round and round (みっつめの連載)












雷鳴使いというのは、嵐の前兆を報せる者だ。
もちろん、風や雲も嵐の気配を報せてくれるものではあるけれど。
遠く方で紫色に空が割れるのを見ると。人々はこれからの悪天候を予感して、足早に家路を急ぐのだ。






隆一は今朝も明るくなる前から起き出した。



「ん?」



今朝は暗く重く、雲が垂れ込めている。
雲職人のJが作り上げた黒雲が、海上を覆うほどの範囲で広がっていた。




「ーーーーー雨、降るなぁ」



窓から外を眺めながら、隆一はひとり呟いた。

今にも降りそうな空模様。
夏の雨の日は、熱くなった地表の温度を下げる重要な一日になる。自然の力も相まって、スコールのような雨になる事もしばしばだ。
台風ではない、そんな雨降りの日は。風が強く吹く事は意外にも少なく。
あまりこういう時、隆一の出番は少ない。
しかし気持ち良いほどに叩きつける雨脚を見る度に、隆一はパトロール傍ら。空へと出掛ける事が多かった。
何故かと言うと、それは…。




ぽつぽつと、隆一の頬に雨粒が落ち始める頃。
隆一は、一際黒い雲の塊に座り込んでいる彼を見つけて声を掛けた。




「J君!おはよう」

「ん?おー。隆、はよ!」

「今朝は早くからお疲れ様です」

「ハハ!まあな。雨雲作りに徹夜ですわ」

「うわぁ、ホントお疲れ様」



(雲を作り出すのに必須の!)愛用の真っ赤なベースを傍に置きながら、眠た気に目を擦るJを労いつつ。隆一は遙か遠くの海上の空に目をやった。
そして一瞬視界が捉えた、ある光景に。隆一は顔を綻ばせてJに言った。




「ーーー会えそうだね?今日、久しぶりに」

「ん?ああ。さっき俺も見つけた。ホント、こっち来るの久々だよな」

「うん!嬉しいな。行って来ようかな」

「おお、いいんじゃね?向こうも会いたがってんだろ」

「ーーーJ君も行く?」

「や。取り敢えず、ちょっと仮眠。ねみぃもん。どうせ俺は後で会えるしな」

「そっか!わかった。ーーーじゃあ俺ちょっと行ってみる。J君はおやすみなさい」

「おう。おやふみぃ~」




ごろんと雲の上に寝転がるJに手を振って。
隆一はさっき見つけた光景の、空の向こうへと飛び立った。

どんよりした灰色の空を駆ける。
紫色の稲光の見えた方へ。






近づくにつれて目を惹く。
紫の閃光。
雷と光は。
常に共に在るものだ。
発生させた電気を、光が補って、あの紫色の雷を見る事ができる。

雷鳴の真矢と、光使いのスギゾー。
彼らは幼い頃から一緒で。
空の仕事も、一緒に行う事も多かった。





「真ちゃん!」

「え?ーーーおお!隆ちゃんだぁ‼」

「久しぶりだね?元気だった⁇」

「おう!隆ちゃんも元気そうだなぁ」



雷鳴使いの真矢。
彼は隆一と同世代ながら、その貫禄ある雰囲気と朗らかな笑顔の持ち主だ。
真矢は毎年、梅雨時から夏いっぱいの間、隆一達のいる空に来る。
Jやスギゾーと違い、いつでも会える訳では無いから。遠くの空に稲光を見つける度、隆一は真矢に会いに空を駆けるのだ。



