番外編・ふたりの約束












音の記憶。
それらが眠る場所。
そこは、眠る者達にとっては心地いい、ゆりかごの中のような場所で。

音と歌声が、その日産声をあげた場所だから。












五人の中で、リュウイチただ一人が〝神様〟によって連れて行かれて。
隆一達と共に、あの出来事を無事に解決に導いて。
帰りたいと焦がれた、四人の元へ戻る事ができてから…数日が過ぎた。
戻ってから間も無く、それまでの心労が一気に押し寄せたのか。
リュウイチは安心できる四人のそばで、まるで水の底に沈むように深く眠り続けた。
一見すると死んだように眠るリュウイチに、その様子に年長者のスギゾーとシンヤは慌てふためいたりもしたけれど。(可愛くって仕方ないのだ)
ジェイと、とりわけイノランは。
眠るリュウイチの表情が穏やかで安心しきっているのを見て。大丈夫、と。今はゆっくり寝かせてあげようと、年長者達を苦笑しながら宥めたりもした。














「もう何日目だ?」

「ーーー…五日目かな」

「…いくらなんでも目覚めなさ過ぎじゃない?」

「リュウちゃん、ずっと飲まず食わずだしなぁ…」

「ーーーん、」



リュウイチを寝かせている寝台 (皆が住み着く場所は家ではないから、寝台と言ってもしっかりとしたベッドではないが…) に、スギゾーとシンヤが顔を見せた。(誰かしら常にリュウイチの側にいるが、だいたいはイノランだ)
心配顔の二人に、イノランは小さく相槌を打つと。眠り続けるリュウイチを再び見つめた。

ーーー自分達のいない、〝神様〟の手の内で、どんな事があったのかはわからない。
けれどもたった一人きりで、誰よりも早くあの余りにも巨大な出来事の渦中に放り込まれたリュウイチの心労は計り知れないものだったろう。
こうして無事に戻ってきてくれたから、今こうして寝顔を見つめる事ができるけれど…。最悪の事態に陥っていたら…と想像すると、そんなの冗談じゃないと、イノランは背筋がぎゅっと強張るのを感じた。

だからこそ、こうして眠り続けるリュウイチが心配ではあるけれど。その穏やかで安心しきったような寝顔に、イノランはホッとしてもいるのだ。




「ーーーここにいればもう何も急かす事も、危険もないからさ。もう少し思う存分寝かせてあげよう」



見つめ続けながら、そう静かに言うイノラン。
その様子に、二人も顔を見合わせて、頷いて。漸く微笑みながら、そうだな。と、同意した。
そして。



「イノ、お前も心配だろうけど、ちゃんと休む時は休めよ。リュウが戻ってからずっと付き添ってるでしょ?」

「そうだぞー。無理して今度はイノに何かあったら、目覚めたリュウちゃんが悲しむぞ」

「ーーーん、」

「わかった?」

「わかった⁇」

「わかったよ」



二人の勢いに、イノランは苦笑して頷いた。
メンバーにとって(もちろんジェイも)リュウイチだけじゃなく、イノランも大事。
だからついつい、小言の様に言ってしまうのだ。











「ーーーリュウちゃん…」





二人が去った後、イノランは手を伸ばしてリュウイチの髪に触れた。
さらさらと指先の隙間から零れ落ちる艶やかな黒髪。
眠っているからこうして照れも躊躇いも無く触れる事ができるけれど。リュウイチが目覚めた時、再びこうして臆することなく触れる事が出来るだろうか…?
大切に秘めてきた想いを解き放って。



「今までみたいにメンバーとしてはさ、大丈夫だと思うよ」


ついつい独り言が漏れる。


「ステージの上なら触れる事も、見つめる事も」


「ーーーでも、次にリュウが目覚めた時はさ、」



もう、今までとは違う新しい感情を共有している。
イノランもリュウイチも。
あの闇の中の極限の場で、気づき合ったから。
ーーー今までの二人とは、確かに違うのだ。




「…緊張で、めちゃくちゃになりそうだよ」


イノランは苦笑い。
今は眠るリュウイチだけれど。目覚めたその瞳を見たら、鼓動が忙しなくなる事を知っているから。
ずっと、側に行きたいと。その髪に、身体に触れたいと思っていた。
その気持ちは、メンバー同士である以上、ずっと秘めていくものだと思っていたけれど。
あの出来事がイノランの考えを変えたのだ。

