長いお話・2 (ふたつめの連載)












地方都市での最後のライブを無事に終えて帰ったのは、五月も中旬の汗ばむ程の日差しの日だった。

午前中の喧騒の中、新幹線を降りた五人は、ホッとひと息。
約二ヶ月かけて日本中を回ったこのライブツアーも、ようやく最終地点へと辿り着けたから。




「あっ…ちぃなぁ」

「ね。向こうは今朝も涼しかったもんね」

「もう初夏?」

「まだ五月だよ」

「隆の誕生日これからだし」




ホッとするのも束の間だ。
四日後にはいよいよこのツアーのファイナル2daysが待っている。
そして最終日の、あの…

一瞬、黒い恐怖に囚われそうになるけれど。振り切るようにふるふると首を振って、隆一は顔を上げて言った。




「俺は今日このままスタジオに寄ってく」

「え…帰って休まねえの?」

「新幹線で充分休めたもん、平気だよ。ーーー葉山っちと会ってアレンジを進めたいんだ」

「葉山君もこっち優先でスケジュール空けてくれたみたいだな」

「うん。急だったのにアレンジいっぱい作ってくれたって。それを早く聞きたいしね」

「そっか。…ん、わかった」

「無理すんなよ?」

「付いてってやれなくて悪りい」




帰ったからといっても、やはりそれぞれに仕事は待っている。
こんな事態の、最終局面。隆一と一緒に曲を完成に近づけたいのは、メンバー皆同じ思いだが。そこはもう仕方がない。出来る時に、出来る者が携わって完成させる。そう割り切るしかない。




「俺は一緒に行くからさ」

「イノちゃん」

「ここまで来たらとことん付き合うよ」



ーーーそう。それに隆一にはイノランがいる。きっとイノランにも抱えている仕事は他にもあるはずだけれど、そんな部分は微塵も見せずに。車の準備が出来たと呼んでいるマネージャーの元へ、隆一とイノラン。それからメンバー三人もそれぞれに。また連絡するからと確認し合って、この場は解散となった。











「お帰りなさい!遠征お疲れ様でしたー‼」



通い慣れたいつものスタジオ。
マネージャーの車で二人が到着すると、そこには既に葉山が待っていた。
いつものスタジオ、いつもの機材、いつものピアノ。そして、いつもの朗らかな葉山の声音。
様々な事をたくさん背負って帰ってきたせいか、そんな〝いつもの事〟に妙にホッとして。ホームグラウンドにようやく帰って来たと実感した。





「葉山っち~!急にだったのにどうもありがとう。…スケジュール無理させちゃったでしょ?」

「緊急で!って連絡もらった時はびっくりしましたけどね?何事か⁉って。でも気にしなくて大丈夫ですよ」

「葉山君ホントにありがとう。ファイナル初お披露目の曲に、どうしても葉山君のピアノも入れたくてさ」

「いや、もう。光栄で…張り切ってアレンジ作りました!…じゃあこれ、早速」




そう言って、葉山は二人にメモリーを渡して。使ってもらえたら嬉しいと微笑んだ。









夜。



隆一とイノランは、揃ってスタジオを後にした。

葉山は夕方頃まで編集作業を一緒にすると、別件の仕事があると言って先に帰って行った。




「ーーーさすがに…疲れたね」

「ハハ、まあな?俺らそのまま来たし」

「ね?…でも来ておいて良かった。葉山っちにアレンジもらって大正解だったね?」

「ーーーホント、だってなんかすげえ楽しみだもん。ファイナルでこの曲やるの」

「ルナシーと葉山っちと、音がいっぱい重なっていくのが良いね」

「時間無い中…葉山君に感謝だ」

「うん!早速帰ったら、三人にも今日作ったデータを送ろうね。三人もきっと気にいるよ」




力強く頷き合って、スタジオの前でタクシーが到着までの時間空を見上げる。
もうすっかり夜の空気。
一本表の通りは、今の時間は賑やかなことだろう。
会社帰り、学校帰り、夜の待ち合わせ、食事に行く人、買い物をする人…

