round and round (みっつめの連載)












灯台での仕事を終えて、風を渡しつつ隆一がスタジオに着いたのは。
ちょうど昼時だった。

葉山に目撃された前例があるから。
隆一はスタジオの真上で降りる事はせずに、ほんの少し離れた緑の多い公園の木々の中で降り立った。

かさかさと緑の中から街の中へ。
イノランや葉山といるようになって、こうして人の多い街にいる事に少し慣れてきたけれど。
空の上から眺める街の風景とはまた違う。
街の音、騒めき、匂い、温度…
隆一が作り出す風とは違う、人々の流れが作り出す風がここにはあって。
ひととの距離をとっていた、ちょっと前までは。この空気に身を置くのに、本当は少しだけ勇気がいった。




(ーーーでも)



でも。
今は…




こんな空気が、心地いい。
ビルの隙間から見える青空も、街路樹の間を吹き抜ける風も。
この街と、繋がる事が出来たから。

それはやっぱり、イノランの存在と。
音楽と、葉山のおかげだと隆一は思う。










「おはようございます」




隆一がスタジオに顔を出すと、ギターを抱えたイノランと、コーヒー片手にちょうどこっちを向いていた葉山が談笑しているところだった。




「おはよう隆ちゃん」

「おはようございます、隆一さん」

「お待たせ」




笑顔で迎えてくれるメンバー達の存在が、隆一にとっては嬉しくてくすぐったくて。
ついつい顔も、ゆるっと綻んでしまう。
部屋に入って、イノランの隣の椅子を引き寄せて座ろうとした時だ。




「あ。隆ちゃん、髪に…」

「え?」

「ーーー葉っぱ。…どこでくっ付けて来たの?」

「…あ」



イノランの手がツイッ…と伸びて。
隆一の髪に付いていたらしい葉をそっと取った。それを見て隆一は、ああ…と、思い当たる。




「ーーー多分、公園の。見つからないように、木々の間に降りたから」

「そっか」



気になるのか、自分で髪をくしゃ…と触る隆一。
そんな隆一を目の当たりにすると、イノランは胸の辺りが疼いてしまう。

付いてても可愛かったけどね?

…なんて、葉山の前なのに顔を寄せて言うイノラン。
隆一は照れてしまって顔を染める。イノランの手の内の葉を取ろうとして手を伸ばしたら指先が触れ合って。
思わず、ドキンと高鳴る鼓動。ここは室内なのに、うっかり風を起こしてしまって。つむじ風がくるくると天井に伸びて、一片の葉が宙で踊った。




「ーーーわ…ぁ」



それを見ていた葉山は感嘆の声をあげる。隆一の事の話は聞いていたけれど、こうして風が生まれる瞬間に立ち会ったのは初めてだったから。



「ーーー室内なのに…風が吹くんですね」

「ごめんなさい、部屋の中なのに…。ーーーちょっと、びっくりして」

「え?」

「隆ちゃんの感情の起伏でも、風が生まれるんだって」

「ーーーそうなんですか」

「うん…。でもホントはそれって、感情と風をコントロール出来てないって事だから。あんまりいい事じゃないんだけど」




苦笑を浮かべて言う隆一を見て。
それってそんなに悪い事なんだろうか?…と。葉山は率直に思ってしまった。
それと同時に、隆一の〝風使い〟という立場の責務の重さや難しさ。
葉山はまだ、その片鱗しか知らないけれど。
計り知れない苦労もきっとあるのだろうと、切なくなった。

ーーーだから。そんな隆一を慮って。




「ーーーでも、いまのはイノランさんのせいですよ。…ね⁇」

「え?俺?」

「そうです。隆一さんに迫ったでしょう?」

「別に迫ってなんか…」

「いーえ。僕の目から見てもバレバレです。隆一さんの事が好きで好きで可愛くて仕方ないって感じです!」

「っ…!」

「…俺…そんなだった?」

「はい」




…あのイノランが言いくるめられている…。と、目をぱちぱちさせながら二人のテンポの良いやりとりを眺める隆一。
きっとそれも、このふたりの付き合いの長さが為せる技でもあるのだろうと。
いずれ自分もこんな風になれるだろうかと。羨望と尊敬の眼差しで葉山を見ていたのかもしれない。
ちょうど葉山と目が合って。
交差した視線で、葉山はにっこりと笑った。



