長いお話・2 (ふたつめの連載)













胸が熱い。
胸が熱い。

何かが隆一の胸を突き破って、解放されたがっているよう。
メンバー達の真ん中で、隆一は再び胸辺りをぎゅっと押えた。







まるで神殿のような風景の前に並ぶのは二組のルナシー。
一方は生身の現在の姿。
もう一方は実体を持たない、音の記憶の姿。
それがこうして同じ場所に集合するのは何とも奇妙な感じだけれど。
それ以上に、恐らくもう見られないだろう、今回限りのスペシャルな光景が出来上がっていた。


「今まで色んな状況でライブやってきたけどさ。こんな…十人ルナシーって凄くない⁇」

「すげえよ。こんな体験できるなんて思いもしないし」



そして現在のメンバー達が手にする楽器を目の当たりにして、音の記憶達は興味深げにじっとそれらを凝視する。



〈俺ってそのうち、そんなベース持つようになるんだな〉

「ーーーカッコいいだろ?」

〈ああ。ーーーなぁ、ちょっと触っていい?〉

「だめ」

〈~~~…未来の俺はケチな奴だな〉

「阿呆。違ぇよ」

〈なんだよ〉

「そうじゃねえよ。いつかは手にするんだ。それを今このタイミングで体験しちまったらつまんねえだろ?」

〈‼〉

「そーゆう事。別に俺、ケチじゃねえから」

〈ーーーっ…ハハ!〉

「潤、楽しみにしてろよ?」

〈わかったよ。ーーーJ〉



ーーーこんな会話も、今だけの特別なもので。
それはつまり。
過去から今まで。ーーーそしてさらにここから先の未来へも。
〝音楽〟だけは、決して手離さずにきた証。手離さないと誓える未来。
だからこそ、どの時代の自分とでも。
臆する事なく、会話ができるのだ。

その先の未来を潰さない為に。
今この瞬間も、闇に恐れ慄く世界中の人たちの為に。
十人は。
ぐるりと向かい合って、円陣を組んだ。
いつもよりも、大きな円陣を。



















ゴゴゴ…ゴ…オォォ…


暗い…黒い…もう何も見えない。
暗い空をさらに黒く塗り潰すように。
幾重にも、闇は腕を四方に伸ばして行った。

今日の為のライブに会場に駆け付けたファン達、同じく会場にいるスタッフ達は。
ここにきて、いよいよ絶望感に陥っていた。

ルナシーをずっと見続けて来た今まで。
休止も終幕も、色々な事があったけれど。
それがその時々の最善の選択とわかっていても、どうしても寂しさでぐちゃぐちゃになってしまった気持ち。
あの時も、あの時も。
確かに胸に込み上げた気持ち。
ーーーけれども、また五人は戻って来てくれて。
その新しい佇まいを目の当たりにして。
今までになかった、太く冴え渡る音を身体中で感じて。

きっと皆、思ったのだと思う。

五人はしばらく別々だったけれど。
見えない根っこでは繋がっていて。
本当の意味での別々にならない為に、別れていたのだと。
会えなくても、五人それぞれ、ファンも、スタッフも。見上げる空は繋がっていたから。

だから大丈夫だと、思えたのだ。




ーーーけれど。
今の空はどうだ。
今の状況はどうだ。

突如、真の暗闇に、ポンと放り込まれた恐怖。
声も、音も、視界も、匂いも、風も、何も無い。
他者の存在が確認できない。
生き物の気配がまるでしない世界。


それはつまり。
意志のある別離をしたあの時とは全く違う。
恐怖を孕む、絶望的な孤独感だった。






会場の、関係者席で。
この日のライブを、なんとしてでも見届けようと駆け付けていた葉山が。
数センチ先も見えない暗闇で、手探りでスマホを取り出した。
もちろん、手に持つ機器の姿も見えないけれど。
使い慣れたそれをどうにか操作してライトを起動させた。



「あ、」


仄明るい、白い光が灯る。
スマホから発されるごく僅かな光は、こんな暗闇の中では、葉山をほっとさせるのに充分だった。



「ーーーっ…隆一さん!イノランさん、Jさん!…スギゾーさん、真矢さん‼」



葉山は僅かな光に勇気付けられてメンバーを呼んだ。
ツアーファイナルの差し迫った先日に、突如依頼された曲のアレンジ。
それがこの最終日に演る特別な曲だと聞かされて、もしかしたら…と今、葉山は思う。


