長いお話・2 (ふたつめの連載)
ライブ本番を迎えるメンバー達は、それがどんな状況であれ、準備も意気込みもいつもと変わりは無かった。
ひとたびステージに上がれば、ただ。
音楽を愛して、音楽に身を沈めるだけだ。
「イノ、いる?」
スギゾーがコーヒー缶片手に楽屋に顔を出した。
忙しく動き回る数名のスタッフの中で、ギターを抱えてソファーにひとり腰を落ち着けているのはイノラン。
その様子は準備万端で。メイクも衣装も、お馴染みの片方に垂らした長いエクステも健在だ。
現れたスギゾーも、準備は完璧。漆黒の衣装を着こなして、持っていた缶コーヒーをイノランに手渡した。
「サンキュ。スギちゃん支度完璧?」
「イノもね。ーーーすっげえ、今回の衣装気合い入りまくってるよね」
「スタッフ達も何か…感じ取ってるんだよ。きっと」
「ああ、この事態の」
「うん。…皆んなは全然事情なんて知らないわけだし。だからこそ…じゃないかな。何かこうゆう時って、いつもと違う力みたいのが湧いてくるじゃん」
「…ああ」
「ーーーわからない事。この暗闇を取っ払いたい、打ち勝ちたいって、無意識にも思ってるんだと思うよ。…まあ、俺らメンバーが退かない姿勢だから、怯めないっていうのもあると思うけどさ」
「ははは、」
「ルナシーに関わってしまった者の宿命…って感じで」
「共同隊」
「そうだよ。同じ釜の飯を…って」
「いいね」
「いい?」
「そうだよ。皆んなで作り上げるライブって感じじゃん」
「うん」
黒服の二人のギタリストがニンマリと笑う。いよいよ最終局面にも関わらず、こんなのんびりしたひと時が過ごせるのは、間違いなく共にいてくれるスタッフ達のお陰でもあるのだ。信頼やこれまでの経験を一緒に積んできた彼らと共に臨むライブだからこそ、肝を据えて暗闇を睨む事ができる。
「隆は?」
「ん?」
プルトップを弾いて、コーヒーをひと口飲んだイノランに。スギゾーは辺りを見回しながら訊ねた。
メイク台にも、鏡の前にもいないヴォーカリストの存在に。…今日の、要となる彼の姿が見えなくて。スギゾーは少しだけ神妙な顔をした。
「隆ちゃん、さっき衣装チームに呼ばれて行ったみたいだけど。多分まだ向こうにいると思うよ」
「…そっか」
「うん」
「ーーーそっ…か」
イノランの言葉に、ふぅ…っと肩の力を落としてソファーに深く沈んだスギゾー。
その表情には、柔らかな安堵と。隠しきれない憂いが混じっている。
イノランはそんなもうひとりのギタリストに、唇の端を意地悪く歪めた、愛嬌ある微笑みを向けた。
「…なに。スギちゃん心配?」
「…ん?」
「隆ちゃんのこと。心配?」
「ーーーーー…そりゃあ…そうだろ」
「ーーー」
「心配だよ。心配に決まってる。ーーー頑張って気丈に立ってる隆の手前…言わないけどさ」
「ーーーうん」
「…俺ら三人は、途中から知ったからさ。…今回、こんな事になってるって事。世界規模、地球規模。…もしかしたら知らないだけで、もっと広い規模の問題なのかもしれない。…それがさ」
「ーーーーーん」
「隆が、いつの間にか巻き込まれてて。渦中にいて。ーーーどんなに怖かったか…とか、不安だったか…とかさ。考えれば考える程、可哀想…ってゆうかさ。堪らない気持ちになるよ」
「ーーーうん」
隆一を大切に想うのは、他のメンバーだって同じだ。
ーーー欠けてはならない。星形の一角だから。時には歪な星形になったり、輝きが失われそうになったりした事もあったけれど。…今ではそれは、大切な過去の話で。
様々な事を乗り越えてきた、このルナシーという星形は。
明滅しながら、今は絶えることなく輝いている。
世界を侵食する、この暗闇を。
眩く照らすのが運命のように。
しかしこんな未踏の出来事に放り込まれても、その星形の一角が輝きを失う事は無かった。
ーーーーー星形の一角…隆一が。
スギゾーは憂いの表情から一変。
目の前のギタリストへと顔を向けると、今度は慈愛を込めた笑みを浮かべた。
「ーーーイノで、良かった」
「…え?」
「隆がさ。こんな事態に引き込まれた瞬間。…多分、隆が一番誰かが側にいて欲しかった瞬間にさ?一番に察知して、一番に駆け付けて、一番に寄り添ってあげたのが……イノで良かった」
「ーーー」
「だってさ?」
「ーーー…」
「お前なら、間違いねぇもんな」
「ーーースギ…」
スギゾーは知っていたから。
いや、スギゾーだけではなくて。
真矢もJも、それぞれ確認し合ったわけではないけれど。
わかってた。
イノランの、隆一を見る目が優しいって事。
それはずっとずっと以前からで。
本人も気付いているのか、いないのか。
