長いお話・2 (ふたつめの連載)
イノランと隆一にとって、冷汗をかく事態をやり過ごしての。
ライブ二日目。
隆一の身に初日に起こっていた不可思議な現象もこの日はぱたりと鳴りを潜め。順調にライブを終えることが出来た。
ーーーでも、それでも。
表立っての異変は無かったものの。
この地での、ライブの間ずっと。
隆一は、ずっと何かに守られるような。
そんな気配を感じていた。
それがリュウイチを探し続ける四人の意思によるものと知ったら。
尚更。
愛おしくて。
いつの時代も確かにある、五人の絆の深さを改めて見せられた気がして。
イノランも。
リュウイチも。
それから三人も。
早く会わせてあげたくて。
隆一は。今、渦中にいる、この事態を。
一刻も早く解決したいと。
その想いが更に強くなったのだ。
二日間のライブを終えて東京に戻る、翌日の今日。
あと二箇所の公演を終えると、いよいよ東京の地でのツアーファイナルを迎える。
ツアーファイナル。
そしてその二日目最終日は、隆一の誕生日でもある。
〝0520〟
隆一に贈られたカードに示された数字。
後にその数字が隆一の誕生日。
そしてその日に、隆一の歌の力が最大限に発揮されると知った。
奇しくもそれは、ライブのツアーファイナルだった。
「ーーーなんかさ。最初から仕組まれてたみたいだよね」
東京に帰る移動中の新幹線の隣同士の席で。
車窓から外をぼんやり眺めていた隆一が、ぽつりと零した。
コーヒーを啜っていたイノランは、その呟きを耳聡く拾って。
飲んでいたコーヒーカップをホルダーに置くと、隆一に相槌を打った。
「どした?」
「ーーーうん」
後ろにも前にも、スタッフ達が座っているから。
心持ち声量を落として、会話する。
「このツアーの最終日が俺の誕生日で。その誕生日に俺の歌の力が最大に発揮できる…なんてさ」
「ーーー」
「ライブの日程は元々決まってたものだけど。…もしかしたらそこからもう〝神様〟に仕組まれてたのかな…って」
「隆、それは…」
「ーーーん」
押さえられる会場の都合、それぞれのソロワークのスケジュール、新曲の発表のタイミング…。そんな様々な都合を上手く纏めたのが今回のツアー日程だという事は、長年やってきた隆一にもイノランにもよくわかっている。
もしかしたら、ちょうど良い具合に隆一の誕生日と重なりそうだから…というスタッフ達の遊び心も込められていたのかもしれないけれど。
度々起こる不可思議な出来事に出会う度に。本当は一体どこから〝神様〟の手の内にあったのか。
ーーー少し、疑心の気持ちを持ってしまうのも、仕方ないのかもしれない。
「ーーー隆」
「ん?」
「…隆はさ。ーーーすげえ頑張ってると思うよ?」
「…イノちゃん」
「こんな訳わかんない事態にいきなり放り込まれてさ。自棄になったり放棄したりしてもおかしくないのに」
「ーーー」
「隆ちゃん、エライ」
「っ…」
くしゃくしゃっ…と、イノランは隆一の頭を撫で回すと。ニッと笑って、隆一の肩を抱き寄せた。
「イノちゃっ…」
「ね、隆?」
「え…?ナニ?」
「今の、このごちゃごちゃがぜーんぶ終わったらさ。俺、隆と叶えたい事があるんだ」
「?…叶えたい事?」
「うん、少し前から考えてた。きっと隆にとっても、俺にとっても。それが叶ったらどんなに良いだろう…って思える…と思う事」
「っ…なに?」
「ナイショ」
「ええ~⁇そこまで言って教えてくんないの?」
「だからこれがご褒美だって思えたら、また頑張れそうじゃん?」
「うぅ~…だけどさ…」
「なんと言われても今はナイショ」
「イノちゃんのケチーっ‼」
「えっっ⁉」
「ケチケチケチ!」
「ちょっ…隆っ…」
突然の二人のやりとりに、周りのスタッフは勿論。斜め横にいたメンバー達も身を乗り出した。
「なんだ?ケチ?」
「隆ちゃんどした?イノにいじめられた?」
「違っ…いじめてないから!」
「りゅう~、こっち来るか?」
「ダメ!隆ちゃんはここにいんの!」
「もぅ!車内ではお静かに‼」
「!」
はい。…と。
隆一の喝でシュンとまた席に戻る面々。
イノランも隆一に睨まれて大人しく身を縮めた。
「ゴメンナサイ」
「ん。わかればよろしい」
「ーーーでも」
「ん?」
「やっぱ、まだナイショ」
「ーーーふふっ…わかったよ」
「ーーー」
