長いお話・2 (ふたつめの連載)












( 隆っ … )



ふふっ…と、光を映さない瞳を細めて、唇に笑みを乗せて。
まるでイノランを誘うかのような隆一。
しかしすぐに前を向くと、バイオリンの音色にのせて歌い始める。

ーーーその、歌声が。




「ーーーーーーーっ …?」




なんだ?この歌は…。
イノランはまず、そう思った。

メロディーは変わらない。
従来の曲のものをなめらかに歌う。
会場全体を包み込むような、素晴らしいものだ。

ーーーしかし、その歌詞が。

何を歌っているのか解らない。
隆一の歌う、その言葉が解らないのだ。

イノランはハッとして、咄嗟に周りを見回すと。
さすがに三人のメンバー達も、怪訝そうな顔で隆一を見ている。
前方の客席を見ても、いつもと違う歌を歌う隆一に。ファン達も色めいて、微かに騒ついているようだった。

イノランは小さく舌打ちをすると、再び隆一に視線を戻す。
幸いにもこの曲は。隆一の流れるような歌声で、大胆なアレンジをして歌っているんだ…と。そう言い切ってしまえば、何らおかしくはない曲だ。
かえってファン達は、珍しい場面に立ち会えたと喜ぶだろうと思う。
三人のメンバーにも、ぶっつけ本番でアレンジしてみたと言えば、納得する範囲だろう。

だが、次の曲は。
曲調もガラリと変わる、ハードな曲だ。メンバーによるコーラスや掛け合いもあって。この曲において歌詞はとても重要だから、これも丸々全部アレンジしました。じゃ、済まないだろう。
音楽に敏感なファン達も、そしてメンバー、スタッフ。
きっと、不審に思うに違いない。




( これが…隆の言ってた… )


なんの言葉を歌ってるか解らないってやつか。




イノランはギリッ…と唇を噛んで前を見据えた。

きっと客席のどこかにいるだろう、見えない相手。
イノランの思考の中で相手に投げ掛けた戦線布告。
それを受けて。相手が何らかを仕掛けて、隆一に急なこの変化が表れたのだとしたら。




( ホントに、何者なんだ? )



そもそも、人なんだろうか?

他人の思考を受け取って。直接触れずとも、他人に急激な変化をもたらすとは。



( 人じゃねーだろ、どう考えたって )



ギターを爪弾く指先が縺れそうだ。
でも間違うわけにはいかない。

いつもは心地良く浸れるこの曲が。
今は額に嫌な汗が滲んで、どうか早くこの曲が終わってくれないか…と。
イノランは焦燥感に駆られていた。



( 次の曲までに、何とかしないと )

( 隆ちゃんっ! )



このまま行けば、隆一が杞憂するライブの失敗に繋がりかねない。
それだけはなんとしてでも回避しなければと。
間も無く曲の終わりに向かう、スギゾーのバイオリンの音色を聴きながらイノランは思いを巡らせた。

また、今回もキスで戻せるだろうかと。隆一の背中を眺めながら思う。
ここまで起きた妙な事例もキスで戻せてきたのだから、試す価値はあるだろう。
あるだろうけれど…。
どのタイミングで?

照明が薄暗い間?
それとも曲間…

演奏にも集中しなければならない。
隆一の様子が気になる。
しかし悠長にしていられない。



( 隆っ…!)



イノランが判断でき兼ねながらもぎゅっと目を瞑って。瞬時に色んな事を考えて迷いを断ち切ろうと目を開けたら。




「っ …!?」



前を向いて歌っていたはずの隆一がいつの間にかイノランの目の前にいた。
じっと見つめてくる隆一の瞳は、相変わらず光を映さない。
ーーーでも、ゆるくだけれど寄せた眉。何か言いたげな隆一の唇。
さっきの、イノランを見て薄く笑ったあの時の隆一とは違う。





「隆…?」




目の前の隆一の顔が近づいた…と思ったら。
そっと触れるように唇が触れ合った。




ーーーーイノちゃん…



隆一の聞こえない、切実な声を聞いた気がして。
イノランはギターに添えていた手で隆一の顎を掬って。
薄く開いた唇に、キスをした。


ーーー想いを込めて。





ーーー暗闇で助かった。
バイオリンの音色が消えかかるころ、上からの一筋のライトはスギゾーを照らしている。

きっと周りからは、キスをしているところは見えないはず。


ステージの上なのに、妙に落ち着く心地いいキス。
この瞬間だけは、ライブ中だって事も忘れてしまうくらい。甘く柔らかな舌先を、何度も追いかけてしまう。



「んっ……ン…」

「りゅ…っ 」

「…っーーーふ…っ…」



いつの間にかイノランの肩を掴んでいた隆一の手。クッ…と、指先に力が入ったのがわかって、イノランは唇を離して隆一を覗き込んだ。


隆?
と。小声で名前を呼ぶと。
息継ぎと一緒に、しっかりとイノランを呼ぶ返事が返ってきた。



「っ …イノちゃん」

「ーーー戻ったか?」

「ん。」

「ーー、良かった」



心からホッとして。
イノランも隆一も、脱力して顔を見合わせて微笑み合った。




「よし、じゃぁまずはライブだ」

「うん!ーーーあのねイノちゃん、あとで…」

「ん!何でも聞くよ」

「うんっ 」



楽器のチェンジを行う中、二人は頷き合うと。
暗闇のステージの中、それぞれの立ち位置に戻って行った。












あの後は滞り無く、大歓声のなか無事ライブが終わり。
シャワーを済ませた二人は、スタッフの運転する車の中にいた。
バス一台にメンバー、スタッフで乗り込んで。今夜はこのまま、全員で東京に戻る。

