長いお話・2 (ふたつめの連載)
都内のとあるホール。
今、そのステージで。隆一は撮影の仕事をこなしていた。
ルナシーのライブツアーの合間。
ツアーが終わったその後に、今度はソロのライブの予定があるのだ。
今回はそのライブのパンフレット用の撮影。
ライブでは葉山がピアノを弾くけれど、一曲だけ隆一もピアノを弾く曲がある。あとはギターの弾き語りなど様々だから、ピアノともギターとも一緒のショットも撮り進めた。
「お疲れ様でーす‼」
「お疲れ様でした‼」
午前中から始まった撮影が、予定通り昼過ぎに無事終了。
程良い緊張感の溢れていた現場に、ふわっと解れた空気が流れる。
隆一は携わってくれたカメラマンやメイク、衣装のスタッフ達と談笑をし。完成を楽しみにする声とともに、本日は終了になった。
楽屋で身支度を整えながら、隆一はマネージャーと明日以降の確認。
今日だけはソロの仕事だったけれど、また明日からはルナシーへとモードチェンジ。まだ続くツアーに向けて、照準を合わせなければならない。
数日後には再びツアーに出る。
それまでは貴重なオフの時間だ。
「じゃあ僕は先に車回しておくから、準備が出来たら来てくださいね」
マネージャーはそう言って大きな荷物を抱えて、隆一より一足先に楽屋を後にした。
隆一は扉がパタンと閉まると、ホッと息をついた。
無事、良い作品が撮れた安堵からのものと。
それから。
ステージにひとり立って、何事も起こらずに終われた安堵。
もちろん周りにはたくさんのスタッフ達がいるけれど。
先日のライブでの出来事のような前例もあるから、隆一は内心落ち着かなかったのだ。
また何か妙な事が起きたら…と思うと。大好きなステージの場なのに、今は落ち着かない。
「…やだな」
こんな気持ちでステージにいる自分が。音楽に、全ての意識を向けられない自分が。
その元凶は決して隆一のせいでは無いのだけれど。
隆一の性格が、それを許さない。
例えそれが自分で望んだものでは無い、不可抗力のものだとしても…だ。
プロとして。音楽は、自分が命をかけて臨んでいるものだから。
( 思いっきり歌いたい。ーーー何にも、囚われること無く )
隆一は、ふぅ…と。今度はため息をついた。
その時。
コツ…。
「?」
隆一の耳に、小さな音が聴こえた気がした。
それはもちろん、音がしたって何ら不思議ではない。
だってこの大きなホールには、まだここで働いているスタッフ達が居るはずだし。それに午後からは、別の団体がここを利用するとも聞いている。
( 過敏になってるだけかな…?)
ひとりでいると、例の事について考えてしまう時間は自ずと増えるから。
( ま、いいや。もう行こ )
…コツ。
「⁉」
また。やっぱり聴こえた。
ーーーそれに、この音…?
コツ…コツ…
…コツ…コツ…
( ーーーっ…これ… )
コツ…コツ…コツ…
( 靴音?)
そう認識して。
どくんっ… と。隆一の心音が大きく跳ねた。
コツコツと廊下に響く靴音は、隆一のいる楽屋の前まで続いて、そして。
ピタリと、止まった。
「っ …‼」
直感でわかった。
ーーーあのひとだって。
「ーーーーーっ…」
ドア越しなのに、見られてるって感じて。見えない威圧感みたいなものが、隆一を竦みあがらせる。
( 俺が一人になるのを待ってた?)
だとしたら、やはり相手は人ではないのだろうか?
だって今ここで隆一がひとりでいる事は、マネージャーしか知らないはずだ。
( また、言うのかな… )
歌えと。
あのよくわからない歌を歌えと、この間のように詰め寄られるのだろうか?
だとしたら。
( 好都合だ )
自ら囮になって誘い出そうと。
そして聞き出したいことがあったから。
( ーーーでもっ … )
どうしたって恐怖心が先に来てしまう。
それに、イノラン。
仕掛ける時は一緒に行くと約束した。
危険だからひとりで進むなと、イノランにクギを刺されていた。
恋人になったイノランの心配はもっともだ。だって、相手が何者かわからないのだから。
( っ …でも )
どちらにしても、ずっとここにいるわけにはいかない。ここに閉じこもっていても、もしかしたら入り込んで来る可能性だってある。それに時間がかかり過ぎたら、心配したマネージャーが戻ってきてしまうだろう。
隆一はゴクリと息を飲み込むと。楽屋の片隅にある掃除ロッカーから、柄の長いホウキを取り出して逆さまに握りしめた。
上手くいくかわからないけれど、いざという時の為の護身用の武器だ。
心臓の音しか聞こえないくらい、隆一は緊張感に支配される。ホウキを持つ手もじっとり汗ばんでくる。
イノちゃんごめんね。でも今はどうしようもないんだ。…と、心の中で謝って。
隆一は手を伸ばしてドアノブを握る。ひと呼吸置いて意を決すると、バッと一気にドアを開けた。
「っ…ーーーーーーーー」
「ーーーーーー?」
「ーーー??」
勢いよく開けたドアの向こう。
隆一が構えたホウキの先は、ゆるゆると地面に落ちた。
「ーーーあれ?」
そこには誰もいなかった。
確かに感じたはずの、誰かの気配も。
ドア越しに感じた威圧感も。
今はそのカケラすら無く。
隆一は拍子抜けして肩を落とした。
「…何なんだよ」
でも。
最悪の事態もどこかで覚悟していたから。誰もいなかったことに、隆一は心の底ではホッとした。
