round and round (みっつめの連載)
隆一の部屋の窓から覗く空が、真昼の青空に変わっていた。
…ザ…ザザ
ザー…ン…
「ーーーーー…ん…」
瞼越しの明るい光と。
寄せては砕ける波音と。
時折、前髪を揺らす。心地良い風を感じて、隆一はゆっくり目を開けた。
「っ…」
目を開けた途端、緩く揺れる白いカーテンの隙間からの陽射しが眩しくて。
隆一は咄嗟に目を細める。
ーーー自分は昨夜、窓を開けて寝ただろうか?
半分ほど開かれた窓を眺めながら、ぼんやりそんな事を思う。
「…昨夜、俺…」
そう言えば熱を出して寝込んでしまった筈と。いまだ、何となく気怠い身体を自覚して思い出す。
それでも昨夜の具合の悪さに比べたらだいぶマシだと、ホッと息をついた。
「ーーー…」
横たわったまま、辺りに視線を向ける。
窓から見える空は昼間の色だ。
…という事は、今朝はパトロールにでることが出来なかったんだと。隆一は唇を噛んだ。
今まで一度だって欠かした事の無い日課だったから。思わず、落胆のため息だ。
はあ…。と、息をついて、今度は反対側に首を動かした。
すると、素の木造りのベッドサイドのテーブルに。
綺麗に畳まれたタオルと、水の入ったガラスのポットとグラス。それから体温計と。
「!」
…その横に。
空のジャムの瓶に生けられた、人差し指程の長さの花が三つ。
薄紫のと、白いのと青いのだ。
置いた覚えのない、それらの物に。
隆一は目をぱちくりさせて、思わず見入った。
「ーーーあ、隆ちゃん起きた?」
「…え?」
カタン。という音の後に、玄関の方から声がして。
その声に聞き覚えがあって。
隆一は声の方を見ると、にこにこしながら部屋に入って来たのはイノランだ。
その姿を見て、そう言えば昨夜ここへ来てくれたんだと思い出した。
イノランは隆一の傍らまで来ると、手を伸ばして隆一の額に触れた。
「っ…」
「ーーーん。朝よりも更に下がったかな?具合、どう?」
「……少しだけ、まだ怠い」
「そっか。まあ、昨夜の今だしな。今日はゆっくり休んでな?」
そう言って、いつの間にだろうか。左手の指先で大事そうに持っていた小さな黄色い花。(これはこの灯台付近の森に時折咲いている花だと隆一は気付いた)
その小さな花を、ベッドサイドに置かれた、三つの花が生けられた小瓶に。
仲間に加えるように、イノランは花を挿し入れた。
「ーーーイノちゃん…この花…」
隆一はその生けられた花から目を離さずにイノランに訊ねる。
訊かれると思っていたのだろう。
イノランは驚きもせず、その花々に微笑んで言った。
「ーーーお見舞い…ってさ。隆にあげてって」
「え?」
「んで俺も黄色の追加。そこの灯台の周りに咲いてたの摘んできた」
「ーーー…」
「…三つの花。彼らからだよ?」
〝三つ〟と〝彼ら〟というワードで思い当たるのは、隆一にとってはあの三人しかいなかった。
隆一は花とイノランを交互に見比べて、ぽかんとした表情で。
優しげに微笑んでいるイノランに、問い掛けた。
「ーーー彼ら…って」
「ん?…えっと。ーーースギゾーと、真矢…と。J、だろ?」
「イノちゃん…。みんなに会ったの?」
「ーーー早朝にね。まだ隆が眠ってる時。ちょっと外に出て景色見てたら、あの三人が…ーーーこう、雲に乗って…」
「あ…うん」
「その内の…スギゾーかな?俺の名前、知ってたみたいでさ。で、まあ…知り合ったと」
「ーーーそうだったんだ」
確かにスギゾーには、イノランとの出会いの話を以前した事がある。
出会いの他にも、彼を好きだという事や、音楽の事もだ。
「隆の言ってた空の仲間なんだって、俺もすぐわかったよ。なんかね、いつもの時間にまだ隆が空にいないから様子見に来たって。…あとーーーーー…」
「ん?」
「ーーー…や。…ーーーやっぱり付き合い長いから、気になったんじゃない?」
「ーーーうん」
「ーーー……」
イノランは。
ーーー今は敢えて隆一には言わなかったけれど。
三人は、それだけの理由で隆一の元を訪ねて来たのでは無かった。
『ーーー隆さ。迷ってるみたいなんだ』
『自分の在り方。とるべき道』
『それで最近、時折。…無理してんな…とか、考え込んでんな…とか。思う事あって』
『ーーーでも。俺らもさ。結局は相談…とか。そうゆうのしか…できなくてさ』
『隆が悩んで迷ってる事。ほんとはもっと力になりたいんだけど』
『ーーーアイツ。根が…なんつうか、頑固なもんで…』
『ひとりで抱え込んじまう事、あるんだ』
代わるがわる。ぽつりぽつりと話す、彼らの言葉を。イノランは心の中で頷きながら、聞き入った。
彼らの言葉から受けた、もどかしげな感じ。
ーーーもっと頼ってくれていいのに。
ーーーなんでも話してよ。
ーーー仲間だろ?