隆一はフト、そんな夜の街に身を置きながら。テレビのニュースで見た、あの風景を思い出していた。



世界の四隅から侵食する、闇の風景。
生命はいない、黒い大地。
ーーーひとの負の心が創りだした、暗黒。



…ザワ…。

こんな賑やかな街にいるのに、一瞬、隆一の背筋に悪寒が走る。
隆一には、あの風景を画面越しに見た時から頭に思い浮かんでいた言葉があった。


ーーー虚無、虚空。

真っ白な面の、ぽっかり空いた何も映さない目。目と言うよりも、二つ空いた穴だ。



〝神様〟は、この特別な歌を歌えと言う。
歌で世界を浄化して、世界を救えと言う。

あの日非常階段で、訳もわからずこの事態の渦中に引き込まれた隆一。
恐怖に震えて、その中でもリュウイチと出会い。少しずつだけれど、その実態を知らされていって。遂には数日後、その決着を着けるところまできた。

具体的にどんな事が起こるのか。
その時するべき事は歌う事なのだろうが、どんな変化が起こるのか。

ーーー世界を救うとは、どんな事なのか。
〝神様〟が認めた、救われた世界には、どんな風景が広がっているのか。





(ーーー全然、まだわかんないよ)




考え過ぎると、頭の中がぐちゃぐちゃになりそうで。空を見上げたまま、隆一は目を閉じた。



でも。
イメージはある。
ぽっかり空いた、何も映さない虚空の目。
それが、綺麗な色を取り戻す事だと。

感情に濡れた瞳で。
生命無き世界に、涙の雨を降らせる事だと。









昨夜の内に三人に送ったデータ。
どうやら三人共、その日の内に確認をしたようだ。
…と言うか。気になって仕方なかったのだろう。
朝、イノランと隆一が目を覚ますと、スマホには三人からのメッセージ。



「!」


皆、OK!というもので。
二人は顔を見合わせて、笑った。
葉山にも、後でもう一度お礼の電話をしようと言い合った。





「ーーーそう言えばさ?」

「え?」

「曲作りですっかりあれだったけど。ファイナルで隆が弾くギターの練習…」

「そうだよ!」

「ーーーできてねえ…よな」



ここにきての、このゴタゴタは。隆一が楽しみにしていた、イノランとスギゾーとのギターセッションに掛ける準備の時間を奪ってしまっていた。
本番でやる曲も決定していない現状に、隆一は急に焦りの色を浮かべた。




「ーーーどうしよ。曲…何やろうかな」

「ん」

「…ってゆうか。…ね、イノちゃん」

「え?」

「ーーー俺、ファイナルでギター弾いてる場合じゃないのかも…。だって何が起こるかわかんないのにさ」

「ーーー隆ちゃん」

「もっともっと、あの曲をやる事に意識を向けないとダメなのかも…」

「ーーー」

「そうじゃないと、世界を救うなんて…とても…」




隆一が俯いてしまった。
そんな隆一の気持ち、ここまで一緒にいたイノランには痛い程わかっていた。
他の何かに気を取られて、失敗なんて。
それは許されないと思っているのだ。

でも、それとこれは別だと…イノランは思った。




「っ…?」



ぎゅうっ…と。
夜で見通しが良く無いのを良いことに。
イノランは隆一を抱きしめる。
当然ながら慌てる隆一をサラリと無視して、寧ろ楽しげにイノランは言った。




「いいんだよ」

「ーーーぇ…?」

「怖がって焦って我慢して…そんなのから生み出される音楽って…どう?」

「!」

「ーーーもちろんそれがきっかけで生まれる音楽もあると思うけど。今回のツアーファイナルは、隆の誕生日でもあるんだよ?」

「ーーー」

「皆んなに…ファンの子達にも祝ってもらうんだからさ。隆が一番に楽しまなきゃ」

「ーーーイノ…」

「それにギターセッションは今回のご褒美でもあるって言っただろ?そんな事まで〝神様〟にとやかく言われたりしたら許さないし、そんな事になったら俺が文句言ってやる。だからいいの。思い切りファイナル楽しもうぜ?隆が音楽をめいっぱい楽しんでるパワーが、きっと必要なんだから」

