番外編・ふたりの約束












約束をした。

あの気が遠くなる程の暗闇の中で。




その二人の約束が。
やっと今、叶うのだ。















リュウイチは頭を悩ませていた。
白い空間を、あっちウロウロ、こっちウロウロ。
腕組みして、口をぎゅっと引き結んで。眉間を寄せて、うーん…と唸って。

さあ目覚めるぞ!と決意したものの、身体の方はまだ回復しきれていないのだろうか?
夢から覚める方法というのか、どうやったら眠りから目覚められるのがわからなくなっていたのだ。



「ああぁ~もぅ…」

「俺いっつもどうやって朝起きてたんだっけ…⁈」


生まれてから今まで繰り返してきた筈の当たり前の毎日の習慣が思い出せない。
朝の目覚めはほとんど体内時計による自然なものだろうけれど、昼寝やちょっとしたうたた寝をしていた時だってちゃんと目覚めていた。
そんな力むくらいに難しい事ではない筈なのに。
これほどまでにキッカケが掴めず上手くいかない目覚めは初めてで。
リュウイチは白い空間の中で難しい顔をして天を見上げた。



「ーーー」



天を見上げると、ほわほわした淡い光。
この夢の中で、ずっとリュウイチの頭の上にいてくれている。
それを見ると、尚のこと恋しくなる。




「ーーー目覚めないと会えないのに」


ぽつりと溢したのは苦しげな呟き。
誰に聞かせるものでもない、自分に向ける歯がゆい気持ちだ。
やっと再会できたメンバー。それから、大好きなひと。
こうしている間にも心配して寄り添ってくれていると思うと気持ちはどんどん焦れてくる。



「はやく会いたい…」

「…もう十分眠ったよ、」

「早く目覚めて会いたいのにっ…‼」


ここに至るまでに、もう十分過ぎるほどに待ったのだ。
それなのに上手くいかない事の運びに無性に悲しくなって。リュウイチはついに大声を張り上げて天に向かって叫んだ。
















……………………………





「…ん、む」


「ぁ…?」



一方、いまだ眠るリュウイチの側で見守っていたイノランは。
小さく溢れたリュウイチの声を聞き取って顔を寄せた。


「…リュウ?」

「ーーーーーぅ、」

「ーーーうなされてる?嫌な夢とか見てんのか?」

「…ん…っぅ」



イノランが掛けてやったブランケットの端をぎゅっと握って。
さっきまでの健やかな寝顔は何処へやら、とても今は寝苦しそうだ。
イノランはそんなリュウイチの様子が可哀想に思えた。
これでは次から次へとリュウイチばかり辛い目に遭っているようじゃないか、と。



「…リュ、」


どうした?と、眠るリュウイチに声掛けようとして手が止まる。


「…っ」


今は悠長に声を掛けてる場合じゃないと。
苦しげに、悪夢に魘されているのかもしれないリュウイチを起こしてやれるのは自分じゃないのか?と。
イノランの中で、はっきりと腹が決まった瞬間だった。



〝隆には何故か効くんだよ〟

〝俺のキス。よくわかんないけど、多分ね〟

〝隆のことが好きだから〟

〝世界で一番。宇宙で一番。ーーー生涯で一番〟

〝お前もリュウに…そうだろ?イノラン〟





「ああ、」

「ーーーああ、そうだよ。ずっと、想ってた」




さらり…と。
リュウイチの額にかかる前髪を指先で梳く。
今はステージ用にセットしていないから、無造作な髪が逆に幼く見えて。
イノランはそれだけの事でも愛おしくて。
白い額に、唇を寄せた。


「ーーーリュウ」


唇が拾う感触は目眩がしそうな程。
ステージ上のパフォーマンスとは違う触れ合い。


「っ…ん、」


寝苦しそうなリュウイチの声すらも、今は甘く聴こえてならなくて。
イノランは、不謹慎でごめんリュウちゃん。と、苦笑して詫びると。
今度は指先でなぞったリュウイチの唇に、そっと自身のそれを重ねた。






ぱち。




「⁉」

「…っぁ、」



目の前で突如見開かれたのは潤んだ瞳。
瞬きもしないで、間近のイノランをびっくりした顔で見つめてて。
イノランもイノランで、咄嗟のことで声も出ずに。
意を決して重ねた唇は…


(あれ…?)

(キスの感触とか…)

(驚き過ぎて覚えてねぇ…かも、?)

