長いお話・2 (ふたつめの連載)












真っ白な、一人きりの空間に。
気が付いた時から、そこにいた。

五人一緒にいたはずなのに。
四人の姿は無くて。
ひとりきり。
どんなに呼んでも探しても、誰もいなくて。
ひとりきり。
その事実を認識した時。

リュウイチは、涙が枯れるまで泣いた。
















コツ…コツ…コツ…






まるでホワイトアウト。
真っ白な、何も見えないのに道の行き先がわかるように。
迷いなく進んだ先で、リュウイチは歩みを止めた。



「ーーー」



そして、手を前方に差し出して。
真っ白な空間に手を這わす。
…と。

ぴたりと。見えない壁を探り当てて、手のひらにその手応えを感じると。リュウイチは口元に微笑みを浮かべた。

ぐっ…

リュウイチは、その壁を力いっぱい押した。片手では敵わないとわかると、もう片手も付いて、さらにぐぐっと押す。




ギ…ギギ…ィ…



真っ白な空間に、一筋の眩い光の筋が現れる。
はじめはごく細かった光は、リュウイチの手押す動きと共に、徐々にその幅を広げていって。

リュウイチが力いっぱい押しているものが巨大なドアなのだとわかる頃には。ひと、ひとりが難なく通り抜ける事が出来るくらいの光の入り口が、虹色の光を放ってリュウイチを包み込んでいた。



「っ…」


あまりの眩しさに、リュウイチは目を細めるけれど。躊躇う事なく、ドアの向こうの光の中へと足を踏み入れた。



「ーーーわっ…」



足元の感覚が、何も無い宙を踏んだと思った瞬間。
辺りの景色が虹色の光から、荘厳な神殿を思わせる景色へと変化した。



「ーーーっ…」


リュウイチは思わず息を飲む。
目の前の石で造られた景色の中に。見た限りではひとの姿は見えない…けれど。
リュウイチは、確かに感じていた。
姿は見えないけれど、その存在。リュウイチを見つめているその者の気配を。

リュウイチはもう一度コクンと息を飲むと。意を決して、その荘厳な景色の中へと進んで行く。
顔を強張らせて。
手をぎゅっと握り締めて。

それでも視線は決して逸らさずに。
眼前にそびえる石の祭壇へと。




カッ。




祭壇の、数メートル程前で。
リュウイチは歩みを止めた。
そして、自分がここへ赴いた理由を熟知しているように。
握り締めた手にますます力を込めて。
相変わらず誰の姿も見えない前方に向かって、リュウイチは凛とした声で語りかけた。




「貴方のひとひらの羽を譲り受けたくて、ここへ来た。どうか私の持つものと引き換えに、〝天使の羽〟を授けてはくれないか」



必死に。決して取り乱した気配は見せずに。リュウイチは語りかける。
ーーーすると。
やはり姿も声も感じられないけれど。
リュウイチの辺りに確かに感じた空気の流れがあった。
それが否定では無く。肯定の意のものだという事がリュウイチにはわかった。

ーーーだから。




「ーーー感謝いたします。それでは私の捧げられるものを、今から貴方に差し上げます。貴方の〝天使の羽〟と引き換えに、私は〝歌〟を捧げましょう」


















………………………



「隆ちゃん」

「ーーーん。」

「ちょっと、休まない?ほら、紅茶淹れてきた」

「わぁ、イノちゃんありがとう」





音符を細かく書き込んだ譜面と、抱えていたギターを傍らに置いて。
隆一はイノランの方に顔を向けてにっこり微笑んだ。
イノランが差し出してくれるあったかい紅茶の入ったカップを受け取って、ふうふう息を吹きかけてひと口飲むと、ホッとソファーに身体を預けた。




「隆ちゃん、すげえ集中してたね」

「ん…。だって、時間無いって思うと、どうしてもね?」

「無理はすんなよ?俺もいるんだから…」

「わかってるよ?イノちゃんが側にいてくれるってわかってるから無茶もできるの」

「っ…たく」

「ん?」

「ま、いいけどな?当然、支えるし」

「うん!」

「(やれやれ…)ーーーで、どう?俺の方もある程度まとまってきたけど。スギちゃんとJが作ってきてくれたアイディアと、俺が作ったものを合体させてみた」

「さすが!イノちゃん早いね。俺もね、真ちゃんが選んでくれた言葉を混ぜ込んで、歌詞もだいぶ…」



そう言いながら隆一は、手元にあるレポート用紙をイノランに見せる。
そこにはたった今書き上げた、この曲の歌詞が書かれていた。



「ーーーうん。すげえ…良いと思うよ。なんか、今回のこの出来事に上手くハマってるっていうか。…アイツらも気に入ると思う」

「ーーーリュウイチもね?」

「うん、そう。そうだな。ーーーもちろんリュウイチもだ」

「元々の原曲者の例の〝神様〟も?」

「ーーー変わり過ぎててこの曲は何だ⁇って思ったりして」

「ふふっ…でもほら、元々の曲変化させちゃうのは俺らの得意分野だし」

「まあ、俺らに白羽の矢を立てた時点で、そこは勘弁して下さいってことで」

「ーーー込めてる想いとか、そうゆうのがブレなければ大丈夫だよね?ーーーそこもちょっと解釈変えちゃってるけど…。世界を救いたいって想いは、俺らも〝神様〟も共通の願いだから」