そしてそれは、イノランも感じていた事。
隆一に遠慮なんてして欲しく無い。
なんでもぶつけてくれていいのに…と。
元から持つ。隆一の一途な性格のせいでもあるのだろうけれど。
しかしそれでは苦しかろう…と。
そう思ってしまうのも事実なのだ。
小さく、しかし真剣に聞き入るイノランに。
スギゾーが地面近くまで降り立つと、問い掛けた。
「ーーー隆は。…お前には、そんな話…する?」
見定められているのだと思った。
それはそうだろう…と。
イノランは小さく苦笑を漏らす。
三人…ずっと隆一と一緒にいた彼らからしたら。
この短い期間で、ぐっと隆一と距離を縮めたイノランの存在は重要だろう。
ーーーいい奴なのか?
ーーー隆一をどこまで信頼して、大事に思っている?
ーーー空の人間と、ひとと。
ーーーこれから一緒にいる覚悟はあるのか?
ーーー隆一を。
ーーー本心で、どう思っている?
彼らもまた、隆一を大切に想っていると感じて。
誤魔化さず、受け答える場面だと思った。
「好きだよ。ーーー隆のこと」
「ーーー」
「俺の知ってる事。まだまだ全然足りて無いと思う。空の者と、ひとと。隆と出会って、その違いって何なのか?って、俺なりに考えてきた」
「ーーー」
「飛べるか…否か。って事も勿論だと思う。けど…きっとそれだけじゃない。まだ俺も深掘りできてない。そこが今隆が、多分…悩んでる部分なんだろうって思う」
「ーーー」
「空の者と、ひとと。ーーーガンガン踏みこんじゃいけない領域なんだろうって思ってた。今じゃなくても、いつかそのうち。時間をかけてゆっくり知ればいいって思ってた。…ーーーでも、それは俺の思い込みで。…目、逸らしてただけなんだって」
「ーーー」
「躊躇ってる場合じゃないって」
「ーーー…」
「だから、隆に言った。ーーーもっと隆に、踏み込むよ…って」
はっきりと。晴々と。
そう、彼らに伝えたイノランは。
目の前の彼らの纏う空気が、急に動き出すのを感じた。
ちょっと待ってて。
そうイノランに言い残して、三人の空の者達は辺りに散った。
言われるままに立ち尽くすイノランの元に、あっという間に戻って来た三人。
ーーーその手には。
「花?」
スギゾーは薄紫。
真矢は白。
Jは青い花を摘んで来て、イノランの前に差し出した。
「隆に、お見舞い」
「届けてくれる?隆ちゃんにさ」
「アイツが好きな花なんだよ」
なかなか派手なビジュアルの彼らが手にするのは可憐な花。
それを照れくさそうに差し出す彼ら。
それを目の当たりにしたら。直接的な言葉は無いけれど。ーーーいいよって、認めてくれた気がした。
「ーーーそっか」
イノランの黄色の花が加わった、小さな花束を。
隆一はじっと。ただただじっと、見つめていた。
イノランが立つ、ベッドの傍らからは。
隆一の横顔しか見えないのだけれど。
泣きそうに、揺らいで見えた。
ーーーだから。
「今朝の風は完全に風任せって、言ってたよ?スギゾーが」
「!」
「たまにはこんな風もいいさって。だからみんなも、今日は空任せにして休むって」
「え、ええ⁇」
「今日はみんなで休み。今日は空も穏やかだから、隆も気にせずゆっくりしろよ~って、伝言」
「ーーーみんな…」
「…いい奴らじゃん。隆の、空の仲間。ーーー甘えていいんだよ、こんな時くらいさ?」
な?
