長いお話・2 (ふたつめの連載)












隆一があの歌を歌ってみようと空を見上げていた。その同じ頃。
リュウイチは、白い空間の隙間から地上を見下ろしていた。

刻々と蝕まれていく地上の様子は、リュウイチの表情を暗く曇らせた。
もちろん、恐ろしさからくるものでもあるけれど。
何より、この漆黒の世界の真ん中に身を置いている隆一達を憂いてのことだ。




「もう…猶予は無いな」



明日はいよいよ、隆一とリュウイチの誕生日。力が、最大限に発揮出来る日。
ふたりの誕生日が、何故今回の事とタイミング良く重なったのか。それはわからないけれど。
リュウイチは、今こそこの隙間から抜け出して。明日を迎える隆一の元へ降りていく時だと覚悟を決めていた。




「っ…」



持つものは、あのひと片の羽根。
自らの歌と引き換え、天使から譲り受けたもの。
持つ者が持った時、その者の翼となって眩く照らす…と。

きっと今頃地上では、急変した空の色に人々は不安と混乱に陥っているはずなのだ。
その最終段階に突入すると思われる、明日。人々の恐怖は更に煽られて、そして。
隆一達にかかるプレッシャーは、計り知れないものになるだろう。




「ーーーっ…」




リュウイチは、ぎゅっと拳を握り締めた。
さあ、ここから飛び降りるんだ。…と。
震える脚を叱咤して。
唇を噛み締めて。
侵食されてしまった黒と灰色の空の隙間から、ほんの少しだけ覗く、本来の青空に希望を見出して。

空間の隙間の縁に、片脚をかけて。
向こうの空へ、身を乗り出そうとした時だった。





ーーー待…テ。



「っ…え?」



ーーーオ前…ドコヘ行ク?



「ーーーな…に?…」



ーーー行カセナイ。ココニイロ。



「っ…あ、この…声」



ーーーオ前ヲ、行カセル訳ニハイカナイ。〝神〟ト、アノ者ヲ繋グ…オ前ハ…



「この…声っ…。ーーーずっとずっと…俺の頭の中に聞こえてきてた…」



ーーーオ前ハ…我ノ〝コマ〟ナノダカラ。



「ーーー…〝神様〟の…声‼」




今まで、その姿も、直接の声も知らされなかった、〝神様〟の存在感が。今、リュウイチのすぐ背後に感じられて。
今までコンタクトをとってきていたテレパシーのような、どこか希薄な存在感とは雲泥の差で。
すぐ側にいる圧迫感。
相変わらず姿は見えないけれど、見られていると肌で感じられて。
リュウイチの背筋がぎゅっと強張った。



「ーーーえ…?」


そして、目の前の空間の隙間に手を伸ばしたリュウイチは愕然とした。
ーーーそれまで手を伸ばせば、向こう側に通り抜けていた空間の隙間が。
まるで薄いガラスが張ってあるように手が進めない。
虚しく、目前で手が止まる。



「なん…で?」



ーーー行カセヌ。



「っ…ーーー!」




自分を逃がさない為の〝神様〟の仕業だと察する。
それでもリュウイチは、こんな所で足止めをくわれてる場合では無いと。
ーーー何より、たった今言われた言葉に引っ掛かりを感じて。これまでの〝神様〟に対する不満が、一気に溢れ出た。









「ここから出してよ。すぐに隆一の元に行きたいんだ」




ーーー。



「こうしてる間にも、隆一達は何とかしようって抗っているんだ!すぐに行って渡したい物があるんだよ」



ーーー…オ前



「え?」



ーーーオ前ガ行ッテ、何ガ出来ル。



「…何…って」



ーーーオ前ニ何ガ出来ルトイウノダ。…タダノ…



「ーーー」



ーーー我ノ〝コマ〟デシカ無イ、オ前ニ。



「っ…ーーー」



ーーー歌声ニ、チカラモ無ク。我ガ姿ヲ与エナケレバ、記憶トシテノ存在デシカ無カッタ、オ前ニ。



「ーーーっ…‼」



ーーー何モ出来ハシナイ。〝コマ〟トシテノ使命ヲ全ウシロ。



「ーーー」



ーーー解ッタラ…コチラへ…来…



「ーーー…けんな…」



ーーー…ナニ…?



「っ…ーーーふざけんなっ!!!!!」



ーーー…⁉





リュウイチは、ここへきて初めて。
〝神様〟相手に、激昂した。
この後に受けるかもしれない罰も省みず。
普段の物腰柔らかなリュウイチからは考えられないくらい、声を荒げた。




「ーーーあなたは何なんだっ⁉〝神様〟って何だよ⁉ひとの気持ちも何も考えないで目的の為にひとを翻弄するのが〝神様〟か⁇」



ーーー何…ヲ…言ッテイル…



「解んないなら言ってやる!あなたは解ってない‼今回の事の真の理由も、どうするのが良いのかも、何も解ってない‼あなたの作った譜面に込めたモノが何よりの証拠だ!…でも隆一達はそれに一早く気付いて、自分達でアレンジして、込める想いも変化させてあの曲を完成させたんだ‼」