イノランは隆一の隣に座ると。持っていたコーヒーカップをテーブルに置いて、もう一度じっと譜面と歌詞の書かれたレポート用紙を眺めた。




「ーーーこれさ。多分この時点で、だいぶ長い曲になりそうだよな?」

「だよね。通常の曲4~5曲分くらいは軽くありそうだなって、俺も思った」

「これライブで…しかもほぼぶっつけ本番みたいな感じでやるのか…」

「ーーー怖いね~」

「怖え~…マジで。リハったって、本番当日までに曲がちゃんと纏まってるかどうかも微妙だし」

「ははは…ーーーね。」



顔を見合わせて、苦笑いを溢しつつも。
だけれど…と、二人は思う。

この出来事が突如始まった、一番最初の非常階段でのあの日。
一体何が始まって、どうなってしまうのか。わからない事ばかりで不安しか無かった頃。
あの頃を思えば、今のこの状況がどれだけ希望に満ちている事か。
もちろん今だって、不安が無いわけでは無い。

でも今、隆一の側にはイノランがいる。
事情を汲んでくれる仲間がいる。
そして、誰よりも先に。この事態に引き込まれていた、隆一の分身のような存在。リュウイチがいる。

隆一はひとりでは無い。
それを思うだけで、力が湧いてくるのだ。



傍らで、いまだ紙片と睨めっこしているイノランを。隆一は愛おしそうに見つめた。
どれだけ助けられているかわからないから。



「っ…」



隆一は思わず。目が潤みそうになる。
しかし、今はまだ泣いている暇は無い。
時間が無いと、憂いている場合じゃない。
大作になりそうなこの曲を、どうにかファイナルのステージに連れて行かなくてはならない。

隆一が改めて気合いを込めたところで。
あ。…と、イノランが思いついたように顔を上げた。
そんな様子に首を傾げる隆一。
イノランはこの上なく良い事を思いついたと言った風情で、悪戯っ子みたいに笑って見せると。



「この曲の後にご褒美をつくろう!」

「?…ーーーご褒美?」

「そう!隆ちゃん、ファイナルでギター弾きなよって、前に言ったじゃん?」

「え?ああ、うん」

「この大作を無事やり切って、世界が…救われて。ーーーそしたらさ?もうやり切った達成感を持って、隆ちゃんギター弾くの。俺とスギちゃんと一緒に」

「っ…!」

「ーーーだってこの日は、隆ちゃんの誕生日だもんな?デカイもの背負わされちゃって大変な誕生日だけど。でも、絶対上手くいくって信じてるから。だからご褒美。隆ちゃんに、ご褒美のステージをつくろう?」

「イノちゃん…ーーーーーうん!」



花が綻ぶような微笑みだと、イノランは思った。隆一の家で、あの買ったばかりのギターを見せてくれた時の隆一の嬉しそうな顔を思い出す。
だから、どうしても。隆一にギターを弾かせてやりたかったから。



「ーーーだとすると。この曲を演るのは、真ん中辺りってことかな。この後に三人のセッションと、ドラムとベースの流れって感じか?」

「ーーーん。そうだね」



急にファイナル当日のビジョンが見えてきて。本当にもういよいよ正念場なんだと実感する。
ーーー震えてしまう。
何度自身に言い聞かせても、これは仕方ない。




「ーーー隆?」

「イノ…ーーーね。」

「ん?」

「ごめん。ちょっとだけ…ーーーいい?」



隆一の、揺れる瞳がイノランに縋り付く。どんなに強く気持ちを保っても、足が竦む。
怖いのは。きっと、終わるまでは消えないのだ。



「ーーーいいよ、あたりまえじゃん?」

「うん…」



イノランの胸に顔を埋めて。すぐに抱きしめてくれる、力強い腕に確かに安心しながら。
隆一は心臆することなく、イノランに縋った。

擦り寄る隆一を愛おしく抱きしめながら。
イノランはフト。
思い当たって隆一に言った。



「なぁ、隆?」

「ん?」

「ーーーずっとリュウイチに聞きそびれてたんだけどさ。…あの事」

「…あの事?」

「うん。あの事だよ」

「なん…だっけ?」

「ん?…ホラ。ーーーキスの」

「ぇ…?」

「俺のキスが隆に効く理由。いっつもタイミング逃してリュウイチに聞けないんだけど…ーーーなんか、わかった」

「え⁇ーーーなに?」

「…よく考えりゃ、簡単だし。当たり前の事だ」

「?」

「隆の事好きだから」

「っ…!」

「好きだから助けたい。他の誰でもねえ、俺自身で。ーーーって、きっと、そうゆう事だよな?」

「イノちゃん…」

「なんかそんな…隆の事が好きだって収まりきらない力が働いてんじゃないかなって」











初めて意識してキスを交わしたのは、確かにこの出来事がキッカケだった。

ずっと胸に秘めていたイノランの想いも。
この出来事を境に、イノランへの想いに気が付いた隆一も。

これもまた、まるでこの出来事の途中で出会ったリュウイチと繋がるためにも思えた。




「ーーーホントにさ。今回のこの…事。どこから始まってたのかな…。どこから俺たちが関わる事が決まってたんだろう」

「ーーー」

「全部…〝神様〟が決めた事なんだとしたら…。今更考えても仕方ないけどさ。だって俺たち〝神様〟に会った事ないし…。例の世界の侵食も…まだ実際見たわけじゃないから…なんか絶対的な実感みたいなものが…わからなくなる」



