいじゃん!って。
ーーー太陽と水と大気があれば。
ーーー暑さで汗を滴らせて。
ーーーそれでもこの大気に身を委ねたら。

ーーーここにこうしていられるだけで、最高でしょ?



〝迷ったら空を見なさい。そこに、何が見える?〟



ふと。隆一の脳裏に、いつかの祖父の姿と声が浮かんだ。
あれはいつの頃か。
ーーー間も無く隆一が独り立ちを控えていた頃だったかもしれない。
共に空を巡りながら、隆一の成長を誇らしげに眺めながら。この灯台を真下に、言ってくれた言葉だったと思う。



〝ーーー空に?…えっと、今は雲と、太陽と、〟

〝そうだね。雲も太陽も、その姿が見える〟

〝うん〟

〝しかし我々の司る風は、そのものの姿を見る事はできないね?ーーー風が水面を撫でる時、木々や草花を揺らす時、鳥が高く高く舞い上がる時。我々は初めてその風の存在を見る事ができる〟

〝ーーーうん〟

〝いいかい、隆一。風映す対象物が無い場合もある。それなら、見えないのなら、感じればいい。ーーー心地いい風、荒々しい風…。お前の感情は、そのまま風になるんだ。ーーーーー心の機微を…〟

〝え、?〟

〝気持ちを柔らかくして、素直でいなさい。どんな感情で心が揺さぶられても大丈夫だ。私だって何度もそんな経験をして、とんでもない風を起こしたもんだ〟

〝っ…ふふ、おじいさんもそんな事?〟

〝そうさ〟

〝ふふふっ〟

〝ーーーそしていつか、誰かを愛するんだ〟

〝っ…ーーー愛…?〟

〝そのひとを想う時、お前の生み出す風は心のこもった心地いいものになる。そしてそれは、どこまでも遠くまで届くんだ〟


祖父の言葉に、隆一は何かを感じて、こう問いかけた。

おじいさんは愛するひとがいるの?

その問い掛けに、明確な返答は無かったけれど。
穏やかに微笑む祖父の姿に、もの思うものがあったものだった。




「誰かを愛するんだ…か」




灯台の窓辺に置いた手を、ぎゅっと握った。
少し俯いた隆一の頬は、緩く染まっている。
心に想うのは、イノランの事。



「俺にもできたよ、好きなひと」



ふわっ…と。
灯台の内部を柔らかな風がくるくると回って、そのまま窓から流れて行った。



「好きなひとを想うと生まれる風、俺にもわかったよ?」



遠くから彼を想う時。
目の前で彼を想う時。

決まって生まれるのは、心地いい、甘い風。
時折気持ちが追いつかなくて、おかしな風を吹かせてしまう事もあるけれど。
イノランを想う時、隆一の気持ちは素直だった。

もっと一緒にいたい。
もっと話したい。
もっと触れたい。触れて欲しい。



「っ…」



先日だって、初めてここで抱き合った。
それはこの灯台が、守っていかなくては…という責務と、幼い頃を過ごしたという思い出のみで出来上がっていた認識を新たなものに変えた瞬間だった。

愛し愛された、初めての場所。
あの三人ですら招いた事の無かったこの灯台に、初めて他人を迎え入れた。

イノランだから、いいって思ったのだ。




〝ーーー隆…〟


「ーーーぁ…」



耳の奥で、あの時の彼の声が鳴っている。
いつもと違う。
優しさと、熱っぽさと甘さが混じった声。



〝隆、俺しかいない。ーーー全部見せて?〟


軽く頭をぽんぽん撫でる時とは違う、しっとりと肌を撫でた手指。
何度も何度も。
隆一が身を捩る度に唇を這わせた彼。


〝っ…隆〟



「ーーーーーーーっ…ん、」



いつのまにか身体が震えていた。
窓枠を握っていた両手は、いつしか片手になって。
あの日を思い出して、あの順に。
指先で自身の身体を弄った。



「んっ…ん、ん」



ぎゅっと噛んだ唇。
ぎゅっと瞑った瞼。

こんな事をしている自分が酷くいやらしく思えて。
隆一は声を出すまいと必死に耐えた。



くちゅ…っ、

下着の中に直に入れた手は自身を扱く。
濡れた音に鼓動が跳ねる。


「ーーーっ…んー」



〝ダメだよ、隆。我慢しないで、声を聞かせて〟

「ん、んっ…ゃ」

〝隆の声、大好きだよ。だから聞きたいよ、どんな声も〟



「イノっ…ちゃ、」



〝隆の全部、愛してるから〟



「ーーーーーっあ、ぁ…」





上り詰める意識の奥で、また祖父の声が霞んで通り過ぎた。



〝誰かを愛したら、どんなものにも負けない力が湧いてくるのだから。





「あっ、ぁん…っ…ああ、イノラっ…ーーーーー」





愛してるよ、イノちゃん。

もしもこの先、何があっても。
どんな新たな選択肢を見つけても。
俺も決して変わらないものがあるの。




「っ…は、ぁ、はぁ…」




濡れた手のひら。
乱れたシャツと、紅色の頬。

照れくささは隠せないけれど、気持ちは満たされていた。



「ーーーイノちゃん」


涙で濡れた目元が、海風に触れてひんやり気持ちいい。
度々イノランと共に駆けたこの海を眺めて。
隆一はもう一度、呟いた。



「俺も決して変わらないものがある」




それはこの気持ちを貫いて。
あなたを愛して、あなたを守りたい。






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