この闇に打ち勝つための、彼らの切り札なのかもしれないと。



「でもこんなに暗くては…っ…」



葉山はもどかしく眉を寄せた。
出来上がったあの曲がどんなに素晴らしいか。
それがこの状況では皆に届かない。
それがもどかしい。


「ーーーあの曲を聞けばっ…」


きっと勇気付けられる。
音楽の力を今まで幾度ともなく示してくれたルナシーの曲。
それをどうにかして拡散させなければ。
ーーーその為に、今も見えないこの暗闇のどこかで、メンバー達も奮闘している筈なのだから。



その時だった。
ガシッと、葉山の肩を掴む感触があった。
ハッとして振り向くと、光の向こうから聞き知った声がした。
ーーー顔見知りのプロデューサーだった。



「葉山君、か⁈」

「あ、はい!ーーー見えますか?このライト」

「見えるよ!ぼんやりした光だけど、確かに光って見える」

「 スマホのライトです!割と強烈な光だから灯せたみたいです。ーーーあの、それでちょっと思いついたんですけど…」

「なんだ⁉」

「客席皆んなで灯せないでしょうか⁉よくファンの方たちが皆んなで照らしてくれるみたいに」

「!」

「ごく小さな光ですけど、集まればきっとステージを照らす事ができると思うんです!メンバー達、こんな状況だから演奏もままならない筈なんです」

「なるほど。確かにいい案かもしれない。恐怖で縮こまるより、行動した方が気も紛れる」

「はい!」











これが最後の…ようやく決着をつける時だと思うと。
隆一は身体が軽くなったみたいに思えた。



(っ…あ、)


歌いながらも地面に足を着ける事を意識しないと、今にも舞い上がりそうな感覚。
メンバー達の音に囲まれて、歌に夢中になって、気持ち良さから浮遊感を感じる事は今までも度々あったけれど。
今のこの感覚は、ちょっとまた違うようだ。


(ーーー浮かび上がりそう…)


試しに踵を上げて爪先だけで立つと、それだけで隆一の身体がふわりと持ち上がった。


(とと…。あぶない)


歌に集中せねばと、隆一は前を見据えるけれど。
そんな間にも変化が起きているのは、どくどくと熱くなり続ける胸の辺りだった。



(熱い…熱い…。胸が熱い。ーーーこれって、リュウイチがくれた天使の羽の…)


曲が進むにつれ、鼓動はどんどん大きくなる。
息ができないという事はないけれど、呼吸の詰まるこの感覚を隆一は知っていた。
























熱い…熱い……

あ つ い よ…









「………っ…ん、ん」

「隆一っ…」

「あっ、ぁ…イノちゃ…」

「ーーーーーっ…りゅう」




月明かりの寝室での、いつかの日。いつかの時間。
手を重ねて、ぎゅっと絡ませて。
イノランのもう片方の手が隆一の肌を弄る度に。
溢れそうに涙をいっぱい溜めた目で、隆一は幸せそうに微笑んだ。



「ーーー隆、可愛い」

「だっ…て、」

「ん?」

「幸せ、で…」

「幸せ?」

「うんっ、」


頷く隆一があまりに可愛くて、額と額を擦り合わせると、隆一はにっこりと目を細めて涙を零した。
それを綺麗だな…と見惚れていると、隆一はイノランの襟足に手を回してキスを強請った。


「ーーーっ、ん」


重ねた唇は、何度も角度を変えて絡み合う。息継ぎする隙間すら惜しくて、ろくに呼吸もしないでキスに夢中になっていると。
頭がぼぅ…っとしてきて、胸の奥がジンと熱くなった。



「ーーーこら、隆」

「んっ、ん…ーーーーー」

「呼吸っ…しろ」



イノランに促されて、一瞬唇を離されて。隆一は酸素を胸いっぱいに吸い込んだ。そして次に吐き出した息は甘い声を含んでいて。
さっきまでジンジンと灼けるようだった胸の熱さがすぅ…と解放される気がした。



