長いお話・2 (ふたつめの連載)












L…O……V……………E………








暗闇に充満するスモークを切り裂くようなアルペジオ。
静かに静かに、冷たく正確に。

そのあと音が重なって、重なって。

ツアーファイナルの、始まりの曲が始まる。





ーーー楽園 に…刻まれた…愛の…うた…は……






ライブの幕開けに歌われることの多いこの曲が始まると。
客席からは息をのむ気配と、少し遅れて歓声があがる。
この会場にいる皆が、この瞬間を待ちわびていたから。

一曲目、二曲目、三曲目と。お馴染みでありながら、ファン熱狂のナンバーを終えたところで、照明がパッと明るく変わる。
ステージ上を軽やかに動き回っていた隆一がセンターに戻って、溢れる笑顔で客席に呼びかけた。






「お前ら、会いたかったぜーっ‼」




湧き上がる客席。
心底嬉しそうに楽器を鳴らすメンバー達。




「昨日に引き続き、今日のライブ。ーーーね。来てくれて…観てくれている皆んなも、ありがとう。本当に嬉しいです」

「ーーー信じられないような、こんな真夜中みたいな空だけど。心配も、不安も。どうなっちゃうんだろう?って想いを抱えたまま、今日のファイナルを迎える準備を進めてきました」

「この暗闇ってなんだろう?ーーーこの明けない暗闇の正体が。…例えば、不安だったり、恐怖だったり。…妬みとか、怨みとか。例えばそんな感情の塊だったとしたら。…空を覆う程の、大きな力のせいなんだとしたら。ーーーじゃあ、逆の大きな力を解き放てばいいんじゃない?って、俺達は考えました。ーーーこの暗闇を包み込むほどのパワーを出せば、青空を取り戻す事も出来るんじゃないかって」

「ーーーそれで出来たのが、これから演奏する曲です」






わぁ…ぁっ…と、客席が騒めいた。
隆一の凛とした語りに、会場の空気がぎゅっと纏まった。

新曲?
今日ここで、これから聞けるの?
歌で?
この暗闇がーーーーーー?

そんな期待が、一瞬の間に会場の温度を上げた。





「皆んなきっと、不安の中ここに来てくれたと思う。俺達も、不安が無いと言ったら嘘になります。ーーーでも。」

「音楽のチカラを信じてる。音楽が好き。演奏して、歌えて嬉しい。新しい曲の披露に立ち会えて嬉しい。ーーーそんなチカラは、太陽を隠してしまったこの闇をきっとはらえるから」

「ーーー聞いてください」



「ーーー世界中の、青空を見上げる事を諦めないあなたへ」








静かに。
静かに、隆一の語りが終わると。




照明が一度、深い青になり。
隆一の白い衣装が、ぼんやりと浮かんでいた。







まるで壮大な洋画のテーマ曲を思わせる。
重低音と、正確に空気を刻む音と。
ぐん…と、持ち上がる、上昇気流のような音。
まだ始まりなのに、客席も。それから今初めてこの曲を聞くスタッフ達も。

ざわりと鳥肌が立って。瞬時に、曲の世界に惹き込まれてしまう。
何が始まるんだろう。
この曲の先には何が待っているんだろう………?
突如飲み込まれた暗闇の世界。
この曲の先には、光が差すのだろうか?


会場中、いや。日本中…世界中の人々が、今一番望む事。

再び青い空を。
この悍ましい闇を消し去る、太陽の光をもう一度。



ーーーoh…



まさにその切実な願いを。
隆一は、音に乗せて。
どこまでも通る声で、歌った。










練習なんて、数えるくらいしかしていない。
スタッフも、そしてメンバー本人たちすらも。
最後まで通して、演奏し歌った時に。
どんな景色が広がっているのか。
歌い出したばかりの今は、誰にもわからなかった。
しかし始まれば、五人の輪はいつもと何ら変わりはない。
それがホールだろうと、野外だろうと、瓦礫の前であろうとも。楽器と隆一がいれば、たちまち目の離せないステージになる。








