長いお話・2 (ふたつめの連載)
闇に身を沈めて目が慣れてしまうと、もうそれが当たり前に思えてくる。
数秒前までそれに恐れを抱いていたはずなのに。
慣れてしまう恐ろしさ。
見極めなければならないのは。
その慣れに潜む自身の意識だ。
諦めによる仕方無しの〝慣れ〟か。
次へ進む為の覚悟を決めた〝慣れ〟なのか。
それは全く、違うものだから。
闇を疾走する者達は。
明らかに、後者だった。
「目が慣れてきた。何となく先が見える気がする」
〈さっきまでへたり込んでたくせに〉
「…お前…言うなぁ」
〈まぁね、俺自身だからさ。遠慮はしないよ〉
「…歳下のくせに」
〈なんか言った?〉
「ん?いや、別に。ーーー頼りになるなぁって」
〈自分自身に言われんのって変な感じ。ーーーでもほら、あそこ見て〉
「え?」
〈あそこから空気が変わるよ。…きっと、なんかある…〉
「っ…!」
闇を見据えて、ぐんっ…とスピードを上げて走って。
イノランも、ある箇所を越えたところで。
ピタリ。
足を止めた。
「…何か聞こえる」
〈お前も聞こえた?〉
「ああ。ーーー微かだけど…これは」
チッ…チッ…チッ…
「時計の…?」
〈ーーーそうだな。…秒針の…〉
「ーーーーー何かあるな、この先に。絶対に」
この先に。
きっとそこには、彼がいると。
イノランには揺るぎない自信があった。
それは彼を想う気持ちの強さでもあるし、直感でもあった。
彼…。
隆一がそこにいると。
「どんな所かなんてわかんねぇけど、行かない理由は無いな」
〈同感〉
「気が合うじゃん」
〈同じひとだから〉
「はははっ!だな」
〈ーーーーーお前〉
「ん?」
〈ーーーや、なんか砕けた?…お日様みたいな〉
「お日様?」
〈ーーー雰囲気。自分で見ても…変わった気がする〉
「ああ、」
〈ーーー〉
「皆んなに言われる。でも、変わったっていうかさ」
〈ーーー?〉
「上ばっかじゃなくて、前や周りを見ようって視野が広がったんだと思う」
〈ーーー前と周り?〉
「ーーー隣に大切なひとがいてくれるって、気付いたからさ。一緒に前に進みたいって思えたから…」
〈ーーーーーそれって、〉
「誰だと思う?」
〈ーーー多分、わかってる〉
「ん、」
〈今回の事で思い知った。…離ればなれになって、初めて〉
「ーーー」
〈だめなんだよな。自分からも行かないと〉
「ーーー」
〈掻っ攫うくらいの気持ちじゃないと〉
「ーーーああ!」
強く持った気持ちのまま。
二人同時に、闇の地面のある境界を。
一歩。
踏み込んだ途端だ。
ザァッ!
