round and round (みっつめの連載)













「どうして俺、風使いなんだろう」





物心がついた頃から、ふとした時に呟く言葉があった。




ーーーなんで僕って、空を飛べるの?

ーーー風使いって、どうして決まったの?

ーーー風使いのいる理由って、なんなんだろう?





ーーーどうして俺、風使いなんだろう?






成長していく過程で、時折呟かれる疑問。隆一とずっと生活を共にしていた祖父(血は繋がっていないが)は。その度に困ったように苦笑して、隆一の頭を撫でたものだった。



「ねえねえ、おじいさん。何でかなぁ?」

「隆一は誰よりもお空と仲良くなれるって、そう思われて生まれたのさ」

「誰に?」

「それは私もわからないよ。じいちゃんだって、何で風使いに生まれたのかわからないんだから」

「ふぅん?」

「…隆一は空が好きかい?」

「うん!僕は青いお空が大好き!…あ、でも、雨も雪も曇りも好きだけどね?」

「ははは、それなら大丈夫だ。空を友達と思えばいい。仲良くしたり、手助けしたりできる存在なんだよ?隆一は」

「うん!」





ーーーまだ幼い頃は。
それで納得もしていたし、〝友達〟として存在出来る事が、嬉しかった。
祖父に連れられて空を飛び回る日々。
いずれ来る独り立ちへ向けて。
祖父は隆一に〝空〟の事を丁寧に教えた。


空は友達。

〝ひと〟の友達を身近に持たなかった隆一は。
それでも幼い頃は多くの疑問は持たず。
風使いとして、出来る事が増えていく毎日を。楽しんでいたと思う。





無邪気に空を友達と慕って。
上手に風に乗って飛べるようになった幼年期から、もう少しだけ成長した頃だ。

背丈も少しずつ伸びて。
ひとの子供と同じように成長していく隆一。この頃になると、祖父の管理する広大な空の一部を隆一が預かって。規模は小さいながらも、風渡しの仕事を任されるようになった。
隆一が任されていたのは、森を中心とした辺り一帯。それは海沿いに聳える小高い山で、切り立った崖や、その麓にずっと続く海岸線が見える。

隆一は、朝に昼に。
真っ青な海と空の真ん中に飛び立って。
風使いとしてのスキルを身に付けていった。


ーーーある日の事だった。



青い海と空に次いで隆一が好きなのは、オレンジ色に染まった夕暮れ時だ。
その日の大気の状態や空模様で、絶好の夕焼け空が見られる日というのはわかるようになっていた。
この日の隆一も、夕方まで空のパトロールをして。水平線の向こうに夕焼けの兆候を見つけると。
こんな日に決まって向かう場所へと降り立った。

森の端っこ。
崖の上。
真下は海。
任されている森の、一番眺めの良いところ。




ーーー空から降りる時は周りをちゃんと確認しなさい。誰もいないか。見られていないか。
気をつけるんだよ?




祖父から言われてきた言葉。
要するに、空に浮く姿をひとに見られてはいけないという事だ。


わかった!
そう、返事はしてきたけれど。

それが何故なのか。
何故見られてはならないのか。
明確な答えはわからないまま、隆一はその教えを守っていた。



トン。

いつもの崖の上。
ーーー祖父の教えの周囲の確認はーーー…せずに。



「だってこんな所、誰も来ないもん」



そう。ここでひとの姿を見たことなんて無かったから。(こんなフェンスも何も無い崖の上だ。無理も無い)
隆一は、崖の先端スレスレまで来ると。その場で座り込んで、膝を抱えた。




「ーーー…」



水平線に横一線に。オレンジ色に夕焼けが広がる。この時間帯の空模様の変化は目まぐるしい。さっきまでの青空は、ほんの十数分でオレンジ色に置き換わる。



「ーーー綺麗…」



「ーーーーーー綺麗だね」



ーーーそうだね。



「ーーーーー……」




『そうだね』



ーーーそんな風に。
返事を返してくれるひとがいたらいいのに…。

いつからか隆一は、密かにそんな事を思うようになっていた。

空の上から見たことがある。
ランドセルを背負った、子供達の姿。
自分と同じくらいの年頃の、楽しそうに笑い合う姿。

ーーーそれを見て。
率直に感じた気持ち。


ーーーいいな。


羨ましいと、確かに思ったのだ。

この頃からかもしれない。

風使いと、ひとと。
何が違うの?

ーーーそんな疑問。

その気持ちを密かに抱えながら、空を飛ぶようになった。





「ーーーーー…綺麗」



隆一は、もう一度呟いた。
返事は来るはず無いのだけれど。
言わずにいられなかったのかもしれない。



ーーーーーーと。





カサ。



「!」



音が聞こえた。
草の音だ。

この森には当然、小動物はいる。
それの踏み締める音だと思ったのだが。



カサ。
…カサ、ガサ。



(ーーーーー近づいて来る?)