そう言って、イノランは隆一の手をやんわり握った。
ーーーまだ少しだけ火照った、風使いの手を。
「ーーーイノちゃん」
「ん?」
にっこりと。
隆一は笑ってくれた。
「ありがとう」
「ーーーいいんだよ」
「ーーー…」
「いいんだよ」
二度目の同じセリフは、彼らの代弁。
小瓶の中で花束になった、三つと一つの花達が。
空の者と、ひとと。
確かに心通わせた、印に思えた。
棚の中に漢方薬があるの。
そう言って。隆一は、紙に包まれた深緑色の粉薬を、顔を顰めながら水と一緒に飲み込んだ。
コクン。
飲み切って、ホッと一息ついた隆一は。にっこりしてイノランに言った。
「具合があともう一息って時によく効く風邪薬なんだ。ーーーちょっと、苦いんだけどね?」
「へぇ。…すげえ色してたな」
美味そうではなかったな。…って、苦笑いのイノラン。
隆一は頷いて、こう続けた。
「ーーー俺のおじいさん。風使いだったんだけど…。こうゆう風邪薬とか、海や森の食べ物とか。風使いの仕事以外にも、たくさん教えてくれたんだ」
「ーーーそっか」
「ちょっとくらいの不調の時は、この漢方薬を飲んで、あったかくして寝てれば大丈夫って。…よく飲まされた」
「…ふぅん?」
また一つ知れた。
隆一の、新しい一面。
おじいさんに教わったという知識で、結構サバイバル術に長けているのかもしれない。
ーーーそして、懐かしそうに語る〝おじいさん〟の事も。
もっともっと、知りたいと思う。
隆一の事。
「ーーー隆」
「…ん、え?」
「ちょっとだけ…味見」
「っ…⁉ーーぁ…」
ベッドに座る隆一の肩を掴んで、顔を寄せる。
瞬間、ふわりと。清々しい薬の香りが鼻先を擽ぐる。
ーーーホントだ。漢方薬の独特な匂い…と。イノランは微かに微笑んで。
唇を、隆一のそれと重ね合わせた。
「…ふ、っ」
「りゅう」
「んっ」
名残り惜しさを残すくらいで、唇を離す。…まだ全然物足りない…けど。
口に残る苦味を味わいながら、イノランは思いついた提案を隆一に話した。
「隆ちゃん、薬飲んだからひと眠りしなよ。ーーーで、起きたらさ」
「…?」
「デートしない?」
デートしない?
…なんて。
そんな事言われたら。
「…寝られなくなっちゃった」
頬を染めて、ちょっと恨めしげにイノランを見る隆一。
それを見てイノランは。
原因を作ったのは自分だが、天を仰いでため息をついた。
(…ホント。ーーー勘弁してくれ)
昨夜だって、ようやく我慢したイノランだ。それなのに、こっちの事はお構い無しって風情で煽りまくる隆一。
それを度々強いられては、イノランだって限界がある。
(ーーー約束は…守るけどさ?)
大切な相手との約束だから。
その待ちの時間も楽しむつもりで日々こうして隆一と接しているけれど。
無邪気で、全力な隆一に。
こうして我慢を試される日々は…。
「ーーー隆はさ?」
「え?」
「もっと自覚した方がいいよ」
「⁇…自覚?」
「そう」
「何を?」
「え?…だからさ」
魅力的な声も姿も内面も全部だよ‼
…と、叫びたいのを…やっぱり我慢して。
元気そうだし、寝られないなら…いっか。…と。
隆一を起こして、外を指さした。
「行こ?デート。前から隆と行きたい所があったんだ」
青空の昼下がり。
イノランは隆一を連れ出して、森の向こうに歩き出した。
「いらっしゃいませー。お好きなお席へどうぞ」
隆一を連れだって来たのは、イノランがこの街に来る度に訪れている山の麓のカフェだ。
ずっと隆一を連れてきてあげたいと思いつつ、なかなか叶わなかったが。
今日はどうやら隆一はオフ。
加えていい天気。
隆一とカフェデートするのに絶好のタイミングだと思ったのだ。
「好きなの、選んで?」
「ーーーイノちゃん」
窓際の、眺めのいい席に向かい合わせで座って。差し出されたメニューを、躊躇いながら受け取った隆一。
ドキドキしているのが伝わって、イノランは笑ってメニューを指した。
「アイスクリームとか、どう?」
「!…アイス」
「飲み物は…今日はどうする?あったかい紅茶とか」
「うん!それにする」
「ん、アイスは?チョコとバニラとストロベリーがあるけど」
「っ…ーーーバニラ」
「(!!!可愛…)ーーーOK。じゃあ俺は…」
店員を呼んでオーダーするイノラン。
メニューを畳んで、軽やかに仕舞うその仕草に。隆一は、ポーッと頬を染めた。
「ん?」
「ーーー…イノちゃん」
「?」
「格好いい…ね?」
「!」
「えへへ…」
「(っ…ああ、もう…)…格好つけてんだよ。隆とデートだから!」
「え?」
「ーーー格好つけさせて」
「ーーーっ…う、ん」
お待たせしました。って運ばれて来たアイスと紅茶と、イノランのアイスコーヒー。
