長いお話・2 (ふたつめの連載)







その夜。


隆一は夢を見た。



そこは、ライブのステージ。
ライトに照らされて、隆一はひとり。
マイクの前に立っている。

しかし辺りを見回しても、誰もいない。
ファンも、スタッフも、勿論メンバーも。
ただ隆一の周りには、姿は無くとも、その持ち主達の楽器のみが並んでいた。
ルナシーも。
ソロも。
トゥールビヨンも。

隆一に関わる、全てのひと達の楽器が。
通常ならば、あり得ないこの光景。
でも、なぜか隆一は。
この光景をどこか冷静に見つめて、こんなにたくさんのひと達と音楽を創り上げているんだ…と。どこか感慨深げに。
しんと静まり返った広い空間に、じっと立ち尽くしていた。


するとどこからか。
メロディーが流れ始めた。



「ーーーーー」


この曲は、聴いたことは無いと思った。
楽器も、何の楽器によるものなのか。
隆一は今まで触れてきた数多くの楽器を思い浮かべても、見当がつかない。



( でも…)



( なんだろう…。聴いたこと、あったかな )




知らないけれど、この曲も。この音色も。
懐かしい感じがした。
そのメロディーに、心躍る自分がいた。
そして驚いた事に。
いつしか隆一の口から溢れ出したのは。
そのメロディーに乗せた、歌だった。




( 俺……歌ってる?)



身体と意識が別になったみたいに、歌う隆一を俯瞰から見ている、もうひとりの隆一自身がいた。



( ーーー何を…歌っているんだ?)



マイクの前で歌う隆一は。
その歌を知っていたように、気持ち良さそうに歌う。
ーーーしかし、その歌詞は。




( 何処か知らない、外国の歌?)



俯瞰から見る、隆一。ーーーーー意識体の隆一には、マイクの前の隆一が一体何の言葉を歌っているのかが解らなかった。
解らないけれど、浸り切って歌っている事が、意識体の隆一にも伝わってきた。同じ隆一、自分自身の事だから。




( ーーーーーーっ…え…? )




歌う自分自身を眺めながら、隆一はある事に気付いてハッとした。



( なんか…薄くなってきてる? )



歌う隆一の周りに並ぶ楽器たち。
それらが、だんだんと。
存在が希薄になり始めたのだ。



( なんで…⁇ )



始めは確かにそこにあった楽器。
手を伸ばせば、触れられる。
ーーーなのに、隆一が歌い出した頃からだろうか。
まるでノイズの混じった立体映像のように、不完全で、厚みを感じられない楽器に姿を変えてしまった。



( ーーーーーーーっ…)



歌のせいだと、直感で感じとった隆一。歌う隆一、自分自身に必死に訴えかける。

歌うな!
その歌を今すぐ止めろ。
周りを見ろ。
お前の大事なひと達の、大切な楽器が消えてしまう。
それが無くなったら、もう一緒に音楽が出来ない。
彼らの音色を聴くことが叶わなくなってしまう。
一緒にいてくれる事が叶わなくなってしまう。



夢の中の事なのに、焦燥感が酷い。
叫び出しそうになる。
いや、もう。叫んでいたのかも知れない。

マイクの前の隆一が、ゆっくりと視線を寄越す。
重なった眼差しに、隆一はぞっとした。


歌っていた隆一の瞳は。
何も映さない。
透明なガラス玉のような瞳だった。









「ーーーーーっ…‼‼」




がばっ!…と。
隆一は勢いよく覚醒した。
掛けていた布団を跳ね除けて起き上がった上体は、息荒く肩が上下する。




「ーーー夢…」



どくどくと鼓動が鳴っている。
隆一はそっと自分の胸に手を当てると、はー…。と、長いため息を吐いた。



「ーーーーー良かった…夢で」



誰もいないステージ。
知らない歌を歌う自分。
薄らいでゆく楽器たち。
ガラスのような瞳の自分。




「ーーー良かった…」



夢で…。と、もう一度呟こうとして、隆一はハッとして口を噤む。


ーーーーー夢?

ーーー本当に?

ただの夢?