膝を抱えたまま、隆一は少し身体を固くした。
すぐに逃げないのは、隆一には〝飛ぶ〟という手段があるからだ。
いざとなったら、飛び立てば怖くはない。

ーーーそれに。
何か予感がしたのだ。


ここにいよう。
待ってみよう。
新しい…ーーーなにかが。
始まるよ。




カサ、カサ、ガサ。






「わぁっ…」




声が、聞こえた。











「ーーーーー…ちゃん、」

「ーーー」

「隆?…ーーー隆ちゃん」


「っ…」





隆一はハッとして慌てて顔を上げた。

灯台内部のオレンジ色の明かりが広がる部屋で。木のテーブルには隆一が出してきたアルバムが広げてある。イノランと差し向かいで座って、懐かしい写真なんかをイノランに見せながら話し込んでいたのだが…

目の前には、隆一をじっと見ているイノラン。思考の奥に入り込んで、きっとボーッとしていたのだろう。
やっと顔を上げて視線を合わせてくれた隆一に、イノランは苦笑しつつも安堵しているようだった。




「ごめん、イノちゃん」

「ん?全然。でも、どした?考え事?」

「ーーーん、考え事ってゆうか…」

「うん」

「…ちょっと、前の事。思い出してた」

「ーーー前の?」

「うん。イノちゃんと、一番初めに出会った時の事」

「一番初め…って事は、ガキの頃だ」

「そう。なんか、この灯台にこうして今イノちゃんといて。こんな風に向かい合って話しているなんてさ?…あの子供の頃は想像もしなかったなぁ…って」

「ーーーそうだな、確かに…。あの時出会った子だったんだもんな?隆ちゃんは」

「ふふふっ、ね?そう考えると、すごい巡り合わせだよね」

「ーーーーーあん時さ、実はね」

「ん?子供のあの時?」

「うん。隆ちゃんが天使なのかと思ったんだ」

「⁇て…天使?」

「そう。だって、まさかあんな崖の上にいるなんて思わないじゃん?しかも俺に微笑んだかとおもったら、ぱあっと空に消えちゃってさ。思うだろ?天使だって」



あの日を思い描いて。
イノランは、ずっと言いたかった、あの日の印象をやっと隆一に告げた。
それは要するに。
あの日から隆一に夢中なのだと、言葉の裏に隠した告白だ。

しかしそんな言葉を受けた隆一は、少し困ったように微笑むと。
ゆるゆると首を振って、イノランを見つめた。



「ーーー天使なんて…そんな俺、綺麗じゃないよ」

「ーーー」

「そんな崇高な存在じゃない。…俺の中は散らかってて、迷ってて、揺らいでて。ーーー空を飛べるってだけだ」

「ーーー」

「ーーーイノちゃんや、葉山っちや…ーーー皆んな。ーーーすごいなって、思うよ」

「ーーー」

「強くって、優しくて」

「ーーー」

「ーーー俺もそうなりたい」

「ーーー」

「ーーーーー迷いを棄てたい」



唇を噛んで、俯く隆一。
その苦悩の表情を見て。
イノランはやっと、隆一が心の奥を曝してくれたと感じて。
不謹慎にも、それが嬉しくて。
まずは言葉よりも…。
そう、思って。
手を伸ばして。
隆一の髪に指先を埋めた。



「っ…」



なでなで。
さらさらと、隆一の髪を梳いては弄ぶ。



「ーーーイノ…」

「隆ちゃん、」

「…え?」

「綺麗だよ」

「ーーー…」

「隆は、綺麗」

「ーーーイノ…」

「ごめんな?…隆はきっと。隆にとっては大きな悩みなんだろうけど…。そうやって、悩んで…揺れてる隆はさ」

「ーーー」

「すごく…綺麗だよ」

「っ…そん…な」

「ーーーん?」

「そんな事っ…ない‼」

「ーーー」

「そんな事ないよっ…‼」



ガタンッ!

