長いお話・2 (ふたつめの連載)












シャワーを浴びて、着替えを済ませると。隆一とイノランは揃ってホテル内の集合場所に赴いた。もうすでにライブ会場への移動準備で忙しないスタッフ達の中で、二人の姿を見るや否や駆けよって来たのはメンバー三人だ。

その表情はライブ当日のワクワクしたものとは程遠く。一様に険しい顔を向ける三人に、隆一もイノランもピンときた。




「皆んなおはよう。ーーーねぇ」

「もしかして見た?…昨夜のニュースの」



三人が口を開く前に、隆一とイノランは〝多分この事だろうな〟と思う事を訊ねた。ーーーと言うかきっと、この事しか無いだろう。




「お前らも見たんだ?例のニュース」

「俺なんかも寝入りばなに見ちまってさ。その後気になって仕方ねえの」

「あんな事になってんだね。雑誌の記事でも恐え…とか思ってたのに。実際の映像…ヤバイね」

「つか、あんなもんをよく今まで広く世間に知られずに済んでたよな」

「知られないようにしてたんじゃない?原因も対処法もよくわかってない段階で、あれ程の事態を公表しても混乱を招くだけでしょ」

「でもスギの読んでた雑誌には載ってたんだろ?」

「かなり専門的な…まあ言い方変えると超マニアックな海外のサイエンス雑誌だからさ。読んでるヤツもそれなりに…」

「なるほど」

「スギらしい」

「…どうも」




よほど気にしていたのだろう。三人の止まらない会話を隆一とイノランはうんうんと頷いて。
そんな聞きに徹する二人に、三人はようやく視線を向けた。




「ーーーあんなのが、隆の歌で?」

「マジで…どうにかできんのか?それに歌う隆に危険とか無いの?」

「歌ったはいいけど、隆に何かあったら…」




「ーーー」



立ち向かうと決めた二人に協力すると言ったのは嘘では無い。
三人とて、メンバーとして。出来る限り力になりたいのには変わりはない。
けれども。
三人の心配はもっともだ。
誰もが未経験の未知の事。
そこに挑んで、手放しで大丈夫だよとは、隆一だって言えない。もしかしたら想像以上の危険が待っているのかもしれない。隆一だってここまで辿り着くまでに、散々悩んで恐怖に震えた。次々と現れる新たな敵じゃないけど、追いつくのに精一杯な部分だってある。

ーーーけれど。




「歌うよ」

「…隆。ーーーけどよ…」

「隆になんかあったら、それこそ冗談じゃねえよ。ホントに…」



ーーー平気なのか?



三人の訴えかけるような眼差しは、逸れることが無い。
決定的な安全の確保が示されなければ、きっと緩む事はない。
けれどもそれは隆一も同じだった。そしてずっと側にいるイノランも。




「心配、ありがとう。大丈夫だよって言い切れないのは心苦しいんだけど。…でもここまで来たらもう歌うだけだから」

「昨夜もね。隆ちゃんと一緒に歌詞を作ってた。すげえ良い曲になるよ。俺らとリュウイチと〝神様〟MIX。それ歌ってる隆ちゃんを、俺は早く見たい」

「ーーーイノ…。お前は心配じゃねえの?隆はお前の恋人になったんだろ?ーーーあんなすげえモンに挑む隆が心配になんねえの?」

「心配だよ?勿論、それを言ったらな」

「ーーー」

「でも側にいるから。だから心置きなく、思い切り歌えって言った。隆はそれに頷いてくれた」

「ーーーイノちゃんね、言ってくれたんだ」

「ーーー…なに?」





「〝隆となら、何処までも堕ちたって構わない〟って…」















今日のライブ会場に到着すると、各々割り当てられた控え室に荷物を置きに行く。息つく間も僅か、本番前のメンバーを交えてのサウンドチェックの為に五人はステージへと向かう。
その通路の途中で。




「りゅーう」

「うん?あ、スギちゃん」




後ろから呼び止められた隆一は、足を止めると振り返ってその人物を見た。




「どしたの?」


隆一は止めていた足を先程よりゆっくり進ませて。隣に並ぶスギゾーをじっと見上げた。
スギゾーは微笑んで、ちょっと照れくさそうに。しばらく言葉を探した後に、隆一に言った。



「俺らも同じだ」

「え?」

「真矢もJもさ。イノと同じ」

「ーーースギちゃん?」

「全力で支えて、それで」

「ーーー」

「俺らも見たい。あの歌を歌う隆を」











隆一達が結束を新たにしていた頃。

あの白い空間のリュウイチは、地上の風景を眺めていた。



個の意識と姿を与えられてから、リュウイチはずっとここにいるけれど。
ここがただの真っ白な空間ではないという事も次第にわかってきた。
目を凝らせば見えてくる。
例えば空間の隙間。
一見すれば他と同じ白い空間だけれど、ある日リュウイチはある箇所を通る度に、そこだけ微かな風を感じる事に気が付いた。

