長いお話・2 (ふたつめの連載)













小さなアラームの音と共に目を覚ましたイノラン。
瞬かせた目で携帯を引き寄せてアラームを止める。


朝の7:00だ。


カーテンを引いたままのホテルの部屋。隙間から光が差しているものの、薄暗い。

今日はライブ二日目だ。

イノランは起き上がろうとして身動いだ瞬間、自分の懐に温もりを感じて動きを止めた。




「隆ちゃん…」



黒髪と、その隙間から覗くあどけない寝顔。その存在を確認して、夜中の出来事を思い出して。イノランは、フッ…と、表情を微笑みで崩した。




「良かった」



良く眠れたみたいだ。
穏やかに上下する隆一の肩を眺めて、イノランは安堵のため息をつく。

一旦は起き上がろうとした身体を再びベッドに沈めて。
ぼんやりと、目の前のひとを見つめた。

昨夜は、色んな事が一気に進んだように思う。
例の妙な一件についてもそうだけれど。何より、隆一との関係が…だ。

バンドのメンバーとしての隆一とイノランの間柄が。
ここ数日で少しずつ新たな展開を生んで。ついに昨夜、好きだと気持ちを伝え合って。きっかけや理由はどうあれ、キスをして。同じベッドで、寄り添って眠る関係にまで発展してしまった。



「ーーー…」



あまりに短期間でここまできてしまったから、いまいち実感が無い。いや、無いことはないのだけれど。



( そんなはずは無いんだけど…)



実際イノランが、隆一に特別な想いを抱いていたのは確かなのだし。
その笑顔を、自分だけに向けてくれたら…と。手を繋いで、寄り添って、触れたいと。そう願っていたのも事実。
でも、それと同時に。
この想いを伝えてしまって、それが叶わなかったら。メンバーとして、親友としての位置が無くなってしまうくらいなら。
このままずっと、伝えずとも構わないと。
己の中で、そんな絶妙なバランスを何とか保ったまま、ここまできた。

だからこそなのかもしれない。
まだ実感が湧かないのは。
夢を見ているような、足元がふわふわしている感じだ。



( ここからかな )



淡い揺れ動く恋心。
相手の全てに、どきどきしたり、そういうもどかしい気持ち。
そんな過程を一気にすっ飛ばして手を取り合ってしまったから。
ーーー事態が事態だっただけに、仕方ないところはあるのだけれど。



( ここからゆっくり、愛していこう )



隆一の、色んな表情を見てみたい。

それによって引き出される、まだ知らない自分自身にも会ってみたい。

創り出す音楽にも、変化があらわれるだろう。
早くその音を感じたい。

隆一に触れたい。

温もりを分け合いたい。

新しい世界を、二人で見たい。



好きって気持ちは、もうお互い知っているから。
少しだけ、時間を遡って。
まずは。

指先が触れ合うだけでどきどきするような。重ねた唇だけで、世界が薔薇色になるような。
そんな日々を、味わいたい。





「ん…」



「隆ちゃん?」

「ーーーぁ…イノちゃん…」

「おはよう」

「ん、おはよう」




こんなやりとりを、楽しむ日常を。




( それには、まず )




何とかしなくては…と。
イノランは心の奥で闇を見据える。

隆一が巻き込まれている、正体のわからない闇の先を。








「夜中の事、覚えてる?」

「え?」



ベッドの上で上体を起こしながら、イノランは隆一に問う。



「隆ちゃん。いつの間にか、あそこの窓の前に立ってたんだよ。ーーーなんであそこにいたのか…とか。記憶ある?」



イノランの指差す方向を見ながら。
隆一はふるふると首を振る。その表情は固くて、不安が滲んでいた。



「そっか…」

「ーーー気付いたら、目の前にイノちゃんがいて…ーーーその…」

「キスしてた?」

「っ …‼」



不安げな表情から一変。顔を真っ赤に染めた隆一は、言葉が出せないままイノランを凝視して。
くっ…と、唇を噛みしめると、恥ずかしさに耐えられないように俯いた。

そしてそんな様子を目の前で見せられて。
なんとか表面上の平常を保ってはいるものの、内心大騒ぎなのはイノランだ。
滅多にない…と言うか、初めて見る隆一の反応の数々。
多くのラブソングをかっこよく歌い上げてきた隆一からは、到底予想できないような…。



( …こうゆうの……)

( かわいいって言うんだろうな…)



庇護欲と独占欲。

守ってあげたい。
全部欲しい。



「隆ちゃん」

「ぇ…っ ?」



隣に座る、隆一の肩を掴んで顔を寄せる。唇が触れ合うすれすれの所で、見つめ合う。

ーーー先に目を瞑った方が負け。

そんな事を思いながら、隆一から視線を離さないでいたら。
根負けしたみたいに、隆一の瞼が震えながらおちる。
色付いた頬と潤んだ目元を間近で見て、やっぱりかわいいな。と、思いながら。

