長いお話・2 (ふたつめの連載)
夜半。
「ん……」
イノランはふと、目を覚ました。
ライブのあった晩に目覚めるなんて珍しい。心も身体も程良く疲れているから、いつもだったら朝までぐっすりなのだけれど。
ーーー何か、気配を感じたのだ。
何度か目を瞬かせて、焦点の合ってきた視界で暗闇に意識を飛ばす。
なにも変わったようには見えない…。
「?」
隆…?
と、イノランは口の中で呟いて。昨夜すぐ真隣で眠ったはずの隆一の姿が無いことに気が付いた。
一気に目がぱちりと開くのを自覚して。イノランは起き上がって、ベッドから這い出した。
「隆?」
辺りを見回しながら、足元をとられないように暗い部屋を巡る。
トイレかな?と、洗面所の方を向くも。明かりも漏れていないし、物音すらしない。
ソファーの方に視線を向けても隆一の姿は無い。
すると、ソファーの横にある窓に据え付けたカーテンの端が、ひらりと動くのを見た。
昨夜隆一が恥ずかしがって隠れていたところだ。
「隆ちゃん?」
カーテンの側まで寄って、イノランはコク…と息を飲む。
そして、レースと遮光の二重になっているカーテンの端を掴むと、イノランは勢いよく開け放った。
「ーーー隆ちゃん」
カーテンと窓ガラスの間に、隆一は立っていて。ガラスに手をついて、空を見上げるように外を見ていた。
「隆ちゃん…」
もう一度イノランは名前を呼んだ。
しかし隆一は振り返る事をせず、じっと相変わらず空を見上げる。
イノランの背筋に急に走る、冷たいもの。いつもの朗らかな明るい隆一が振り向きもしないという事が、イノランに妙な焦りを感じさせて。
イノランは背を向ける隆一の肩に手をかけると。グッと肩を引き寄せて、強引に隆一の向きを変えた。
「っ…⁉」
ようやくこちらを見た隆一に、イノランは目を見開いた。
「ーーーーーーー隆っ …?」
隆一はなんと言っていただろうか?
夢の中であった話を聞かせてくれた時。隆一は自分自身がどんな姿だったと嘆いていたーーーーーーーー??
『なんかね…俺、知らない言葉の歌を歌ってて…。でも、全然楽しそうじゃないんだ。感情が無いみたい…人形みたい………あんな俺、俺じゃない。あんなの嫌だ』
イノランの目の前で佇む隆一。
微笑みも何も無い。つい昨夜、ベッドの中で見せてくれた恥じらいの表情も無い。
薄く開いた唇は、何も言わず。イノランの名前さえ呼ばず。
きらきらした光を閉じ込めた、濡れたような隆一のいつもの瞳は無く。
そこにあるのは、ガラス玉みたいな。なんの感情も映さない瞳だった。
「ーーーーーーっ っ 」
ぎゅっと、イノランは隆一を抱きしめる。
今、目の前の隆一が。夢で見た事を話してくれた、その時の状態の隆一と全く同じだとイノランにはすぐに分かった。
でも分かったからといって、どうしたらいつもの隆一に戻るのか見当もつかない。
なんでこんなことになってしまったのか?
今は大事なライブツアー中だ。
隆一はヴォーカリストとして、単発のライブよりも、もっともっと気を遣わなくてはならない期間だ。
それなのに、こんな事になって。変な夢を見て、怖くて熟睡も出来なくて。妙な事が続いて。
イノランの中で、吐き出し口の見つからない憤りが込み上げる。
例の男を捜しだして、胸ぐらを掴み上げて問いただしたい。
どうしたら良いのかが解らない。
何が起きているのかが解らない。
ーーー解らない事が、より焦燥感と苛立ちを煽り立てる。
ぎゅっと隆一を抱く腕に力を込める。
くったりと力無い隆一の両手は微動だにせず。ただイノランに抱きしめられるだけ。
「隆ちゃんっ ーーー隆っ!」
「俺を見ろよっ …」
「ーーーーーいつもみたいに、笑ってよ」
「ーーーーーーーーーっ …隆…」
『…なんか変だよね……変な世界に迷い込んだみたいな…。お伽話じゃないけど、悪い魔法にかかったみたいな…』
夢の話を聞かせてくれた時に、ぽつりと溢した隆一の言葉。
困惑した表情で呟いていた隆一が忘れられなかった。
( ーーー悪い魔法?)