ーーー…




「今この地上で…今まで隆一が…隆一達が!どれだけ頑張ってきてくれてるか。ちゃんと解ってよ…。いつだって高みから見下ろして、コマの俺を動かして…。…そこにもちゃんと…感情が存在してるって、解ってる?」



ーーー…。



一度堰を切った想いは…



「隆一に歌を歌わせる為に俺の存在が必要だったんだろ?同じ姿の俺で安心させる必要があったんだろ?姿も直接の言葉すら見せないあなたじゃ、隆一達が動くわけが無いって最初から悟ってたんだろ?ーーー俺に…」



ーーー



「俺の歌声に力が無いって…わかったから。都合良く動かせる〝コマ〟だって気付いたから…俺を…消す事もしないで」



ーーー



止まらない。ーーーリュウイチの心の奥に秘めた想いは…また…




「歌声の‼記憶のカケラの存在に…戻す事もしないで…っ…」




また、会いたいと願う。



「ーーー戻してよ…」



かえりたい。



「ーーー俺を…かえしてよ…」



ーーー



「置いてきちゃった…四人のところへ…」



ーーー



「ーーーかえりたいよ…」



離ればなれになって、初めて気付いた。
大好きなひとの元へ…



ーーー…



しかし。
〝神様〟の声に、常情は無く。

ーーー淡々と。




ーーーココニイロ。オ前ハ、我ノ〝コマ〟。動ケヌ我ノ為ニ奉仕セヨ。




「ーーー」




いまだ姿も見せない〝神様〟の存在。
その、たった今の言葉で。
リュウイチの中で、何かが弾けた。




「ーーーこの姿をもらって、良い事もありました。…隆一と…会えた事。隆一とメンバー達の絆の深さを目の前で、見られた事。…好きなひとには、ちゃんと好きって言わないと後悔するって…気付けた事」




ーーー何ヲ…言ッテイル…。



「わかんない?あなたはわからない〝神様〟なんだね。ーーー愛情とか、希望とか、影と光とかさ。今回の事だって、根本の原因はそうゆう事でしょ?そーゆうのをきっとあなたは…」



ーーー



「一番、解ってない」



ーーー



「お世話になりました。ここから出ていきます。ーーー猶予もないしね。〝神様〟に反逆した罰とかあるなら…受ける覚悟もあります。…けど、もう限界。ここにいたくない。俺も隆一と一緒に、危険の中に身を置きたい。高みからじゃなくて、そこに行って見てみたい。…そんな姿を…置いてきてしまったメンバー達に見てもらいたい」



ーーー



「あとは自分で何とかします。ーーーもし四人の元へかえれなくても…ここよりは、良い。ここで独りぼっちでいるより、きっと良い」



ーーー



「ーーー見ててください。隆一達が…俺たちが。単なる音波の拡散じゃなくてーーー音楽の力で、世界を救うのを」





ーーーッ…成ラヌ…‼






出るものは、もう溜息ばかり。





「往生際悪いと思うけど」



ーーーナンダト…。




「信じるものってひとそれぞれだと思う。困難に直面した時、幸せを分かち合う時。ーーーみんなそれぞれに、心を寄せるものがあると思う」



ーーー



「ーーーけど。少なくとも俺は…あなたじゃない。心に寄り添えない〝神様〟なんて、俺は要らない」


ーーー



「教えてあげる。俺が…あときっと…メンバーも。ーーー信じているのはね」



ーーー




「〝音楽の神様〟なんだよ」





ーーーーーッ…待…





「ーーーっっ…!!!!!」




バリィィィッ…ンンン…!!!!!!





力一杯。
振り上げた、リュウイチの拳が。
空間の隙間は張られた〝神様〟の壁を。驚愕する気配を放つ〝神様〟の前で、打ち破った。











墨汁を溢したような闇が、世界を覆う。








ライブ会場の、まだ無人のロビーで。
隆一は、空に向かって、歌った。

ロビーの窓から見える空は、日中だというのに薄暗い。闇を含んだ雲もせいか。それとも空自体が、闇を吸ってしまったのか。わからないけれど…

隆一の歌う、祈りの歌声は。
そんな闇への不安を包むように、ロビー中に響き渡った。





「ーーー…隆」



後ろから隆一を抱きしめたイノランは、その歌声の放つ心地よさに目を閉じた。


ーーーこの安心感はなんだろう?
ーーー奮い立つ感じは、なんだろう?


全部を歌ったら、二十分はゆうに超えてしまう曲だから、今は最後までは歌わないけれど。
それにしたって、この明るさに満ちたパワーは…



「ーーー…?」



イノランはふいに。
閉じた瞼の向こう側が明るくなった気がして、薄く目を開けた。



「ーーーあ」



瞼の向こう。
ロビーの窓から見える薄暗い空に。
ぴかりと輝く、ひとつの光が見えた。

ーーー星?
それとも太陽?