イノランは唇を重ね合わせた。













朝食を終えると、メンバー達は荷物を持ってホテルを後にする。
今日はもうホテルには戻らずに、ライブを終えたら東京に帰るからだ。



隆一は昨夜のうちにすっかり帰り仕度は済ませていたから、後は細々した身の回りの物をカバンに詰めるだけだ。




「ーーー…」




テーブルの上の例の楽譜に目を止める。
これを手にしてから変な事ばかり起こるから。正直持ち帰るのも気が進まない。
ーーーでも。

今のところ、手掛かりになるのは。
この楽譜と、隆一の左手首に残された痕しかない。
この妙な出来事を解決するのに、これらのものが何かの役に立つかもしれない。



はぁ…。


隆一は大きなため息をつくと、その紙の束を掴みあげて、持っていたファイルに挟むとカバンに押し込んだ。








ライブ会場に着いたメンバー達は早速ウォーミングアップ。
曲順の確認、楽器のコンディションの確認。ストレッチや発声をして、本番までの時間を過ごす。


イノランはギターのチェックを終えると。警備スタッフの元を訪れていた。
本番中、バックヤードを守るスタッフや、ステージ上、客席を見守るスタッフ達だ。





「こうゆう人なんだけど」

「はぁ…えっと」



スタッフを纏めるチーフに、イノランはある紙を渡していた。
葉書サイズ大の紙には、イノラン直筆のイラストが描かれていた。

ーーーそれは。



「この人が、今日いらっしゃるんですか?」

「んー…多分ね。ーーー俺の昔の知人でさ。黙って観に来る奴で、いつも会えなくて」


久々に会いたいし。

…そうスタッフを言いくるめたのは、全てを明かす訳にはいかなかったから。

イノランの描いたイラストは、例の男のものだった。ずば抜けた特徴は無かったが。あの時の男の出で立ちを必死に思い出して、なるべく細部までしっかり描いた。

隆一に暴力まがいの事をしでかした上に、妙な事に巻き込んだよく解らない男。だから、聞き出したい事が山程あるから、見つけたら教えてほしい。ーーーなんて、さすがに言える筈も無く。
かつての知人だから会いたい。居たら、帰らないようにおもてなしして待たせておいて。
イノランは苦し紛れの理由をつけて、手配書…ならぬ似顔絵イラストをスタッフに手渡した。



「ーーー上手いっすね。イノランさん」

「ん?そう?」

「なんかホント…こーゆう人いそうですもん」

「そーなんだよ。コイツ、ムカつく奴でさ。一発お見舞いしてやらないと…」

「ええっ⁉暴力はだめですからね‼?」

「やだな、わかってるよ~。まぁ、そんだけね、コイツには世話になってるし」

「んー…まぁ、わかりました!他の皆んなにも気にするように指示しておきますよ」

「ありがと!すっごく助かる。よろしくね‼」



手を挙げて去って行くスタッフを見守って、イノランはペロリと口の端を舐める。
その視線は、ここには居ない、あの男に向けられて。挑むようなイノランの目付きは鋭いものだ。



ーーー見てろよ。絶対、見つけ出してやる。今日が駄目でも、次。次も駄目ならその次だ。
時間がかかっても、必ず。

そして隆を。
この妙な出来事の輪から連れ出して。

元の平穏な日々に戻れるように。

必ず、助けるんだ。











「ぁ…イノちゃん?どこ行ってたの?」


探しちゃった。
そう言って、パタパタと小走りで寄ってくる隆一。
もうメイクを終わらせて、髪もセットし終わって、後は衣装に着替えるだけになっている。



「メイクさんがイノちゃんを探してたよ?みんなも今セットしてもらってるし」

「ん、ありがと。今行くね?」

「うん…」

「ーーー?」

「…」

「隆ちゃん?」

「っ …え?」

「どした?」

「ぁ…ううんっ 」

「ーーーーーーーーー嘘」

「っ …」

「俺には言ってって、頼ってって言っただろ?ーーーなんかあったんじゃないの?」

「…イノちゃん…」



躊躇うように見上げる隆一に、イノランはニコッと笑いかけて。
スルッと隆一の手をとると、そのまま自販機の前まで引っ張った。

隆一をベンチに座らせて、ペットボトルのあったかいお茶を買って手渡した。



「ありがとう」

「ん。」



隆一はお礼を言ってひと口飲むと、ホッとしたのか肩をおとしてイノランを見て、ぽつりぽつりと話し始めた。





「ーーーなんか、時々不安になっちゃって…」

「…」

「今日のステージで、変なことがおきたらどうしよう…とか。そんな事ある筈無いと思うんだけど…あんな夢見たからかな」

「……」

「ごめんね、そんだけの事!イノちゃんもう行って?メイクさん待ってるから」



隆一が無理に明るく振る舞っているって。
そんなの、イノランにはすぐにわかった。

心配かけないようにって。
普段はカケラだってそんな素振りを見せない隆一が。

綻びを見せている。
多分、きっと。イノランにだけ。


それがイノランには、嬉しかった。


サッと周りを見回して、誰も居ない事を確認すると。
イノランは隆一の肩を抱き寄せた。
空いた方の手で、隆一の左手首に触れて。つけてあげたブレスレットの上から、手のひらを重ねた。

直接的な言葉は無くても、俺はここにいるって。ステージの上でも、隣にいるよ…って、伝われば良いって。そう思って。
今朝したみたいに、顔を寄せたら。
隆一は小さく微笑んで、うっすら唇を開いて目を閉じた。



「…キスして」



引き込まれるのはあっという間。
またひとつ、初めて見る事ができた新しい隆一。

弱さを見せる隆一を愛おしく思うのは不謹慎だと、そう思っても。抗えなくて。
イノランは夢中で隆一の唇を奪う。



「ぁ…んぅっ …」



吐息を含んだ隆一の声に頭が痺れて、愛おしくて、どうしようもなくて。
こうして触れ合うと思い知らされるのは。
隆一と一線を越えられたのは、あの出来事がキッカケになったのは確かだという事。
でも、だからといって、あの男は許せなくて。
そんな矛盾。

イノランはぐちゃぐちゃになった気持ちを昇華するように。隆一とのキスに没頭した。









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