「ここでは遠慮は無用です。ガンガン出しちゃって大丈夫です!」

「!」

「僕ももっと隆一さんの事を知りたいと思っていますし。僕の事も」

「葉山さんのピアノ、早くもっと聞きたい」

「はい!」



隆一の言葉に、嬉しそうに破顔する葉山。こうなったら、もっと打ち解けたいと思って。



「〝葉山さん〟じゃなくて、いいです」

「え?」

「えっと…もっと親しみを込めて頂いて…OKですよ?」

「っ…うん、じゃあ…」




イノランの見守る中、葉山と対面で隆一はちょっと考えて。
しばらくして、じっと顔を上げた隆一。
その表情は悪戯っ子のようで。こんなカオもするんだと、葉山が見惚れていると。
良く通る声で、隆一は元気よく葉山を呼んだのだ。




「葉山っち!」











葉山の呼び名の命名?が済んで。
仲間同士の呼び名も決まれば、もっと打ち解けた空気が生まれて。
三人はテーブルを囲んで、話が弾んでいた。




「ユニット名も、今日こそ決めような」

「そうですね。隆一さんのヴォーカル録りが終われば、いよいよ発信していく段階になりますもんね」

「発信…」

「ん。そうだよ?アルバムって形にして、色んなメディアで発信してもらって。その後はいよいよライブだよ?」

「っ…ライブ」

「この三人で、初めてのライブですね」

「そう。だからユニット名は大事。俺らを飾る、冠になる名前だもんな」




アルバム、発信、ライブ…
そんな言葉達は、隆一の心を激しく高鳴らせる。
全てが隆一にとって初めての世界。
このふたりと音楽が出来るだけで満ち足りていた気持ちが。
さらにその先へ…

急速に変化する自身の立ち位置に。
大きな期待と小さな不安が同時に隆一を襲う。



「っ…」

「ーーー隆ちゃん?」



おそらく無意識に、強張った顔をしていたのかもしれない。小さな隆一の様子の変化を、イノランはすぐに察知して。
テーブルの上でぎゅっと握り締めた手に、宥めるように手を重ねてやった。



「ーーーイノちゃん…」

「大丈夫?」

「っ…う、うん」

「ーーー初めてだもんな?」

「ーーーう…ん」



ぽん…ぽん…。
イノランは、重ねた手を優しくたたくと。隆一はパッと顔を上げた。



「せっかく生まれたユニットだ。楽しもうぜ?」

「イノちゃん…」

「そうです。隆一さんが入って、僕たちだって初めてのユニットなんですから。皆んな揃って初めてだから大丈夫です!」

「葉山さん…」

「ん?」

「あ!…葉山…っち」

「はい!楽しみましょう?まずは三人の音楽を、僕たち三人が」

「っ…ーーーうん!」




隆一の中の、さっきまでの小さな不安は消え去ってしまった。

そうか。二人にとっても、初めての領域なんだ。

…そう、葉山に言われて気付いたら。
三人一緒に始めるこのユニットが、なんだかものすごく愛着あるものに思えてきた。



「ーーーで、ユニット名だよな」

「…あの」

「ん、葉山君?」

「たった今思い付いたのがひとつあって。…隆一さんがさっきつむじ風を起こしたでしょう?それでピンときたんですけど」

「え、俺の風で?」

「どんなの?」

「はい。Tourbillon です」

「Tourbillon?…って、時計?」

「そうですね。イノランさんの好きな時計でもあるし、それに」

「うん?」

「〝渦巻き〟って意味もあるでしょう?さっき隆一さんが起こした小さなつむじ風が、なんだかイノランさんと僕に新しい風を吹き込んでくれたみたいだなって」

「ーーー…で、Tourbillon…か」

「…格好いい…ね?」

「隆ちゃん、気に入った?」

「うん」

「うん、俺もいいと思うよ?」

「本当ですか?」

「うん。いいじゃん」

「いいね?」




互いの顔を窺いながら。いいね、いいねって頷き合って。
あっという間に決まってしまった事が、可笑しくて、やっぱり必然みたいなものを感じてしまう。

イノランが好きだという時計も。
隆一の生み出すつむじ風も。
それからこうして、三人が一緒にいる事も。
くるくると輪を描いて、三人と音楽を巻き込んで。
Tourbillonという名が、三人を捕まえてくれたみたいだ。






この日は隆一が三曲の歌をうたった頃。
外はすっかり夕焼けになっていた。


送るよ?と言うイノランに、隆一ははにかんで頷いた。









「名前、決まって良かったね」





助手席の隆一が、暗くなりかけた空を見上げながら言った。
イノランは相槌を打ちながら、横に続く海岸線をチラリと見た。
運転中だから、じっと見てはいられないけれど。その景色に目を奪われた。

青紫と薔薇色の色彩が。
視界いっぱいに滲んだような空。
太陽の端がまだ水平線に隠れきっていないから。キラキラ光る海と、急いで家路に着く白い海鳥と。




「隆ちゃん、見て?」

「ん?」

「空。ーーーすげえよ…」




ちょっと降りていい?