イノランに抱きついたままの隆一が、ぽつりぽつりと言葉を溢す。
イノランはそれを、じっと黙って耳を傾けた。



「…一度その光景を目の当たりにしたら…こんな風に怖がって揺らぐ事もなくなるのかな…。怖がってる場合じゃ無いって、吹っ切れるのかな」

「ーーー」

「ーーーーーでもね?」

「ーーー」

「俺がこうして立っていられるのは…絶対にイノちゃんのおかげだよ?」

「ーーー」

「イノちゃんが側にいてくれて、手を繋いでくれて、大丈夫だよって…抱きしめてくれて。怖くて泣いても、何も考えられないくらいに抱いて、愛してくれて…。ーーーそのおかげなの」

「ーーー」

「こうしてイノちゃんと愛しあえるの…。今回のこの出来事の中で、一番の良かった事だよ?」



じんわりと、滲み入る微笑み。
わからない事だらけで足掻いた日々も。
隆一をどうしたら救えるのかと、苦悩し、もどかしさに襲われた日々も。
隆一の言葉と微笑みひとつで報われてしまう。


隆一の。
気持ちひとつ。
微笑みひとつ。

それが、今回イノランを突き動かした。
伝えるつもりが無かった想いを伝えることができた。


この世界を侵食する黒いモノ。
それが人々の生み出す負の感情が原因だと言うのなら。
それを浄化して、躊躇いを棄てて、一歩踏み出せ…
そんなメッセージを送る役割を隆一が担った事に。
イノランは、大きく頷くことが出来る。




( ーーー〝神様〟…お目が高い )


( 隆一とリュウイチを、散々振り回した事は…あんまりいい気持ちしないけど…)



きっと、決まっていたのだ。
隆一がこの世界の中で、歌を歌い始めた瞬間から。

そしてイノランと隆一が出会った瞬間から。支え合う運命は、きっと決まっていたのだ。



ーーーでも。



「隆?」

「え?」

「俺はね、今回の事があっても無くても。隆に…恋してたよ?」

「ーーーっ…」

「好きだよ?隆」

「ーーーイノちゃ…」

「ずっと、これから先も。好きだから」




イノランは。
隆一が何かを言う前に唇を重ねた。
ーーーあの日から、もう何度もしているキス。
何度しても飽きない。
飽きるどこか、想いは深くなる。




「っ…イ…ーーーんっ…好…」

「ーーーん?」

「好っ…ーーーき…ぃ」

「…隆っ」




ーーーそうか。
この瞬間の気持ちのままで歌えばいいんだ。
愛情と切なさをいっぱいに抱えた、この気持ちで。


隆一は、イノランのキスを受けながらそんな事を思って。
ひとかけら残っていた恐怖心が、ゆるゆると解けて消えていくのを感じていた。



















リュウイチは、両手で大事に持った白いひとひらの羽を、胸に抱いた。


あの神殿で、歌を歌ったリュウイチ。
リュウイチが引き換えに出来る事は、歌う事だけだったから。
隆一の想いの込められた、愛の歌を。


リュウイチは、たったひとりになった時から。ただその現状を憂いているだけでは無かった。
〝神様〟の持つ、膨大な書物のある書庫の在り処を知ったリュウイチは。
何かこの現状を打破する手立ては無いものかと、書庫の資料を読み漁った。

そこで見つけた。
ある記述。

白の空間の先に、天使の部屋への入り口がある。
天使に己の持つ最高のものを捧げると、引き換えとして、〝天使の羽〟を貰えると。
そして、そのひとひらの羽は。
持つべき者が持った瞬間、真の翼になって。その者を眩く照らすだろう。

ーーーと。



「ーーー良かった」



リュウイチは。
〝天使の羽〟を、隆一にあげたいと思ったのだ。



「ーーー…」


決して、リュウイチのせいでは無いのだけれど。
リュウイチは、心の中で。いつもいつも、隆一に済まない気持ちがあった。

〝神様〟のコマになって動いたとはいえ、隆一をこの事に巻き込んだのは自分。
隆一の大切なツアーを、不安な気持ちで満たしてしまったのは自分。

ーーーリュウイチは、そんな風に考えていた。



「ーーー本当に良かった。これを貰えて」


だからせめて、〝天使の羽〟をあげたかった。
気丈にファイナルを迎えようとする隆一の手助けになりたかった。



「どうか隆一が、全て解放されて。自由になれますように」



リュウイチは祈りを込めて、目を閉じた。







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