長いお話・2 (ふたつめの連載)
「ーーー隆ちゃんの気配が、無い?」
イノランはベッドに横たわったままのリュウイチに。焦りの色を浮かべて問いかけた。
リュウイチも、想定外の事だったのか。
眉を寄せて、心配そうにイノランを見つめた。
「隆ちゃんの身体から、隆ちゃん本人の気配が無くなるなんて事…あんの?」
〈ーーー俺もわからない。俺が意図的に隆一と入れ替わるって事は出来るけど…〉
「隆ちゃん…っーーーじゃあ何処に?」
〈っ…わからない〉
リュウイチがふるふると首を振って、イノランを見上げる。
その視線を受けて、イノランはハッとして。リュウイチの方に身を乗り出していた上体を、脱力したように落ち着けた。
「ーーー…ごめん」
〈え?〉
「リュウイチだって、わかんない事なのに…俺」
〈ーーー〉
「…また、詰め寄って問いただす…みたいな事して」
〈…ーーー〉
「ごめんな?リュウイチ」
初めてリュウイチが表に出て来てくれた時もそうだった。
隆一が陥っている事に関して、何でもいいから知りたくて。何とかしたくて。してあげたくて。
あの時も、イノランは無意識にもリュウイチに詰め寄った態度をとってしまった。ーーーあの時はメンバー達に窘められたのだけれど…。
リュウイチは何も悪くない。
リュウイチだって、今回のこの一連の騒動の渦中で、たったひとりだったのだ。
イノランの予測が当たっていれば、リュウイチこそ、本当にひとりなのだ。
イノランは昂った気持ちを、ふぅ…と息をついて静めると。
相変わらず心配そうに見つめてくるリュウイチに微笑んで。
今度は怖がらせないように、穏やかな口調でリュウイチに問いかけた。
とにかく今は、隆一が戻ってくるのを待つしかないのだ。
「ーーーなぁ?リュウイチ」
〈え?〉
「こんな時なんだけど、リュウイチとちょっと話してもいい?」
〈ーーー俺と?〉
「ん。リュウイチに聞いてみたい事がたくさんあるんだ。ーーー隆ちゃんの事はもちろん心配だけど。今は戻って来るのを待つしかない。…アイツならきっと大丈夫だから」
〈ーーーイノちゃん〉
リュウイチを見つめるイノランの表情は穏やかだけど。
それが隆一への心配を必死に押し隠しているものだという事が、リュウイチにはわかった。そして、それでも〝アイツならきっと大丈夫〟と言い切れるイノランに、二人の間の深くて強い絆を見た気がした。
( 隆一、幸せ者だよ?)
( イノランに、こんなに想われてるよ?)
リュウイチは一瞬だけ、チリッ…と痛んだ胸の内をそっと隠して。
じっと見つめてくるイノランに微笑み返した。
〈そうだね、隆一ならきっと大丈夫。ーーーいいよ?話、しよ?〉
「ん…ありがとう」
リュウイチはベッドの上に上体を起こして、イノランと対峙していた。
イノランは相変わらず、ベッドの縁に腰掛けて。リュウイチの顔をじっと見ながら話し始めた。
「リュウイチはさ、隆ちゃんが落とした…って言うのは変だけど。歌声の置き土産みたいな存在なんだよな?」
〈そ…なのかな?置き土産…って言うか、ホントに音の記憶だよね〉
「残り香…みたいな?」
〈あ!そうだね。そんな感じ〉
「残像とか」
〈ふふふっ…怨念とか?〉
「怨念⁉いやいやいや、それは違うでしょ」
〈あはは!でも、そんな感じだね。強く残った音の…歌声の残り香〉
「うん。ーーーでさ?こっからは、俺の推理…つーか、まあ、もしかしたらって思った事なんだけど」
〈?…うん〉
「リュウイチの歌声の記憶があるなら…俺ら四人の音の記憶もあるのかな…って」
〈ーーー〉
ーーーリュウイチの表情に、瞬時に悲哀の色が広がるのをイノランは見逃さなかった。