伝えなければ後悔するんだ…と。
こんな事なら伝えておけばよかったと、血が滲む程に己の拳を握りしめた。
しない後悔は、よっぽど苦しいのだと気付けたのだ。






「リュウちゃん、」


「ーーーここにいるよ」
















深い眠りは、リュウイチ自身も眠っている事に気付かない程に深いもので。
それは長いツアーを無事完走した夜に迎えるような…見た筈の夢すらも覚えていないくらいの。

深い眠り。

しかし三日も眠り続けた頃、リュウイチは漸く自分が今睡眠の真っ只中だという事を思い出すのだった。



「…」


寝過ぎで身体が痛い…という感覚は夢の中でも健在なんだと、リュウイチはひとり頷いた。
久しぶりに上体を起こすと、頭上の方から緩く暖かな光りが注いでいた。


「ーーー陽射しかな」


ここはどこだろう?と、リュウイチは辺りを見回す。


「ーーー真っ白…」



しかし辺りには何も無く。
地面も壁も物も何も見えない。
リュウイチにとって、そんな白い空間は知り過ぎと言うほど見覚えがあって。そこから抜け出したいと切に願って、やっとそれが叶ったばかりだった筈なのに…。



「何でまたここに来ちゃったんだろ…」


隆一と共に、威勢よく〝神様〟とお別れしたばかりなのに…と。首を傾げる。
それとも似ているけれど、ここはあの白い空間とは違う場所なのだろうか?



「ーーー淡い光…。ホントにこれ、なんだろ…」


それに導かれるようにリュウイチは立ち上がる。
行くあても無いけれど、足は自然と動いて歩き出す。
すると上からのほんわかした光は、リュウイチと共に移動する。
付いて来てって、誘われているように思えて。
不思議と怖さもなくて。
リュウイチは自分のほんの少し前を照らす光の方へ、迷いなく足を進めて行った。












ーーーここはどこ?

ここはね。

きっと、自分の気持ちを見つめなおす場所。
夢から覚める、ほんの少し前の時間をこの白い空間で。

これからのあなたとの時間をどうしたいか。

それを整理整頓する為の前室なんだ。





「ーーー」



ゆっくりゆっくり進むリュウイチは、ぼんやりと、思い出していた。
今ここに至るまでの、隆一達とのあの出来事を。
そしてさらに遡って、それまでの自分。
いつからか側にいて、一緒にいるのが当たり前になっていたメンバー達。

ーーーその中の、彼。イノラン。

あの頃はちょっと控えめで、静かに微笑んでいるような彼。でも、内に秘めた音楽への熱は知っていた。側にいると、感じられた。
赤い炎よりも熱い、青い炎のようなひとだって事。
そんな彼と、月の光の下で、囁くように語り合うのが心地よかった。




「ふふっ、」


リュウイチはここでひとり笑みを零した。
それは今回の一件で出会った、未来の姿のイノランを思い出したから。(今現在の、生身のイノランだ)

いつからどうなってこうなったのかは、音の記憶である自分達には憶測もできないことだけれど。
隆一に寄り添うイノランは、まるで太陽の男という形容が似合いそうな雰囲気になっていた。
豪快さや、年を重ねた分の色気や、躊躇いをかなぐり捨てたような勢いある言動。
何より、隆一を包み込む包容力。
側にいることに、寄り添うことに。ーーー愛することに。
なにも躊躇わない。
そして隆一も、それを素直に受け入れる。
受け入れた分だけ、それ以上に。
イノランを愛する。