「全部終わったら、どんなお楽しみがあるのか。待ってる」
「ーーーうん」
「だからーーーーー頑張る」
「ん。…側にいるからな?」
「うん!」
イノランはさっきみたいに隆一の肩を抱くと、ちゅっ…と、唇を重ねた。
目を見開く隆一を、イノランは楽しげに見て。顔を真っ赤にしながらも怒り出す隆一をもう一度抱き寄せた。
ーーーその時だった。
通路を挟んだ斜め前にいたスギゾーが、二人を呼んだ。
前方から声がして、イノランがちょっと腰を上げて見ると。
スギゾーも座席から顔を出して、さっきとは打って変わって真面目な様子で、しきりに前を指差している。
「?」
スギゾーの指差す方向には車両の連結部分。スライド式の扉がある、その上に。
( 電光掲示板?)
次の停車駅情報や、天気予報、新着のニュースなんかが定期的に表示される電光掲示板。スギゾーはそれをしきりに指し示しているようだ。
「?…イノちゃん、スギちゃんなんだって?」
「ん…いや、まだちょっとわかんないんだけど…」
そう呟きながらも前方から目を離さないイノラン。
なんだ?…と妙に騒つく胸を宥めながら、じっとニュースに見入った。
そんなイノランの様子に、隆一も背を伸ばして掲示板に目をやった。
次の停車予定時刻…各地の天気予報…交通情報…現在入った最新ニュース…
国内の政治や社会のニュースが流れる中、国外のニュースに移っていって。
そして…
〝世界極地探査チームが、謎の生物未確認区域の広域図を発表した。現在確認できている地域は東西南北で各一箇所づつ。前回調査より、その範囲が広がっていることがわかった。同調査チームは引き続き調査を続行。〟
「っ…ーーー!」
「ーーーイノちゃん」
例の事絡みのニュースだということが、二人にはわかった。
そしてスギゾーも同じだろう。
ふと斜め後ろと、通路横を見ると、真矢もJも険しい顔をして前方を凝視している。
範囲が広がっている。
リュウイチの言っていた、生命の存在しない負の領域が。
それはもう、本当に猶予が無い事を知らせていた。
「お疲れ様でした!」
「ファイナルまであと合計4ステージ。あと一息頑張りましょう!」
「怪我しないように」
「風邪ひかないように」
「次は四日後!よろしくお願いします!」
新幹線を降りて、各々マネージャーの車に乗り込んで帰宅する。
スタッフ達が慌ただしくなる中で、メンバー達は帰りがけに五人集まっていた。
ライブは大成功だったはずなのに、なぜか晴れないメンバー達の表情のわけは…例のニュースだろう。
とりわけ隆一は、あのニュースを見て以降。どこか元気が無い。
そんな隆一の様子にイノランはもちろん、スギゾーも真矢もJも心配そうに見つめている。
「ーーーそうだ、これ」
そう言って、Jは自身の荷物をゴソゴソ漁って。音楽雑誌の間に挟んでいた数枚の用紙を隆一とイノランに手渡した。
「?…J…これ?」
「…例の譜面のアレンジだよ。このライブ中にホテルでちょこちょこ書いてた」
「っ…!」
それを見たスギゾーと真矢も思い出したように荷物をかき回して。スギゾーは録音したメモリ、真矢も数枚のレポート用紙を二人に渡した。
「俺も超急ぎで、ライブ会場の機材で待ち時間に録音したから音質ぐちゃぐちゃかもしんないけど。アレンジ出来たよ」
「スギちゃん!」
「俺も。隆ちゃんが歌う歌詞ね。こんなのどうかなぁ…っての、書き出しといた」
「真ちゃんも!」
手の中に渡された三つの物を。隆一はしばらく食い入るように見つめた後。
さっきの沈んだ表情から一変。嬉しそうに顔を上げると三人に礼を言った。
「みんなありがとう!」
「良かったな、隆ちゃん」
「うん!全部合わせたら、きっとすごい曲になるよね」
いつものにこにこした隆一の笑顔を見て、ホッと安堵するメンバー達。
自分達に出来る事ならしてあげたいと思うのは、三人も同じなのだ。
「これであの曲を完成させられる」
「残り、ライブ四本。四本目のファイナルで披露だ」
「曲を…次の四日後のライブか…その次のライブまでには完成させたいな。リハの合間に少しは練習したいもんな」
「うん」
「とりあえずこの出発前の三日間で出来るところまでカタチにしてくるよ。で、向こうに着いたらまたやる。みんなの意見も取り入れながら」
「ん!それがいいな」
車用意出来ましたー!