でも、続ける。
「隆ちゃんがね、今回の会場に着いた時から言ってたんだ。声が聴こえるって。それから微かな音と、綺麗な光だって」
〈ーーー〉
「ーーー俺はもちろん、メンバー達にも聴こえないし見えない。隆ちゃんだけ。そんな話だけ聞くと怪奇現象みたいだけど、隆ちゃん言ってたんだ」
〈ーーー〉
「ーーー怖いとか、嫌な感じはしないって。むしろ懐しい、切ない感じがするって。ーーー呼んでるみたいだって」
〈ーーーっ…〉
「リュウイチ。…俺、思うんだけど。それってさ?」
〈ーーー〉
「俺ら四人の音の記憶が、いなくなっちゃったリュウイチを探して呼んでるんじゃないかな…って」
そう、イノランが言い放った時だった。
イノランの話をじっと聞き入って、シーツの端を両手でぎゅっと握り締めていたリュウイチが。
唇を噛んで、強く眉を寄せたと思ったら。ぽろぽろと涙を零して、声をあげて泣きだしたのだ。
わんわんと、堰を切ったように。
「リュウイチっ…?」
面食らうイノランを余所に、リュウイチは泣き続ける。両手で顔を覆って、ベッドの上で膝を抱えて。
もうその姿だけで、今言った事が的を得ていたのだとわかって。
リュウイチの抱え込んでいた寂しさとか、悲しみとか。そんなのが全部一気にこぼれ出て。
イノランは堪らなくなって、隆一の…リュウイチを抱きしめて、その胸で思う存分泣かせてやったのだ。
きらきら光る誰もいないステージの上で。隆一は空間を抱きしめた両手を、いつまでもいつまでもそのままに。
四人の気配のする、そのあったかい空気に身を委ねていた。
「ーーー気持ちいい」
「この感じ」
それは幾度となく味わってきた。
「ライブの時の…四人の真ん中で歌ってる時の感じだ」
そして本来なら、ここに居るべきなのはリュウイチなのだ。
「絶対にリュウイチを返してあげる。次に皆んなの真ん中に立つのはリュウイチだよ?」
ーーーーーーー…
返事だろうか?
四つの音の波が隆一を包む。
心地良くて大好きな、四人の音色。
すると。
もやもやとした形を伴わなかった光の纏まりが。抱きしめる隆一の腕の中で、急にその存在を表し始めた。
「っ…?」
思わず目を丸くする隆一の前に。光のもやがみるみる内に固まって。目に見えて人型に変化していく様子を、隆一は瞬きも忘れて見入った。
ーーーり…ーーーちゃ…
「え?」
声が聞こえた。
微かなその声は、目の前の人型の光の纏まりから聞こえる。
隆一は眩い光に目を細めながら、その〝人物〟を見つめた。
ーーー隆…ーーー
「…あ」
声と共に徐々にその輪郭がハッキリしてきて。その声に聞き覚えがあると隆一が気が付いた時には。
隆一の目の前に、ひとりの良く知る人物が立っていて。ほんのり光を帯びながらも、その表情も明確にわかるようになって。
隆一に微笑んでいるのは…
「…イノちゃん?」
隆一の呟きに、にこっと頷いたのは。
誰でも無い、愛しい恋人の姿だった。
「ーーーイノちゃん」
ーーー隆ちゃん…。
「ホントに…?イノちゃん?」
ーーーそうだよ?
( ーーーイノちゃんだ。…ホントに。ーーーでも、ちょっと今より若いかな?)
隆一の目の前に立つイノランは、確かにイノランだけれど。どことなく、現在のイノランよりも若い気がした。
…それの意味する事は。
ーーー数年前に、ここでライブした時の俺だから。
「あ…ーーー音の…記憶?」
ーーーそう。ずっとここで眠ってた、ルナシーの音の記憶だよ。
「じゃあ…」
ーーーさっきまで一緒にいたスギちゃんも真ちゃんもJも。みんな当時のもの。
「やっぱり…そうだったんだ」
ーーーん?