何だろう?…と、その場に立ち止まったリュウイチは。
その部分をじっと。瞬きもしないでじっと見つめた。



〈っ…あ?〉



その時見えたのは、スウ…と。まるで雲が横切るような白い景色の流れ。
それが、ある日の記憶。ライブ会場の空を見上げた時にメンバー達と見た、青空に流れる真っ白な雲に似ていて。
リュウイチは思わずそこに手を差し出した。


ーーーここから出られるかもしれない。
ーーー早く四人の元に帰りたい。


リュウイチの切実な願い。
その気持ちが躊躇を捨てて、咄嗟の行動に出た。




〈ーーーーーーーっ…わ…ぁ〉




白い空間を勢いよく突き抜けて。
リュウイチの目に映ったのは眼下に見える地上の風景だった。
その風景に圧倒されるも、リュウイチは後ろを振り返る。
リュウイチが足を着けているのは先程と同じ白い空間。しかしリュウイチの目の前にぽっかり窓が空いている。
当然窓ガラスなんて無いから、吹き抜ける風がリュウイチの髪を揺らした。



〈ーーーーー外?…ホントに…本物の外?〉



身を乗り出せば、そのまま地上に落ちかねない。時折強い気流がリュウイチの身体を攫うように吹き抜けた。



〈っ…外〉



落ちるかもしれないという怖さよりも。
リュウイチは心躍らせた。



〈ここから降りれば、もしかして帰れる⁇〉



元いた場所への渇望。
四人に会いたいと。初めの頃は日々涙を流していた。
そんな願いが叶うかもしれないと思ったら。
たった今見つけた、世界を見渡せるこの場所が、まるで宝の隠し場所にも思えた。




ーーーそんなリュウイチにとって、大切な場所。ここでのひとりきりの暮らしで、心の支えになっている場所。
真っ白な空間では、時間の概念も見失いそうな日々だけれど。
ここへ来れば、太陽の光が…月明かりが…眼下に見える人々の暮らしの灯りが。リュウイチに、教えてくれていた。


たったひとりでも、失くしてはならないものを。




ーーーけれど。





〈ーーー…真っ黒だ…〉



じっと景色を眺めていたリュウイチは、ポツリと呟いた。

リュウイチの視界には、例の暗黒地帯が映る。毎日ここへ来ているけれど、その範囲は刻一刻と広がっていた。

東西南北の四隅から蝕まれていく地上は。このままいけば、数日で…。
世界が真っ黒になるまで幾らもかからないだろう。



〈っ…隆一っ…イノちゃん〉



ぎゅっと目を瞑る。


〈スギちゃん…J君…真ちゃん〉


胸の前で重ねた手を、握り締める。


〈ーーーーーーーごめんね…巻き込んで〉



リュウイチのせいじゃない!と五人に叱咤されそうな言葉だけれど。思わずにいられなかった。

ーーーこんな世界を、直接目の当たりにしたら。
これに挑む、五人を想ったら。



〈ーーーーーーーでも〉



瞑っていた目をキッと開いて。
見据えるのは闇。



〈隆一…。俺もその時は一緒だから。だって俺も隆一だもん。一緒に歌うよ?少しでも力になるから〉



口元に浮かべるのは、微かな微笑み。
しかしその手は震えていて。
リュウイチはもう一度、そっと目を閉じた。
想いを馳せるのは、ここから遠いあの日の場所。
残してきてしまった、大好きなひと。




〈ーーーどうか勇気をください〉


ーーーその時に、ここから降りる勇気を。




〈ーーーーーーイノちゃん…〉

















ライブは無事終了。
心地よい充実感に満たされて、メンバー達は再び宿泊先のホテルに移動した。

レストランで夕食を摂って、メンバー達はそのままとある場所に来ていた。



「おお!充分じゃん⁉」



到着したそこに入るなり、Jは満足そうに声を上げる。

そう。ここはホテル内に設置されたスタジオだった。
このホテルは結婚式やイベント、コンサートなども開ける大きな会場がある。
当然ながらその練習や準備に使用するスタジオもあり。小さい規模ながらもバンドに必要な楽器類や機器もレンタルできる。


「ライブ後だってのに…俺らもタフだよな~」

「まあ、明日が移動日だから出来ることけどさ。いいじゃん?音楽漬け!」

「はははっ、だな!」



ライブ後に関わらず、ホテルのスタジオに五人して篭る理由。
それは他ならない、あの曲の練習だった。












手応えは大いにあった。

まるでパズルのようにピースを集めて作り上げたこの曲。
今夜初めてその全貌が姿を現して。まだまだ更なる詰めが必要だけれど、この短期間にここまで出来上がった事に。五人はひとまず安堵した。

