長いお話・2 (ふたつめの連載)
迎えたライブ一日目。
この会場も、ルナシーで立つのはもう何度目だろう?
巨大な規模の会場と違って、ホールでのライブは距離がぐっと近くなって、そこがまた楽しい。
ゆっくり朝食を摂って、ホテルを出発したルナシー一団。会場に着いたら、ここからは本番までリハーサルとウォーミングアップだ。
メンバーそれぞれに割り当てられたプライベートルームに荷物を置いて。隆一は早速、ステージの方へと赴いた。
まだスタッフ達が忙しなく行き来するステージ上。今は空っぽの客席が、これから数時間後にはいっぱいになる。ーーーそれを想像して。楽しみと、心地よい緊張感が隆一を包んだ。
「ーーーーーーーーーーー?」
唐突に。
隆一は、あれ…?…と、思った。
今、急にだ。
空っぽの客席を眺めて、遠く向こうの照明に視線を向けた瞬間。
小さな。
本当に、小さな。ーーー声…音?
ここは室内だし窓も無いから、風が吹くわけないのだけれど。
ふぅ…っと、隆一に懐くような空気の流れを感じて、何かを聞いた気がした。
「ーーーなんか…今」
聞き違いだろうか?
今この空間は、賑やかな音で溢れかえっているから。そんなたくさんの音のひとつだったのだろうか?
隆一はもう一度耳を澄ませてみるも、それきり何も変化は無く。
辺りを見回しても、スタッフ達が忙しそうに動き回っているばかり。
( なんだろ? )
そう思って首を傾げていると、ステージ袖から顔を出したスタッフに呼ばれてしまった。
ちょっと引っかかったけれど、気のせいかな?…と、この時は深く考えずに終わらせた。
舞台のセットもほぼ準備が整い、各楽器のサウンドチェックを終えて、これからリハーサル。本番前だから、主に曲順と照明音響効果とのタイミングの確認だ。
早速一曲目から始まって。
メンバー達も逐一、気になる点を合図で指示する。
順調に曲数を進めて行って、ちょうど半分くらいまできた頃だろうか。
ここでまた。
隆一は、何かを感じて上を見上げた。
ここはホールだから緞帳が巻き上げられている。ちょうどその辺りだ。隆一の上。
その辺りの空間が、きらきらと微かに光った気がした。
「…ーーーーー」
隆一は純粋に、綺麗だなと思った。
この時の照明が青い空間をつくっていたから尚更だった。
( ーーーでも、なんの光?)
一瞬、これも照明の効果?とも思ったが、その光り方を見るとそうでもなさそうだ。まるで花火。それも小さな、線香花火の細かな火がちかちか明滅するように光っている。
他のメンバーも気付いているだろうか?と思い周りを見回してもいつも通りだ。
位置的に、隆一の真後ろにいる真矢だったらすぐ気が付きそうなものだが、全く気にする様子も無い。
( ーーー俺だけ? )
見えたのは自分だけ?と思うと、見間違いなのか?とも思うけれど。
ここでさらに、もう一つ異変が起きた。
ーーーーーー……
「ーーーぁ……」
さっき感じた、微かな声と音。
それから、隆一に懐くような、空気の流れ。
( ーーーまた…だ… )
今度はしっかり認識出来た。
聞き違いじゃない。
気のせいでもない。
このステージに、何かがある。
隆一の真上の光も、不思議な声と音も。一度感じ取ったら、すぐに消えてしまったけれど。
本来なら、心霊現象⁇なんて思って心落ち着かなくなりそうな事象だけれど。
慣れとは怖いもので。
ここ最近起こる非科学的な事態に隆一はすっかり慣れてしまって。怖がるどころか、今の事象の分析を頭の中で始めていた。
嫌な感じは無かった。
寧ろ、心地いい。
懐かしい感じすらする程の、感覚。
( あの事と関係があるのかな )
リュウイチに聞けば、何かわかるだろうか?