騒めくイノランの頭の端で、何かが閃いて。ぎゅうぎゅうと力任せに抱いていた腕を緩めると。今度はじっと隆一を見つめた。
考え付いた突拍子もない事。
非科学で、それこそ魔法やお伽話の世界みたいな。
でも。ここ数日の出来事を振り返ると、あながち的外れでは無い気がして。
イノランは、隆一の頬を手のひらで包むと微笑みかけた。
「ーーー隆ちゃん…俺」
「ーーーーー」
「隆ちゃんの事は、メンバーとしても親友としても大好きだよ?」
「ーーーーー」
「ーーーーーでも…。ホントは、もっと好きだ。…友達の好きじゃないよ?ーーーーー愛してる…の、《好き》だからな?」
「ーーーーー」
「好きだよ…って、内緒にしておくつもりだったけど。ーーー隆ちゃんを助けたいから。そのためには、俺の全部。俺の気持ちも全部曝け出して、俺の全部を使って、隆ちゃんの側にいたい」
「ーーーーー」
「ーーー隆ちゃんが昨夜、俺といてどきどきするって…。あれ、すげえ嬉しかった。もしかして隆ちゃんも俺の事…?って思ったら、俺もどきどきした」
「ーーーーー」
「目覚めのキスって、お伽話にあるじゃん?ーーーもう、何が効くのかも解んないけど…。今俺に思い付くの、これくらいしかないから…」
「ーーーーー」
「好きだよって。元に戻ってって、想い込めるから。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーキスするよ?」
「ーーーーー」
「ーーー隆…ーーーちゃんと聞いてる?」
キスで目覚める姫って何だっけ?と、隆一を見つめながら考える。
( …眠り姫?とか…あとあれ、毒りんごの…)
でも。
どの王子も、今の自分と同じような想いだったんだろうな…と、イノランは考える。
( 好きなひとを助けたいって )
( 好きなひとは、自分で守りたいって )
こんな事態だっていうのに、隆一を目の前に、胸の高鳴りが止まらない。
頬を包んでいる手を滑らせて、指先で隆一の唇をなぞると、あったかくて、柔らかくて。何も映さない瞳が、早く奪って…と訴えているみたいで。
イノランは、吸い寄せられるように顔を近づけて。
好きだよ。と、囁くと。
そっと唇を重ね合わせた。
ちゅ…と、一回。そのあと深くキスをして。反応が無い隆一の唇を、優しく解していくと。
「ーーー…っ ん」
微かに溢れた、隆一の小さな吐息。
イノランはそれを聞き逃さずに、肩を掴んで隆一を真正面から見つめると。
「!」
さっきまで感情の抜け落ちた顔をしていた隆一が。目を見開いて、顔を真っ赤にしてイノランを凝視していた。
その反応だけで、隆一が元に戻ったことがわかって。イノランは、安堵と急に込み上げてきた嬉しさで破顔すると、もう一度隆一をぎゅっと抱きしめた。
「イーーー…イノ…ちゃんっ ?」
「隆ちゃんっ ‼ よかった」
「え…ぇえっ…⁇」
「どこも何ともない⁉」
「う?うううううんっ ‼」
「ん?ううん?」
「だ、だ大丈夫!」
「そっか。もぉ~ほんっと良かった!」
「ーーーえ…っと…イノちゃん?俺…」
「ん?あ、隆ちゃんやっぱ覚えてない?」
「え?」
疑問符だらけの隆一。イノランは事の顛末を聞かせようとソファーに移動すると、並んで腰掛けた隆一に全てを聞かせた。
夢の中で見た姿そのままになってしまっていたと聞かされて、隆一は眉を顰めて心配そうな表情を覗かせた。
嫌だと溢していた姿になってしまっていた事に、少なからずショックを受けているようだった。
イノランはそんな隆一を見て、元に戻すことが出来て本当に良かったと、改めて胸を撫で下ろす。
「あの……イノちゃん?」
イノランがホッとしている横で、隆一がそわそわした様子で窺ってくる。
なかなか目が合わせられないようで、視線もちらちらと落ち着かない。
その理由が、イノランにはすぐに見当がついた。
「ーーー俺にキスされてたのは、覚えてるのか?」
ぼぉっ‼…と火を噴く勢いで、隆一の顔がさらに赤くなる。
( 覚えてるわけか )
「まさか本当に上手くいくなんて、もうほとんど賭けみたいなもんだったんだけど」
「え…」
「隆ちゃんが言ってた、悪い魔法って言葉を思い出してさ。目覚めのキスってどうかなって」
「………」
「元に戻って良かった」
「ーーー……」
にこにこ話すイノランとは対照的に、隆一は意気消沈するかのように気落ちしてしまう。はじめはその変化に気付かなかったイノランは、急に口数の減った隆一に首を傾げた。