そう言ってイノランは、海岸線に設置された堤防脇の駐車場に車を停めた。
堤防横のコンクリートの階段を数段降りると、そこに広がるのは砂浜だ。




「潮が引いてる」

「だな。ずっと向こうまで…遠浅なんだ」



イノランはかけていたサングラスを外して、シャツの襟元に引っ掛ける。
それから靴を脱いで、ジーンズの裾を少しだけ捲り上げた。



「イノちゃん?」

「隆ちゃん、行こ!」

「え?っ…うん」



隆一も慌てて履いていたサンダルを脱ぐと、ぐいっと引かれた手に従って歩き出す。




ピチャ…ピチャン



波打ち際のごく水深は浅く。
潮も引いているから、踝までも届かないくらいの水面がずっと続いている。
時折押し寄せる薄い波も、昼間の太陽の熱を吸った砂の上を撫でるから。
ふたりの足元を緩く穏やかに濡らしていった。




「水あったかいね」



ふふっ。
隆一は微笑みながら、足先でパシャパシャと遊んでいる。
こんな時はいつもそうだ。

風が心地い。

それはそっくりそのまま、風を生み出している張本人が、心穏やかな事を示しているようだ。




「隆ちゃん、今ご機嫌でしょ」

「え?」

「ーーー風が気持ちいい」

「あ…、ーーーうんっ」



見抜かれて恥ずかしいのか。
隆一はプイ、と。横を向いてしまった。

しかしそんな事をされて煽られるのはイノランだ。




「っ…あ」

「おいで」



肩を抱いて、隆一を引き寄せる。
途端にびくりと、隆一の身体に力が入るのがわかって。イノランは苦笑を浮かべながらも、顔を寄せる。




「ーーー隆」

「イノちゃん…?」

「ん?」



薄暗い空の下でもわかる。
隆一の瞳は、既に期待で潤んでる。
待ってるみたいで。
イノランは隆一の視界を塞ぐように、唇を重ね合わせた。




ザザ…ン

ーーーザザ…





「ーーーっん」

「っ…」

「ふ…っ…」




夢中になるキスで。
隆一の、砂浜を踏み締める足は揺らいでしまう。
足元の砂を波が攫う度、不安定な足元はもっと不安定になって。
隆一はイノランの首元に両手を回して、自ら身体を擦り寄せた。

イノランの胸に、熱が込み上がる。





「っ…りゅう」

「ーーーは…ぁ」

「隆…っ」

「⁉…ーーーぁっ…」



唇へのキスを、イノランは隆一の首元へと移す。抱きしめていた手も、服の隙間から滑らせて、隆一の素肌を撫でる。

まだその時では無いと。イノランは頭ではわかっているけれど。
こんな、隆一が綺麗に映える場所で。キスに夢中になって。縋り付いてくれて。

我慢なんて出来なかった。




「イノちゃんっ…あ…待っ…て」

「わかっ…て、る」

「んっ…ーーー」

「わかってるけどーーーーーっ……」

「ぁ…っ…ーーーあ」




今は振り切る気持ちを込めて。
イノランは、隆一の首筋にキスの痕を付ける。
隆一の白いシャツの襟で、ギリギリ見えるか見えないか…の。際どい場所に。

それは今のイノランの、精一杯の我慢。

本当ならもう、全てを奪ってしまいけれど。
隆一とのこの恋は、本当に大切なものだから。



「悪りい…思わず」

「…え?」

「キスの痕」

「っ…ーーーあ」




ごめんね。
そう言いながら、今度は優しく抱きしめてくる、ちょっと落ち込んだイノランの声に。
隆一はそれが逆に嬉しくて。
いきなりで驚いたけれど。
求めてくれた事が…嬉しくて。

ぎゅっと、イノランの背に手を回して抱きついた。
そして…



「イノちゃん…約束」

「約束?」

「うん」

「…なんの?」

「あのね?」

「?」



背伸びをして。
隆一はイノランの耳元に顔を寄せる。
波音が心地よく邪魔をしてくれる今だから、こんな事が言えると。隆一は己を奮い立たせて。
揺らぐ足元も、震える手も。ぐっと堪えて。



「イノちゃん」

「ーーーん?」

「レコーディングが、終わったらね?」

「ーーーーー」

「イノちゃんに…」

「ーーーーー」

「イノちゃんに…触りたい」

「…っ……」




ーーー触って欲しいよ。

そう囁いた隆一の声は。
震えながらも甘いもので。


風が。
ふたりを包み込むように、ゆるくゆるく…輪を描いて。
いつの間にか星が瞬きはじめた夜空に、くるくるとふたりの気持ちを巻き込んで、溶けていった。






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