「隆‼」

「ん?あ、スギちゃん!」

「隆、来てくれたんだ?」

「うん!J君に聞いて。真ちゃん来てるって」

「嬉し~!隆ーりゅーりゅ~う‼」

「わっ…あ、スギちゃん」

「コラコラ!スギゾーはいつだって隆ちゃんと会えんだろうが」



隆一をぎゅうぎゅう抱きしめて頬擦りするスギゾーを。真矢は呆れつつ引き剥がして、隆一を自身の雲の上に乗せてやった。


「…ったくよ~。隆ちゃんごめんなぁ。スギゾーが毎回あんなで」

「う、ううん!大丈夫だよ」

「スギゾーも隆ちゃんの事になるとさぁ。隆ちゃんがスキスキだから」

「俺も皆んなの事大好きだよ。真ちゃんもスギちゃんもJ君もね?」




そんな真矢と隆一の会話を聞いていたスギゾーは、ちょっと不貞腐れ気味。
ーーー嬉しいけどよぉ…
…と。唇を尖らせた。




「隆の言う〝好き〟は友達とか仲間とかの〝好き〟でしょ?」

「っ…ーーー」

「なんだよスギゾー。それだって嬉しいじゃねえか。隆ちゃんとこうやって時々だけど会えて、俺は幸せよ?」

「そりゃー俺だって嬉しいよ?隆と会えて幸せだけどさ。…」

「?…けど?なによ」

「ーーー…スギちゃん?」

「ーーーや。…なんでもねえ。ーーー俺も皆んなの事大事だって思ってるからな?」




ニッ。と、白い歯を見せて笑うスギゾーに。真矢はハテナ顔。隆一は…少しだけ複雑そうに微笑んだ。











久しぶりの再会を喜び合って。
愛用の仕事道具のドラムを手入れしながら(雷を発生させる重要アイテム!)真矢は隆一に言った。




「そう言えばさ?隆ちゃん」

「ん?」

「俺ここ暫く、ずっとずっと向こうの国の方に行ってたんだけどさ」

「うん」

「覚えてるかなぁ?ーーー前に俺がこっちに連れて来たことがあったTERU…って。…隆ちゃん覚えてる?」

「TERU君!勿論!覚えてるよ」



その名に懐かしさと覚えがあって。
隆一はパッと顔を輝かせて頷いた。
真矢はそんな隆一に、そりゃ良かった!と豪快に笑った。



「真矢。TERUって、あの風使いのTERUだろ?…確か隆と真反対の国の空にいる…」

「そう!そのTERUだよ。俺らよりちょっと後輩のさ」

「懐かしい!元気⁇俺とTERU君って、担ってる範囲が真反対だから、普通にしてたら絶対会えないんだよね」

「だよなぁ。あの頃はまだTERUもひとりで任されて無かった頃だから連れて来れたんだよね。隆一さんに教わった事、今でも忘れていません!って言ってたよ」

「ーーー頑張ってんだね?」

「もう隆ちゃん張りに!向こうの空でも大活躍よ」

「ーーーふふっ、そっか。…久しぶりにTERU君にも会いたいな」

「そうそう!でね?」

「うん?」

「近々、TERUが昇級試験を受けるって言っててさ」

「えっ⁉」

「今猛勉強猛特訓してるって。…でも風使いの経験は隆ちゃんのが長いから、色々聞きたいです!ってさ」

「ーーーTERU君…試験挑戦するんだ」

「試験って、あれでしょ?合格すると任される空の範囲がぐんと広がって…」

「うん。ーーーでも」




隆一は。
遠く面影の残る後輩の人懐っこい笑顔を思い出していた。










いつの間にか。
雨脚と雷鳴は激しくなって、空はますますどんよりと曇ってきた。



ーーーじゃあ真ちゃんまたね!

ーーー夏の間はここにいられるんだよね?