(…って、でも!今はそうじゃなくて)



「リュウ‼お前…」

「ーーーイノちゃん…」



どこかぼんやりした顔で、リュウイチはイノランを見上げてる。
閉じた瞼ではない、大きな瞳を開いて。



「やっ…たー‼リュウちゃん!やっと目覚めた!」

「ぅ、うん!ーーーあの、」

「具合は?今度こそ変なとこは無いか⁇」

「だ、大丈夫、へいきだよ?イノちゃん心配かけてごめんなさい!」

「いいんだよ」

「ーーーあと、側にいてくれてありがとう」

「ん、」

「ずっとね、夢の中でも感じていたんだよ?あったかい光。あれはイノちゃんがいてくれたからだよね?」

「そ、なのか?ーーーや、俺かどうかはわかんないけど」

「ーーー」

「リュウちゃんの側にいてあげたかったからさ」

「っ…うん」

「おはよう、リュウちゃん。ずっと待ってたよ」








目覚めたリュウイチを連れてメンバーの元へ行くと、彼らは大いに喜んだ。
やっと五人が揃った。
この音の記憶が眠る場所に、元気な姿で…と。












景色のいい場所は、彼ら音の記憶が産み落とされた、かつてライブを行った会場の…屋根の上。

水のタンクやら空調設備の大きな機械だのが所狭しと並んだ会場の屋上。
久々に顔をゆっくりと合わせるロケーションには、やや色気が無い気もするけれど。
二人は知っていたから。
ここから眺める景色は、ここら周辺では一番綺麗に遠くまで見えると。



夕暮れ。
この時間帯の空は色移りが激しくて忙しい。
夕暮れ前の青空から、だんだんと空の端を薄紫に染めて。それもしばらくすると、目の覚めるようなオレンジ色~薔薇色に変わる。



「リュウちゃん、こっち」

「うん」


メンバー達とひとしきり喜びを分かち合って。じゃあ今夜はお祝いだ!と、今宵の夕餉の準備に張り切る彼らをちょっとだけ後にして。(すぐ戻るね!と伝えて)

イノランはどうしても、今。
目覚めたリュウイチを連れて、ここからの景色を見ながら伝えたい事があった。



「ここでいいかな?…リュウちゃん平気?」

「大丈夫!この、水タンクのコンクリート台がいい椅子に…」

「ははっ」

「ね?ーーーわぁ、やっぱりいい景色だね」



身を乗り出して深呼吸するリュウイチの横顔が薔薇色に縁取られる。
髪の先、睫毛の先まできらきら光って、イノランはその横顔から目が離せない。


(ーーー見てるだけじゃなくて)

(やっとだ)

(ずっとリュウに伝えたかったこと)

(ーーーいま、)




「リュウ、」

「ーーーん?」

「あのさ、」

「ーーーん、」

「そのまま、聞いてくれるか?」



…こくん。
返事の代わりの、小さな頷き。
声よりも雄弁に語る、リュウイチの期待に満ちた気持ちの表れ。
景色を見て壊れそうな鼓動を隠して誤魔化しているのは、リュウイチの方だ。



「リュウちゃん、」











難しい言葉はいらないよな。
だって、もう十分過ぎるほどに待ったから。

イノランの心は穏やかだ。
緊張も躊躇いも今はもう無い。








「好きだ」





好きなひとができたら、好きだって、ただ一言。
リュウイチを想うようになって、その気持ちを伝えようと決めた時から。
言ってあげたい言葉。それだけは、決めていた。

シンプルに、それだけを。
ありったけの気持ちを込めて。




「ーーー好きだよ、リュウちゃん」

「…っ…ぅ、」

「も一度言うよ?」

「ーーーっ…ん、」

「リュウが好き」



うんっ…!

リュウイチはまた、言葉じゃなく、頷きで返事をする。
でも今回は、声が出せなかったから。
涙で声が詰まって、嬉しくて。
嬉しくて。


頬を染めて、ぽろぽろと涙を零すリュウイチを、イノランは愛おしさで締め付けられる胸で見つめた。
そして思う。

ーーーああ、そうか。
もう、こんな時に。
好きなひとが泣いている時に。
涙を拭いてあげる。
抱き寄せてあげる。
泣かないで…じゃなく、俺の前では泣いていいよ、と。
思う存分抱きしめてあげる事。
それをしてあげる事に。
もう。
遠慮も躊躇いも、無用なんだと。
イノランはリュウイチの歓喜の涙を見て。
やっと好きなひとを守れる存在になれたのだと実感した。




「…ぁ、」

「ほら、」

「イノちゃ…」

「ーーー泣いていいよ」

「っ…」

「俺の前ではさ」



実感したら、即だ。
リュウイチを抱き寄せて、耳元で囁いた。
イノランの胸元にぎゅっとしがみ付くリュウイチの手。
あの出来事の最中で、こうして縋り付きたい時がきっとあっただろうと想像すると、堪らなくて。