今日の為の特別な曲が始まって間も無く。
会場の外を見回る警備スタッフが、フト顔を上げた。





「ーーーーーーー……ぇ…」



小さく呟いた声は、近くにいた別のスタッフにも聞こえたようで。その彼も、つられるように空を見た。





「なんだ?…あれ」

「え?なに」

「ほら、あそこだよ。ーーーあの…」

「あ。ーーーーーー黒…雲?」




もともと真っ暗な今日の空。
視線をどこまでも這わせても闇は闇なのだが。

ーーー動いた気がしたのだ。
彼等の目には。

黒い中にも、別な質感の黒いモノが。
ザワリ…ザワリ。
音も無く、しかし確かに近づく気配。


彼等は目を凝らして、見極めようとした。
それが雲なのか、何なのか。





オオォ…オォ…ォ…




質量が大きく巨大になると、例えば空気の塊でも、怖気を誘う程の圧を生むのだろうか?
会場を背にして立ち尽くすスタッフ達は、遂にその空を覆うモノの正体を見つけ出すと。
瞬きも呼吸も忘れて目を見開いた。






「ーーーーーマジ…かよ」

「ちょっ…と、ヤバいんじゃないか…?」

「ライブやってる場合じゃ…」





息をのむ。
ライブ中の会場内を案じる台詞。

そう、彼等は見たのだ。
空を覆う、闇の正体。
それが単なる黒雲なんかではなくて。
規模が測れない程の、巨大な黒い腕の中だという事を。











会場の中は酔いしれていた。

ルナシーの演奏に。
隆一の歌声に。

しかもこの曲は、どうやら通常のものとは構成が違うのではないかと、皆が感じ始めていた。

これまでも長編の曲は幾つも演奏されてきたけれど。ライブでそれらの曲に遭遇する幸運を得る度に。ファンは歓喜して、その曲の世界に惹き込まれた。






La la la la. La la la la la …






まるで今、暗闇の渦中にいるなんて忘れるくらい。
隆一は歌った。
目を閉じて、身体を自由にさせ、四人の音に身を委ねて歌った。



ーーー気持ちいい
ーーーあったかい
ーーー涼しい
ーーー柔らかくて…
もっと、

この曲の中にははいりたい。


もしかしたら誰よりも。
隆一はこの曲に魅了されていたのかもしれない。
それが〝神様〟の特別な力が込められているからなのか。
これまで必死に皆の力を集結させてカタチ作ってきた曲だからか…は、わからないけれど。

きっと後者だと、隆一は思った。






(ーーーーー気持ちいい…)



歌っている瞬間が何より好きだった。
歌っている瞬間が何より苦しかった。


バンドでも、ユニットでも、ソロでも。

歌う時。
もしかしたら、このまま死んでしまうんじゃないかと思うくらい、それは気持ちいい時間で。
この気持ち良さに勝るものは無くて。今までもこれからも。きっとこれが唯一だと思っていた。
それがヴォーカリストである自分の、信じるべき感覚だと思って歌い続けてきた。



でも、最近はすこし。
考えを改めて。

ーーー少し、前までは。
確かにそうだと思っていたのに。
ここ最近の隆一は、歌う事と並ぶくらい。
大切なものを見つけたのだ。


想う瞬間が、何より好きで。
想う瞬間が、苦しくて、苦しくて。
愛おし過ぎて、とけて消えて、死んでしまいそうになる瞬間を見つけた。






〝俺は、隆と一緒に地獄に堕ちたって構わないよ〟






ーーー離さないで、側にいて…。




〝俺は、お前の側にいる〟






そう、約束した。
彼の存在。
イノランの存在。
今までも隣に居続けて、ギターを奏でてきてくれた彼。
その彼を想う時、隆一の胸はいつだって激しく軋む。
愛おしさと切なさで抉られて、簡単に言葉にする事も出来なくて。
ただただ隆一に出来る事は。
血を吐きそうに想いを込めて、歌う事だった。



想いは歌に。
歌は溢れて。
空気にとけて、音と交じって。





「ーーーーーーー…あーーーぁーーーー」





(ーーー〝歌〟と〝イノちゃん〟は、隣同士)