「ーーっ…はぁ、」

「ん、平気?」

「んっ、ぅん」



見下ろしているイノランは、ようやくひと心地がついたらしい隆一を見てくすくす笑うと。唾液で濡れた唇を指先で拭ってやった。



「勘弁してよ。可愛すぎなんだけど」

「だって、だから、ね?」

「ん?」

「幸せ…で」

「ーーーん。」

「イノちゃんとくっ付いてると、胸の中が火みたいに熱いよ」

「隆の手も、熱々だもんな?」


そう言って、イノランは重ねた手の熱さを確かめるように唇に寄せると。
その様子をうっとりと見ていた隆一が呟いた。


「上り詰めるところまでいって、思い切りやったら。胸に燻ってるものがそのあとはスッと解放される感じがするよ」

「ん?」

「胸の中…熱くて熱くてどうしようかと思ってたんだけど。イノちゃんとぐちゃぐちゃになったら…今は、」

「スッとした?」

「うん。ーーーだから…ね?」

「ん?」



隆一は覆い被さっているイノランに、再び両手を広げて抱きつくと。
心底幸せそうに微笑んで言った。



「また次が欲しいって思っちゃう」

「っ…!」

「ね、?」

「ーーー欲張りだな、今日の隆は」

「いいもん」

「ククっ、」

「あ、なんか笑ってるー」

「別に悪い意味じゃねぇって。ーーーそうじゃなくてさ」

「…ん?」

「大歓迎だ」

「…え?ーーーーぁ…っん、ん…」


にやりと口元を歪めて、再び隆一に身を沈めるイノラン。
目眩がするような心地よさに、隆一はまた熱くなりはじめた胸の感覚と共に目を閉じた。



ーーーこの熱は自分だけのもの。
ーーー上り詰める息苦しさも、解放される快感も。

ーーー全部全部…















(ーーーそうだ。あの感覚に似てるんだ)



その時を思い出すと照れくさいけれど。
歌いながら、隆一は自身の胸の辺りに手をあてた。

どくん、どくんと、高鳴る鼓動。
隆一の心音に合わせて熱くなるそれが、解放されたがっている天使の羽だというのなら。


〝持つべき者が持った時〟


機は熟し、その瞬間は…もう…





「…っ⁉ーーーおいっ!」


演奏を続けながら、誰かが叫んだ。
その指し示す方向に例の時計。
その、背後の空間が。


ピシッ…‼


稲光が空を割るように、空間を割いた。
ひび割れた空間は、あっという間にその亀裂の幅を広げて。
その向こう側には、皆が駆け抜けて来たあの深々とした闇が顔を覗かせている。



〈闇がここまで⁉〉

「ここは天使の領域なんじゃないの⁉」

〈ーーー多分、押されてるんだ。闇の力が強くて、ここまで…〉

「ここも危険って事かよ!」

「いつまでも悠長にしてらんないな。ーーー早くこの曲を演奏し終わらないと…」

「ーーーけど、演奏し終わっても闇を消せなかったらーーー⁇」



巨大な闇は、曲の抵抗する力を捻じ曲げようとしている。
じわじわ入り込む黒いモノ。
それは強い気持ちを持ったメンバーたちを、視覚から恐怖に陥れようとしているようにも思えた。








一度入り込んだ闇のスピードのなんと速いことか。
決壊したダムを乗り越える濁流の様な勢いを前に、ここにいる全員が押し留める術が見つからない。
かといってここから逃げる訳にもいかない。
演奏を中断すれば〝神様〟の力が込められたこの曲は、その効力をきっと失ってしまう。
せっかくここまであたためてきた、皆の想いの詰まったこの曲が無意味になってしまう。
そんな事になったら…今よりももっと、考えたくない事態に陥ることは容易く想像できた。

メンバー達が闇に飲まれきってしまえば、もう後の希望など無いのだ。





「皆んなっ!頑張って‼絶対に演奏は止めないで!」

「当たり前‼」

「大丈夫だよ、隆。ここまできたら怖いもんなんか無いよ」

「こっちは任せな。隆は歌を止めんじゃないぞ」

「うんっ!」



楽器隊に促され、隆一はキッと前を見据える。

先日初めて空に向かって歌ったこの曲。
その時、この曲の持つ力と隆一の歌声はてきめんに効いたように思えた。
暗い空に、隆一の歌と共に現れたのは闇を照らす五条の光。一緒にその場にいたイノランも感嘆の声を上げたものだ。

この曲が効く事は実証済み。
今はただ、音楽を止めない事だ。

それを傍らで見聞きしていたリュウイチも声を上げる。



〈俺達も隆一達と一緒に‼最後まで退かないよ!〉

〈当たり前‼ちょっと歳上だからって、アイツらばっかにカッコつけさせないよ!〉

〈大丈夫。リュウちゃん、支えるから〉

〈任せとけ!〉

〈うん!〉




活気付く二組分の演奏と歌は、ぐんっ!と、大きなパワーの塊を作って、目前まで迫る闇との境目に見えない壁を張り巡らせる。
先程よりも明らかに強い光。
それはあったかくて、熱いくらいで。
まるで満員のファンの前に立つステージにいる様だった。




「ーーーっ…抑え込めてる!」

〈このままいくよ‼〉



隆一は、歌いながら隣のリュウイチの手をぎゅっと繋いだ。
もちろんその手はすり抜けてしまうけれど、伝わってくるのは確かにリュウイチの温もりで。
ずっとずっと、たったひとりで今回の事に立ち向かっていてくれたリュウイチに。

伝えたかったのだ。

ーーーほら、もうひとりじゃないよ?