そんなマネージャー達の声を聞いて、メンバー達は頷き合った。
隆、心配すんな。
きっと上手くいくさ。
俺たちも付いてるからね!
ーーーそんな気持ちが伝わって来て。
隆一はもう一度頷くと、声に出さない〝ありがとう〟を言った。
「お邪魔します」
「はい、どうぞ」
今夜はイノランの家に身を寄せた隆一。
マネージャー達もすっかり心得たようで。
今日はどっちの家に送りましょうかね?…なんて聞いてくる。
だからと言って真相はさすがに話せないけれど。事細かに理由を聞かれたりしない、そんな信頼で結ばれているマネージャー達に感謝していた。
遠征から帰った後の冷蔵庫は、大抵が寂しいものだ。缶ビールだの、ミネラルウォーターだの。保存の効く食品だの、そんな程度しかない。
だからこれもいつもの事。
荷物を一旦家に置いて。小休憩をとったら二人揃って外に出る。
昼下がり。
春の…もう六月寄りの五月の日中は、そこそこ暑い。
日陰を選びながら、街路樹の下を二人で歩く。
足もとは、もうサンダル。
服装も、イノランなんかは半袖だ。
「昼、いつもの喫茶店でいい?」
「うん!遠征から帰ると行きたくなるんだよね」
「マスターの顔見たくなるんだよ」
「あはは!そうだね」
二人馴染みの喫茶店。
モーニングから、ランチから、ちょっとしたお茶まで。二人は何かというとここへ立ち寄った。イノランはマスターの選ぶコーヒーと、店内の音楽と。隆一はマスターの人柄と、彼特製のナポリタンがいたく気に入っていたから。
カランカラン…
ドアベルの音を聞きながら店内に入ると、すぐに心地良いジャズが聞こえ出す。
いらっしゃい。
いつも座る窓際の席。
窓枠もテーブルも。店内全体が濃茶の木造りでとても落ち着く。
席に座ると、早速マスターがオーダーを取りに来た。
「今日はジャズなんですね?」
「そう。今日はそんな気分でね」
「こないだはハワイアンな…」
「あはは、そうそう!色々聴きたくてね」
一見強面な年配のマスターだけれど。音楽の話をすると、顔をくしゃっとさせて笑う陽気なおじさんになる。
「いつものコーヒーください。あと…」
「俺ナポリタン!それからアイスティー」
「いつものセットね?」
「ハハハ!はい」
「俺あとカレー。お願いします!」
お待ちくださいね。
そう言って、離れるマスターを目で追って。
レモンのスライスの入った水をコクコクと飲んで、はー…と隆一は息をついた。
「隆ちゃんお疲れ様」
「イノちゃんも、お疲れ様」
「ーーなんか、色々あったなぁ」
「ね。ちょっとハラハラする事も」
「ん、でも。ーーー隆ちゃんの誕生日が最終地点なんだとしたら、あと…二週間?…で、カタがつくのかな」
「…うん。だといい。ーーーだといいけど…ーーーあのさ?あんまり考えたく無いんだけど」
「ん?」
「ツアーファイナルで、もしもだよ?上手くいかなかったら…どうなるんだろう」
「ーーー」
「上手くいくって思って臨まないとダメだってわかってるんだけど…。今日の…あの」
「ニュース?」
「ーーーうん。あんな、世界規模の事。ホントに俺の歌声で…どうにか出来るのかな…って」
ーーー隆一が、また俯いてしまった。
元気を無くしている。