それはわからなかったけれど。
それは特別な眼差しで。
特別な、愛情のこもった視線で。
「ーーー本当に、良かったよ」
イノランという存在が、恐怖の淵に立たされた隆一を繋ぎ止めた事実。
隆一が恐怖で色褪せる事なく。結果、星形の輝きを留める事ができた事実。
「ありがとう、イノラン」
スギゾーは。
照れくさそうに視線をずらしたイノランに。
今度は晴々とした声で、感謝を告げた。
スギゾーとイノランが控え室で顔を突き合わせていた、同じ頃。
空を覆う真っ暗な闇は、世界の空を塗りかえてしまっていた。
世界各国。明けない夜と、陽の射さない昼間の空に。どのテレビ局も、それに関するニュースでもちきりで。
一部の場所では、この事に対する情報の少なさから、説明を求める人々の波によって。一触即発な事態に陥っている地域もあるという。
ーーーしかし、それも仕方がないのかもしれない。
情報が無い。
原因もわからない。
何よりも。
日々、当たり前のように空に在る太陽。
その生命力溢れる暖かさを、肌で感じられなくなってしまうという事は。
理屈や理論では無く、ごく自然な事として。人々を不安の底に突き落としてしまう理由として、充分なのかも知れない。
そんな中。
SNSを利用して、世界中に拡散した、とある画像。
初めは音楽ファンから。そしてそれらを繋ぐ、エンターテイメント、ファッション…。さらにはその先に繋がる、社会、自然、生活環境…
様々な業界、分野にどんどん枝分かれして、あっという間に世界中に広がった。
ある一通の招待状。
真っ白な封筒をイメージした画像の表書きには。
青空を彷彿とさせるような、明るい青色の華奢な文字で。
こう書かれていた。
〝空を見上げることを、諦めないあなたへ〟
たった一行のメッセージ。
そしてその下に月のロゴ。
そんなシンプルな画像。
悪戯か?と思える様なシンプルさ。
しかしその発信元を辿ると行き着くのは、あるバンドのオフィシャルサイト。
黒をイメージさせるそのバンドのサイトデザインが、今は白を基調としたものに変更されていて。
今、世界を覆う真っ暗な闇に立ち向かうような、白いデザインを見て。
そのバンドのファンのみならず、このサイトにまで辿り着いた人々皆んなが。
その招待状のメッセージにあるように、空を見上げたのだ。
何処かへ行く途中に立ち止まった空を。
窓からの空を。
大切なひとと肩を寄せ合って見た空を。
…確固たる確信もないのだけれど。
僅かな…ほんの微かな希望を見出したくて。
…………………
「月ロゴを開くと、今日のライブステージの静止画に映像が切り替わります。ライブで新曲の演奏が始まる直前に全世界配信が始まるようになっています」
ノートパソコンを目の前に、楽器隊四人はスタッフから説明を受けていた。
実際に操作して見せてくれる映像に、メンバー達は感嘆の言葉を洩らした。
「よく作ったね。この直前で」
「いいね。すごくメッセージ性があるよね」
「みんな見てくれるといいな」
「つか、アクセス数すごいんでしょ?」
「はい、もう…すごい勢いで」
「そっか」
「…皆んな…同じなんだよな」
「ああ」
「わかんなくて、不安で」
「そりゃそうだよな。…だからこそ…だよな」
「この新曲やる事で。…いい方向にいけばいいな」
この曲の真意はもちろんあるけれど。
それだけじゃなくて。
新しい曲を聴く時のドキドキ感とか、恐れや不安に囚われずに演奏し、歌う姿に何かを感じて貰えれば…と。
メンバー達は、思わずにいられない。
「ーーーさあって、そろそろ時間か?」
「はい!今日は時間押しもほぼありません。客席も…こんな状況にも関わらずたくさんの方々がーーーーー」
「お待たせー!」
スタッフが言葉を言い終わる前に。
楽屋のある通路の向こうから、ぱたぱたと駆けて来る人物。
その通る声は、メンバーだけでなく作業中のスタッフ達をも振り向かせて。
さらにその人物の姿に、ほぅ…っと目を見張る面々。
衣装の調整があるから、仕上がりに少々時間が掛かると言われていたメンバー達だったが。
漆黒の衣装でキリリと纏まった四人の元に駆け寄ったのは、その対極の、純白の衣装に身を包んだ隆一だった。
「ーーー隆」
瞬きも忘れるくらい見つめてしまうのは、仕方ないことだろう。
濡れたような黒髪は、襟足のところで緩やかに跳ねる。前髪は無造作に額を隠して、少々長めのサイドの髪は、くるんと内側に頬の端にかかる。
その黒髪に映える衣装は純白のケープ付きロングコート。
彼が動く度に胸元や袖口のラインストーンがきらきらと瞬いて、コートの裾がひらりと揺れた。
今現在の全てを忘れて、対象のものに見惚れるという行為は。案外、難しいものだが。
