round and round (みっつめの連載)













イノランとの灯台での夜を過ごして。
その日から、隆一の中で何かが変わりはじめていた。





『ーーー二択じゃない。最幸の方法を…』




あの夜を越えて、戯れ合いのシャワーに打たれながらイノランに言われた言葉。
思いもよらなかった言葉。
考えもつかなかった他の道筋。

あの瞬間、目の前で火花が散ったように冴え冴えとして。
大袈裟ではなく、硬い殻から出てきたような。
そんな感覚を隆一は感じたのだ。
















「りゅーう!」

「え?ーーーあ、スギちゃん」




頭上から声がして、隆一が顔を上げた先。
そこには黒服に身を包んだスギゾーの姿があった。
仲間の顔を見た途端、隆一は微笑みを浮かべて、こんにちは、そう挨拶をすると。
スギゾーはニカっと笑うと、ふわふわと身体を浮かせる隆一の元まで、雲に乗って降りてきた。




「元気?」

「うん!」

「そっか、良かった」




ホッとしたように肩を落とすスギゾーを見て、隆一は、あっ…と思い出す。




「スギちゃん、こないだはありがとう」

「ん?」

「お見舞い。真ちゃんとJ君と、来てくれたって。お花も嬉しかったよ?」

「ああ、あん時のな」

「目が覚めたら、ベッドの横に飾ってあったの。イノちゃん…彼も一輪添えてくれて、小さな花束になってたんだよ」

「そっか」

「ありがとう。あれからお礼言えてなくて、ごめんね」




済まなそうに言うものだから、スギゾーはまたニカっと笑うと、いいんだよと。隆が良くなってよかったと言った。






イノランに会った。
隆一から、彼の話は聞かされていたけれど。スギゾー、そして真矢とJも実際会うのは初めてだった。
いつも早朝から風を渡すために飛び回っている隆一の姿が見えなくて。
こんな日もあるだろうと思いつつも気になって向かった隆一の家。
そして、早朝の灯台の下に誰かが佇んでいるのは、遠目からでもわかったけれど。
それが近づくにつれ、あ…もしかしたら、と。
彼の事をスギゾーは思い浮かべていた。

朝日を徐々に浴びて白く清廉に立つ灯台まで来ると、向こうもその存在に気が付いたようで。
空を行く三人の姿を見ても、やはり彼は驚きを見せなくて。
そんな様子に、やはり間違いなく。
彼が隆一の言うイノランなのだと確信した。





ーーーお前…もしかしてーーー

え?

〝イノラン〟…か?



ーーーなんで、俺の名前…?




スギゾーがイノランと交わした最初の会話。
静かで、低くてあたたかい。そんな声で。
早朝を吹き抜ける緩やかな風が、イノランの薄茶の髪を揺らしていて。
恐れも疑ぐりも無い、真っ直ぐな瞳で。

なによりも。
この灯台に、こうしてこんな早朝にいる事を許された、彼の存在に。

スギゾーは、出会って早々。
問い掛けていた。




ーーー迷いの中から、連れ出せるか?



今振り返ると。縋るような、思いだったのかもしれない。











スギゾーが隆一と初めて出会ったのは、いつの頃だっただろうか?



空の者達は、その担う役割のせいか、お互いに出会う確率がとても少ない。
〝空〟というフィールドの広さに比べて、空の者の実際の人数が少ないことも要因のひとつだ。
しかもそれぞれが与えられた管理区域があるから、日々の空の業務で顔を合わせる事は至難の技でもあった。


そんな中でどんな偶然かわからないけれど。
空に出る度、ちょくちょく顔を合わせるようになった者達がいた。

始めはスギゾーと真矢。
光を司るスギゾーは、光源のある場には関わる事が多い。
雷鳴を司る真矢と、度々顔を合わせる事になったのは自然の成り行きでもあった。




「歳、近いんじゃね?」

「な!」

「すっげえ!初めてだよ。歳近い空の奴に会ったの」

「じゃあ、これからはさ。俺が雷おこしたらスギゾーが手伝ってくれんだろ⁇」

「俺様は高いからな」

「んだよ、ケチくせー事言うなって!俺こう見えてすげえ嬉しいんだからさ」

「ん?」

「フィーリングっていうの?なんかお前とは合う気がする!それと単純に、同じくらいの空の奴に会えて嬉しい」





そんな出会い頭の会話をしたものだ。




そんなスギゾーと真矢の出会いから僅か数日。
今度は朝からえらく空が澄み渡った日があった。
ちょうど梅雨時だ。長雨が続くこんな雨季に、これほどの晴れ間は貴重だ。


梅雨時から夏いっぱいは大忙しの真矢に連れ立っていたスギゾー。
今日は真矢は休業だな、なんて言っていた最中。
真っ青な空に、ぽっかり浮かぶ小さく丸い雲。
周りには一個の雲も見当たらないから、逆にそれが妙に気になって。
二人はその雲目指して空を行った。