それはそうだろうと、イノランは思う。
歌の…音楽の力を信じてる。
音楽の神様は、きっといる。
その気持ちは揺るがない。
その気持ちひとつで、色んな事を乗り越えてきたから。
それは隆一も同じだろうと思う。
ーーーでも。今直面している事。
余りにも大きくて、未知で。
その事が、度々隆一を不安にさせるのだ。
「側にいるから」
「ーーーっ…」
「初めにも、今までも。言ったじゃん?」
「ーーー」
「俺は騎士だって。どんな事になったって、隆の側にいるよって」
「…イノっ」
「隆となら、どこまでも堕ちても構わないって…」
久しぶりだったから。
こんなふうに、お互いの温もりを分け合うのは。
喫茶店から帰って、玄関を通り抜けて。
すぐ。
もう待てなかった。
ライブ中、こんな事もそうそうできないから。
「ーーーっふ…」
「隆…」
「イノちゃんっ…イノ…」
「ん、どした?」
服ははだけて、ソファーの上で。
キスから始まった二人の時間は、さらに深いものになっていった。
縋り付く隆一の身体が、いつもより熱い。すでに身体は繋がっているのに。両手を絡ませて、もっともっととイノランに強請る。
「隆ちゃん、可愛い」
「んっ…イノちゃん」
「いいよ。どうした?」
「っ…ーーーん」
「…りゅう?」
「イ…ちゃんーーーーーあっ…俺」
「っ…ん?」
「んっ…ぁ 、ーーーーホントは…ね?」
「うん…」
隆一の首筋に舌を這わせながら、イノランは隆一の言葉に耳を傾ける。
手のひらでその身体をサラサラと撫でると、背を仰け反らせて喘いだ。
「あんっ…待っ…て」
「待たない」
「意地悪っ…」
「意地悪だよ?ーーーで、どうした、言って?」
「んっ…んーーー…俺」
「うん」
「ーーーーーホントは、恐い」
「ーーー」
「上手く…いかなかった…ら、ど…しよって…」
「ーーー」
「リュ…イチとも、約束…したのに…」
「ーーー」
「俺のっ…歌…で、救えるの⁇」
「ーーーーー」
「あんな…に、広い…世界をっ…」
「っ…ーーーーーーー隆っ…」
「や…ぁんっ…ぁ あっあ…あん」
「りゅうっ…隆っ…」
「っ…イノちゃっ…あっぁ…もっ…と」
イノランは。
隆一が何も考えられないくらいに突き上げて。ぽろぽろと溢す涙を舐めとって、もはや喘ぎ声しか出てこない唇に噛みつくようなキスをする。
恐くないはずが無い。
今まで強気に立ち向かっていたのだって、自分を鼓舞する為でもあったのだろう。
ーーーそんな時。
何がしてやれる?
今では愛おしい恋人が困難に立たされている時。
何ができる?
「ーーー隆っ…」
「イノちゃんっ…」
「りゅ…」
「もっと」
「っ…」
「もっと…イノちゃんっ…ーーー」
「ーーーーー隆っぅ…」
ーーー隆一の為に出来る事。
それは。
物事を軽んじて気休めを言う事では無く。
無責任な事を言っていざと言う時に手を離す事でも無く、
イノランにだけ、出来る事。
「っ…側に…ーーーいるから」
それはやはり、どんなに何度も考えても。
隆一を愛して。
困難な時ほど、側にいる事だった。
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