「ーーー隆ちゃん?どうした?」
「え?ーーーーーううん」
「…隆ちゃんどうしたんだよ?」
「なんでもないよ」
「嘘。だって隆、目逸らしてる」
「‼」
「ーーーなんか、泣きそうな顔してるし」
「してない」
「してる」
「してないってば!」
「ーーーーー」
「ーーー…」
「ーーー俺がキスしたから?」
「っ…!」
「そうなんだ?」
「ーーーっ」
「ーーーーー嫌だった?」
「えっ?ーーーー違っ」
「ーーーごめん」
「やっ…だから、ちがっ …」
「ごめんな」
「っっ ーーーだからっ…だから違うってばっ ‼」
「ーーーーーーーーっ 」
「ねぇ!こないだっからさぁ!イノちゃん何なの⁉人の話最後まで聞かないでゴメンゴメンって、ちゃん聞いてよ、違うって言ってんじゃん!イノちゃんにキスされてもちろん驚いたよ!驚いたけど嬉しかったの!何でかって、まだよくわかんないけど、好きじゃないひとにキスされて嬉しいなんて思わないでしょ?って事は俺イノちゃんが好きなのかな…って思って考えてたら、イノちゃん上手くいって良かったとか、賭けだったとかさ。それって俺を元に戻す為だけにしたキスだったの?とか、じゃあ俺じゃなくても、例えば相手がJ君とかでもキスしちゃうの⁇って思ったらなんか…って、そう思ってたのに‼イノちゃんのキスが嫌なんじゃないの!いつもいつも勝手に先走りしないでよっ‼」
ゼイゼイハアハアと一気にまくし立てた隆一。イノランは前回に引き続き圧倒されつつ。やっぱプロのヴォーカリストすげえ…なんて思いつつも、込み上げてくる嬉しさに顔が緩んでしまう。
だって今度こそ、イノランが好きだって大声で告白したようなもの。
「なに笑ってんの!」
「んー…だって、嬉しくて」
「はぁっ⁉」
「隆ちゃんの愛の告白、嬉しかったからさ」
「そっーーーんなの…してないっ !」
「だって隆ちゃん、俺のキス嬉しかったんでしょ?」
「ーーーーーっっ 」
「隆ちゃんじゃなかったらキスなんかしない。隆ちゃん相手だからキスしたら戻るかな?って思いついた。仮にJだったら、別の方法考えてるよ」
「た…例えば?」
「ぶん殴るとか」
「‼」
「引っ叩くとか」
「‼‼……J君…可哀想…」
「まぁ、それは冗談だけど。…とにかくキスしたいって思ったのは隆ちゃんだけ」
「な…んで?」
「ーーーーーーーーわかんない?」
「ーーー」
「隆のことが好きだから。メンバーとか友達とか、そうゆうんじゃなくて。キスしたいって、側にいたいって、そうゆう好き」
「ーーーーーイノちゃん」
「隆ちゃんは?ーーーまだ、はっきりわかんない?」
「ん…ーーーーー」
「焦らなくていいよ」
「ーーーーーでも…」
「ん?」
「イノちゃんとキスして嬉しいって…それって」
「ーーー」
「好き…だからだよね?」
「ん…」
「ーーー好き」
「隆ちゃん…」
「イノちゃん、好き」
「ーーーありがとう、隆」
「俺も。好きになってくれて、助けてくれて、ありがとう」
「うん」
「イノちゃんすごいね」
「ん?」
「よくわかんない魔法、解いてくれたんでしょ?」
「それはまだ俺もわかんないよ。でも、隆ちゃんを元に戻せたのは事実だし…もしまたあんな事があったら、また戻せるかも」
「ーーー愛の力?」
「そうだな、だってお伽話の姫だって王子のキスで…」
「俺は姫じゃないし!」
「歌姫だろ?」
「だから!」
「俺の歌姫」
「っ …」
「今回ので、今のでわかった。相手もわかんねーし、動機もわかんねー。でも、俺は隆をきっと助けられる。守ってみせる。俺が隆を好きでいる限り大丈夫だって、なんか確信した。ーーー勘だけど」
「…勘?」
「勘って大事だぜ?」
「ふふっ …そうだね」
「ーーーさて。じゃ、もうひと眠りしますか。ライブあるしね」
「うん」
まだ暗い時間。
二人は再びベッドに並んで横になる。
ただ添い寝をしていた最初とは違って、今度はイノランの腕が隆一を抱き寄せた。隆一の耳に、イノランの鼓動が心地よく響いて、もっともっと安心して睡魔が押し寄せる。
「おやすみ隆ちゃん」
「ん、おやすみ」
「ーーーー」
「ーーーーーーーーね、イノちゃん…」
暗闇でじっと隆一が見上げる気配を感じる。イノランはすぐに心得て。
密かに額にキスをした最初とは違って、今度は隆一の唇に。
甘く全てを奪うような、キスをした。
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