カッコ悪いかもしれないけれど、未知のものに挑める勇気が湧いてくるのは、やはりイノランと一緒だからこそなのだ。
こうして突っ立っていても仕方がない。隆一は片付けをして、今度こそマネージャーの元へ行こうと動いた時だ。
カサ…。
「え?」
何か踏んだと思って、隆一は足元を見た。
ーーーそこに。
「ーーー楽譜…また?ーーーーそれから……これ…」
ドアの前に置かれていたのだろう。また、よくわからない楽譜が数枚。そしてその上に、白い小さなカード。
隆一はしゃがんでそれを眺めて。一瞬の躊躇いの後、拾いあげた。
楽譜が三枚。やはり前回同様、意味はわからない。ーーーでも、その上に付けられたカード。
白いカードに、活版印刷だろうか?指先で文字に触れると僅かに凸凹がある。
そしてその文字に、隆一は息をのんだ。
親愛ナル 歌姫
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「ーーーーーっ 」
隆一は、カクンと膝の力が抜けて。その場に座り込んでしまう。
そのカードから発する。
文面は酷くシンプルなのに、込められたメッセージが。
カードの向こう側から見つめられているような。
( 逃れられない )
きっと。
相手の望みを叶えるまでは。
きっと。
左手の痕は消えない。
楽譜は贈られ続ける。
おかしな事も終わらない。
「っ …も…やだよ」
これは当事者の直感。
隆一は出口の見えない絶望感で。いつのまにか、その頬は涙で濡れて。
「ーーーイノちゃんっ…」
そして呼ぶのは、最愛の恋人の名だった。
イノランは朝からの仕事を終えて、隆一より早く帰宅の途についていた。
今夜は俺の家に来て。
と、隆一は朝出がけにイノランに言った。
イノランは合鍵を使ってまだ主人が帰らない部屋に上がると、カーテンと窓を開けて昼下がりの空気を取り込んだ。
リビングの時計に目をやると、もうすぐ14:00。隆一が今朝、そのくらいには帰ると言っていた時刻。
帰ったらすぐにお茶を淹れてあげようと、イノランはキッチンへと向かう。
隆一が気に入っている紅茶の缶に手を伸ばして、ティーポットとティーカップ。それからイノラン用にと隆一が買い置いてくれている、コーヒー。
それらをトレーにセットしてリビングに運ぼうとした時だった。
バタン!と、玄関の戸が開いて、またバンッ!と、戸の閉まる音。
イノランは騒がしい音に些か驚いて。持っていたトレーをそのままキッチンに置くと、玄関の方に駆け寄った。
「!」
そこにはドアに背を預けて、俯くように立ち尽くす隆一の姿があった。
「隆ちゃん」
「ーーー」
「おかえり。どしたの?すげえ賑やかな帰宅だね」
「ーーー」
「?…ーーーー隆ちゃん?」
「っ…ーーー」
「…隆ちゃん?ーーーどうした?なんかあった?」
「っ う…っ…」
「隆ちゃん!」
イノランは立ち尽くす隆一に尋常じゃない様子を見てとって。
玄関のたたきにおりて、隆一の側に寄った。
「隆…」
「ーーー…」
「こっち見て」
「っ …」
頑なに顔を上げようとしない隆一に、イノランは少々強引にでる。
隆一の顎に手をかけると顔を上げさせた。
「っ…隆?」
半ば無理矢理に向けさせた隆一の表情。唇を噛み締めて、涙の溢れた目。それはイノランの予想していないもので、思わず目を見張ってしまった。
「…どうしたんだよ?」
「っ ーーー」
「隆ちゃんっ!」
「ーーーーーイノちゃん…」
「ん?」
「イノちゃん…俺っ…」
「ーーー」
「ーーーどうしたらいいの…?」
イノランは、さっき準備した紅茶をリビングのテーブルに置いた。
ソファーに二人並んで、目の前のローテーブルに置いたティーカップから、ゆらゆらと湯気が漂う。
あの後、シクシクと泣き出した隆一の手を引いて、ソファーに座らせて。
ちょっと待ってな。と言い置いて淹れてきた温かい紅茶。
その香りに包まれて幾分落ち着いたのか。隆一は紅茶を一口飲むと、美味しい…と。微かに微笑んでくれたように見えた。
イノランはそんな隆一の様子をじっと見つめて、カチャ…とティーカップを置いたタイミングで声をかけた。
「どした?隆ちゃん」
「ーーー」
「隆?」
「っ …」
言いたい事が上手く言えないのか。何となく焦れた表情を浮かべる隆一。イノランはいつまでだって辛抱強く待つつもりだったが、そんな隆一の様子に、ぐっと肩に手を回して抱き寄せた。
「っ イノちゃん…」
「いいから。おいで」
「ーーーん…」
「…何があった?」
「っ…」
「ゆっくりでいいよ。ゆっくりでもいいから、話して?ーーー心配だよ」
「ごめんっ…イノちゃ」
「なんで謝んの?側にいるよって言ったのは俺だよ。頼ってって言ったのも俺なんだから」
「うん…」
イノランの言葉に隆一は深く頷いて。
抱いてくれている腕をするりと抜け出して立ち上がると。
鞄の中から例の楽譜とカードを取り出して再びソファーに戻ると、怪訝そうに見つめるイノランに、それらをそっと差し出した。
「今日きっと、あのひとが来てたんだ」
力無く眉を下げる隆一の言葉。
隆一の手の物に視線を移したイノランの瞳が、瞬時に険しく細められた。
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