「ーーー直視できなかったよ…」



リュウイチは何かを思い出して、頬を染めた。
ひとりきりの夢の中の空間で、唇を噛む。
ーーー照れてしまって。
だって、ずっと見てきたから。
あの一件の間、隆一と同じものを見てきたあの日々で。
あのふたりが、イノランと隆一が。
少しずつ少しずつ距離を狭めて、想いを通わせて。
人目を避けながらも、どんな場所でだって。
視線を交わして、微笑み合って。
指先を絡ませて、唇と、身体を幾度も重ねてきたところを。

そんな場面を見る度に、リュウイチは照れて顔を隠しながらも、羨ましくて。
いつか自分も…と。
そう願って、やまなかった。

そして、あの一件の最中で、やっとイノランと再会できた時の会話を思い出す。




〝ホントは今すぐリュウに伝えたい事とか、してあげたい事とかあるんだけど〟

〝あとちょっとだけ、辛抱。全部片付いて、その時お前に言ってあげたい事がある〟

〝リュウちゃん。その時は、聞いてくれるか?〟




「ーーーそうだ、言ってくれたもの。イノちゃん、」

「全部終わったら、って」


何を聞かせてくれるの?
何をしてくれるの?


リュウイチの胸に期待が高まる。
それはリュウイチにとっても、彼に言ってあげたい言葉があったからだ。




「いつまでも眠ってる場合じゃないね」



もう目を覚まそう。
夢から覚めて、まずは挨拶をしよう。
きっとずっと心配してくれているメンバー達に。
ーーーそして、この瞬間も。
俺の側で、待っててくれているんだと思う。
彼に。


おはよう。
ずっとここにいてくれてありがとう。って。
























(…起きない)


ーーーゆっくり寝かせてあげようとスギゾーやシンヤに言ったのはイノランだけれど。
こうしてずっと側にいると、その時間の経過に焦れてもくる。
心配と、早く目覚めないかな…という期待。

強引に肩を揺すってしまえば起きるのかもしれないけれど。



「…いやいや、それはダメだろ」



疲弊した心身の回復の為に眠っているだけだとは思う。けれど、もしもただの眠りでは無いとしたら?
無理矢理起こしたせいで、またリュウイチに何かあったらそれこそ冗談じゃない。
やっとこうして、再会できたのだから。

ーーーしかし、焦れる。

目の前にリュウイチがいる。
ずっと会いたくて、触れたくて仕方なかった相手が。




「ーーーそういえば、あっちの俺…」


あっちとは、生身の現在のイノランだろう。


「隆ちゃんに何かある度にしてたって…言ってたな」


〝キスで目覚める。
眠り姫じゃないけど、隆がどうにかなった時はさ、何故か効いたんだよ。
俺のキス〟




「ーーー眠り姫…か」



そう呟いて、傍で眠り続けるリュウイチに視線を落とす。



「ーーーーーキス、」


リュウイチとは、別に全くの初めてではない。
でもそれはステージ上で…だ。
プライベートで、ましてや眠っているリュウイチに対してのキスなんて初めてで。
今自分が考え始めた事に気付いた瞬間。
イノランはカッと顔が熱くなった。



(何しようとした⁇…いま、)

(リュウに、眠ってるリュウイチに)

(キス、しようとした⁈)




ぎゅっと。
イノランは膝に置いた自身の手を握った。
爪が食い込んで、痛むほどに。



(ーーーまだちゃんと伝えてない。ずっと伝えてあげたかった言葉は、まだ)



だから今はまだ…と。
ここに来てもなお、ブレーキがかかる。
…けれど。
頭の中でもうひとりの自分が、叱咤する。




ーーーもう後悔はしたくないんだろ。
ーーー掻っ攫うくらいの想いがなきゃダメだって、自分で気付いたんじゃなかったのか?
ーーーリュウは待ってる。
ーーーお前を待ってるんだ。



〝少しくらいは自惚れてもいいんだよ〟


そして脳裏に浮かぶのは、今の自分よりも大人になった自分。
お日様みたいになっていた、今現在の自分の悪戯っぽい笑み。


〝リュウの気持ちも、もうわかってるだろ?〟


だからいけよ。
躊躇うなよ。
手を離して後悔した時間を取り戻す勢いでさ。




「ーーーーー」






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