長いお話・2 (ふたつめの連載)












ライブ遠征、出発の朝。
家の前に着いたから。…と。
マネージャーから連絡が入って、隆一は荷物を持って外に出た。

隆一が姿を見せると、マネージャーはにこやかに挨拶をしつつも首を傾げた。



「あれ、イノランさんは?」



てっきり一緒かと思ったのだろう。
まあ、無理ないか。…と、隆一は苦笑を浮かべた。
何しろここ最近ずっと、夜はイノランと一緒にいる。
隆一を心配して一緒に夜を過ごそうと言ってくれてから、ずっとだ。
ツアー中も、もちろん帰ってからのオフの日だって。隆一とイノランはあっちの家、こっちの部屋…と。
一緒にいる事が当たり前になっていた。

そんな仲睦まじい二人の様子は、もはやメンバーだけではなく。お互いのマネージャー達の知るところにもなり。
だからこうして別々にいるだけで、首を捻るのだろう。




「イノちゃん、さっきまでは一緒だったよ?出発前に一回家に戻るって。で、イノちゃんのマネージャーが向こうに迎えに来るって言ってたよ」

「そうだったんですか。ついでに家まで乗せたのに」

「そう言ったんだけど、こっちも忙しいだろうから良いよって。タクシーで行っちゃったんだ」

「そうですか。ん、分かりました!じゃあ、向こうで落ち合うって事で。いきますか!」

「そうだね、よろしく!」










朝も九時を回る頃だろうか。
新幹線の駅に到着したのは、五人ほぼ同時刻だった。
前日からすでに現地入りしているスタッフ以外の身内と一緒に新幹線に乗り込んだ。



イノランと隆一の席をぐるりと囲む配置で座るメンバー達。
この今日の配置も五人たっての希望で決定した。





「ーーーどう?」



隆一の、通路を挟んだ真横に座ったスギゾーが訊ねる。隆一は言わんとする事をすぐ心得て、手元に持ち込んだ荷物からファイルを取り出した。
明らかに数日前より枚数の増えた紙の束。三人は興味津々だ。それはイノランと隆一が、皆で持ち寄った曲の原案を纏め上げた新しい譜面だった。




「すっごく…長くなっちゃった」

「そう。多分ね、トータル二十分はかかる感じ」

「ーーーマジ?」

「大作じゃん」

「でもさ」

「ん?」

「バシッときまったら、カッコイイよな」

「そうだよ。すごく手応えある感じするもん。…ただ問題はね?」

「ーーー練習時間か」

「そう」

「仮に今日これから向こうに着いて、リハのスケジュールこなして、明日本番。その合間に五人で曲を完成させて、ライブ終えて次の場所に移動して。中ニ日の間にリハのスケジュールと並行してまた進めて、ライブして。中四日の間に東京に戻って、それまでには完璧な状態までにしておいて、いよいよラスト東京2days。最終日は決戦の隆の誕生日だ」

「ーーー…うん」

「ーーー」

「ーーー」

「ーーー」



一様に口を噤む五人。
この時五人が何を思うか。それはお互い言わずともわかっていた。

あまりにも時間が足りない。しかも急拵えの、かなりの長編の曲。もう曲の組み立ては出来てはいるけれど、大きな問題は練習時間の確保の難しさだ。
さらにこの曲をファイナルのライブに入れ込むとなると、当日のセットリストも大きく変更しなければならない。それに伴うステージの段取りも変わるから、早めにステージスタッフにも告げなければならないのだ。


ーーーけれど。



「ここまできたら、やるだけだけどな」


イノランが、不敵に微笑んで言い放つ。
その声で、四人はパッと顔を上げた。


「初めから無茶は承知だ。…でも、何とかなるよな。つか、何とかする」


ーーーそうだ。
無茶は承知の上。
それにこんなの、今に始まった事ではない。思い起こせばこのルナシーは、無茶と無謀も幾度と無く乗り越えてここまで来た。
そしてそれを、ちゃんと掴んできた。



「ーーーそうだな」

「例えばたった一回しか練習できなくても、まあ…」

「何とかなるか」

「練習重ねりゃ良いものが必ず出来るってわけじゃねえしな」

「本番勝負の潔い美しさってゆうのもあるからね」

「うん」

「何とかなるか」

「そうだね」



いつしか五人は頷き合って。
その表情は強気な笑みが満ち溢れる。

こんな時こそ奮い立つ。
音楽に対しては、五人共怯まない。



イノランと隆一は。
今回のこの出来事を、三人に全て伝えて本当に良かったと。
今改めて、思うのだった。











その後の五人の行動力は、事情の知らない周りのスタッフ達でも目を見張る程のものだった。

まずはファイナルでのセットリストの大幅な変更を申し出た。
これは早々に伝えておかなくてはならない事。特に最終地の東京での会場はアリーナクラスの大きな場所。一度変更となれば、ステージセットも各効果も大きな変更が発生するからだ。