「この会場に来た時から、ずっと感じてた。誰かが呼んでて、探してるって」
ーーー……
「切なくて、必死なんだけど…あったかい。そんな気配。ーーーみんなだったんだよね?」
ーーー…っ
「四人の真ん中で歌ってた、いなくなったリュウイチを探してたんでしょう?」
ーーー……っ…
「今俺はリュウイチと繋がってるから。この会場に来た俺とみんなが共鳴して引き合って、俺は今イノちゃんの前にいる。…そうだよね?」
ーーーーー……そうだよ
イノランの表情が、ここへきて悲痛に歪んだ。苦しげに唇を噛むイノランだけれど、隆一を見つめる眼差しは限りなく優しい。優しくて、愛おしさを含んでいた。
ーーー隆…
「ん?」
ーーーありがとな?リュウイチを、かえしてくれるって、言ってくれて
「うん!リュウイチ、頑張ってるから。このゴタゴタが全部片付いたら、リュウイチが繋いでくれたあの歌を歌ったら。絶対にリュウイチは帰るから、だから…」
ーーーっ…隆…
「!」
イノランの腕が伸びて、隆一はその腕に抱きすくめられる。光の塊のイノランなのに、ちゃんと温もりや感触が伝わってきて。それが不思議で、ドキドキした。
いつも隆一を抱きしめる大好きな彼と、同じ匂いがした。
「ーーー数年歳下のイノちゃんも、今のイノちゃんとおんなじに俺を抱きしめるんだね」
ーーーそりゃぁ…
「でも数年前には、まだ俺とイノちゃんは恋人同士じゃなかったよね?」
ーーーまあ、な?ーーーでも…
「うん?」
ーーー好きだった。ずっと…もっとずっと前から、好きだったよ?隆…
「ーーーイノちゃん」
ーーー今度こそ、ちゃんと言うよ
「…リュウイチに?」
ーーー今回こんな事になって、急に目の前からリュウイチがいなくなって。こんな事なら伝えておけば良かったって後悔した。だから…今度リュウイチが帰って来たら、今度こそ…
「そうだよ。でも、良かったの?リュウイチより先に俺を抱きしめちゃって」
ーーーリュウイチは特別だけど、隆ちゃんだって大事な存在なのに変わりはないよ。大切なひとだから抱きしめたかった。
「ふふっ…うん」
ーーー俺たちにも力になれる事があったら知らせて欲しい。リュウイチを、どうかよろしく
「ん…。大丈夫だよ?リュウイチとも協力して、あの曲を立派に歌ってみせる。しっかり役目を終えたリュウイチを、その時は…」
ーーーうん
力強い頷きを首筋の辺りに感じたと思った瞬間。
イノランの姿が眩しいくらいに輝いて、ガラスの砕けるような音と共に光が飛び散って。
あまりの眩さに、隆一はぎゅっと目を瞑って、そのまま…
また抗えない程の眠気に襲われて意識を手放した。
ぐす、ぐすん…。
鼻を啜りながら、目を真っ赤にしたリュウイチが。イノランの腕の中からようやく顔を上げた。
近頃妙によく泣く恋人の泣き顔が、実はイノランは大好きで。潤んだ目で見つめられたら愛したくなってしまう、そんな気持ちを。今目の前にいるのは隆一であって隆一でない。リュウイチなんだと自分に言い聞かせる。
「落ち着いた?」
〈ーーーうん…〉
「そっか」
瞬きをしたリュウイチの瞳から、拭い切れていない涙がぽつんと落ちる。
イノランはそれを指先で拭いてやった。
「恋人同士になるまで知らなかったんだけど…」
〈え…?〉
「隆ちゃんもね、すげえ泣き虫なんだ。あんな泣くヤツだなんて知らなくてさ。初めちょっとびっくりした。…ーーーでもね?」
〈?〉
「ああゆう面を見せてくれるの俺だけなんだって気付いたら…すげえ嬉しくてさ。泣いた後の笑顔もヤバいくらい可愛くて。でも…そうゆう泣き顔とかずっと見せずにいたんだな…って思ったら」
〈ーーー…〉
「もっと早く、隆に伝えれば良かったって、思った」
〈ーーー好きって?〉
「うん。…ホントはもっと泣きたい時とかあったけど、我慢したりしてたのかなって」
