長いお話・2 (ふたつめの連載)












「ーーーーーあ…」



穏やかな気持ちで目を開けた。


夜明け前なのだろうか。開いた目の前の風景は、まだ暗い部屋の中だ。

ライブの後の夜。
こんな時間に目覚めるなんて珍しい。
大抵は疲れ切って朝までぐっすりなのに。
何か夢でも見ていたのだろうか?
ーーーよく思い出せないけれど。
胸に残る気持ちは穏やかなものだ。

隆一は、数回ゆっくりと瞬きをすると、暗がりの中、周りを見渡した。




「あ…」



横を向いた瞬間に、隆一の胸が小さく高鳴った。
そこにいるのは、暗がりでもわかる最愛のひとの存在。
薄茶の髪が重力で枕に散って。その隙間から覗くのは秀麗な寝顔だ。



「ーーーふふっ」



その眠れる彼の表情を見て、隆一は密やかな微笑みを溢す。



「イノちゃん…」



ライブ後だからだろう。深く眠るイノランからは当然ながら返事は無いけれど。隆一はここぞとばかりに、その寝顔を間近でじっと眺めた。



「ーーー普段はこんなじっくり見られないもんね」

「ーーー」

「イノちゃんに見つめられたら、目逸らしちゃう」

「ーーー」

「ーーーーーー……」




こんな風に、一緒に眠る夜を。
あの日から幾つ過ごしただろう。



「……」



隆一はそっと腕を動かして、自身の左手首を暗がりの中でぼんやり見つめた。
風呂の時に外したブレスレットは、今もそのまま着けていない状態。
洗面所のアクセサリートレイに置いてある。
だから今隆一の左手首には、くっきりとした痕が見える。



「ーーー」



一時、締め付けられるような痛みに襲われた事もあったけれど、ここ数日は、無い。ただただ刻まれた痕として、隆一の手首に存在するだけだ。


ーーーこの痕は〝神様〟からのアプローチを受けやすくする受信機のようなもの。


そう、以前にリュウイチが教えてくれた。



「…あんまりにも俺たちが曲の変更しすぎて、呆れてもう色々ちょっかい出すのやめたのかな。…〝神様〟」



怖い夢も、妙な事も、手首の痛みも。
最近はパタリと鳴りを潜めた。
ーーーそうだ、それは。
曲が完成した辺りからそうだったと、思い返す。



「ーーー〝神様〟…静観してるのかな…。…それとも、もっとすごい事が待っているから…今は休んでな…みたいな感じなのかな…」




どちらにしても、この手首の痕が消えるまでは終結では無いのだ。
いまだ会った事の無い〝神様〟に、捕らえられたままなのだ。




「…ーーーーー」



やっとここまで来たのに、わからないこの先の展開に。スッと背中が冷えた気がする。
そしてそれを打ち消したくて、隆一は再び目の前のイノランを見つめた。




「ーーーーーすごいなぁ…ーーイノちゃん」

「ーーー」

「すごいよ。…イノちゃん」

「ーーー」

「どれだけ俺がイノちゃんに救われてるか…わかってる?」

「ーーー」

「ーーーーーわかってないんでしょ。…どうせさ?」

「ーーー」

「わかってなくてもいいよ。俺だけがわかっていれば良いよね?」

「ーーーん…」




ぎゅう。


「っ…わ」

「んー…」

「イ…イノ?」

「ーーーーーーくー…」



隆一の呟きの途中で、イノランは急に身動いで。あっと言う間にそれに巻き込まれる隆一。
もともと向かい合わせだった二人が、イノランの寝惚けた抱擁によってますますピッタリとくっ付いて。
イノランに抱き込まれた隆一は、もう再び眠るなんて無理というくらい、鼓動が騒がしい。



「ーーーイノちゃん…」


「ーーー」



やっぱり応えはないけれど。
無言の抱擁は、それだけで隆一を勇気付けるのに充分だった。



「ありがとう」



囁く声で、感謝の言葉を。

全てが終わったら、もっと大きな声で。
〝ありがとう〟と〝大好き〟を改めてちゃんと伝えたいと、隆一は思った。




「ーーー…ふぁ…」


そこまで思ったら、なんだかまたウトウトと眠気が戻ってきた。外を見ればまだまだ暗いから、もうひと眠りしようと、隆一は目を瞑る。



暗い夜。
暗い空。

夜が暗いのは当たり前だと目を瞑った隆一。



しかしこの空の暗さが、実は夜のそれでは無く。暗黒の機が熟した事によるものだとはーーーーー……


ーーーもしかしたら、もう。
気付いていたのかもしれない。

自分達が、既に闇に包まれていると。









「おはよ、隆」

「イノちゃん…ーーーおはよう」




抱き合ったままの体勢で、アラームによって目が覚めた。

昨夜眠る前にセットした時間は、朝の六時。
普通ならば遮光カーテンだろうが、その隙間から僅かな光が差し込みそうなものだが。
部屋の中は、まるで真夜中のように暗い。薄暗く、青い空気が充満している。