(俺にとって、〝呼吸〟と〝空気〟)

(無きゃ、死んじゃう。俺を支えて生かしてくれるもの)



(だから最強なんだ、この曲は。負けるわけがないの)




手を振り上げた瞬間、隆一の左手のブレスレットがシャラン…と音をたてた。




(ーーー負けるわけがないんだ)





その襲来を待っていたかのように、キッと見据えた隆一の視線の先に。

真っ黒な巨大な腕が、ついに。









闇にのまれていた。

気付けば辺りは真っ暗で。
手を伸ばせば触れられるような、確かな質感は無いけれど。
その会場にまで流れ込んだ暗闇の塊は、照明の明かりも遮り。とてつもない圧迫感を生んでいた。



どよめく客席。
はじめはもしかしたら、照明効果のひとつなのかも…?と思っていたのかもしれないが。
非常口の緑のライトさえも見えない程の暗闇に。
これは只事ではないのでは…と。
ファン達も落ち着きを無くしはじめていた。






「くっそ…客席はおろか、手元も…」



そう呟いたのは真矢。
当然ドラム周りや各メンバーの頭上や周辺には多数のライトが常時設置されているが。
まるで無意味だった。



「ーーー手が」



イノランも、ギターを弾く自身の指先すら見えない事に気が付いた。
数センチ先も闇にのまれている。
視界が全く効かない。
それでも演奏はやめるわけにはいかないから。
こうなるとあとは、指先の感覚と今までの経験だけが頼りになる。
各メンバーから投げ掛けられる音を予測して、今まで幾度となく触れてきた弦に集中する。




(ーーーどんな腕試しだよ)



イノランは誰にも見えない苦笑を、闇の中で溢す。



(ーーーっても、まぁ。出来ないなんて気は、全然しないけど)



そして今度は不敵な微笑みを。


闇の中でも、鋭く強く空気を震わせて届く。
他のメンバー達の音を聞いたら。
弱音なんて吐いてる場合じゃないと意識が高まった。
ーーーそれから。





(ーーーーー隆の声)




ゾク…ッ。


イノランの身体に快感の鳥肌がたつ。




(ヤバイだろ。ーーーこの歌声さ)




一片のブレもみせない、隆一の歌声は。
互いの姿が見えない今の状況下で、確かな勇気になっていた。まるでこの闇なんか問題ではないように、遠くまで、通る声で、艶やかに歌い上げる隆一。


ーーー大丈夫。
ーーー大丈夫だよ

ーーー目を閉じてみて
ーーーそうすれば闇なんて気にならないよ
ーーー歌を聞いて
ーーー音に耳をすませて

ーーー見えないだけで

ーーー周りには、皆んないるよ?





そんな歌声を聞きながら、イノランはふと。そういえば…と、思い出す。




(そういや、いつぞやの夢)

(暗闇の中を、何かに追いかけられて)

(走って、走って…って夢。見たよなぁ)

(ーーーまさに今って感じだ。出口の見えない、暗闇の圧力って感じの)

(ーーーーーあの時は…そうだ。のまれそうになって、追いつかれそうな直前でーーーーー声が)

(そうだよ。ーーー隆が、呼んでくれたんだよな)








オォ…ォォオォ…アァ…







(光を纏った、隆の声がさ)






ーーーーーーッオオオォ…ォォ





(愛に満ちた、隆の声が……



トプン。

…そんな水が満たされたような音を最後に。
一切の音が、聞こえなくなってしまった。


























happy birthday to you.
happy birthday to you.
happy birthday dear RYUICHI ‼

happy birthday to you ‼




「おめでとうー!」

「隆ちゃん誕生日‼」

「おめでとう!」

「めでたい!」



「ありがとう、皆んな!嬉しい」




まだインディーズの頃だ。
皆んなまだ、髪が長い。
小さなライブハウスの、狭い楽屋の中で。
今日のライブを目一杯暴れて終わった後だ。
部屋の隅に積まれていた段ボール箱をテキパキとテーブルのように設置し始めたメンバー達。
隆一はそんな様子を、首を傾げながら見ていた。