「もう離さない」

「っ…ん、」

「リュウ」

「ーーーーーぅん、」




二人はしばらく。
空が夜空になるまで、そのまま。
























……………………………





もそもそと。
落ち着いたのかもしれない。
もそもそもそもそ、イノランの胸で、リュウイチが身動いだ。


「リュウ?」

「ん、」

「落ち着いた?」

「ーーーうん」



そっと顔を上げたリュウイチは、ちょっと恥ずかしそうに俯いた。
あんなに泣いて、縋って。
今になって照れがきたのだろうが。
イノランにはそれが嬉しいのだ。



「超可愛いの、リュウちゃん」

「…ぇ、」

「あんなに泣いて、俺の前で」

「ーーーっ…」

「でも嬉しいよ?そーゆうの見せてくれて」

「…恥ずかしいよ」

「いいんだよ。だって俺たちさ、」

「え、?」

「もう、恋人同士だろ?」

「!」



恋人。
その言葉を聞いて、
リュウイチの脳裏を再びパッと浮かんだのは仲睦まじい現在の二人。イノランと隆一。
彼らの愛に溢れる場面。
直視できないと俯いていたあの二人のように、今まさに自分たちがなれるんだと思うと。
もう随分前から見知っている筈のイノランとの時間が急に照れくさくなって、膝を抱えて顔を隠してしまった。




「リュウ?」

「ーーーーーちょっ…」

「ん?」

「ちょっと、だけ…待っ…」

「ーーー」

「待っ…て」

「ーーー」



待って。
待つ。
ーーーこれ以上?





「だめ」

「えっ…ぇえ⁈」

「もう待たない。ーーーもう、待てないよ」

「…ぁ、」

「リュウちゃん」

「…イ、ノ…」

「ずっと欲しかった。リュウのこと」

「欲…っ…」




堰を切って溢れたイノランの想いは、リュウイチが言葉を詰まらせるくらい貪欲で。
もしかしたら今現在のイノランと出会って触発された部分もあるのかもしれないけれど。秘めていた気持ちはいつの時代も変わらないから。今回の出来事をキッカケに素直になる方法を見つけたのかもしれない。



「リュウちゃん、」



イノランがリュウイチの頬に触れる。
びくん…とした反応。
ぎゅっと目を閉じて、リュウイチの身体に力が入る。
この先の展開をわかってる。



「キスしていいか?」

「っ…!」

「さっきはちょっと、せっかくのリュウちゃんとのキス、微妙な感じで通り過ぎちゃったから。まぁ、それどころじゃなかんだけどさ?」

「ぅ、うん」

「今度はもっと、ちゃんと、したいなって」

「…ん、」

「ーーーーいい?」

「っ…き、かない…で、よ!」



「ーーーリュ…」

「イノちゃん、」





イノランの襟足に両手を回してぎゅっと抱きついたのはリュウイチが先。
そんなリュウイチに愛おしそうに微笑んで、背中を抱いて、後頭部を撫でて。
唇を重ねたのは、イノランが先。
啄ばむキスを何度も交わす。



「…ん、んっ……ふふっ…」

「ーーーリュウ、」


照れながらもまだ余裕がありそうなリュウイチ。
微笑みの混じる、そんなキスも可愛らしくていいけれど。
ーーーでも。



「ーーーん、んっ…」

「リュウ?ーーーくち、」

「?」

「あけて、ほら…」




くちゅっ、



「ーーーっ…ん…」

「ーーーーはっ…ぁ、」

「ふっ…ぁーーーんん、んっ…」



…ちゅぷ
ちゅっ、


急に深くなった口づけ。
舌先で擽られて、絡ませて。
唾液が溢れるのも気にしないで。
濡れた音と、互いの匂いが。
それがあまりに熱くて気持ちよくて。
リュウイチは苦しくなってイノランの胸に手をついた。



「ーーーはぁっ…ぁ、」

「リュウっ…」

「ぁ…イノちゃんっ…」

「ーーーリュウちゃん、」

「…?」

「ーーーーーやばい、可愛い、好きだよ。本当に、好きだ」

「ーーーっ…イノ、」


「愛してるよ、リュウ」



愛してる。

その言葉を、リュウイチはあの二人の会話で聞いていた。
あんなに愛して、愛されて。
どんな状況であれ、一緒にいられる隆一とイノランが羨ましかった。
俺も好きだよ、愛してる。
いつだってリュウイチも言いたかった。

それが叶わなかった、あの長かった日々。
でもそれも、終わったのだから。



(俺も言っていいんだよね?)




リュウイチは笑う。
心底幸せそうに。
イノランが見惚れるくらい、柔らかく艶やかに。



「ーーーイノちゃん、俺も」

「ーーーーー」



「愛してる。イノちゃんが好きだよ」


「リュウイチ…」




ずっと言いたかった言葉を言って。
飽きもせず、何度も唇を重ねて。
痺れを切らした真矢とスギゾーの使いでJがこの屋上を訪れるまで。

始まったばかりの二人の時間は続くのだった。







end




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