咄嗟に隆一は左手首に目線を移した。
イノランがくれたブレスレットに隠れているけれど、確かに存在する不気味な痕。

あの変な出来事。
あまりにインパクトが強い出来事だったから、こうした妙な夢を見たのかもしれないが。
しかしこれは、あの出来事の当事者としての揺るがない勘というのだろうか。
確固とした確信があった。



あの出来事と、今の夢。
あの歌。
無関係では無い。


それにあの歌う自分は。
あんなのは自分じゃない。
なにも感情の無い、あんな目をして歌うのは。
あんなおかしな空間で、たったひとりで平然と歌える自分は。




「俺じゃないっ…」




感情をたっぷり映した瞳で。
濡れるほどの情感と、歌う事への愛情を持って。
最高のメンバーたちと一緒に。

それはソロであれ、なんであれ。
隆一の歌うことへの変わらないもの。

だから許せなかった。
夢の中の自分が。




「あんな俺は…」




隆一はベッドの上で、膝を抱えて首を振った。




「俺じゃない」




そう…まるで。
感情のない、歌う人形。


震える隆一の指先が、無意識にブレスレットに触れていた。











「おはよー隆ちゃん」



翌朝。
隆一が朝食を摂りにレストランに向かうと、そこには既にコーヒーを啜るイノランがいた。
にこやかに手招きしてくれるイノランの元へ隆一は迷わず足を進めると、向かいの席に腰掛けた。

顔を上げると緩やかな微笑みを称えたイノランがいて、隆一は心からほっとして肩をおろした。



「おはようイノちゃん」



「ーーーーー隆ちゃん…?」

「ん?」

「ちゃんと…眠れた?」

「…え」

「疲れてるってゆうか、眠そうな顔してる」

「ーーーーー」

「ーーーーーーーー眠れてない?」



隆一の無言の返答で察したのか。
イノランは眉を顰めて、声を潜ませて隆一の顔を覗き込んだ。



「なんか…あった?」

「ーーー……」

「ーーーーーーーーーー隆ちゃん」



イノランの目が、ちゃんと話してと催促しているのがわかる。

ひとが言いたくないことを無理に聞き出そうとする事は、常のイノランならしない。
ーーーでも、今隆一が抱えている問題が、昨日の妙な事絡みだっていうこと。
イノランもまた、直感で感じたのだろう。
話すまでは許さないという視線がビシビシ伝わって来て。
隆一は苦笑いを零してつつ、あのね…と、夢の話をイノランに聞かせた。








隆一の話を聞いて。
しばらく考え込んで俯いていたイノラン。
顔を上げると、困ったように微笑む隆一が、イノランをじっと見ていた。




「ーーーその後は寝付けなくなっちゃって…」



なんか…夢の続きを見そうで……と。
隆一は掻き消えそうな声で呟いた。




「……」



言葉に出さないだけで隆一が恐怖を感じている事が、イノランにはすぐにわかった。
あんな事があった直後の妙な夢。
構えてしまうのも無理は無いと、イノランはまた眉を寄せた。

今夜もまた隆一は夢を見るのだろうか?
暗闇の中でひとり、膝を抱えて朝を待つのだろうか?

そう考えたら堪らなくなって。
イノランは次の瞬間、俯き加減の隆一の頭をぽんぽん撫でながら言っていた。




「俺のところにおいで」

「…え…?」

「夜。ーーーまぁ、俺が隆ちゃんのところに行ってもいいけど。とにかく、このよくわかんない事が落ち着くまで。一緒にいよう?」




呆気にとられた隆一の前で、イノランはにこにこして隆一の頭を撫で続ける。



「イノちゃん…」

「変な夢で起きちゃってもさ、隣に誰かがいるだけで安心感がぜんぜん違うと思うよ」

「ーーー…」

「な?」

「でも…」




嬉しかった。
イノランの気持ちが。
一緒にいてくれたら、どんなに心強いだろうと思う。

しかしそれと同時に、いいのかな…と一歩引いてしまう思い。
イノランがひとりの時間を大事にしていることは知っている。
ツアー中だって、愛用のキャンドルに包まれてリラックスした夜を過ごしていると。
その時間を邪魔してしまうんじゃないか…と。申し訳ない気持ちが込み上げる。
するとイノランは、隆一の胸の内を読んだように悪戯っぽい目で言った。