「⁉」

「な…なんだぁ⁇」




近づいてわかった。
目に写ったのは、雲からにゅっと飛び出した脚。
ジーンズの、スラリとしたその脚は器用に組まれて、片脚だけ投げ出されている。履いているのはゴツめのブーツだ。履き慣らされて、ヴィンテージ感漂う足元は、その脚にとても良く似合っていると思った。



「…」

「…」



スギゾーと真矢は顔を見合わせると、無言で頷いて。
その丸っこい雲に、徐ろに手を突っ込んだ。




「うっ…わ、」



途端に響く男の声。
その声の端々にはワイルドさが溢れていて。
二人は急にわくわくして、突っ込んだ手で遠慮なく。
中にいるその人物を引っ張り出した。




「なんだっ⁉…って、ちょっ…オイ!」



ぱっぱと雲を払い除けて、掴んだ人物 (多分、腕) を、ぐいぐい引くと。
現れたのは金髪にサングラス、タイトなTシャツにアクセサリーをジャラリと付けたーーーーー気合いの入った、ちょっとこの丸っこい雲に不釣り合いな…青年だった。

そのビジュアルに、腕を掴んだスギゾーと、雲の中を覗き込んだ真矢は一瞬目を丸くした。…が
決して乱暴に腕を振り払おうとせず、逆に二人の事を興味深そうに見比べる青年に、スギゾーは自ら腕を掴んだ手を離した。





「ーーーったく、いい気持ちで昼寝してたのによぉ…」

「あ、そりゃー悪りい…」

「何なんだよ?お前ら」



金髪をガシガシかき上げて、かけていたサングラスを外して。
再びその青年は、二人をジッと見た。




「…スギゾー」

「スギゾー?」

「ああ、」

「ふぅん?…お前は?」

「真矢。雷鳴使い。こっちのスギゾーは光使い」

「へぇっ!」



自己紹介をした途端、その青年は急に懐っこく口元に笑みを浮かべた。ーーー少々眠たげな目元も、愛嬌があって。
二人ともすぐに、この青年に好感を持った。




「お前は?」



「ーーー俺はJ。んー…。雲職人ってやつだ」

「ーーー職人?」

「そ、職人。先代がそう名乗ってたからさ。俺も自ずと、そうゆうふうに」



誇らしげに言い放つJに、二人はまた顔を見合わせた。
Jに対する好感は間違いなく思えて。
こんな短期間に、同じ年頃の空の者同士が出会えた事に、不思議だけれど必然な出会いを感じて。
あっという間に、打ち解けた三人だった。






「俺さ、だいたいこの辺りの森と海上の空を管理してんだけどさ」



打ち解けて、ひとしきり談笑を終えた頃。
Jが周辺のエリアを指し示しながら言った。
Jの示す方向をぐるりと見渡して、二人は頷いて先を促す。




「ーーー向こうの森のーーーーーずっと端の……わかる?灯台があんの」

「ん?ああ、古い煉瓦造のだろ?知ってるよ」

「えらく旧式のだから、今はあんまり人も寄り付かないって、聞いたことあるけど」

「そう。近くで見るとマジで古いよ。風化して崩れかけてるとこもある。ーーーでもさ、夜になるとちゃんと光ってる。日中も目立たないだけでちゃんと回ってんだ。誰かが管理してんのかなって、気にはなってたんだけど。でさ…」

「うん」

「たまたま前に、あの辺りの上空にいた事があるんだけど。ーーー歌が聞こえたんだよな」

「ーーー歌?」

「ああ」

「歌…って、誰かが歌ってるって事?あんな何も無い所で?」

「聞き違いじゃねえの?」

「違うって。初めは俺も風かなんかの音か?って思ったけどよ。気になって、近くに行ける時は見に行ってた。ーーーそしたらさ」

「…うん」

「やっぱ、歌なんだよな。それも、すげえ…いい声の」

「ーーー本当か」

「ああ、誰の歌声かはわかんねえけど」

「ーーーーーー歌」

「ああ、歌だ」

「歌声…」

「俺、音楽好きだからさ。気になっちまって」




誰なんだろうなぁ…

そう呟くJを目の前に、スギゾーも真矢も遥か森の端へと視線を投げた。















三人が連れ立って、森の端の灯台まで空を駆けたのはそのすぐ後だった。

あの後の会話で判明したのだが、三人とも無類の音楽好きで。
空の仕事で使う道具は、どの者も皆それぞれだけれど。
この三人は、揃って楽器を用いる事がわかって仰天した。

月や星や虹。煌めく水面や太陽の輝き。光源ある所にはスギゾーがいる。
スギゾーは自慢のヴァイオリンを奏でて、光を散りばめる。

梅雨時、盛夏、秋梅雨のころ。
軽快かつ豪快にドラムを響かせる真矢。
そのリズムは雷鳴となって、空に紫色の稲光を走らせる。

重低音。重低音。
地の底から湧き上がるようなJのベースの音は。
地表を滑り、海面の空気を引き剥がすように舞い上げる。
その上昇気流は、Jによって様々な雲に形成されるのだ。