ーーーそして。



「なんか…すごいね」

「うん」

「今までも長い曲作ってきたけどさ。…これは…」

「組曲」



初めて演奏して。五人は正直。…心震えていた。

三日後のもう一箇所の地方ライブを終えて東京に戻れば、葉山も合流してピアノアレンジも加わるだろう。
スタッフ達もこの曲の存在を知って、協力を惜しまずやってくれている。



「ーーーなんとか…間に合いそうだな」

「驚異のスピード」

「だって間に合わせるしかねえもんな」

「うん。ーーーあんな光景みちゃったらね」

「ーーーでもさ」

「うん?」

「上手くいくって、思うよ」

「ーーー」

「直感。」

「ーーーだな」

「練習でこんななんだからさ。本番はもっと…」



四人の演奏も。隆一の歌も。
ファイナルまでのあと数日間で更に磨き上げて。

立ち向かうのは、あの恐ろしい闇。
あんなものの元が人々の負のエネルギーだというのだから…。

でも、必ず。
光で照らして見せると五人で頷き合った。








その帰り。

ホテルのスタジオでまたひと汗かいた五人は、じゃあ明日な~と。それぞれ大浴場に向かったり、部屋でゆったりシャワーを浴びたり。
隆一も自分の部屋に戻ると、さてシャワーを浴びようかと着替えを手に浴室に向かった。

風呂に入る時は、左手のブレスレットはいつも外す。今日も洗面台に置いたアクセサリートレイに、ひとつひとつ外して置いていた時だ。



「っ…痛」



ずきっ…と。
左手首が刺すように痛んだ。



「ーーーえ?」


初めての事に、隆一は少々眉を寄せて手首に目をやる。
そこには相変わらず、あの日以来くっきり付いた手指の痕。全く変わってはいない。



「なんだろ?」



しかし痛みがあったのもたった一回きりだったから、隆一はホッとして特に気にする事なくシャワーを浴びた。











…………………


「イノちゃん」

「隆ちゃん、いらっしゃい」



今夜はイノランの部屋へ。
部屋のカードキーとスマホを持って、隆一はイノランの元を訪れた。

もう何度目だろう?と思う、こうしてイノランと過ごす夜。
本当はゆったりひとりの夜を過ごしたい日もあるだろうな…と恐縮してしまう事もあるけれど。
一緒にいてくれる恋人の存在は心強い以外なにものでもなくて。
隆一は毎晩、イノランに心の中で感謝していた。


けれでも今夜は、あの曲がちゃんとした姿を現した特別な夜。あの非常階段で初めて意味不明な楽譜を手にした時から、いつだって一緒にいてくれたイノランに。
心から感謝しているよ…と、ちゃんと言おうと思ったのだ。




「イノちゃん、ありがとう」

「ん?ーーーなんだよ改まって」

「…言っちゃだめ?」

「や、だめって事はないけどさ。…」

「…けど?」

「ん…ーーー照れるじゃん」

「そうなの?」

「そうだよ!だって…ありがとうって…俺こそ隆にありがとうだよ」

「え?」

「ーーー好きになってくれたし…恋人になってくれたし。…隣で歌…歌ってくれるし」

「っ…」

「だから俺こそ、ありがとう」

「イノちゃん…」

「前も言ったかもしんないけど…。今回のこの事で一番良かった事はさ」

「ん…」

「隆と想い合えるようになった事だから」

「うん…ーーー俺もだよ?」



照れくさくって。今夜はなんだかお互いを直視できない。イノランは照れ笑いすら隠すように視線をずらしていたら、ぎゅっと。隆一が抱きついた。



「っ…隆」

「大好き」

「ーーー隆ちゃん…」

「イノちゃん、大好きだよ?」



惜しげもない隆一の愛の言葉に、イノランももう我慢なんかできなくて。
胸に縋り付く恋人を抱きしめ返して、そのままソファーに倒れ込む。
パサッ…と、隆一の黒髪がソファーに散って。縋り付く両手を丁寧に解くと、イノランは手を重ねて指先を絡ませた。



「ーーーっ…ん」

「今夜は…どした?隆、めちゃくちゃ可愛い」

「っ…好き…だからーーー好きって…」

「ーーーん」

「言っ…ただ…けーーー…っぁ…」

「隆」

「んっ…んーーー」

「っ…りゅう」




唇を絡ませて、隆一の脚もいつしか物足りなさそうにイノランに縋る頃。
イノランの指先も、隆一の服の隙間から肌を弄って。
このまま熱に飲み込まれてーーー
そんな時だった。



「ぁっ…ーーー痛っ」

「ーーーえ?」



甘い雰囲気が霧散するかのような隆一の短い悲鳴。思わずイノランは、自分の爪が隆一を傷付けたのか…と危惧したが。
隆一がぎゅっと押さえるのは左手首だった。






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