皆んなで終わらせるんだ。
この事を。
その後はね、ハッピーエンドが絶対に待っているよ。


そんな想いを込めて繋いだ手。
びっくりした顔で見てくるリュウイチに、隆一はにっこり微笑むと。
リュウイチも、綺麗な笑顔を返してくれた。


ーーーーーー…のに…







ガッ‼




「っ…⁉」
〈⁉…ぇ、〉




本当に、唐突に。
二人の隆一がいる地面が割れた。
そして、その隙間から伸びてきたのは黒い手。
その手は、恐らく二人が手だと認識する暇も与えずに、二人の足首を掴んで引きずり込んだ。




「りゅ…」



すぐ側にいたイノランは瞬きも忘れて目を見開いた。
あまりに一瞬の事。
驚愕と恐怖の表情で顔を強張らせる隆一に、頭よりも先に身体が動いた。



「ーーーっイノラ…ーーー‼…」

「隆一っ…」

〈イノちゃ…っ…〉

〈っ…リュウ‼〉



手を伸ばす。
この時ばかりはギターを押し退けて。
手を伸ばす。

ーーーしかし、黒い手に引っ張られるその恋人の指先を掴む前に。
二人の隆一は、黒い地面の隙間に姿を消し…

その瞬間にメンバー達が聞いたのは。




ソノ歌ガ邪魔ダ。





そんな、地の底を這うような。
低く恐ろしい声だった。






















堕ちていく感覚が、止まった様に思えた。
何かの底に着いたのだと感じて、隆一は声を顰めて言った。



ーーーリュウイチ、いるよね?


そう呟くだけで、精一杯だった。


「…リュウイチ、ねぇ」

〈大丈夫、俺はここにいるよ〉



再び、二人は闇の中。
互いの姿を見る事は出来ないけれど、声をかけあって、二人はその無事を確認して安堵した。

そして辺りを見回す。
…と言っても、何も見えないけれど。

それでも隣にもうひとりの自分がいると思えば心強い。





「ーーー何かに足を引っ張られた」

〈うん。…俺には黒い手に見えた〉

「手⁇この闇ってそんな形があるものなの?」

〈…わからないけど…。でもこの闇の元々の正体が人々の負のエネルギーなら、そんなことがあっても不思議じゃないかなって〉

「ーーーん、そうだね。ーーーでも早くここから出て皆んなの所に戻らないと」

〈そうだね。今上では俺たちの歌が無い状態だ。きっと皆んな演奏は続けてくれてるけど、やっぱり歌が無いと…〉

「ーーーーー上、か」





二人の隆一は上を見上げる。
見上げてもどこまでも広がる闇しか無いけれど、確かに上から堕ちた筈だから。
上に上がれば、何か出口もあるかもしれないと思ったのだ。




「ーーーでも…どうやって」


実体を持たないリュウイチだけならば、それも可能かもしれない。
しかし生身の隆一には無理だろう。

リュウイチだけでも先に行って!
そう言おうとした隆一だったが、言葉を飲み込んだ。
きっとリュウイチはその提案に頷かないと思ったし(自分の事だからわかるんだ)
何より二人一緒でなければ意味がないと思ったから。

ーーーそれに。
残されたメンバー達も。…イノランも。
二人揃ってでなければ、きっと悲しむから。




〈隆一〉


「え、?」



考え込んでいた隆一を、リュウイチが凛とした声で呼んだ。




〈あるよ、上に登る方法〉

「ーーーえ?」

〈今こそだよ。ーーー天使の羽だ〉

「っ…あ、」

〈翼を広げるんだ〉





ーーー再び闇に堕とされて、少し忘れていた、胸の熱さ。
それがリュウイチの言葉をキッカケに、蘇る。


どくん…どくん…
ジリジリと、胸を灼く。




「ーーーっ…あ…つぃ…」




ぎゅっと自身を抱きしめる様に腕を重ねて。
そんな隆一を、リュウイチが包み込む。



〈大丈夫?〉

「っ…ん、ぅん!」



闇の中に鼓動が響く。
不思議と歌が自然に溢れ出て、いつしか二人の歌声が重なり合って。

この日の為の純白の衣装が、闇の中に浮かび上がる。





「ーーーーーっ…ぁ、あ…」




隆一の身体を駆け抜けるのは甘い電流のような。
こんな時なのに思い出すのはイノランに抱かれる瞬間。


解放されたがっていた、胸の中の…





〈隆一っ!〉



切羽詰まったリュウイチの声と同時だった。

バサっ…



大きな羽音をたてて、純白の羽が広がったのは。





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