そんな部屋の中でも、イノランは無言でアラームを止めて。慌てる素振りもなく、隆一と額同士を擦り合わせた。



「ーーー暗いな?」

「ふふっ…ーーーね?」

「さすが最終決戦日」

「変なの。怖い事なのに、なんか可笑しいね」

「そりゃそうだ」

「ん?」

「だって今日はさ、特別じゃん」

「決戦だから?」

「それもあるけど、もっと大事な日。ーーー隆の…」

「あ」

「誕生日」

「!」

「笑って迎えなきゃな?」




ギッ…




「っ…イノ?」



額を合わせたまま、イノランは隆一をベッドに押し付けて覆い被さる。
背に回していた手は、隆一の指先に絡ませた。
そこまですると、暗がりでもわかる、隆一の表情。眉を下げて、目を潤ませる。

イノランはそんな隆一の反応が嬉しくて。にっこりと、満面の笑みで隆一に言った。




「今日。何があっても、どうなっても。俺はお前の側にいるから」

「っ…ーーーうん」



迷いの無い、隆一の頷きに。
イノランは隆一の首筋に顔を埋めて。そして。



かりっ…


「んっぁ、痛…」


ーーーちゅ…


「…っ…あ」



まるで吸血鬼。
隆一の首筋に歯を立てたイノランは、薄く滲んでくる血の味に、今度は唇と舌先を這わせた。



「ん…イノちゃんっ…」

「俺も付けさせて」

「?…え」

「痕」

「!」

「ーーー今日。もしも何かヤバくなった時。…思い出して」

「ーーーえ…?」

「今朝こうして、俺とくっ付いていた事」

「っ…」

「ーーーその時の痕が、隆の首筋にあるって」

「イノちゃ…」

「手首のこの痕とは違うよ?ーーー俺のはさ」

「ーーー」

「隆を愛した痕だから」



見開かれた隆一の瞳が、次第に微笑みの形に弧を描く。



「もっと」

「ーーーもっと?」

「うん、だって俺今日、誕生日だもん」

「ーーーああ」

「痛いのだけじゃ嫌だよ。ーーーもっと…」

「もっと…ナニ?」

「っ…わかってるくせにー!」

「言われたいの。隆に強請られたら、何だってするよ」

「強請っ…ーーーええ⁇」

「言って?欲しいもの、教えてよ」



こんな時の意地悪いカオはイノランのお得意だ。
隆一は直視出来ずに首をふるふると振って、それから。
照れを押し留めて、こんな時だからこそ、一番に欲しいものを。



「一番…の、言葉と」

「うん」

「…それから」

「うん。…それから?」

「ーーーっ…えっと」

「…いいよ、隆。言いな?」

「ーーーうん」

「…ん」

「もっと…気持ちいい…事」

「ーーー気持ちイイ?」

「…うん」



「ーーーん、了解」





アラームが鳴ったのに、まだ起きなくて大丈夫なのか?
そろそろマネージャーから電話が来そうだが?

ーーーそんな心配はいらない。

合わせた時刻はだいぶ早い時刻。
会場集合時間は、まだだいぶ先だ。


隆一の誕生日の朝。
きっとこうなるだろうと、こんな展開を予想して。
イノランは、早めの時刻にアラームをセットした。
そしてその予想は、やはり予想通りで。
唇を重ねて、身体を重ねて。





「ーーーっ…あ…ぁ」

「隆…ちゃん」

「イ…っあ…ぁん」

「…隆っ…」



噛み付くように唇を絡ませて、途切れ途切れの呼吸で、イノランは贈る。



「一番に贈るよ」

「…んっ…ぅん」



「誕生日…おめでとうーーーーー側にいてくれて…ありがとう。隆一」




誕生日の朝。
時間ギリギリまで、隆一はイノランに愛されて。
その身に愛情をいっぱい詰め込んで。


いよいよこの暗い空を、見つめる時が来た。











目が痛くなる程の真っ暗な空と地上に。

散りばめたいのは歌。

闇に凝り固まったモノを。

解き放ちたいのは、希望の祈りと愛情の歌で。


なにものにも負けない武器と、真っ白な翼を持つ者達によって。











ライブ会場のミーティングスペースに集合すると。既にスタッフ達は目まぐるしく動いていた。

全く陽が差さない今朝の空を目の当たりにしても、スタッフ達は怯まなかった。
恐怖はもちろんあるだろうけれど。
それは見せず。
それどころか、その恐怖を力に変換させて。

集合した五人のメンバー達が呆気にとられる程の活気で、ツアーファイナル当日のステージ上を走り回っていた。




「ーーーさすがウチのスタッフ…」

「幾多の困難を共に乗り越えて来た強者…」

「動じねえ…」

「逞しい…」

「ね!すごいね皆んな」

「俺らも…」

「負けてらんねえな」



顔を見合わせて、頷き合う。
良い時も、大変な時も、今までずっと。
こうして五人、星形を描いて、頷き合って。
乗り越えてきた。




集合してください!