「隆!こっち来い」

「え?」

「本日の主役」

「お前はここ!」



そう言って段ボールテーブルの真ん中に座らされた隆一は。せかせか、にこにこ動くメンバー達を。何が何やらとながめていたら。

運ばれてきた物に、あ…。と、目を見開いた。




まだまだインディーズバンド。
バイトもしながら、金銭的にも時間的にも余裕なんてないメンバー達。
それなのに隆一の前に置かれたのは、小さいながらもホールのバースデーケーキだった。ロウソクが五本。

あまりの嬉しさに、俺五歳じゃないよ?なんて照れ隠しで言ったら。



「いいんだよ。ちょうど箱に五本付いてたんだよ」

「五って見栄えいいじゃない?」

「それに俺ら五人だし」

「そうだよ!隆の誕生日とバンドの誕生日は近いんだし」

「あはは!そうだね」




いつしか笑いに包まれる楽屋の中。
こんな時の進行役のスギゾーが、隆一にインタビュアーのように問い掛けた。




「どうですか?誕生日を迎えて」

「えー?」

「隆ちゃん、ロウソク溶けちゃうから早くね!」

「ちょっ…ーーーうん、と。」

「うん」

「ーーーそうだな。…じゃあ、いつかね?」

「うん?」

「ーーー愛に満ちた歌をーーーーーー歌いたいな」





ーーーシン…。
静まる部屋。
そして…




「愛」

「愛に満ちた」

「ーーー歌」

「愛の歌」



当の本人は、えへへ。照れくさそうに笑う。
実に隆一らしいと思いながらも。
メンバー達はいつかのそんな光景を想像した。

隆一ならきっと。
その頃には、もっともっと。
心も身体も大人になって。
歌声も、色を増して。
辺りを一気に魅了する愛の歌を歌うのだろうと。
その歌声は。
きっとどこまでも届くのだろうと。









「りゅーうちゃん」

「イノちゃん」

「ケーキ美味かったね」

「うん!どうもありがとう、ホントに嬉しかったよ」






帰り道。
一緒に帰ろうと言ってきたイノランと、隆一はのんびり夕焼け道を歩いていた。

てくてくてく

イノランとは、どこか似ているところがあると思っていた。
好きなものも、ステージ以外では実は穏やかなところや。
そのくせ音楽には熱いこと。

一緒にいて、心地よかった。





イノランは、ごそごそとポケットを探ると。
小さな赤いリボンのついた包みを隆一に渡した。
手のひらにのるくらいの、だ。




「俺に?」

「誕生日だからね」

「ーーーイノちゃん」

「気に入ってくれたらいいな」

「そんな、気に入るよ!ありがとう」



かさかさと開けると、小袋から出てきたのはヘアアクセサリーだった。ビロードの黒いリボンのついたヘアゴムは、腰まで届く隆一の髪を束ねたらよく似合った。




「ごめんね、今はこんなんで」

「なんで?嬉しいよ!イノちゃんありがとう」

「ーーーでも、いつかね?」

「ん?」

「今日、隆ちゃんも言ってたじゃん?いつか…って。俺も大人になって、いつかって思ってる事あるからさ」

「そうなの?なになに?」

「ーーーだめ。まだ教えない」

「ええー?イノちゃんのケチ」

「楽しみにしててください」




むぅ…と、膨れる隆一を微笑んで見つめながら。
イノランは心の中で、密やかに呟いた言葉があった。






〝君の歌声は、どこまでも届いて。
遠く、高く。
空の果てまで。
透き通って、力強くて、甘やかで…

こんな歌声は、知らなかった。
この歌声に出逢えて。君の隣にいられる事が、奇跡に思えた。
生涯、ただひとりの歌声を選ぶとしたら。
俺が選ぶのは間違いなく。

隆…。君の歌声だ〟




(ーーー隆ちゃん、好きだよ?…まだまだ、この気持ちは言えないけれど)


(俺も、いつかーーーーーーー)






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