伝えてOKが出れば、もうあとはやるしか無い。
二十分以上の大長編作。初めてその曲の存在を知らされたスタッフ達は驚愕し、一様に感嘆の声をあげた。
もちろんこの曲を演る事の真意は言っていないけれど。ファイナルの隆一の誕生日に合わせた特別な曲、と伝えると。誰もが皆、協力を惜しまなかった。

それからリハーサルの合間を縫って、デモを完成させた。そしてそのデータを東京にいる葉山に送る。
葉山君にも、ピアノで参加してもらわない?ーーーそう提案したのはイノラン。その提案にメンバー達も、そして打診を受けた葉山も一つ返事で賛成した。
この曲がどんどんその形を表すと共に、ひとつでもふたつでも多くの〝音〟を入れ込みたいと思った。その方がこの曲の力も、そして隆一を支える力も。
さらに強大になる気がした。













「隆ちゃん」



ライブを明日に控えた夜。
イノランは隆一の部屋のドアをノックした。



「イノちゃん、どうぞ」



宿泊先のホテルの部屋。
今宵は隆一の部屋で夜を過ごす。
にこやかに迎えられたイノランは、微笑みを返しながら部屋に入った。



「!」



部屋に入ると、テーブル上に広げられたレポート用紙の面々。
それを見ただけで、隆一が何をしていたかがイノランにはわかった。



「ーーー歌詞?」

「うん。今夜のうちにもうちょっと詰めておきたいなって」

「そっか。ーーー手伝うよ?」

「ん、ありがとう」

「でも」

「うん?」

「夜更かし厳禁。明日歌えなくなるからな?」

「はぁい。じゃあ、一時間だけ。一時間集中したら、もう寝よ?」



素直に頷く隆一に、イノランは髪を梳いて撫でてやった。









音を消した部屋のテレビ画面が、夜のニュース番組を映し出す。
その番組を見て、あれから約束の一時間が経過した事を知った。



「ーーー隆ちゃん。今夜はここまでにしよ」

「うん。でも、もうだいぶ…」

「いいね。明日ちょっと歌えるな」

「ーーーすごいね」

「うん?」

「怒涛の作業スピード。こんな早く纏め上げられるなんて」

「ははっ、だな。ほら、時間無いって思うと逆に追い上げられて」

「ふふふっ、そうだね」




喜憂していた時間の無さがまるで嘘のよう。ここへ来てからの、リハーサルの合間のデモ制作スピードも、五人一様に驚くもので。
火事場の馬鹿力!と、スギゾーはギターを掻き鳴らしながら笑った。

夕方頃にメールでコンタクトをとっていた葉山からも、つい先程またメールが届いて。
思いつくままにピアノを弾いて録音してます!と、こちらもまた心強いコメントで。
そんな周りの勢いに負けじと、ついつい隆一も作詞の完成を目指して力が入るのだった。

しかし明日はライブ。
睡眠不足は明日に影響を出してしまうから。二人はテーブル上に散らかった紙片を片付けると、イノランはテレビを消そうとリモコン片手に画面に目をやった。

その時。



「っ…ーーー⁉」



リモコンを持ったまま動きを止めたイノランに、隆一は首を傾げてそのまま画面に目をやる。
そこに映っていた映像はどうやら海外から届いたものらしい。
現地テレビ局の映像が映し出されている。
音を消しているから音声は聞こえないが、その映像に。

隆一は愕然とした。
言われずともそれが何か。
わかってしまった。



ーーー黒く染まった大地。
生命の存在しない、東西南北に範囲を広げたその各地の映像だった。



《……ーーーーーで、この映像が撮影されたのはつい先日との事で、この調査は今年に入る前からされていたようですが…》

《専門家の間でも現時点でも原因がわからないとの見解を示しているようですが。これ、範囲が急速に広がっているとの情報が…》



「ーーー」


無言でテレビの音量を上げるイノランを、隆一はチラリと窺うと。そのまま同様に隆一もテレビを凝視する。

この映像がなんなのか。
もう、言うまでもない。



握り締めた掌が、じっとりと汗ばんでいる。




映し出された映像は。
まるで映画の世界のよう。

暗く陽の射さない。
枯れた草木。澱んだ水溜り。
生き物の気配の無い。
まるで悪魔の大地のようだった。











ベッドサイドの明かりだけはつけておいた。

ぼんやりした小さなオレンジ色の光が、今は心底安心する。

隆一は、ベッドの中でイノランにペタリとくっついていた。




ニュースの例の映像をジッと見つめたまま、その身体がカタカタと震えだした隆一を見て。イノランは映像の途中でテレビを消すと、その震える手を掴んで部屋の電気を消してベッドに潜った。
有無を言わさず隆一を抱きしめる。
震える身体を少しでも宥めたくて。
イノランはただただ、今は無言で隆一を胸に掻き抱いた。