これからライブだと言う事も、そのライブがいつもと違う大きな意味を持つ事も暫し全員が忘れて。
ただただ、目の前まで駆け寄って来る。今日の要となる彼の…特別仕様の姿に。
四人はじっと、見つめ続けてしまう。
「お待たせ!」
「…隆」
「うわ、やっぱり皆んな格好いいねぇ!衣装スタッフが皆んなのもヴァージョンアップさせたって言ってたから楽しみにしてたんだ」
「…そっか」
「俺のもね、今日のファイナルの為に急遽制作してくれたんだって。時間が全然無かったのにすごいよね!…上手く着こなせてるといいんだけど」
両手を広げて、くるくると身を翻す隆一は。嬉しそうに笑顔が隠せないようだ。
今日の為だけに用意してくれたスペシャルな衣装。さらに、そこに込められたスタッフ達の想いも知ったから尚更なのだ。
「隆、すっっ…げえ似合ってる」
「ホント?スギちゃんも格好いいよ!皆んなも似合う!ファンの子も皆んな喜ぶね」
「いやぁ、隆ちゃん純白!似合うなぁ…。花嫁さんみたいだよ」
「ええ⁇」
「おいおい真矢くん…。隆がヨメって」
「え〜?だってさJ、別に冗談じゃないもんさ」
「違うの?」
「もちろん!ーーーな?イノ」
「え、」
真矢は傍らにいたイノランの肩をポンっと叩いた。
先程から一言も声を出さずに、じっと視線を一点から逸らさないイノラン。
その視線の先にいるのが隆一で。目が離せなくなってしまったイノランの心情を真矢はすぐに理解したのだ。
メンバーの皆さんは、個別と集合の撮影をするのでステージ袖に集まってくださーい!
スタッフの掛け声で会話は終了。
スギゾーを先頭に、撮影スタッフのいるスペースまでぞろぞろと移動する。
…その途中で。
一番後ろから付いて歩く隆一に歩速を合わせて。
イノランは隆一の隣に並んで、ゆったりとした足取りと口調で言った。
「ーーー隆ちゃん、似合うよ?」
「…イノちゃん」
「びっくりした」
「え?」
「綺麗で、可愛くて」
「っ…」
「ーーー見惚れた」
隣同士で、フッと重なる視線。
優しげに目を細めるイノランに、隆一は微笑んだ。
「イノちゃんもね?」
「ん?」
「ーーー素敵だよ」
無意識に伸びた手は、互いを求めて彷徨って。
一瞬だけ触れ合った指先は、すぐに離れた。
「イノちゃん」
「なに?」
「ーーーうん」
「ん?」
「ーーーん…やっぱ、なんでもない」
「…そっか?」
「うん」
隆一は、はにかんで首を振った。
なんでもないと言った、言葉の裏には。
きっとこれまでの日々の、溢れるような想いがあるのだろうが。
イノランは敢えて聞き返さずに、言葉だけを受け止めた。
それでいいと思ったから。
だってここからは。
最後の決着がつくまで離れるつもりは無いから。
隆一が何を想おうが、関係ない。
丸ごと受け止めて、側にいるだけだ。
「隆一さん、イノランさんも中央へ」
撮影スタッフに促されてスギゾー、真矢、Jに囲まれた中央に二人並んだ。
黒服の中に、隆一の白が映える。
漆黒と純白。
まさにそれは、今の世界の空を表すようで。暗闇の中に、ひとつの光を見出して。光は暗闇を突き放すのでは無く。
手を差し伸べて、手を取り合って。濁った暗闇を、綺麗な暗闇に導くのだ。
「押し時間はナシです!撮影が終了したら、スタンバイお願いします‼︎」
慌ただしくなるステージ袖。
スタッフ達の誰もが恐怖と不安を抱えながらも居るけれど、それは胸の奥にしまって。やるべき事を全力でこなして。
今日これからのステージを、待つ。
何が起こるのかわからないけれど、音楽と共にこれまでの様々を乗り越えてきた彼らなら、何かが起こせるのかもしれないと。
信じているから。
音楽のチカラ。
それは全世界共通の。
いつもの光景だ。
円陣が組まれる。
手と手を取り合ったメンバー達は、隆一を見つめる。
隆一は穏やかな表情で、口元には微笑みさえ浮かぶ。
「大切に歌うからね」
「皆んなでまた、青空を見上げられるように」
「ーーーだから」
「だから皆んな、無事でいて」
「当たり前!」
「決めようぜ」
「今日で」
「支えるから、隆」
四人の力強い言葉に、隆一はこくりと頷く。
…と同時に。隆一は胸の辺りが、急にジン…と熱くなる気がした。
(……もしかして…リュウイチ?)
最後は彼も側にいたいと言ってくれたから、きっと隆一の中で一緒に円陣を組んでいるのかもしれない。
(………一緒だよ)
一緒に全てに決着をつけようと、心に強く想って。
気合いの、掛け声を上げた。
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