「ーーーっ…うん」



暗がりの中で、街灯の明かりに照らされるイノランは優しく笑う。それが隆一には嬉しかった。
手を伸ばせば触れ合える、大好きなひとだ。



「イノちゃん、ありがとう」

「ーーーん?なんもしてないよ」

「イノちゃんがいてくれるから、それに〝ありがとう〟だよ?」

「…ん。」

「えへへ」

「こっちこそ、ありがとな」




スタジオの前の、こんな夜空の下で照れ合って何しているんだろう…とも思うけれど。本心だから。
夜道の突き当たりから、タクシーのライトが見える頃、イノランは抱きしめていた腕を緩めて、隆一に言ったのだった。



「ーーーライブで隆がギター弾く曲さ、こんなのどうかな…?」


















リュウイチは、白の空間の隙間から。
地上を見渡していた。


眼下に広がる景色。
そこに、色彩は無く。
黒く荒凉とした大地があるばかりだ。




「ーーーここ…」



こんな風になってしまう前は、どんな景色だったのだろう…と。
リュウイチは、力無く呟いた。
おそらくは、広い草原か森林か。
木々が茂って、水が流れて。
たくさんの動物もいたのだろう。

それが今はどうだろう…?

枯れ木と澱んだ水の大地。
生命は姿を消して、そこにあるのは絶望。



「ーーー…」





隆一が、間も無く誕生日を迎える。
それはそっくりそのまま、リュウイチの誕生日でもある。

一年の内で、一番力が発揮される日。
だからその日に〝神様〟の計画は実行されると〝神様〟に聞かされてきた。
…と言っても。
その姿を見たことは無い。
記憶としてのリュウイチに姿を与えたのも、ここまでの度重なる指示を与えてきたのも。
テレパシーのような、リュウイチに語りかける声だった。

だからかもしれない。

自分や隆一。それから隆一を取り巻くイノランやメンバー達をここまで巻き込んでいながら。それでも姿を見せない〝神様〟に、リュウイチは納得できない気持ちも抱いていた。

隆一のツアーファイナル。隆一とリュウイチの誕生日。
一体どんな事が起きて、結末はどうなるのか。
本当なら詰めよって問いただしたかった。



「ーーーでも…俺は」


空間の隙間の縁を掴むリュウイチの手に、ギリ…と力が入る。
いつしか黒い地上を見つめる視線は、鋭くなって。
噛み締める唇は今にも噛み切ってしまいそうだ。




「待ってて、隆一」




ひとりだけ、その負担を押し付けたりはしないよ…と。小さく微笑んで。

ファイナルのステージ。
二人の誕生日。




「その時、俺は…」



ここから…





そっと大事そうに触れた自身のシャツの胸ポケット。
そこにあるのは。
あの日、天使から譲り受けた。
ひとひらの羽根だった。









2daysライブを初日を明日に控えた、今朝。
この日はイノランの家で過ごした隆一は、空腹感で目が覚めた。



「ーーーお腹すいた」


むくりと起き上がって、まだ眠っているイノランを起こさないようにそっと布団を抜け出した。
ベッドサイドの時計は朝7:00。
寝室のカーテンをほんの少し捲って、目を擦りながら外を見た。




「ーーー…?」



外を見て、隆一は眉を顰めた。
朝の空を見て、第一の印象が。


(ーーーなんか…変な色?)


天気の悪い朝だってもちろんあるだろう。
雨雲で薄暗かったり、大気の状態で霞んでいたりなんてのは、よくある事だ。


(…でも…この空の色)