〈ーーー…〉
「もっと早くに好きって言って、恋人同士になれて。そしたら…泣きたいの我慢…とかさ。させなくて済んだのかなぁ…」
〈…そっか〉
「うん」
〈ーーー隆一は、やっぱり幸せだね〉
「ん?」
〈イノちゃんに、そんなに想われてる〉
「ーーー…」
リュウイチが寂しげに笑った。
それを見て、ああ…そっか。と、イノランは項垂れた。
リュウイチは以前の隆一。
それならば、リュウイチを待つメンバー達…イノランも以前のイノランだろう。
今より数年前の自分。
その頃の自分は、隆一への想いを秘めながらも、その気持ちを伝えてはいない頃だ。
だからこそ、リュウイチは知らないのだ。
自分…以前のイノランと愛し愛される気持ちを。
あれから数年経って、なにものにも囚われずに愛し合うイノランと隆一が、眩しいのだろう。
ーーー好きだという気持ちが心の片隅に芽生えた時に、伝えていればよかった。
今更遅いけど、イノランは悔やんだ。
「ーーーホント、ごめん」
〈え?なんでイノちゃん謝るの?〉
「ん…。とにかく、ごめん」
〈⁇〉
「ーーーでもね、リュウイチ」
〈?…うん?〉
「好きだから」
〈ーーーえ?〉
「ずっとずっと前から、お前の事。…好きだったから」
〈っ…!〉
「自分の事だからわかる。以前の俺は、伝えなかった事をきっと今頃悔やんでる。だから…リュウイチが全部を終えて帰れた時…」
〈ーーー…〉
言葉の続きの代わりに、イノランは微笑んだ。
リュウイチは目を見開いて、やがてはにかんで頷いた。
膝を抱えていたリュウイチの手が、ベッドの上につく。
手をついて、傍らのイノランを見上げると。ふわっと花が咲くように笑って顔を寄せた。
〈ありがとう、イノちゃん。ーーーちょっとだけ〉
「っ…ーーー」
〈ーーーゆるしてね〉
頬に触れたのはほんの一瞬。
リュウイチの柔らかな唇。
ありがとうの感謝の意味と。
隠された、好きの意味。
隆一もイノランも。
未来も過去も今も。
いつだって好きなひとだから。
イノランはそんなリュウイチを、もう一度抱きしめた。
「ん…」
「ーーー?」
「…あ、れ?」
「ん?ーーーー隆?」
「ーーーあ!イノちゃん」
「隆?」
「うん、隆だよ!」
「ーーー。え⁉ーーー隆?リュウイチじゃなくて隆⁇」
「そうだよー!戻れた~」
「‼…ーーーーーよ…かった!」
隆一が無事に戻ってきた安堵で。ぎゅうっと、イノランはまたまた隆一を抱きしめて。そして…
「おかえり、隆ちゃん」
「ん、ただいま」
「ホント…ーーー良かった」
「うん、ツアー中に…こんなね?でもね」
「ん?」
「素敵な出会いが…」
「え?」
「きっとね?全部上手くいくって思えたんだ」
「ーーー隆も?」
「え、イノちゃんも?」
「ん、まあ…ね?リュウイチに会えて」
「リュウイチ⁇ええ、俺もまた会いたかった」
「だよな」
「そっかぁ…。でも俺もね?数年前のイノちゃんに会えたんだよ?」
「ーーー俺⁉」
「そう!イノちゃんの、あの会場に残ってた音の記憶。なんか色々…イノちゃん悔やんでたけど」
「!」
「でもね?きっと大丈夫だって思えたんだ。だって昔のイノちゃん…」
「隆」
「…え?」
「しぃー…」
「?」
「こっから先はリュウイチと、以前の俺と。アイツらに任せようぜ?」
「っ…!」
「ーーー隆」
イノランは抱きしめた隆一の身体を少しだけ緩めて。その頬に、触れるだけのキスをした。
ーーーさっきのリュウイチの真似をするみたいに。
でも、込める想いは少し違ってて。
物足りなさそうに強請る隆一の瞳に苦笑して。イノランは隆一の耳元で言葉を囁くと。頬を染める隆一の唇に、恋人同士のキスをした。
「隆、愛してる」
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