一瞬で変化する光景。
深々とした黒い闇は晴れて、目の前に広がったのは荘厳な神殿を思わせる風景だ。
闇に慣れてしまっていた目を暫し細めつつ、相変わらず聞こえてくる秒針の音を耳の端に捉えて。
二人のイノランは、その風景の中に立ち尽くした。
「ーーーここ、」
〈俺もわからない…ーーーけど〉
「気配が…」
〈ああ。…〉
「これは、この感じは…ーーーーー」
「イノちゃんっ…⁉」
不意に。
辺りを見渡していたイノランの背後から呼び掛けられた声。聞き覚えのある声。
それに二人のイノランは、勢いよく後ろを振り返った。
「ーーーーっ…りゅ」
二人の目に映ったもの。
真っ白なステージ衣装に身を包んだ、最愛のひとの姿。
隆一の姿。
ーーーしかも。
〈…リュ、ウ?〉
もうひとり。
隆一と同じ姿の、少しだけ若い隆一。
ーーーそれはリュウイチで。
イノランの突然の登場に、目を丸くして瞬きを忘れた。
〈ーーーイノ…?〉
〈リュウちゃん…〉
〈ーーーぇ、本当に?ホントにイノちゃん?〉
〈ーーーーーっ…リュウ!〉
〝神様〟によって具現化されたリュウイチと違い、イノランは音の記憶のカケラそのものだから。
ふわふわと光を纏うその姿は触れる事もできない。
ーーーけれども、ここにきてやっと再会できた二人には、そんな事どうでもよかった。
〈イノちゃんっ…〉
先に駆け寄ったのはリュウイチ。
縺れそうな脚をどうにか左右動かして、イノランの前まで走って来て。
グッと踏ん張って立ち止まったリュウイチは、ひと呼吸置いた後に、ぎゅっとイノランに抱きついた。
〈ーーーーーイノちゃ…っ…〉
〈リュウッ、〉
〈イノちゃんっ…イノ…!ーーーーー会い…〉
触れ合う事は、今はできない同士。
ぎゅっと抱きついた身体を抱き返そうと回したイノランの両手は、リュウイチの背を難なく通り抜けてしまう。
でも、それでも。
今はそれでも充分だった。
もしかしたら、もう二度と会えないかもしれないと思っていた二人だから。
姿が見られて、声を聞けて。
目と目を合わせて、側にいられる。…それだけで。
〈ーーーっ…会いたか…った…よぉ……〉
〈ああっ…!〉
〈イノちゃん…っ…〉
〈ーーー俺もだよ。…ごめんな、リュウちゃん〉
リュウイチが泣いていると、気が付いた。
声が震えてる。肩が震えてる。
そんなリュウイチを、イノランは包み込む。
真っ白な衣装のリュウイチが、イノランの優しい光に包まれてオレンジ色に光る。
そんな様子を、隆一とイノランは見守っていた。
少しだけ前の自分達の、こんな場面を見守るのは照れくさい部分もあるけれど。
彼らが離ればなれになっている間の葛藤や、後悔や、覚悟を見てきたから。
こんな風に抱き合う姿を見て。本当によかったと、心から思えた。
「良かったな、アイツら」
「うん、本当によかった」
いつの間にか隆一に寄り添っていたイノラン。
この二人だって、闇の中で互いの姿が見えなくなってからの再会だ。
無事を確認できて、こんな事態の真っ最中にも関わらず、ついつい触れたくなるのも仕方の無い事。
隆一の肩を抱いていたイノランは、今度は向かい合わせで。
「ーーー隆、」
「ん、イノちゃん」
「怪我とか、無い?」
「うん!ーーーでもね、」
「ん?」
そっとイノランの胸に手をついて、少しだけ離した身体。
隆一はその隙間に手を差し入れて、自身の胸の辺りを指差した。
「ーーーここ、熱いんだ」
「…胸?」
「うん」
「ーーー痛むのか?」
「ううん、あのね?リュウイチがくれた天使の羽が…」
「ーーーーー天使?」
どくん…どくん…
隆一に導かれて、イノランはその胸に手を当てると。
確かにそこだけ、じん…と熱を帯びていて。
鼓動も、いつもより大きく響く。
…そう、それはまるで……と、イノランは思う。
「抱き合ってる時みたいだ」
「え、?」
「ーーー隆と、シてる時さ。隆は気付いてないかもしんないけど、こんな風にどきどきしてる。熱くて、俺までそうなる」
「…じゃあ」
「気持ちイイって、嬉しいって。そんな隆の気持ちに呼応すんのかな。リュウに貰った天使の羽って。ーーーあの曲を、そんな気持ちで歌った時、」
「ーーーーー翼に、なるのかな」
「翼?」