こんな早朝から、空が黒紫に見えるなんて事…あるのだろうか?
それにそもそも太陽は…⁇

隆一はチラリとイノランを気にしたけれど、思い切り良くカーテンを開け放った。
窓を開けて、太陽を探す。
すると薄紫の雲が流れて、その隙間から太陽が見えた。



「ーーーあ…」


見えた事にホッとする。
太陽が顔を出したお陰で、ようやく明るい空が戻ったけれど。
おかしな色の空は、まだそこにある。


ザワ…

隆一を背筋に、再び走る悪寒。
まるであの映像を見た時みたいに…




「ーーー隆?…どした?」



背後から声が掛かって、隆一は肩を揺らす。けれどもその声が恋人のものだとわかると、急に安心して隆一はイノランの元に駆け寄った。



「ーーー隆?」


「イノちゃん、あの…」



這い出たばかりのベッドにもう一度潜り込むと。隆一は窓を指差して、イノランを見る。
朝には似合わない、少々緊迫した様子の隆一に。イノランは上体を起こして窓の外を凝視した。



「ーーーーーっ…?」


イノランの視線が、険しくなった。









ーーー…こちら都内上空です。現在朝の7:00ですが、空の色が紫色です。高層ビルの天辺は黒く霞んで見えない状態です。…気象予報士の話でも、今朝のこの大気の状態は原因が不明との事ですが…ーーー航空各社は現在は通常通り運航を続けていると…ーーーーー




寝間着のままで、二人はリビングのテレビをじっと見ていた。
朝のニュースでは、都内や周辺の県の上空についての話題で持ちきりだ。




「ーーー」

「ーーー」




二人は。
ニュースを見ながら、もう大体の見当はついていた。

世界の四隅から始まった侵食が、遂には空伝いに、ここまで暗黒の手を伸ばしてきたのだと。
幸いにも地上の様子はまだ平素と変わらない。不気味な色の空を気にしつつも、人々は仕事へ学校へ、いつも通りの生活を送っている。

ーーーけれど。




「ーーーホントにもう、時間の問題だな」

「…うん」

「もうそこまで来てる。このままいけば、マジでファイナル当日が、〝その日〟になるな」

「…〝その日〟…?」

「飲み込まれるか…どうかって、そんな日だ」

「…っ」



ごくりと、隆一が息を飲む。
そんな横顔を気にしつつも、イノランはニュースを見ながら頭を掻いた。



「ーーーこの問題の、一番の盲点ってさ」

「え…うん?」

「誰もが、その原因を知らない事だ。…多分、この地上では俺らルナシー五人しか知らない」

「ーーー」

「世界中のどんな科学者も知らない。科学的に生物学的に解明しようと思っても、原因が原因だけにわからないままだ」

「っ…うん、そうだよね。だって理由って」

「人々の負の感情。…なんて、皆んな信じると思う?ファンタジーか、物語の世界?…とか思われんのがオチだよな」

「ーーーうん」

「一個、気がかりなんだけど。こうやって実際目に見えるようになって、皆んなの不安が膨らんで。それがさらに負の感情を呼んで集めたらさ…」

「ーーー最悪…だね」





本当に最悪だと思う。
すっかり黙りこくってしまった隆一。
そしてイノランは紫の空に苦々しく舌打ちする。

意気消沈している場合では、もう無いのだ。
必要なのは音楽と、打ち勝つ心だ。
それを全世界の人々に今から持て…なんて、それを発信するのだけでも大変な事だろう。
ーーーならば。
それが難しい今、五人が出来る事。



「音楽」



それをやり切るだけだ。












簡単な朝食を済ませた二人は、都内のショッピング街を歩いていた。
見上げる空は、昼になるにつれ青空を取り戻していった。
それでも油断はできない事を二人は知っていた。
嵐の前の静けさなのだろう。


そんな午前中に、イノランが隆一を連れて訪れたのはアクセサリーショップだった。
何故に今アクセサリー?と、首を捻る隆一に微笑んで。
ショーケースの中に並ぶ指輪の前に立って、イノランは言った。




「まだ、あげてなかったからさ。隆に」

「ーーーえ?」

「指輪。恋人の印」

「ーーーっ…」




イノランは、視線をショーケースから傍らの隆一に移すと。
瞬きも忘れたみたいに、ぽかんと立ち尽くす隆一に。愛おしさを混ぜた苦笑を浮かべて。
手を繋いで。
その左手の指先を絡ませて。




「受け取ってくれるか?」




何が待ち受けていようと、決して離れないように。
愛の印を。





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