「隆ちゃん遠慮してるでしょ」

「っ…!」

「隆ちゃん気遣いだから。俺がいいって言ってんだからいいんだよ」

「イノ…」

「眠れなくて歌えなくなったら、それこそだめだよ。隆ちゃんだってそんなの嫌でしょ?」

「ーーーうん」

「じゃあ、来なさい。俺は隆ちゃんを守るナイトだって、忘れてないよな?」

「ーーーうんっ」

「ん!」

「イノちゃん、ありがとう」




さっきまでの不安で揺れていた気持ちが嘘のよう。イノランがブレスレットを着けてくれた時の気持ちと似てる。
あったかくて、嬉しい。
急にイノランと目を合わせるのが恥ずかしくなって、微笑んで誤魔化した。





















一日目のライブを無事終えて。
あともう一日ライブをして、その日の内に東京へと向かう。
明日はライブ会場からそのまま発つから、朝食を摂ったらもうこのホテルには戻らない。
隆一は帰り仕度をしながら、ふとテーブルに置いた数枚の紙片に視線を向けた。
ーーー例の楽譜だ。

そっと近づいて、その譜面に目を移す。



「……」



やっぱり、読めるどころか。意味もわからない。
音符とはまるで似つかない記号。
五線譜には乗っているけれど。




( うーん…)



何か宗教的なものなのだろうか?
それとも、どこか遠い国の独自の音楽の記号?



( ぜんぜんわかんないや )



考えれば考えるほど訳が解らなくて、頭がごちゃごちゃになりそうで。
隆一は紙の束を再びテーブルに置くと、部屋の電気を消して、カードキーと枕を持って。
寝間着にカーディガンを羽織った姿のまま部屋を出て行った。













隣の部屋の前で、隆一は足を止める。

イノランの部屋だ。


事態が落ち着くまで一緒にいようと言ってくれたイノラン。
今日のライブの終わりがけシャワーに向かう隆一に、ちゃんと来るんだよ。と、念を押したイノラン。

思わず溢れた嬉しい笑み。
あとでいくね、と手を振ったのは数時間前の事だ。


そうして訪れたイノランの部屋。
部屋のチャイムを鳴らすと、は~い。という呑気な返事と共にイノランが顔を出した。




「いらっしゃい隆ちゃん」

「お邪魔します」



挨拶と共に足を踏み入れたイノランの部屋。すぐにふんわりといい香りに包まれる。




「いい香り。…イノちゃんに染み込んでる香りだね」

「あぁ、アロマキャンドルね。そこ、テーブルに一個あるよ」

「ホントだ。ーーーいい匂い…」

「隆ちゃんもおんなじ匂いになるよ」

「え?」

「だってそうじゃん?夜を共にするんだからさ」

「ーーーっ…」

「ん?」




急に顔を真っ赤にして視線をずらした隆一に。イノランは訝しんで首を傾げる。




「ーーー今の…言い方」

「え?」

「ーーーーーーいいっ なんでもない」

「……」

「イノちゃん、ね⁉ もう寝よ!明日もライブあるし」




必死に取り繕うかのように慌てた様子の隆一。
さっさとソファーの上に持ってきた枕を設置し始める隆一を見て、イノランはまた首を傾げて言った。




「何してんの?隆ちゃん」

「え?ーーー何って…就寝準備」

「ソファーで寝る気だったわけ?」

「ーーーだって、ベッドひとつしか無いでしょ?」

「一緒にベッドで寝ればいいじゃん」

「えっ?」

「俺と隆ちゃん、そんなにデカイわけじゃないから、一緒に寝ても問題ないっしょ?」

「っ…そ…だけど」

「ずっとソファーで寝る気?ダメだよ、身体おかしくなるよ」


だから早くおいで。と、手を差し伸べるイノラン。
まさかこんな展開になるとは思ってもみなくて。隆一は何も言えずに口をぱくぱくさせるだけだ。
そんな隆一の姿を見て。
イノランは急に声のトーンを落とすと、沈んだ表情で言った。