ーーーリュウイチとコンタクトがとれればいいのだけれど。
リュウイチも〝神様〟の側にいる限り、ある程度の制限があるようだった。どんな規制の中で動けているのか詳しくはわからないが、望んだタイミングで気軽に会って話したりするのは難しそうだった。
( ーーーそれなら、まずイノちゃんには話しておこう )
隆一はそう結論付けて、リハーサルに意識を集中した。
「イノちゃん」
リハーサルを終えて、各々楽屋に向かう中。隆一はイノランを呼び止めた。
イノランはすぐに振り向いて、いつもの穏やかな微笑みで隆一を見た。
「どしたの?」
「うん。ーーーあのね、ちょっと今いい?」
「?ーーーいいよ。リハの事?」
「えっと…まぁ、ステージでの事なんだけど…でも音楽の事じゃなくて…」
「ん?」
「ーーーちょっと…」
「!」
歯切れの悪い隆一の物言いにイノランはピンときて。
視線を彷徨わせる隆一に、向こう行こう。と言って、自身の控え室に隆一を招き入れた。
「光と、音と声?」
「うん」
イノランの控え室の椅子に腰を落ち着けて。早速隆一は、今日度々感じた出来事を話して聞かせた。
イノランは真剣に隆一の話に耳を傾けて。一連の出来事について、強張った表情を見せた。
ところが…。
「怖い感じとか、嫌な感じは無かったんだ」
「え…?」
隆一の、予想に反した反応に。イノランは少々面食らって目を丸くする。
「ーーーそうなの?」
「うん。…寧ろ、なんか…懐かしさを感じるくらい」
「ーーー懐かしい?」
「ーーーうん」
「この会場に来た事があるから…じゃなくて?」
「うん…。それはもちろんそうなんだけど…またここでライブ出来るの嬉しいなって思うし。でもーーーそうじゃなくて…」
「ーーーもっと…って感じ?」
「ーーーん。なんてゆうんだろ…そうだな。ーーーココ」
「ん?胸?」
隆一はイノランの胸の辺りを、拳でトン…と叩いてみせる。
「この辺りに、きゅうっ…って。ーーー切ないみたいな、会いたい…みたいな」
「ーーー」
「リハの前にステージにいた時も、さっきのリハの時も。ーーー多分、同じ〝声〟と〝音〟だと思う。光ってたのはリハの時だけだったけど…」
「ーーーーーん…。俺は気付かなかった。…なんだろうな…」
「きっとあの三人もだと思う。真ちゃんなんて俺の真後ろにいるけど、何も気にする様子無かったし」
「隆ちゃんだけか…」
「ーーーうん…多分」
「ーーー」
イノランは腕組みをして、じっと考え込んで。
「ーーーでも、嫌な感じはしなかったんだよな?」
「ーーーうん」
たとえ何が起きても、今の段階では手の打ちようが無い。それに、明らかに隆一が嫌悪するような事象なら話は別だが、嫌な感じがしないのであれば様子を見るしかなかった。
「もしライブ中になんかあったら、こないだみたいにすぐ俺んとこに来いよ?」
「ぅ、うん」
「大丈夫。今回からは俺だけじゃなくて、アイツらもわかってくれてる」
「ん」
「気にしないで…ってのは無理かもしんないけど。ーーー囚われないで、思い切り歌えよ」
「うん!」
やっと表情を崩した隆一。
それを見て、イノランは密かにほっと息をついて。隆一の髪をそっと撫でてやった。
それにしても…とイノランは思う。
ひとつの事象の解決への取っ掛かりが見つかったと思った途端に次が来る。
次から次へと、よくぞここまで…と逆に感心してしまう。
度重なる不可思議な現象の数々が、今巻き込まれている事の大きさを表しているようで。
問題解決に向けて、確かに進んでいるとは思うけれど。
ーーーこの先まだ何が起こるのか。
それがわからなくて、戸惑う事もしばしばだ。
「ーーーイノちゃん?」
深く思考の奥に入り込んでいたのか。
ハッと。イノランが隆一の呼び掛けに気付いた時。覗き込んでじっと見つめる隆一がいた。
前髪の隙間から見える隆一の瞳が、心配そうに揺らいで。…そして。
「ーーー大丈夫だよ?」
「え…?」
「ちゃんと歌えるよ?」
「ーーー隆ちゃん…」
「ステージにあがれば、RYUICHIになるから。ーーー心配しないでね」
きっと本心では、一番心配しているのは隆一の筈なのに。こんな時でさえ、ひとに心を向ける。笑ってみせる。
イノランが好きなのは、隆一のこんなところだ。…と同時に、心配してしまうのも、隆一のこんなところだ。
もっと甘えていいのに。
もっと弱味を見せていいのに。
( どんな隆だって、愛する自信あるんだからな )
それでも最初に比べたら、イノランには色々な一面を見せるようになった。
それが嬉しい。
( ーーーでも、まだまだこんなもんじゃないだろ? )
もっと違う隆一を見たい。
本人さえ知らない隆一を見つけたい。
それがイノランの新たな楽しみになっていた。
( ーーーそうだな )
( この。今のごたごたが綺麗に片付いたら… )
イノランには、叶えたい事があった。
それはまだ隆一には言わないけれど。
全部終わって、その時は。
隆一に、伝えようと思う。
( ーーーよし 。)
それを楽しみにすれば、力も湧いてくるというもの。
イノランはニッと口角を上げて、笑みを作る。
挑戦的な、頼もしい笑みだ。
「ーーーもぅ、なに?さっきから…イノちゃん」
「ん?なんでもないよ」
「うそ!さっきから変な顔ばっかり」
ムッと、膨れて眉間を寄せる隆一を、イノランはいきなり抱きしめる。
ここはイノランのプライベートルームだから、見られる心配はないけれど。
隆一は恥ずかしさでジタバタと暴れだした。
「暴れないの」
「だっ…て!」
「誰も見てねえよ」
「~~っ…強引!」
「いいじゃん」
「強欲!」
「隆と音楽にはね?」
「っ…~~あーいえば」
「こうゆう?ーーー隆にだけだよ」
「え?」
「ーーー隆にだけ」
「っ…」
全部欲しいのは隆一だけ。
ーーーそれから音楽だ。
でもどちらも生きているものだから。
常に虹のように変化する。
七色の色彩を放って、この瞬間もイノランを魅了する。
ーーーだからこそ。
この二つに対するイノランの欲望は、きっと果てが無い。
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