冷たいの頼んで良かったと、それぞれアイスとコーヒーを味わいながら。熱くなった顔を冷ますのだった。
「ご馳走様。イノちゃんありがとう」
「いえいえ。隆もすっかり元気になって良かった」
「楽しかったから」
「ホント?」
「美味しかったし」
「そうだな」
カフェを出て、行き先も決めずてくてく歩く。ずいぶんゆったり過ごしたようで、外はもう夕方の気配。
「どこ行こうか?」
「んー…そうだね」
「あ、じゃあ。ちょっとそこの雑貨屋寄っていい?」
「お店?…うん」
「この辺は可愛い店がいっぱいなんだ」
そう言いながら着いたのは、ひとつひとつ手作りのアクセサリーや雑貨を売る店。
素朴な佇まいの店構えに、隆一も臆する事なく進んで行った。
「わぁ!ホントだ、可愛いね」
「気に入ると思った」
隆一が感嘆の声を上げたのはアクセサリー売り場。天然石や木のモチーフ、貝殻やガラスのペンダントトップがたくさん並ぶ。
隆一が目を輝かせたのは、やはり天然素材のものだった。
「今日の記念。好きなのプレゼントするよ?」
「…え」
「隆の回復祝いと、初デート記念と…まあ、あげたいから。隆に。…だから選んでよ」
「イノちゃん、ホントに?」
「うん。どれがいい?」
「っ…ありがとう!ーーーえっと…」
キラキラした目で、じっくり探す隆一に。イノランは、こっちまで嬉しくなると破顔した。
あれこれ手に取っては品定めした隆一は、やっとひとつのペンダントトップを手のひらに乗せてイノランに見せた。
「ーーーこれがいい…かな」
「どれ?…あ、クリスタルの」
「うん。…綺麗だなって」
隆一が選んだのは、荒削りに研磨されたクリスタルの欠片のペンダントトップだ。艶々し過ぎていない、控えめな透明な輝きが隆一らしい。
イノランは頷いて受け取ると、そのまま会計に向かう。
そして小さな小箱に入れられたそれを手に、夕暮れの外へと再び歩き出した。
久しぶりにあのオレンジの夕陽を見に行こうよ。
そんな提案に、大きく頷いた隆一。
このハイキングコースを二人で歩くのは初めてだ。
「いつもは一人でこの道を歩いてた」
「ん、そうだね」
「この森を抜けると隆に会えるって、いつもドキドキしながら歩いてたんだ」
「っ…うん」
俺もそう。
あのオレンジの夕陽を見る度に、イノちゃんに会いたいって思ってたよ?
ぎゅっと。
イノランの左手に手を繋いだのは、隆一が先。
一緒にいたい。
離れたくないと言っているようで、イノランはどきんと心が跳ねた。
頭上の木々の隙間がオレンジ色に光って見える。
切り通しまで、間も無くだ。
ザッ!
下草を踏み分けて、地面が露出した岩場になった。
「ーーーっわぁ」
「すっげ…」
今日も見事なオレンジ色。
初めて隆一と出会ったあの日と負けないくらいの。
瞬きも惜しいくらい、ひとしきり夕陽を楽しんで。
イノランは隆一の手を引いて、岩場の上に並んで座った。
「ーーーはい。隆ちゃん」
「ありがとう」
落ち着いたところで、イノランは先程購入した包みを開ける。箱を開いて、クリスタルのペンダントトップを隆一の手に乗せてやった。
隆一は嬉しそうに眺めて、もう一度イノランに礼を言うと。
自身の首に掛けていた革紐のペンダントを外して。その先に通していた鍵…あの古い灯台の鍵の横に。クリスタルのペンダントトップを器用に付けた。
「できた!綺麗」
「ーーー革紐によく似合う。その鍵も…」
「うん!」
「ーーー」
ーーーなんの鍵?って。
少し前までのイノランなら、多分直ぐには聞かなかっただろう。
隆一が言いたいと思うまで、待っただろう。
でも。
それはもうしないと、決めたのだ。
気になったから、聞きたいんだ。
「隆、その鍵…」
「え?」
好きなひとの事だから、知りたいと思うのだ。
「レトロな…なんの鍵なの?」
その勇気と覚悟を持つだけで。
ーーーほら…
隆一も、またひとつ。
新しい展開への、道が見えてくる。
「ーーーこれはね、大切な…鍵」
「大切?」
「もうひとつの灯台の…」
その先が知りたい。
もっともっと、共有したい。
踏み込んで、踏み込まれて。
手と手を繋いで。
離れないで。
離さないで。
こんなに好きなのが、不思議だよ。
「ーーーっ…ん」
「りゅ…」
「ぁ…っん」
堪らなくて。
その声ひと欠片も溢すのが惜しくて、唇を塞いだ。
シャラ…
ペンダントが揺れて、硬質な音が鳴る。
そのキリリとした音の側で、柔らかな音が生まれる。
「…っ…あ」
「隆」
「ンッ…ふ」
「好きだよ」
あたたかくて、涼しくて。
輪を描いた緩やかな風が、二人を包んで。
そんな風の真ん中で。
そこは確かに、誰にも邪魔されない二人きりの空間だった。
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