「ーーー俺と寝るのイヤ?」

「っ⁉」

「…やっぱ強引だったかな」

「え?…そ…んな事っ…」

「ごめん…」

「イノちゃ…」

「ごめんな?」



「ーーーーーー違う!違うからっ !」




イノランを悲しませてしまったかと。隆一は慌てて手を振って否定する。




「イノちゃんと一緒に寝るのが嫌とか違うから!イノちゃんが俺にいっぱい気を遣ってくれて心配してくれて、嬉しいの!でもせっかくのイノちゃんのリラックスタイムを邪魔して悪いなって思ったり、よくわかんないけどイノちゃんが優しくしてくれる度に嬉しいって思って、ホントにわかんないんだけど…どきどきしたり、イノちゃんにどきどきするって何でなの?って思うけど…。でもイノちゃんが嫌だとか、そんなの絶対ないから‼イノちゃんの事大好きだし、このブレスレットもすっごくすっごく嬉しかったし、御守りみたいに思うし、イノちゃんがいなかったら…ってゆうか、あの時助けてくれたのがイノちゃんで良かったってゆうか…すごく自分本位でヤな奴って思うけど、イノちゃんが守ってくれるって言ってくれたの、ホントにホンットーに嬉しかったんだよ!」



一気に捲し立てるように言い切った。…いや、恥ずかしくて言わずに秘めておこうと思っていた事まで、勢いで告白してしまった隆一は。
じっと隆一を凝視するイノランの視線を受けて、やっとハッと気付いて。
襲い来る、猛烈な恥ずかしさと居たたまれなさに耳まで真っ赤に染め上げて。
ソファーに置いた枕に顔を埋め込んで、部屋の隅のカーテンの中に隠れてしまった。




「……」

「……っ …」

「ーーー」

「っ…」

「ーーーーーー隆ちゃん」

「っ っ!」

「りゅーうちゃん」

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーなに?」

「でておいで」

「ーーーーーーー今、ムリ」

「なんで?」

「ーーーーーーー恥ずかしい…」

「ふぅん?」

「……」

「ーーーーーじゃ、わかった。俺先にベッド入ってるから、落ち着いたらおいで」

「……」

「わかった?ちゃんと寝ないと、明日歌えないよ」

「ーーーーーわかった」

「ん。じゃ、電気消すよ」

「…うん」




フッと部屋が薄暗くなって、ベッドサイドの灯りだけが薄く灯る。
イノランはベッドに横たわると、そっとカーテンの隅に意識を向けた。

ーーーゆらゆらとカーテンが揺れている。それがまるで、揺れる隆一の心そのままみたいで、イノランは僅かに口元を綻ばせた。

ひと息であれだけの台詞を言い切れる隆一に流石ヴォーカリストだと感心するのは。イノラン自身も、隆一の告白に揺れる気持ちを落ち着けるためだ。

一気に聞かされた、長い台詞の中の随所随所に込められた、隆一の本心。
隆一の手前、なんでもない振りをしたけれど。

嬉しくない筈がなかった。



( なんの下心も無く、お前に手を差し伸べたとでも思っているのか?)



隆一と特別な仲になりたいという願い。イノランはずっと前から、その想いを抱いていた。
歌声はもちろん。隆一本人も、好きだった。
だからと言って簡単な事ではない。
同性同士、メンバー同士、親友同士。
伝えてしまって、壊れるくらいなら。想い続けるだけで幸せだと思っていた。


それなのに。
さっきの隆一の言葉。
いい終わりのあの慌てよう。無意識で言ってしまった事かも知れないけれど。ーーー無意識だからこそ、本心なのだろうけれど。

その言葉の端々に溢れていた。
イノランといられて嬉しい、一緒にいたい…と。

あの出来事の場に居合わせたのは偶然かもしれない。でも偶然だろうと必然だろうと、イノランは隆一を守ると決めた。それを盾に隆一につけ入ろうとは思わないけれど。

見せて欲しいと思った。
まだ知らない、隆一の全部を。






ペタペタと、隆一の足音が密かに聞こえてベッドの前で止まった。
逡巡している気配が漂って、しばらくして。
そっと布団の端から、幾分温い隆一の足先が入ってくる。
横たわる、隆一の身体の感触を感じて。イノランは身動いで隆一の方を向いた。
薄暗闇でもわかる、恥ずかしそうな顔。こんなに近くで添い寝なんて初めてで、イノランは平静を装って囁いた。




「落ち着いた?」

「ーーーーーん」

「ーーなんかあったら、起こしていいからな?」

「ん…ありがと」

「おやすみ」

「おやすみ」



すう…っと、隆一はすぐに目を閉じて、おさまりの良い場所に身を落ち着けたようで、しばらくすると穏やかな寝息が聞こえてくる。

イノランは僅かな灯りに照らされた隆一をぼんやり見つめていたが。
手を伸ばしてベッドサイドの灯りを消すと、眠る隆一の額にそっと唇を寄せた。





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