椅子が大きな音を立てて、壁に当たった。隆一が勢いよく立ち上がったせいで、テーブルの上のアルバムが危うく滑り落ちそうになった。

しかしイノランは、そんな様子にも頓着せずに。目の前で感情を乱す隆一を、ただただじっと。一瞬も目を逸らさないとばかりに見つめた。

隆一が。
きっと見せてくれると思ったのだ。

時折、切なげに伏せる視線のわけを。
あの三人も気に掛ける程の、隆一の隠された気持ちを。

荒々しいとさえ思える今の隆一の様子は。今まさに、揺れ動いている表れなのだ。

ーーー泣きそうだ。


「隆」

「ーーーっ…見ないでよ」

「なんで?」

「だっ…て…ーーーぐちゃぐちゃだもんっ…!今、俺」

「だから、そんな事ねえって。綺麗って、言ったろ?」

「嘘っ‼」

「ーーー頑固なの」

「っ…⁉」

「あの三人も言ってた。隆は頑固なとこがあるって」

「ーーー」

「…ひとりで抱え込んじまうって。…言ってたぜ?」

「ーーーだっ…て」

「なんとなく知ってたみたいだ。…あの三人。隆が…自分の在り方。とるべき道。ーーーその事で、迷ってるって。…隆が抱えてる迷いって、それなんだろ?」

「っ…」

「…アイツらは、隆の悩みを知ってたけど。結局は相談に乗るくらいしか出来ないって、ちょっともどかしそうだった。同じ空の者として、深入り出来ない部分もあるのかもしれないけど…。でも、すげえ気に掛けてたよ?隆の事」

「ーーーっ…」

「ーーー隆」

「ーーーーーなに」

「俺には出来るか?」

「…え」

「ーーー隆を迷いの中から、連れ出せるか?」











ーーー迷いの中から、連れ出せるか?




差し伸べて、繋いだ手は。
もう離さない。
そんな意味も込めて。

暗闇の中も、光の中も。
手を離さずに、ずっと一緒にいる覚悟。

ーーーそんなもの。
そんな覚悟。



もう、とっくにできている。












隆一は。
しばらくして、漸く気持ちが落ち着いたのか。
椅子を引き寄せて、もう一度イノランの向かいに座り直した。

隆一が何か言うまで、辛抱強く待っていたイノランだったが。
ーーーそうだ。〝待つばかり〟の姿勢は、もうやめたのだ…と。
テーブルの上に力なく投げ出された隆一の手に、そっと自身の手を重ねた。



「…っ」

「ーーーまだ、慣れない?こうゆうの」

「っ…そ…じゃ、ない」

「ん、だよな。最初に比べたら、平気だろ?」

「ーーーうん」




コクリと頷く隆一は、恥ずかしそうにして視線を合わせない。しかしそれでも気になるのか、チラチラとイノランを伺っては、目が合うと逸らす…というのを繰り返す。

そんな様子が、イノランにとっては愛おしくもあり、失くして欲しくないな…と思う、隆一の素直な面でもあった。


重ねた手。
隆一を迷いから連れ出す為の。
これは大切な連結部分だ。



(…連結…って、妙に重々しいなぁ…。意味合いは合ってるけど…そうじゃなくて)

(ーーーもっと…そうじゃなくてさ)




幼い頃の出会いが、こうして、ここまで時を繋いで。ーーー愛を、音楽を。一緒に育むようになったのだから。



(ーーー運命の…赤い糸…って、感じか?)



口に出すには余りにもロマンチックで、ちょっと照れもする言葉だけれど。
隆一と。
出会うべくして出会ったのなら。

空の者と、ひとと。

その境界すらも越えられるからこそ。
この二人は出会ったのだと。
イノランには、そう思えてならなかった。
ーーーだから…
だからイノランは。
隆一の風使いとしての立場を尊重するが故に、これだけは言うまいと思っていた本心の話を。
隆一に、打ち明けた。




「俺は隆と一緒にいたい」

「っ…ーーー」

「…俺、今から酷いこと言うかもしんないけど…。でも、このままじゃ多分…隆は先に進めないんだと思うから。本心を言う」

「ーーーえ…?」

「空に帰したくない」

「ーーー」

「前に隆が言ってた、風使いの試練…とか。決断…とか。ーーー本当はもう、そうゆうの全部棄てて側にいて欲しい」

「っ…イノ…」

「隆…を。危険な目になんか遭わせたくない…。ーーーそれに。ーーーそんな時間も…全部。俺が欲しい」

「ーーーーーっ…」

「隆が今抱えてる迷いの根本が、〝風使いとひとと〟…それが理由なんだったとしたら。ーーーーー俺が言ってやる」

「ーーーーー……」




テーブル越しに重なる手を、ぎゅっと繋いだ。
繋いだまま、イノランはテーブルという境界を難無く越えると。
眉を寄せて、戸惑いの表情を浮かべる隆一を。抱きしめた。




「ここにいてくれ」

「っ…ーーーイ…」

「空を棄てて、俺を選んでよ」

「ーーーーーーー」

「ーーー隆の風は大好きだけど」




ーーーでも。

隆の風は。いつだって、切なさを孕んだ風だって。
気が付いたんだ。

















月明かり。
回る灯台の光。
青い夜の部屋。


隆一が幼い頃から通い続けたこの部屋で。

初めてだった。





大好きなひとと、初めて身体を重ねた。








「ーーーっ…あ…」

「隆っ…」

「ふ…ぅ、」




古い灯台の室内は、寝室など無い。
それでも二人にはそんな事、問題ではなくて。

冷たい煉瓦の床に、白い布がぐちゃぐちゃに敷かれている。これはカーテンとテーブルクロス。
ベッドの代わりにするには些か居心地は良くなさそうだけれど。直に…よりはマシだと。
隆一を床に押し倒す前に、イノランが敷いてやったのだ。