「うん、そう言ってた、持つべき者が持った時、翼になって、眩く照らすだろうって」
肩を震わせて、目元を擦りながら。
ようやく落ち着いたのか、リュウイチはイノランから腕を解いた。
それでもまだグスグスと鼻を啜るリュウイチを見て、イノランは愛おしげに微笑んだ。
〈ホントは今すぐリュウに伝えたい事とか、してあげたい事とかあるんだけど〉
〈…?〉
〈あとちょっとだけ、辛抱。全部片付いて、その時お前に言ってあげたい事がある〉
〈ーーーイノちゃん…〉
〈リュウちゃん。その時は、聞いてくれるか?〉
真剣なイノランの表情。
そこに隠しきれない、愛おしげな眼差し。
こんな時のイノランが、冗談や嘘を言うひとでは無いと知っているから。
ーーーきっと、胸に秘めた、何かがあるのだと伝わってきたから。
リュウイチは、再び溢れそうになった涙をグッと堪えて。
涙の代わりに、頷いて。
〈いいよ、待ってる〉
〈リュウ、〉
〈イノちゃんの話〉
早く聞きたいなって。
久しぶりの、花が咲くような笑顔を見せた。
「よし、それじゃあ先ずは目の前のこの事態だな」
「うん!」
〈ーーー隆一、大丈夫か?〉
「ありがとう!えっと、前のイノちゃん。もう一度リュウイチに会えて本当によかったね!俺もイノちゃんと再会できたから、俺は大丈夫。イノちゃんは、リュウイチを守ってあげて」
「それにしても隆とリュウとイノちゃんとイノちゃんって、」
「ふふふっ、混乱しちゃうね。ーーーね、でもさ。もしここに三人のメンバーも…」
隆一が言い終わる前に。
空間の向こう側が何やら騒がしく…
「だぁから!オマエがスギゾーで俺がSUGIZOでいいだろーが!」
〈文章見てなきゃ訳わかんねーだろ!〉
「まぁまぁ、どっちでもいいじゃねーの。どっちも同じ人間なんだからさぁ。俺らはあれよ?真矢と真ちゃん」
〈な!呼び方変えればいいじゃない〉
「…Jはどうしてんだよ」
「俺は別に…フツーにJ。…コイツは」
〈潤〉
「…マジかよ」
「文字にすんならJとジェイでいいけどさ。本人同士が呼び合うならそれでもいいだろ」
「ほら、Jは大人だ」
「なんだよ真矢ー!俺がガキだって言いたいのか⁉」
「そんな事で騒ぐからさぁ」
なんだとー⁉
そーだろーがよ!
あーもー、うるせーな。
そんな賑やかな一団が空間を越えてやって来て。
それが今現在の三人と。音の記憶の光を纏う、ちょっと若い三人だとわかると。
「皆んな‼」
〈SUGIちゃん!ジェイ!真ちゃん!〉
二人の隆一が呼び掛けて。
「無事?」
〈全員集合だね〉
隆一の後ろから、二人のイノランがニッと笑う。
「イノラン…ーーーと、隆!」
〈え、なんだよ…ホントにリュウ⁉また会えたのか⁉〉
〈俺だよ!また皆んなに会えた!〉
〈リュウちゃん!よかったよかった!心配したよー‼〉
〈ごめんね、真ちゃん!来てくれてありがとう〉
〈ーーーしかもお前…その格好〉
〈ジェイ君も!ーーーえっと、この衣装はね、〉
「俺の今日のステージ衣装がそのままリュウイチにも同調したみたい。今回の衣装、スタッフの想いもいっぱいに詰まってるから。…同じ姿になれて嬉しい」
純白の衣装に身を包む二人の隆一。
二人がそこに並ぶだけで、パッと明るく見える。
「花嫁さんが二人いるみたいだぁ」
「もぅ、真ちゃんはまた!」
「いいじゃんか、イノだって二人いるんだし」
喧騒も何のその。
じっと二人の隆一に見惚れている二人のイノランは、その手にそっと触れると。
〈⁉〉
「お、」
またも同調したのだろうか。
二人のイノランが、同じ衣装に変わる。
今日のステージの為の、スタッフがヴァージョンアップさせた漆黒の衣装に。
そしてさらに同調の連鎖なのか。
三人のメンバーも、変化して。
瞬く間に、綺麗な黒と、美しい白のコントラストが出来上がる。
「ルナシーが二組」
「すっげえ!」
「これで皆んなであの曲演奏したら…」
「怖いもんなしだろ!」
「ああ!」
ここにひとつの夜空が出来上がった。
漆黒の夜空と、美しい純白の月。
彼らの強い想いが勝った時。
この夜空は正しく明けて。
太陽と青空を、きっと取り戻すのだ。
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