とても小さな光だけれど、それはとても眩くて。
イノランは思わず目を細めて空を見続けた。
目を凝らして、じっと観察して。
ようやく目が慣れてきた頃、イノランはその光景にハッとした。




「ーーー…空…が」



薄闇の中の、一点の光。
それは隆一が歌い進めると同時に五条に散って、暗い空に光の線を伸ばす。
まるで空いっぱいの、大きな星形のように。
そしてその光が触れた空が、その部分だけが。本来の今の時間帯に合う、綺麗な青空が姿を見せたのだ。




「これって…」



イノランは、ごくりと息をのむ。

隆一の歌声と共に現れた、眩い光。
それは闇を切り開いて、青空を取り戻す程の。

ーーーこれがこの曲と、隆一の歌声に秘められた力なのか?



(ーーーこれが…これが本当に歌の力なら)


(ーーーすげえよ。…隆)




すごいよ、隆。…と言おうとして、イノランが腕の中の隆一に目をやると。
当の隆一は、目を閉じて。
まるで音楽と一体となったようだ。



「隆」


ぎゅっ…と。
イノランは抱きしめる腕に力を込めて、意識をこちらに向けようと囁いた。



「ーーーもういいよ。…今はもう…止めな?」

「ーーーーーーーーー……ぁ…」

「隆?ーーー」

「ーーー…イノちゃん」

「この曲の本番は明日だ。今はこのくらいまでにしよ」

「うん…ーーー」



腕の中の隆一が、何となくぼんやりしているように思えて。ちょっと心配になって、イノランは顔を覗き込んだ。



「ーーー大丈夫か?」

「うん。ヘイキ」

「ん。ーーー」

「イノちゃん」

「ん?」

「ーーー良かった?」

「ーーー当たり前だろ。歌ったの、ほんの一部だったけどさ。…ヤバいよ」

「ヤバい?」

「鳥肌立った。隆の歌声、心地よくて。ーーーそれにさ。…見てみなよ」

「え?」

「ーーー空」




イノランに促されて、隆一は窓越しの空を見上げる。
その空を見た途端、見上げる隆一の瞳が、潤んで見開かれて。
大きく吸い込んだ呼吸も、吐き出すのを忘れたように空に見入った。




「ーーー青…空…?」

「ああ。ーーーあの光の帯…隆が歌い始めて、現れたんだよ?」

「っ…ーーーじゃあ、ホントにこの歌で?」

「ーーーできるかもしれない」

「っ…ーーー」

「…かも。じゃない。明日、きっと。できるさ」









隆一の歌の影響で。
昼頃には、だいぶ空の様子も回復したように見えた。

今日のライブをどうするか。
スタッフ達は、なかなか最終判断を下す事が出来ず、ミーティングを続けていた。

今まで様々な天災に見舞われて、それでもそれを乗り越えてライブに臨んできたルナシーだけれど。
今までのそれは、原因が明確にわかっているものだったから。
…しかし。
今回のこれは、原因が全くわからない。
だからこそ悩むのだ。

メンバー達は。
そんな悩み焦るスタッフ達を見て気を揉んだ。
ーーー出来ることなら原因を教えてあげたい。その上で、明日のライブであの曲を演るのだという事も。

ーーーしかし…。



スタッフ達の様子を静かに見守っていた隆一が、四人のメンバーに向かって言った。




「今回については、最終ジャッジは俺たちが主導でする必要があると思う」

「ーーーああ」

「俺たち以外、誰も知らないもん。ーーー知ってる俺たちが決めてあげないと皆んなは困るだけだよね?」

「ーーー言って、ダメだって言われても…演るしかないんだけどな」

「まあ、そこは。…何とかね?説得して」

「お客さんの事も、イノと隆がさっき席を立ってた間に三人で話してたんだけど…」

「え?ーーーうん!」

「今日は幸いにも、空が回復してきたから…出来る…と思う。もうここに向かってる人は受け入れる。逆に来れない人は、こんな事態だから無理して来なくても良いように、今日明日ライブ配信を同時にする」

「配信!」

「そう。急だけど…出来なくは無いだろ?それから…」

「え?」

「明日のあの曲の演奏部分だけは、無料で世界中に配信できないかなって」

「!」



三人の提案に。
イノランも隆一も目を丸くした。そしてそんな二人に、スギゾーが問う。



「あの曲を、どうしたい?」

「え?…どう…って」

「さっき隆が少し歌った事で、あの曲に秘められた力は知る事ができた」

「ーーーうん」

「その曲を、明日、どう活かしたいか。歌うだけ?聴かせるだけ?…それとも」

「一緒になりたい。明日あの曲を聴いてくれた皆んなと」



キッパリと。
隆一は言い放つ。

そう。
あの曲を作り上げながら、隆一がずっと思っていた事。


何かを好きだと思う気持ちは、ひとつに集まれる。
…負の感情が、引き合って纏まるように。逆も然りなのだ。


音楽が好き。
この曲、あの曲、あのアーティストが好き。
この楽器が好き。
あの会場が好き。
集まる仲間が好き。
始まりのワクワク感が好き。
アーティストが…ステージに上がる瞬間が堪らなく好き。
最初の一声、歓声、熱気、一体感、多幸感…
また会おうねって、約束。

ーーーそれはきっと世代も国も言葉も超えて。

大きなパワーが生まれる瞬間なのだ。




「皆んなの力も、届けてほしい」






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