「ーーーーーーーー隆」

「ーーー…ん」

「ーーー平気?」

「っ…へイ…キ、じゃ……ない…かも」

「ん」



掻き消えそうな隆一の絞り出すような声。縋り付く隆一の手は、イノランの腕をぎゅっと掴んで離さない。

ーーー無理も無い。

初めて目の当たりにした。
それはもちろんイノランもそうだけれど。
なんと言うか、テレビの映像なのに。背筋がざわざわと悪寒が走った。

生命の存在しない風景というものが、こんなに無機質だなんで思わなかった。
本当にこれが同じ地球上の映像なのか?と思う程。
しかもこの範囲が、広がっていると言うのだからーーーーー




「っ…隆」

「ーーー…イノちゃん」



隆、怖いか?ーーーなんて、当たり前すぎて言えなかった。
隆一は、五人は。
これからこの事態と真正面からぶつからなければならないのだから。

あまりにも巨大な範囲。
世界規模の、蝕まれた無機質な大地。
そんな映像を見てしまったら、どうしたって揺らいでしまう。
何度も何度も強固に心を奮い立たせても、呆気なく壊れてしまう。




「見ない方が、よかったかもな」

「…え?」

「あの映像。実際どんなものか…って、気にはなってたけど。ニュースでやってたから不可抗力なんだけど…見ない方がよかったな」

「ん、そ…かも」

「ーーー生命がいない…ってさ。想像つかなかったけど」

「…うん」

「ーーーーーこわいな」

「っ…うん」



ぎゅうっ…と。
隆一の手にますます力がこもる。
きっと、目の前の温もりから、離れたく無くて。
そしてイノランも、そんな隆一の気持ちをすぐに心得て。
抱きしめる腕をゆっくりと滑らせて、横向きに抱いていた隆一を上向きにさせた。


ギ…


ベッドが軋む。
隆一の手を絡ませて、真上から隆一と視線を重ねた。



「ーーー…イノ?」

「隆」

「…え?」

「ーーーしよう?」

「ーーー」

「夜更かし厳禁って言ったの俺だけど」

「っ…そうだよ」

「でもさ。ーーーあんな映像見たら」

「…うん」

「離れたくなくなる。温もりが欲しいって、思わない?」

「っ…ーーーーーうん」

「無機質じゃない、有機質な」

「なに、その言葉選び」

「ん?」

「ーーーセックスの前じゃないみたい」

「くくっ…だな」

「ーーーイノちゃん」

「ん?」

「ちょっとくらい寝るの遅くて平気だよ?」

「ーーーうん」

「俺も、したい」




見上げる隆一の目はすでに潤む。
重なった手のひらをぎゅっと握って、お互いの熱を確かめて。
イノランの指先が隆一の髪を撫でて、そのまま頬に触れて、唇をなぞる。



「っ…ぁ」

「まだ何もしてないよ?」

「ーーーはや…く…」

「ん?」

「あったかく…して」



強請る隆一の声と温もりに、イノランは枷を外した。


無機質じゃなく、欲しいのは温もり。
与えたいのは、愛情。
あの歌を歌うのに必要なものが確実にわかった。
そしてその源になるものは、ひとりでは生まれない。

だから一緒にいる。
何度だって身体を重ねて、愛を囁いて。



「っ…あ、ぁっ…」

「りゅ…う」

「ぁんっ…あ…イノちゃ…ーーーもっ…と」

「りゅっ…いち」



襲い来る恐怖に支配される前に。
奥までいっぱいに。



ーーー犯して、愛して。
あなたで満たして。

















充実した夜だったのか。
あれから少し夜更かしした二人は、セットしたアラームでぱっちり目が覚めた。

ベッドの中で顔を見合わせたら。昨夜の恐怖が嘘のように晴れていて。二人してクスクスと肩を震わせた。




「歌える。もう大丈夫」

「ーーーん。」

「もう実際の光景を見ても、揺るがない。しっかりと、歌うだけ」

「ーーーすげえな、隆ちゃん」

「だってもらったもん。イノちゃんに、たっぷり」

「ん?」

「ーーー愛情」



昨夜の情事を思い出しているのか。ーーーそれとも今までの、これまで与えられたイノランからの愛情を再確認しているのか。
隆一は、とても満ち足りた穏やかな表情をしていた。
それが綺麗で、イノランは思わず見惚れてしまう。



「隆なら大丈夫」

「ん?」

「歌えるよ。だって隆だもんな」

「ええ?」

「ーーーだってさ。ずっと思ってた」





ーーー君の歌声は、どこまでも届いて。

遠く、高く。

空の果てまで。

透き通って、力強くて、甘やかで…



こんな歌声は、知らなかった。

この歌声に出逢えて。君の隣にいられる事が、奇跡に思えた。

生涯、ただひとりの歌声を選ぶとしたら。

俺が選ぶのは間違いなく。

隆…。君の歌声だ。ーーー




「きっと上手くいく。周りは俺ら四人に任せて…」

「ーーー」

「思い切り歌え」




優しい。
イノランに見つめられて。
隆一は微笑んで頷くと。

どちらからともなく、顔を寄せて。
唇を重ね合わせた。






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