他の三人もそれぞれ前方の席に座って、疲れが出たのか。すでに眠りに堕ちているメンバーもいる。


夜道を走る車の中。
車内が就寝モードに入る頃。
イノランは立ち上がると、窓側の後部座席に座っている隆一の隣にするりと入り込んだ。

イノランが来た事に隆一は一瞬目を丸くしたものの。すぐに嬉しそうに微笑んで、潜め気味の声で言った。




「イノちゃん、眠くないの?」

「ん。俺はヘイキ。…隆ちゃんは?」

「大丈夫。ーーー皆んなグッスリだね」

「な。でもいいじゃん?ゆっくり話せる」

「そうだね」



声を潜めて、二人でクスクス笑い合う。
おもむろにイノランの手が、隆一の左手首に触れて。巻かれたブレスレットの上から包み込む。

その一連のイノランの動作を見つめていた隆一は。
イノランがとても気に掛けて、優しく接してくれている事に。なんだか急に恥ずかしい気持ちが込み上げてきて、ちょっと俯いて。
あのね?…とぽつりぽつりと話し始めた。



「俺きっと、変な事してたでしょ?」

「ん…。意味不明な言葉で歌ってた」

「ーーーやっぱり…」

「あの歌の事なんだろ?隆ちゃんが言ってた、人形みたいな目で訳わかんない歌を歌ってるって」

「…うん」

「ーーー歌ってる間って、どんななの?…隆ちゃん本人の、なんてゆうか…意識みたいなのはある?」

「初めて夢の中で歌ってる俺を見た時は、意識はあった。歌ってる俺を、俺が外から見てるみたいな。ーーーでね?今日のライブの時は、なんか急に…」

「うん。急にってイメージ、俺も感じた。だってそれまでは普通に歌ってたもんね?」

「なんてゆうんだろ…上手く言えないけど…。頭の中でキン…ってなった…って言うか」

「え?」

「はじめは多分…俺の意識ごと何かに操られてる感じ。ーーーでも。イノちゃん、俺の事呼んでくれた?」

「ん…多分。や、俺も焦ってたからさ。隆を早く何とかしなきゃって。ーーー無意識に隆に呼び掛けてはいたと思うよ」

「うん」

「ん?」

「ーーーきっと、それが効いた」

「!」

「どっからかイノちゃんの声が聴こえたの。それでハッとしたら、前面に客席が見えて。ああ、また俺変な歌歌ってるってわかって」

「ーーー」

「多分、イノちゃんとおんなじ気持ちで。早く元に戻らないと次の曲が!って焦って。でも焦るんだけど、自由が効かなくて。身体が全然動かなくて焦る夢ってあるでしょ?…あんなイメージなんだけど」

「あー…嫌な夢だ。うん…わかる」

「このままじゃライブが台無しだって。そんなの嫌だって思って。どうしようどうしようって思って」

「ーーー」

「…それで思い出したの。ーーーそうだ、イノちゃんにキスしてもらおうって」

「ん…」

「イノちゃんとキスしたら、きっと戻れるから。イノちゃんの所までは何としても行こうって…その後は、もう夢中で」

「…ーー」

「ーーーキスしたら、やっぱり治ったね」

「ん。…だな」

「なんでなんだろうね?」

「ん?ーーーそうだな、なんでだろうな?」




隣の隆一がチラリと見上げてくる気配がして。イノランもその視線を受け止めて、じっと隆一を見つめる。
パチ…と合った、目と目。
視線が重なったタイミングで、どきん…と。胸の高鳴りもおぼえて。
お互いから、目が離せなくて。

死角になって見えない所で触れ合っていた手が、確かな熱を帯びて絡み合う。指先を交差させて、空いているもう片方同士の手も伸びて。
まるで離れたくないって言っているみたいに、温もりを分け合って。

ほんの少しだけ不貞腐れた声で、隆一が小さく溢す。



「ーーーなんでだろうな…って。…それじゃわかんないよ」

「ん?」

「もっと違う言い方…」

「ーーー」

「……して欲しい、よ」



イノランがククッ…と声を忍ばせて笑うのがわかって。隆一の頬が瞬く間に色付いた。
あんまり苛めるのは可哀想だしな…と。イノランはなかなか抑えられない笑みをそのままに。



「ーーーーーいいよ」

「ん…」



照れを必死に押し隠そうとする隆一を見ると。いつの間に、こんなに好きになってしまったのか…と、自身の事なのに感心してしまう。
隆一のする事なす事、愛おしくて堪らない。

キスで治る理由。
そんなの、イノランにだって解らない。
キスという行為が有効なのであれば、誰のするキスでもいいという事になるけれど。


( それは御免だな )



隆一を救うのは自分でありたい。
自分にだけ縋って欲しい。
ーーー隆一にキスしていいのは自分だけでいい。逆も然り…だ。



( 俺、すげえ独占欲 )



でも、こんなものだろう。
好きな相手を思えば、誰だって独り占めしたいと思うだろう。

見つめて、手に触れて、キスをして、好きだと言って。
ーーーそれから、いつかは抱きたいと願う。


( 俺はいつだってそう思ってるけど )



でも今はまだ。
もう少しだけ、待とうと思う。
今隆一は、こんな状況だし。
それに、急速に進んでしまった恋だから。
拾い損ねた大切な過程を、ひとつづつ二人で集めたら。
その時は。




「隆が好きだから。だから、俺のキスが効くんだよ」

「ぅん」




満足したのか、嬉しそうにはにかんで、頷く隆一。
皆んな寝てるから。イノランはそう言い訳して。
隆一の頭を引き寄せると、顔をずらして唇を重ねた。
ん…っ…。と、隆一の小さな吐息を飲み込んで。座席の陰に隠れて、いつまでもキスを繰り返した。





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