そう言って、隆一が真矢とスギゾーの元を去ったのはつい先程。
愛用のドラムを打ち鳴らしながら、真矢はポツリと、バイオリンを奏でるスギゾーに問い掛けた。




「なあなあ、スギゾー」

「あ?なんだよ、今ちょっと手が離せねえ…」

「隆ちゃんの事なんだけど」

「隆⁇なに?」

「…お前。ホントに隆ちゃんの事になると…」

「だって隆が大事だから」

「…うん」

「優しくて、一生懸命でさ。…ほっとけねえんだよ」

「うん。そりゃ俺もだ」

「ーーーうん」

「Jもそうだろうよ」

「うん」




うんうん…頷き合うふたり。
隆一の事になると、皆んな…こうだ。
どこかほおっておけない。

ーーーけれど。
スギゾーは、最近ちょっとだけ。
見方が変わってきたのだ。




「ーーーで。…隆ちゃんなんだけど」

「おう」

「さっきちょっと…元気無かったかなぁ?…って」

「ーーー」

「俺なんか余計な事言っちまったかな…」



しゅんとする真矢を見つつ、スギゾーは。何となくだけれど、理由がわかった気がした。



TERUが挑戦するという、昇級試験。
これは風使いならば、一定の職務期間が過ぎれば誰でも挑戦できる事になっている。…しかしこれは任意であるから、必ずしも…という訳では無い。
それでも歴代の風使いのほとんどは、この試験を通ってさらなる範囲を任されていた。

TERUは出会った頃から、風使いの仕事をどんどん吸収していったし。研究熱心で、何より風使いの仕事を、心から誇りに思っていたようだった。
だからTERUには是非頑張って試験をパスして貰いたいと、隆一は心の中でエールを送った。

ーーーけれど。
隆一はこの試験には、今まで触れてこなかった。
受ける資格はじゅうぶんにあるけれど、積極的に受けようとは思わなかった。




「ーーーあの試験を受けて、仮にパスするとさ。どうなるか…真矢知ってる?」

「え?ーーー任される仕事が増えるんだろ?」

「そう。もっともっと広い世界の空を行き来できる。やり甲斐ある事だと思うよ」

「うん。TERUもそう言ってたよ」

「ーーーでもさ。例えばそれ以外に…心惹かれるものがあるとしたら…⁇」

「ーーーえ?」

「惹かれて惹かれて、もう目隠しもできないくらいになってたとしたら…⁇」

「ーーーそれってどうゆう…」



スギゾーは、大きな雨粒の降る空を見上げて言った。
ーーー少しだけ、寂しげに。



「試験をパスすると、生涯風使いの称号を与えられるんだ。…風使い全てに一度だけ与えられる、自身のその先を決められる決断のタイミングがあるって知ってるだろ?そのタイミングが、試験にパスした瞬間に移行される」

「…えっと。ーーーつまり、さ」

「試験に受かったら、どうであれ、その一生を風使いとして生きるって決まるんだ」











試験をパスすれば、その瞬間に一生の風使いとしての職務を約束される。
難しい試験に臨む者は、その覚悟をも持ち合わせている筈だから…と、この処遇なのだ。

この仕事に最大のやり甲斐と誇りを持つ者にとっては。これ程栄誉な事はないだろう。




隆一は降り頻る雨の中、再び後輩の事を思い出して微笑んだ。



(TERU君…この仕事が大好きって。世界中の空を見ることができるのが楽しいって、前に言ってた)

(ーーーきっと彼にとっての天職なんだろうな…)