スタッフの掛け声で、各々手を止めてステージ中央に集まる。
五人も楽器を置いて、真ん中へ。




「おはようございます!昨日の前段階が無かったらパニック起こしそうな朝ですけれど、皆さん今日はよろしくお願いします。今日は昨日よりも会場へ来られない方がもっと増えると思われます。空模様がこの先少しでも晴れてくれる事を願いますが、わかりません。なので昨日のアナウンス通り、既に向かっている方は受け入れて、本日もライブ配信を行います。基本的に本日の紙チケットを購入して頂いたお客様対象の配信になりますが、本日ファイナル用の書き下ろし曲…その演奏はメンバーの希望で、その曲の部分のみ全世界無料配信といたします」


よろしくお願いします!

お願いします‼


そんな言葉が飛び交う中。
それぞれスタッフに呼ばれつつも、五人は神妙な面持ちで向かい合う。



「今朝のニュースさ。…見た?」

「見たよ。海外のニュースでも持ち切りだったな」

「だって…想像以上な…」

「な」

「こんな真っ暗闇になるなんてだれも想像しねえよ」



スギゾー、真矢、Jが今朝の速報について語り合う中で。イノランと隆一は、ふむふむ…と。完全に聞きの体制だ。



「イノと隆…見なかった?」

「朝のニュース。どっこのチャンネルでもやってたけど」

「あ、もしかして寝坊した?見る暇無かったとか」



指摘されて、二人は苦笑い。
さすがに今朝の事をこんな時に堂々と言えやしないけれど。
それがなくても、もしかしたら見なかったかも…と思う。

今までを振り返れば、今日、全世界でどんな風になっているかなんて想像に易しいし。
それを見ようが見まいが、やる事は一つだから。歌うだけだから。
それならば、絶望や不安に時間を使うより。身体中いっぱいにパワーを溜め込む事に使いたかった。

ーーーその結果の、早朝のあのひと時なのだ。



「…ちょっと…色々バタバタしてて見てなかったんだけど。…今日の歌、皆んな聴いてくれたらいいなって思うよ」

「見て聴いてくれて、その時感じてくれた想いとか、気持ちとか。それが世界中で集まったらさ…それがきっと祈りみたいな…」

「なったらいいね!言葉は皆んな違っても、イイねイイね!って思ってくれたら、それが力になるんだよね」



ファイナルにして、最終決戦を目前にして。ブレない、二人の力強さに。
三人も不敵な笑みを浮かべて、もう一度頷いた。



「やるか!」

「やるしかねえじゃん」

「今日で、あの曲で決着!そんでそっから先は隆の誕生日祝いだ!」

「おう!」



「ーーーみんな」


隆一は、うっかり潤みそうになる目元をぎゅっと堪えて。
泣く代わりに。
口元に微笑みを。
改めて感謝の言葉を、贈ったのだ。



「ありがとう」








隆一さん、微調整するんで着てください!

ストレッチの合間に、そうスタッフに呼ばれた隆一。
連れて行かれたのは衣装部屋。
真っ黒な今日の衣装がずらりと並ぶ。


「隆一さん!出来上がりましたよ、今日のスペシャルな衣装!」

「あ、急に作ってくれたって」

「そうですー!めちゃくちゃ良いの出来ました!今日の新曲で絶対映えます!微調整するんで試着お願いします!」

「うん!」





初対面の、そのスペシャルな衣装を見て。隆一は瞬きを忘れた。
ハンガーに掛かって、隆一を待ち受けていたのは。
ケープの付いたロングコート。真っ白で、それはそれは美しい衣装だった。

メンバー達の漆黒に対して純白の。
そこだけふわっ…と光っているような。



「ーーー真っ白…しかも」

「わかりますか?胸の辺りとか襟元とか袖口に無色透明のラインストーンを散らしてます。きっと照明受けたら綺麗ですよ。ーーーなんか、めちゃくちゃ光ってくれたらいいなぁって、昨夜さらに増量したんです」

「ラインストーン?」

「はい。…なんかよく分かんない、真っ暗だから。少しでも光って照らしてくれたら!って」

「!」

「それから勿論、お誕生日ですしね!」




「ーーー…」


衣装に込められた願い、想い。
それを纏って、今日ステージに上がる。

隆一は。
たったひとりで困難に放り込まれたと思っていた、あの非常階段を思い出す。
一番にイノランがいてくれて、それからメンバー、葉山、スタッフ達。こんな状況でもライブを楽しみにしてくれているファン達。
ーーーそれから、隆一よりもずっと前から、この困難の渦中にいたリュウイチ。

非常階段で。ひとりで恐怖に震えてた。
でも今は、違うんだと。
皆んなでこの難局を越えるんだと。

この純白の衣装を見て、隆一は思ったのだ。






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