「ーーー背中、痛くない?」

「っ…んーーー平気」

「ん…」




〝レコーディングが終わったら〟

それはお互いの心に置いた、大切な約束だった。以前交わしたその約束が、いつになるのか。成り行きに任せる部分もあったけれど。

今夜、この灯台で。
星の綺麗な夜を、二人で過ごして。
ーーーイノランの、心に秘めた本心の話を打ち明けられて。

自然だった。
もう、これ以上待つ必要は無いのだと。
隆一も、イノランも。
繋いだ手を、引き寄せ合った。





隆一の着ている白いシャツのボタンは、既に外してしまった。
肌けたシャツの間から、真っ白な肌が覗く。



「隆、あんなに陽射し浴びてんのにさ。肌白い」

「っ…や!ーーー見ない…で」

「なんで?すっげえ綺麗だよ」

「ーーーっ…」



隆一はぎゅっと目を瞑って、ぶんぶんと首を振る。恥ずかしくて堪らないのだろうが、そんな素振りはイノランを煽るだけだ。



ちゅっ…



首筋にキス。
途端に身体を震わせて、隆一は口もぎゅっと噤んでしまう。



「んっ…」

「ーーー我慢しないでいいよ」

「ぃや…」

「誰もいない」

「ーーーんっ…」

「声、聞かせて?」

「ーーーーーーっ…」

「…な?」



無意識にも、ツンと勃ち上がった胸の先端を指で弄る。爪先と舌で先端だけを刺激してやると、隆一は仰反って声を上げた。



「あっ…ぁ、あ」

「ーーー気持ちイイ?」

「あ…っ…ゃあ…イノっ」

「ん、イイよ」



感じてくれているのが嬉しくて。イノランはこの上なく幸せそうに微笑むと、涙で潤む隆一に噛み付くようなキスをする。



「んっ…ぁん、」

「ーーーん、りゅ…」


じゅ…くちゅっ…


初めから深く重ねた唇は、濡れた音を響かせる。息継ぎの隙間に目に映った隆一は、うっとりと頬を染めて、濡れた唇で、もっともっととイノランを求めた。




「ーーーりゅ…可愛すぎ」

「は…ぁっ」

「ーーーもっと、見せて」




ばさっ…

イノランは自身の着ていた服を勢いよく脱ぎ去ると。既にシャツのみが両腕に掛かっているだけの状態の隆一に覆い被さった。
ここまでで、もう固く勃ち上がりきっているイノラン自身を目にして。
隆一は瞬時に強張った顔をしたけれど。

イノランは優しく隆一の髪に触れて。
緊張を解すように、顔中にたくさんのキスをする。




「痛くしない。ーーーっても、痛いかもしんないけど…」

「ーーーん…」

「優しく抱くから。隆の事、本気で好きだから。…愛してるから」

「っ…イノちゃ…」

「ーーー隆」

「ーーーっ…ん」



「全部、お前が欲しい」



ーーー悩みも迷いも、笑顔も…全部。




「ーーー挿れるよ」




額に唇を寄せて。
隆一の脚を抱え上げた。




「ーーーイっーーっ…あぁ」

「ーーーっ…りゅうっ…」

「あっ…ああ…ぁんっ…」

「隆っ…隆一…」




ぎゅっと掴んで隆一の指先がイノランの腕に食い込んだ。多分、傷付いたのだろうが、どうでもいい。

気持ちよくて。
ずっとずっと、大好きだったひとと繋がれた。それを思えば、小さな傷さえ愛おしく思える。
ポロポロと涙を溢す隆一。
痛みなのか、快感なのか。それとも胸に秘める想いなのか。わからないけれど。

綺麗で。
さっき見た。
夜空の星にも負けないくらい、綺麗だと思えて。

イノランは、隆一を揺すりながらも、その熱を帯びた表情から目が離せなかった。




「ーーーーー好きだよ…っ…」



幼いあの日、知らずに芽生えた気持ち。



「隆…っ…好きだ」



二度目に出会った時には、育ち始めていた。

〝空の者〟も〝ひと〟も。
そんなものは厭わない。

それが壁になるなら越えてみせると。



「イノちゃ…っーーーあ…っぁ…好…」

「ーーーーーっ…隆…」



誰でも無い。
隆一というひとを、イノランは心から愛したのだ。

緩く、甘い風が。
灯台の室内に、彷徨うように吹き抜けた。






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