「なんだよ、バンド組めんじゃん」

「俺はギターもいけるぜ」

「マジで⁇どうするバンド組む?」

「いいねぇ!お前らとだったら、楽しくやれそう」




空を駆けながら笑いが溢れる。

冗談半分…。でも本当にそうなれば、どんなに楽しかろうと。
実際は各々の空の役目を思うと難しい事に変わりはないのだが…
それでも、やはりこの三人がこの短期間に出会えたのは必然的に思えた。




海上を抜け、森の上空へ。
深い森の、木々の天辺すれすれのところを飛ぶと。
いつしかパッと拓けて、地面が見えた。



「ーーーあ」

「あれだ」

「…煉瓦造の」



三人の前に現れたのは灯台。

古く、表面が風化してもなお。
どっしりとした見映えなのは煉瓦のせいだろうか。
見上げると、昼間の空。
太陽の光で今はあまり目立たないけれど、灯台の目はゆっくりと回る。




「…ホントだな、回ってる」

「な。誰が管理してんのかなって」

「Jはその歌声って、ここで聞いたのか?」

「ああ。ここに立つとどっからか聞こえてくる。…聞こえない時もあるけどさ」

「そっか」

「幽霊じゃねえよな」

「ん…。そーゆう、不安定な感じはなかったなぁ。すげえ存在感のある歌声ってゆうか。ーーー生き生きしてるって…いうかさ」




Jのそんな話を聞かされたら、ますます聞いてみたくて仕方がなかった。
三人は会話を止めて、耳を澄ませて…




「ーーー」

「ーーー」

「ーーー」




ザザ、ン…
ザー…ザパ、ン



波の音。



ピィピィ。
ピィー…


鳥のさえずり。



サァァ…
ザワザワ…ザワ…



木々の間を通る風の音。



ーーー心地いい風だ。

三人は同時に思った。
ーーーそうだ。そういえばこの灯台は、風の人びとが守っていると聞いた事がある気がする…と。
いつか誰かに聞いた記憶の糸を手繰り寄せたスギゾーが、ハッと。
顔を上げた。





「…声」

「え?」

「シッ…」



スギゾーの反応に、二人も無言で辺りを見回す。
周りは相変わらず、波音、鳥の声、木々のざわめき。

けれども、そこに。





〝ahー…〟




「あ、」

「ーーーホントだ」

「この声だ」



〝la…lala…ah…lala…〟




「ーーーこの声、なんて…」

「気持ちいい声で歌うんだ」

「な、」




女性の声ではない。
けれども、この声はなんと伸びやかで軽やかだろう。
これといった歌詞は無いけれど。低音と高音を自在に歌い上げるこの声の主は、歌う事が本当に好きなのだろうと伝わってくる。


三人は歌声に心奪われながらも、この声の主を見つけ出そうと辺りを見渡した。



「ーーーどこだ?どこから」

「そんな遠くじゃないと思うけどな」

「ーーーーーーあ、」

「え?」



真矢が灯台のすぐ側の、切り立った崖の淵を指差した。
ちょうど三人からは逆光になるのだが、海を望む崖の先。
ひとりの人物の輪郭が光に縁取られて、確かに見えた。




〝la…lalalala…la…la…〟



「ーーーあそこにいる」

「ああ、」

「歌声の…」




歌うのはその人物だと確信して。
けれども歌の途中で声をかけるのは憚られて。
そのひとが存分に歌い上げてこちらを向くまで、三人はじっとその場から動かなかった。




〝ーーーーーla… lala…la!〟



声を遠くに飛ばして、その後大きく息を吸って。
はぁ、と。肩の力が緩やかに落ちたのを機に。

三人は、その人物の背中に声をかけた。





「ーーーすげえ歌声だな」



「え、?」



びくっと、今度は肩を強張らせた。
息を詰める気配を残しつつ、その人物は、ゆっくり後ろを振り返る。



その人物ーーーーー彼は。
背後に並ぶ三人を見ると、みるみる目を見開いて、手をぎゅっと握りしめた。



「ーーーお前…」


思わず呟いたのは、誰だろう?

それほどだったのだ。
光を背にして、びっくりした表情で立ち尽くす歌声の彼が。
あまりにも、綺麗だったから。
一瞬でその人物が青年だという事はわかったし、同性相手に綺麗なんて、なんだか妙な感じもしたけれど。
理屈じゃなくて、彼の纏う雰囲気に。

要するに、見惚れてしまった。
三人揃って。





「ーーーあの、」



初めての、彼からの問いかけ。
会話の声も、歌声みたいだと思った。



「誰?」



だれ?

控えめに、優しく問う。
だから三人も。




「誰の歌声だろうって、探してた」

「え、」

「君の声だったんだな」



「ーーー俺の、歌?」

「ああ」




ふわっ…

風が急に緩い円を描きだした。
涼しくて、爽やかな風が。




「ーーーーーあなた達は…?」



三人は、このすぐ後に。
心地いい風の正体を、知ることになるのだった。





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