そう言えば彼も歌が好きだと教えてくれた。歌を口ずさみながら渡す彼の風は、明るく心地良いものなのだろう…と。
隆一はそう思った。



「ーーー…」



生涯、風使い…か。
全てを棄てて、人としてのその後を選ぶか。
隆一がこうして思いに更ける原因は。
そこにあった。




ザアザアと、目の前が烟る程の雨。
その中を、隆一はふわふわと飛んで。
いつの間にか、ある場所に降り立っていた。

ーーー灯台。

隆一の家の前のでは無い、もうひとつの煉瓦造りの灯台だ。

隆一はいつも首から下げている、皮紐に繋がれた小さな鍵を引っ張り出して。
雨で湿った木の扉の施錠を、カチャリと開けた。




ーーーギィ…




中は雨の匂いがいっぱいだ。
石造りの内部の螺旋階段はひんやりしてて。コツコツと石段を上る度に、静けさが隆一を包んでいった。




「ーーー灯は…まだ大丈夫だよね」



灯台の目の中に灯す蝋燭は、煌々とオレンジ色に燃えている。
数日前に蝋燭の交換に来たばかりだから、今日はまだ大丈夫なのだ。



「ーーー」


隆一は。
コツコツと壁の方に寄って、壁をくり抜いて据え付けられた棚から、一冊の書物を取り出した。
ーーー書物というか…アルバムだった。



隆一は木の椅子を引き寄せると、オレンジ色の灯りの下で、それを開く。
パラリ…パラリ…。
数ページ捲ったところで、手が止まる。

開いたページには、ひとりの人物の写真が貼り付けられていた。
もう古い…セピア色の写真。
隆一はその写真を大事そうに指先でなぞると、振り絞るような声で呟いた。




「ーーーおじいさん…」



ーーーその写真の人物は。
隆一に風使いの全てを伝えると、人の世界で生きる事を選んだ。
隆一の育ての祖父の写真だった。

彼は隆一と血の繋がりは無い。
けれども、いつからか一人きりだった隆一を。息子のように可愛がって育てたのだ。そして隆一が空に出るようになると、風使いの全てを丁寧に教えた。

ーーーそして、彼もまた。
隆一と同じように昇級試験について悩み、ついには試験を受ける事は無く。
隆一に全てを伝えると風使いを引退し、人々の暮らしへと入って行ったのだ。

彼がなぜ試験を受けなかったのか。
それだけは、隆一も聞かされる事は無かった。
隆一の目から見ても、他の空の仲間から見ても。彼は立派な風使いであったにも関わらず…だ。

なぜ、生涯風使いを選ばなかったのか。

隆一は。
その事で頭がいっぱいになる度に、ここに来て彼の写真に問い掛けた。



「おじいさん…。」

「ーーーおじいさんも、悩んだの?」

「どうして風使いを辞めたの?」

「ーーー辞めて…ーーー今、幸せにしてる?」



ーーー答は無い。
それは当然だけれど。
こうして彼の写真を眺めると、騒ついていた心が落ち着く気がした。



隆一は、目を閉じる。


脳裏に浮かぶのは、空の仲間。
ーーーそれから。

音楽の仲間と、好きなひと。



「俺…」


テーブルに、顔を伏せた。


「ーーーーー…俺…」









「おはよう」


昼、少し前。
隆一がスタジオに顔を出すと、そこにはイノランだけがいた。


「おはよう!隆ちゃん」

「イノちゃんも。ーーー葉山っちは?」

「葉山君は今日は用事があるんだ。他の楽曲提供もしてるから、そっちの方でね」

「そうなんだ」

「だから今日は俺と隆ちゃんでね。ーーーこないだ録ったヴォーカルね、一個俺のコーラス被せたらどうかな?ってのがあるんだけど」

「あ、うん!…どの曲?」



早速前回歌録りをしたデータを引っ張り出すイノラン。隆一もイノランの側に寄って、ヘッドフォンを手に取った。



「ーーーーー隆?」

「え?」


イノランが少々怪訝そうな顔で隆一を見た。
そんなイノランの態度に首を傾げる隆一。するとイノランは手を伸ばして、隆一の前髪に触れた。



「…隆、髪濡れてる。ーーーどうした?」

「あ…ーーーこれ、は」

「ーーーーー雨?」

「う…ん。ーーー今朝、雨だったから」

「…飛んでたの?」

「うん。ーーーでも、平気だよ?…ちょっとまだ乾いてないけど」

「そっか…?ーーーあんま無理すんな。風邪ひくなよ?」

「うん。ありがとう」



心配させてしまった事に、隆一の良心がちょっと痛んだけれど。
気に掛けてくれた事が、今は嬉しかった。

心配気に微笑むイノラン。
隆一はこの時はまだ、イノランの小さな気掛かりに気づく事が出来なかった。






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